
『それでも夜は明ける』をTOHOシネマズ渋谷で見ました。
(1)本作は、今度のアカデミー賞で作品賞を獲得したというので映画館に行きました(注1)。
映画の時点は1841年で、1863年の奴隷解放宣言よりも前のことです。
場所は、ニューヨーク州のサラトガ。
バイオリニストのソロモン(キウェテル・イジョフォー)は、自由黒人で、妻のアンと2人の子どもと一緒に幸せな生活を送っていましたが、あるとき2人の興行師にワシントンで開催されるサーカスのショーで演奏してほしいと誘われてワシントンに出向いたところ、騙されて誘拐されてしまい、気がついたら地下室に鎖で繋がれて。
自分が自由黒人であることは無視されたまま、ニューオーリンズに連れて行かれます。

ここから、奴隷として過酷な生活が始まるのですが、果たして彼は生きてこの状態から脱出できるのでしょうか、………?
本作は、実話に基づいており(注2)、ありえないような厳しい境遇に陥りながらも、自分を見失わず、家族のもとに戻るためになんとしてでも生き抜いてやるという主人公の強固な姿勢が、実に上手く描かれていると思いました。
それにしても、描かれている時代は日本の江戸末期ぐらいながら、今でも自分の意志に反して自由を奪われている人たちが大勢いるのですから、けっして昔の出来事ではないのではという思いを強くしました(注3)。
(2)本作は、『大統領の執事の涙』の冒頭で描かれているエピソードの前史のような位置づけにあります。
すなわち、同作の冒頭の出来事は1926年に起きたとされ、本作はそれより80年以上前の話ながら、同作の主人公・セシルの父親が、若主人にクレームをつけようとしたところ、いともあっさりと射殺されてしまうのと同じように、本作でも、ソロモンたちが連れて行かれる船の中で、白人の行為に非難がましい素振りを見せた黒人が、その白人によって簡単に刺殺されてしまいます。
また、同作には、縛り首にされた黒人をセシルが目の当たりにする場面がありますが、本作でも、ソロモンが逃亡を企てて森の中を走りだしたところで、黒人奴隷を白人たちが縛り首にしているところにぶち当たります。
セシルにせよソロモンにせよ、二人は、そうした場面に遭遇しながらも積極的なアクションをとらずに、冷静に受け止めようとします。でもそうだからこそ、セシルは大統領執事として長いこと勤めあげることが出来たのでしょうし、ソロモンにしたって、12年はかかりましたが自由黒人に戻れたのだと思われます。
その自由黒人ですが(注4)、そういえば『ジャンゴ 繋がれざる者』の主人公ジャンゴ(ジェレミー・フォックス)は、賞金稼ぎの歯科医(クリストフ・ヴァルツ)に買われ自由の身となります。ソロモンと同じように白人に救われるわけながら、ジャンゴの場合は、自分や愛する妻・ブルームヒルダを酷い目に合わせた白人に徹底的に復讐します。
一方のソロモンも、自由黒人に戻った暁に、自分を奴隷の身分に陥れた興行師たちを訴えますが、上手く行かなかったようです(注5)。
本作にはもう一人興味深い黒人が登場します。
ソロモンがいる農園で働く女奴隷の中にパッツィー(ルビタ・ニョンゴ)がいますが、彼女が日曜日に訪れる黒人のショー夫人(アルフレ・ウッダード)は、元々はパッツィーと同じ身分でありながら、今や白人の妻となって逆に奴隷を管理する側に身を置いているのです(注6)。そして、そういう立場から、いろいろパッツィーにアドバイスをします。
本作を見ると、同じ黒人奴隷と言いながらも、いろいろな境遇があるのだなとわかってきます。
それと同様に、奴隷を管理する側も様々な白人がいるように描かれています。
典型的なのは、本作に登場するエップス(マイケル・ファスベンダー)でしょうが、この男は、『ジャンゴ』でディカプリオが演じたカルヴィン・キャンディに通じるものがあります。なにしろ、エップスは、些細なことからバッツィーを酷く鞭打ったりしますが(注7)、キャンディの方は、黒人同士を死ぬまで戦わせたりするのですから。

