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ジ、エクストリーム、スキヤキ

2013年12月17日 | 邦画(13年)
 『ジ、エクストリーム、スキヤキ』を吉祥寺バウスシアターで見ました。

(1)少々時間的な余裕ができたので、何の気なしに近くの映画館で見てきましたが、拾い物でした。

 本作のストーリーはごく単純で、40歳間際の洞口井浦新)が、学生時代の親友・大川窪塚洋介)のところに15年ぶりに突然現れ、大川の同棲相手の倉科カナ)と、洞口と昔付き合っていた京子市川実日子)を巻き込んで、車で海岸に向かい、公園でスキヤキを一緒に食べて帰るというものです(注1)。




 洞口は、大学を出て会社に就職して10年以上勤務したものの肌が合わずに辞め、その後はなんとなくブラブラして、最近自殺を計ったものの失敗したという過去があり、その他の者も皆先行きに大きな不安を抱えていて、それで楽しかった大学時代のつながりを求めてしまうようです(楓だけは違いますが)。
 なにか、中年一歩手前の人たちの気分の一端を表しているのかもしれないと思えて、興味を引かれました。

(2)本作を制作した前田司郎監督(注2)が原作・脚本を担当した『生きてるものはいないのか』では、「映画に登場する人物は、とにかくなんだか分からない原因で次から次へと死んでいくのです」が(注3)、本作でも死の匂はうかがわれます。
 本作の冒頭では洞口の自殺シーンがあり、また既に亡くなっている洞口らの共通の友人で自殺した峰村(写真でしか登場しません)の影が彼らの話のそこここに現れ(注4)、さらには大川の彼女・楓は先天性の病気で死を予期しているようなのです(注5)。

 といって本作は決して暗鬱な雰囲気の作品ではなく、映画撮影用機材を物色しに「かっぱ橋」界隈(注6)を歩いているシーンとか旅館の風呂場シーンにおける洞口と大川のやり取りなどなかなか秀逸で、むしろコメディ作品と言った方がいいかもしれません。

 でもまた、4人それぞれが抱える悩みも大きく、結局のところ不安と楽しさがゴッタ煮になっている作品ということで、特別仕立ての「スキヤキ」映画ではないでしょうか(注7)!

(3)本作の洞口のように、自殺を図ったとされる人物が実は生きていて物語に登場するというストーリーは、最近レンタルできるようになったDVDで見た『ペタルダンス』を思い起こさせます



 同作は、ジンコ宮崎あおい)と素子安藤サクラ)が、6年前の大学時代に友人だったミキ吹石一恵)が海に飛び込んだものの救出されたとの話を聞いて、ジンコが連れてきた原木忽那汐里)の運転で、北にある地元に戻って、3人でミキに会うというお話です。

 ただ同作は、ミキの自殺未遂の話ばかりでなく、原木も、その友人がある時会って以来音信不通になってしまったという事情を抱えていたり、ジンコと原木が知り合いになったというのも、駅における原木の行動を自殺と勘違いしたことがきっかけだったりと、全編にわたって死の影が強く漂っていて、かなりコミカルな感じがする本作とは雰囲気が違っていることもたしかでしょう。

 とはいえ、両作ともロードムービー的ですし、飛行機に一定の役割が与えられていたり(本作では旅客機ですが、同作ではグライダー)、登場する4人のうち一人が異質な人物(本作では楓、同作では原木)だったり、会話が自然な感じがしたり(ただ、本作では脚本にある台詞に沿って会話がなされますが、同作では脚本に頼らずにアドリブとのこと)するなど、類似点も多く見られます。

 あるいは、本作の登場人物が40歳間際であるのに対して、同作の登場人物は30歳くらいだという点が、作品の与える印象がかなり違っていることの大きな要因なのかもしれません。

(4)なお、本来的な作品の成り立ちから言えば、冒頭で自殺した洞口が蘇生し大川に電話をかけて、その後4人で旅行に出かける、という物語の流れに違いないところ、あるいは、ラストで東京に戻った洞口が、他の3人がそれぞれの家に戻ると独り取り残されてしまい、一時は皆でスキヤキ鍋をつつきながらこれから頑張ってやっていこうと思ったにしても、やはり自分はまだ“デボン紀”にあるという気分からそんなに簡単には脱却できずに(注8)、自殺を図ってしまうというストーリーが考えられないわけでもない、とも思えてきます(注9)。
 ただ、仮に、冒頭のシーンが4人による旅行の後の出来事だとしても、自殺した洞口が蘇生してまたまた大川に電話するとしたら、このサイクルは無限に続いてしまうことになります。あるいは、大川が作った大きなブーメランが、投げた海岸に戻ってくるというのは(注10)、そのことを意味しているのでしょうか?