他方で、本作には、フォード(ベネディクト・カンバーバッチ)という、ソロモンに理解を示す農園主も登場します。映画の中でも、農園で働く黒人たちに対して聖書の言葉を説くシーンが映し出されますが(注8)、全体として温厚な紳士といった感じで、『ジャンゴ』の歯科医キング・シュルツに若干ながら通じるところがあるのかもしれません(注9)。

こうした様々の登場人物を見ているうちに、果たしてアメリカの黒人奴隷制度は、経済的観点から見て効率のよいものだったのか疑問に思えてきます(注10)。そして、何かわかったつもりでいた黒人奴隷について、実のところ何も知らなかったのではという思いにとらわれてしまいました。
(3)渡まち子氏は、「物語は実話で、ソロモンが最後には救われることを知っていてもなお、この映画の圧倒的な衝撃は、観客を金縛りにしてしまう。いかにもアカデミー好みの社会派の良作だが、見る側に体力と気力を要求する作品であることは間違いない」として75点をつけています。
相木悟氏は、「人心の暗部を容赦なくえぐる、重量級の逸品であった」と述べています。
佐藤忠男氏は、「アメリカの奴隷を描いた映画はこれまでにたくさんあるが、この映画では、虐待する白人も、される黒人も、一人一人の人格が鋭く描き分けられている。そこがかつてなく本格的である。それで悲惨な日々の耐え方にも強い現実味と精神的な葛藤がともなって感じられる」と述べています。
中条省平氏は、「民主国家アメリカの歴史的恥部である奴隷制度をこれほど生々しく、苦痛に満ちて描き出した映画は稀であろう。人間の尊厳を踏みにじる愚行を前にして、観客は怒りとともにこうした不正義を地上から駆逐したいと念ずるはずだ」と述べています。
恩田泰子氏は、「終盤、「脱出」に必死のソロモンは決して後ろを振り向かない。他者が目に入らなくなる。その情景の苦さ、そしてリアルさは、いつまでも心に残る」と述べています。
(注1)今回のアカデミー賞では、作品賞のほかに、パッツィーに扮したルピタ・ニョンゴが助演女優賞を、脚本を書いたジョン・リドリーが脚色賞を受賞しました。
なお、本作の監督は、『SHAME-シェイム-』のスティーヴ・マックィーン。
(注2)本作は、本作の主人公のモデルとなったノーサップ・ソロモンが著した『12Years a Slave』(1853年)を映画化したもの。同著について、Wikipediaでは、「1968年発表のスー・イアキンとジョセフ・ログスドンの編集による初めてのノーサップの伝記の学術書によって、彼の伝記が驚くほど正確であると証明された」と述べられています。
(注3)本作に出演する俳優の内、主演のイウェテル・イジョフォーについては、なんといってもDVDで見たことがある『キンキーブーツ』(2005年)でしょう。また、マイケル・ファスベンダーは、『悪の法則』や『ジェーン・エア』で、ベネディクト・カンバーバッチは、『アメイジング・グレイス』や『戦火の馬』でそれぞれ見ています。
更に本作は、ブラッド・ピット(最近では、『悪の法則』で見ました)製作にあたるだけでなく、奴隷制度に反対のカナダ人労働者・バスをも演じていますし、フォードの農園でソロモンに冷酷な振る舞いをするデイビッツをポール・ダノ(最近では、『LOOPER/ルーパー』で見ました)が演じています。
(注4)自由黒人については、下記の「補注」をご覧ください。
また、Wikipediaを参照。
なお、この記事によれば、1850年における自由黒人の比率は11.9%とされています(およそ364万人の黒人のうち43万人が自由黒人)。
(注5)本作のラストでクレジットによる説明がありますが、劇場用パンフレット掲載の歴史家デイヴィッド・フィスク氏のインタビュー記事には、「彼らが埋めた罰は、裁判を待っていたときから保釈されるまでの7ヵ月間の獄中生活だけでした」とあります。
(注6)奴隷のパッツィーが、日曜日にショー夫人の元を一応の身なりをして訪れて、そのベランダで一緒に紅茶を飲んでいるというのは、クマネズミにとってとても不思議な光景でした(そこに、ソロモンがやってきて、「ご主人様が呼んでいる」と伝えると、パッツィーが「今日は安息日だから、どこにいても自由なはず」と答えるのも)。
なお、この記事には、「奴隷所有者の中には黒人や先祖が黒人である者がいた。1830年、南部には3,775人のそのような奴隷所有者がおり、その80%はルイジアナ州、サウスカロライナ州、バージニア州、およびメリーランド州にいた」とあります。
(注7)他方で、エップスはパッツィーを性的に弄んでもいるのです。
(注8)上記「注5」で触れたインタビュー記事によれば、「フォードはバプテスト派の高名な牧師」とのこと。
(注9)尤も、キング・シュルツはドイツ人であり、ジャンゴを自由奴隷にしたのも、自分の賞金稼ぎに役立ったせるためにすぎないのでしょうが。でも、キャンディを撃ち殺すことまでしでかすのですから、奴隷制を酷く嫌ってもいたのでしょう。
(注10)パッツィーが綿花を1日230kg摘むのに対し、いくら平均より少ないからといって鞭で叩かれようと1日80kgほどしか摘めないソロモン。インセンティブを持たない者に対しては、鞭による強制を加えても、労働効率は一向に上がらないように思われます。
それに、奴隷の逃亡を防ぐための人件費などを考えると、かなり非効率的なシステムではなかったかと思われます。
でも、だからといって、このサイトの記事が言うように、「(奴隷制は)非効率。そのまま行ってたら、経済がやばい。なのでリンカーンは連邦そのものを救うために、奴隷制度に反対しました」とまで言えるのかどうかは疑問ですが。
〔補注〕自由黒人について
本田創造著『アメリカ黒人の歴史 新版』(岩波新書、1991)には、自由黒人になる方法として、「独立革命時にみられたように軍役に服すること」、「勤勉と貯えによって主人から「自由」を購入」すること、「なんらかの理由で奴隷所有者によって解放され」ること、「逃亡によって非合法的に「自由」を獲得」することが例示されています(P.80)。
また、上杉忍著『アメリカ黒人の歴史 奴隷貿易からオバマ大統領まで』(中公新書、2013)によれば、「深南部では黒人の数は少なく、大半は奴隷主が奴隷に産ませた子供で、多くが都市に居住し、上南部では、農村で奴隷と隣接しながら暮らす黒人が多く、再奴隷化の危機に直面しつつ生活していた」が、北部では、「それなりの規模の自由黒人居住区ができていた」ようです(P.38~P.39)。
本作やこうした記事からすると、自由黒人の大半が北部にいたような印象を受けがちのところ、このサイトの記事によれば、「(南北戦争)開戦前年の1860年に北部に住んでいたのは46%に過ぎず、過半の54%は南部に住んでいた」とのこと!
驚きました。
そこで、同サイトの記事の元になった記事(2013.7.8)を見てみると、その筆者は、自分の先祖が、南北戦争よりずっと以前に自由黒人であったにもかかわらず、南北戦争時にはヴァージニア州で暮らしていて、どうして北部に移動しなかったのかと疑問に思い、Ira Berlinの『Slaves Without Masters: The Free Negro in the Antebellum South』(1974)を読み直してみて、「自分の先祖が南部にいて、南北戦争時にもそこを離れなかったというのは、当時珍しいことではなかった」ということを知って驚いているのです(1860年当時、南部にいた自由黒人の方が北部よりも35,766人も多い!)。
この記事の筆者はハーバード大学の著名なHenry Louis Gates Jr. 教授。彼はアメリカの黒人歴史学者のトップと言われていますが(誤認逮捕事件でも知られています)、そんな学者が基礎的と思える事実を最近になって知って驚いているくらいですから、自由黒人の実体はまだ余り分かっていないのではないでしょうか?