(5)小梶勝男氏は、「(前田監督が脚本を書いた)「世之介」と印象は逆でも、登場人物を見つめる温かく、優しいまなざしは変わらない。それがまた、胸に染み入る」と述べています。




(注1)最近では、井浦新は『千年の愉楽』などで、窪塚洋介は『モンスターズクラブ』で、市川実日子は『マザーウォーター』で、倉科カナは『みなさん、さようなら』で、それぞれ見ています。

(注2)前田司郎監督は、自身の小説を映画化した『大木家のたのしい旅行』の脚本を担当し、また『横道世之介』の脚本も手がけています。

(注3)本作の前半に、洞口と大川が公園で寝転んで空を飛ぶ旅客機を見るシーンがありますが、旅客機が空から墜落していく様が描かれている『生きてるものはいないのか』のシーンを思い出しました。

(注4)ラストの方でも、車の中にムーンライダーズの曲が流れると、京子が「峰村君が勧めてくれたバンド」などと言ったりして、何かというと3人の会話の中で峰村のことが思い出されます。

(注5)旅館で風呂に浸かっている時に、洞口が大川に「楓ちゃんと結婚する気あるの?」と尋ねると、大川は洞口に、「あいつ、死ぬんすよ」、「先天性の何かだって」と答えます。

(注6)実際には、上野駅から「かっぱ橋道具街」に行く途中の「仏壇通り」(浅草通りの)界隈ではないかと思われます。言ってみれば、二人は、秋葉原の「電気街」に行こうとして「かっぱ橋道具街」へ来てしまったと思ったものの、実際は「仏壇通り」だったということでしょうか。

(注7)最初の方で、大川は豚肉の入ったスキヤキを食べていて、楓が「これスキヤキじゃないよ」と言うと、大川は「スキヤキでしょ?」と答えますが、彼らのスキヤキはなんでもありということではないでしょうか?
 あるいは、歌詞に出てこないスキヤキがタイトルになって欧米で大ヒットした坂本九の「SUKIYAKI」にもなぞらえられるのかもしれません(彼らは、スキヤキ鍋を食べながら、15年以上昔で今やその実体のない思い出に囚われているのですから)。

(注8)旅館での洞口と京子との会話で、京子が「遠くになっちゃった。あのときが“デボン紀”(「地質時代」の最初の方の「古生代」の4番目:4億年くらい前)で、今がモウ現代」と言うと、洞口は「俺はまだ“デボン紀”終わっていない」と応じます。
 洞口は、自分の「モラトリアム期間」はまだ終わっていないと言っているわけで、京子は「まだ決まっていない不確定な真っ暗な方を見て行かなくてはいけないと思う」と批判します。ですが、京子自身も今回の4人の旅行を十分楽しんでいるのであり、あるいは皆モラトリアム人間なのかもしれません(楓は違うのでしょうが)。

(注9)劇場用パンフレット掲載の「前田司郎インタビュー」で、前田監督は、「「死に向かっていく話」として見る人がいてもいいんじゃないか」とも述べています。

(注10)大川が投げたブーメランが一瞬視界から消えてしまったのを見て、洞口が「一回こっきりで後戻りできない人生みたいじゃないか」とわかったような口を利くと、実際にはブーメランは離れた海岸に突き刺さっているのです!



★★★★☆



象のロケット:ジ、エクストリーム、スキヤキ


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2 コメント

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Unknown (佐藤秀)
2013-12-17 23:11:11
すみません、TB返したのですけど、不具合で届かないみたいです。url置いておきますね。http://blog.livedoor.jp/y0780121/archives/50774546.html
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お礼 (クマネズミ)
2013-12-18 05:58:05
「佐藤秀」さん、わざわざコメント欄でお知らせいただきありがとうございます。
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