(なお、本件についてヘンリー・ルイス・ゲイツ教授は、この記事において更に議論をしています)
★★★★☆☆
象のロケット:それでも夜は明ける
(1)本作は、今度のアカデミー賞で作品賞を獲得したというので映画館に行きました(注1)。
映画の時点は1841年で、1863年の奴隷解放宣言よりも前のことです。
場所は、ニューヨーク州のサラトガ。
バイオリニストのソロモン(キウェテル・イジョフォー)は、自由黒人で、妻のアンと2人の子どもと一緒に幸せな生活を送っていましたが、あるとき2人の興行師にワシントンで開催されるサーカスのショーで演奏してほしいと誘われてワシントンに出向いたところ、騙されて誘拐されてしまい、気がついたら地下室に鎖で繋がれて。
自分が自由黒人であることは無視されたまま、ニューオーリンズに連れて行かれます。

ここから、奴隷として過酷な生活が始まるのですが、果たして彼は生きてこの状態から脱出できるのでしょうか、………?
本作は、実話に基づいており(注2)、ありえないような厳しい境遇に陥りながらも、自分を見失わず、家族のもとに戻るためになんとしてでも生き抜いてやるという主人公の強固な姿勢が、実に上手く描かれていると思いました。
それにしても、描かれている時代は日本の江戸末期ぐらいながら、今でも自分の意志に反して自由を奪われている人たちが大勢いるのですから、けっして昔の出来事ではないのではという思いを強くしました(注3)。
(2)本作は、『大統領の執事の涙』の冒頭で描かれているエピソードの前史のような位置づけにあります。
すなわち、同作の冒頭の出来事は1926年に起きたとされ、本作はそれより80年以上前の話ながら、同作の主人公・セシルの父親が、若主人にクレームをつけようとしたところ、いともあっさりと射殺されてしまうのと同じように、本作でも、ソロモンたちが連れて行かれる船の中で、白人の行為に非難がましい素振りを見せた黒人が、その白人によって簡単に刺殺されてしまいます。
また、同作には、縛り首にされた黒人をセシルが目の当たりにする場面がありますが、本作でも、ソロモンが逃亡を企てて森の中を走りだしたところで、黒人奴隷を白人たちが縛り首にしているところにぶち当たります。
セシルにせよソロモンにせよ、二人は、そうした場面に遭遇しながらも積極的なアクションをとらずに、冷静に受け止めようとします。でもそうだからこそ、セシルは大統領執事として長いこと勤めあげることが出来たのでしょうし、ソロモンにしたって、12年はかかりましたが自由黒人に戻れたのだと思われます。
その自由黒人ですが(注4)、そういえば『ジャンゴ 繋がれざる者』の主人公ジャンゴ(ジェレミー・フォックス)は、賞金稼ぎの歯科医(クリストフ・ヴァルツ)に買われ自由の身となります。ソロモンと同じように白人に救われるわけながら、ジャンゴの場合は、自分や愛する妻・ブルームヒルダを酷い目に合わせた白人に徹底的に復讐します。
一方のソロモンも、自由黒人に戻った暁に、自分を奴隷の身分に陥れた興行師たちを訴えますが、上手く行かなかったようです(注5)。
本作にはもう一人興味深い黒人が登場します。
ソロモンがいる農園で働く女奴隷の中にパッツィー(ルビタ・ニョンゴ)がいますが、彼女が日曜日に訪れる黒人のショー夫人(アルフレ・ウッダード)は、元々はパッツィーと同じ身分でありながら、今や白人の妻となって逆に奴隷を管理する側に身を置いているのです(注6)。そして、そういう立場から、いろいろパッツィーにアドバイスをします。
本作を見ると、同じ黒人奴隷と言いながらも、いろいろな境遇があるのだなとわかってきます。
それと同様に、奴隷を管理する側も様々な白人がいるように描かれています。
典型的なのは、本作に登場するエップス(マイケル・ファスベンダー)でしょうが、この男は、『ジャンゴ』でディカプリオが演じたカルヴィン・キャンディに通じるものがあります。なにしろ、エップスは、些細なことからバッツィーを酷く鞭打ったりしますが(注7)、キャンディの方は、黒人同士を死ぬまで戦わせたりするのですから。

他方で、本作には、フォード(ベネディクト・カンバーバッチ)という、ソロモンに理解を示す農園主も登場します。映画の中でも、農園で働く黒人たちに対して聖書の言葉を説くシーンが映し出されますが(注8)、全体として温厚な紳士といった感じで、『ジャンゴ』の歯科医キング・シュルツに若干ながら通じるところがあるのかもしれません(注9)。

こうした様々の登場人物を見ているうちに、果たしてアメリカの黒人奴隷制度は、経済的観点から見て効率のよいものだったのか疑問に思えてきます(注10)。そして、何かわかったつもりでいた黒人奴隷について、実のところ何も知らなかったのではという思いにとらわれてしまいました。
(3)渡まち子氏は、「物語は実話で、ソロモンが最後には救われることを知っていてもなお、この映画の圧倒的な衝撃は、観客を金縛りにしてしまう。いかにもアカデミー好みの社会派の良作だが、見る側に体力と気力を要求する作品であることは間違いない」として75点をつけています。
相木悟氏は、「人心の暗部を容赦なくえぐる、重量級の逸品であった」と述べています。
佐藤忠男氏は、「アメリカの奴隷を描いた映画はこれまでにたくさんあるが、この映画では、虐待する白人も、される黒人も、一人一人の人格が鋭く描き分けられている。そこがかつてなく本格的である。それで悲惨な日々の耐え方にも強い現実味と精神的な葛藤がともなって感じられる」と述べています。
中条省平氏は、「民主国家アメリカの歴史的恥部である奴隷制度をこれほど生々しく、苦痛に満ちて描き出した映画は稀であろう。人間の尊厳を踏みにじる愚行を前にして、観客は怒りとともにこうした不正義を地上から駆逐したいと念ずるはずだ」と述べています。
恩田泰子氏は、「終盤、「脱出」に必死のソロモンは決して後ろを振り向かない。他者が目に入らなくなる。その情景の苦さ、そしてリアルさは、いつまでも心に残る」と述べています。
(注1)今回のアカデミー賞では、作品賞のほかに、パッツィーに扮したルピタ・ニョンゴが助演女優賞を、脚本を書いたジョン・リドリーが脚色賞を受賞しました。
なお、本作の監督は、『SHAME-シェイム-』のスティーヴ・マックィーン。
(注2)本作は、本作の主人公のモデルとなったノーサップ・ソロモンが著した『12Years a Slave』(1853年)を映画化したもの。同著について、Wikipediaでは、「1968年発表のスー・イアキンとジョセフ・ログスドンの編集による初めてのノーサップの伝記の学術書によって、彼の伝記が驚くほど正確であると証明された」と述べられています。
(注3)本作に出演する俳優の内、主演のイウェテル・イジョフォーについては、なんといってもDVDで見たことがある『キンキーブーツ』(2005年)でしょう。また、マイケル・ファスベンダーは、『悪の法則』や『ジェーン・エア』で、ベネディクト・カンバーバッチは、『アメイジング・グレイス』や『戦火の馬』でそれぞれ見ています。
更に本作は、ブラッド・ピット(最近では、『悪の法則』で見ました)製作にあたるだけでなく、奴隷制度に反対のカナダ人労働者・バスをも演じていますし、フォードの農園でソロモンに冷酷な振る舞いをするデイビッツをポール・ダノ(最近では、『LOOPER/ルーパー』で見ました)が演じています。
(注4)自由黒人については、下記の「補注」をご覧ください。
また、Wikipediaを参照。
なお、この記事によれば、1850年における自由黒人の比率は11.9%とされています(およそ364万人の黒人のうち43万人が自由黒人)。
(注5)本作のラストでクレジットによる説明がありますが、劇場用パンフレット掲載の歴史家デイヴィッド・フィスク氏のインタビュー記事には、「彼らが埋めた罰は、裁判を待っていたときから保釈されるまでの7ヵ月間の獄中生活だけでした」とあります。
(注6)奴隷のパッツィーが、日曜日にショー夫人の元を一応の身なりをして訪れて、そのベランダで一緒に紅茶を飲んでいるというのは、クマネズミにとってとても不思議な光景でした(そこに、ソロモンがやってきて、「ご主人様が呼んでいる」と伝えると、パッツィーが「今日は安息日だから、どこにいても自由なはず」と答えるのも)。
なお、この記事には、「奴隷所有者の中には黒人や先祖が黒人である者がいた。1830年、南部には3,775人のそのような奴隷所有者がおり、その80%はルイジアナ州、サウスカロライナ州、バージニア州、およびメリーランド州にいた」とあります。
(注7)他方で、エップスはパッツィーを性的に弄んでもいるのです。
(注8)上記「注5」で触れたインタビュー記事によれば、「フォードはバプテスト派の高名な牧師」とのこと。
(注9)尤も、キング・シュルツはドイツ人であり、ジャンゴを自由奴隷にしたのも、自分の賞金稼ぎに役立ったせるためにすぎないのでしょうが。でも、キャンディを撃ち殺すことまでしでかすのですから、奴隷制を酷く嫌ってもいたのでしょう。
(注10)パッツィーが綿花を1日230kg摘むのに対し、いくら平均より少ないからといって鞭で叩かれようと1日80kgほどしか摘めないソロモン。インセンティブを持たない者に対しては、鞭による強制を加えても、労働効率は一向に上がらないように思われます。
それに、奴隷の逃亡を防ぐための人件費などを考えると、かなり非効率的なシステムではなかったかと思われます。
でも、だからといって、このサイトの記事が言うように、「(奴隷制は)非効率。そのまま行ってたら、経済がやばい。なのでリンカーンは連邦そのものを救うために、奴隷制度に反対しました」とまで言えるのかどうかは疑問ですが。
〔補注〕自由黒人について
本田創造著『アメリカ黒人の歴史 新版』(岩波新書、1991)には、自由黒人になる方法として、「独立革命時にみられたように軍役に服すること」、「勤勉と貯えによって主人から「自由」を購入」すること、「なんらかの理由で奴隷所有者によって解放され」ること、「逃亡によって非合法的に「自由」を獲得」することが例示されています(P.80)。
また、上杉忍著『アメリカ黒人の歴史 奴隷貿易からオバマ大統領まで』(中公新書、2013)によれば、「深南部では黒人の数は少なく、大半は奴隷主が奴隷に産ませた子供で、多くが都市に居住し、上南部では、農村で奴隷と隣接しながら暮らす黒人が多く、再奴隷化の危機に直面しつつ生活していた」が、北部では、「それなりの規模の自由黒人居住区ができていた」ようです(P.38~P.39)。
本作やこうした記事からすると、自由黒人の大半が北部にいたような印象を受けがちのところ、このサイトの記事によれば、「(南北戦争)開戦前年の1860年に北部に住んでいたのは46%に過ぎず、過半の54%は南部に住んでいた」とのこと!
驚きました。
そこで、同サイトの記事の元になった記事(2013.7.8)を見てみると、その筆者は、自分の先祖が、南北戦争よりずっと以前に自由黒人であったにもかかわらず、南北戦争時にはヴァージニア州で暮らしていて、どうして北部に移動しなかったのかと疑問に思い、Ira Berlinの『Slaves Without Masters: The Free Negro in the Antebellum South』(1974)を読み直してみて、「自分の先祖が南部にいて、南北戦争時にもそこを離れなかったというのは、当時珍しいことではなかった」ということを知って驚いているのです(1860年当時、南部にいた自由黒人の方が北部よりも35,766人も多い!)。
この記事の筆者はハーバード大学の著名なHenry Louis Gates Jr. 教授。彼はアメリカの黒人歴史学者のトップと言われていますが(誤認逮捕事件でも知られています)、そんな学者が基礎的と思える事実を最近になって知って驚いているくらいですから、自由黒人の実体はまだ余り分かっていないのではないでしょうか?
(なお、本件についてヘンリー・ルイス・ゲイツ教授は、この記事において更に議論をしています)
★★★★☆☆
象のロケット:それでも夜は明ける
逃亡奴隷は主人側が馬や車で追いかけてくるのに、足で逃げるしかなく、証明書もなくそこらをウロウロしてると野良黒人として白人に処刑されたり、転売されたりするし、当然、仕事にも付けないので無計画に逃げる事はできなかったのではないでしょうか? 吉原っぽいなあ。
おっしゃるように、黒人奴隷は「無計画に逃げる事はできなかった」だろうと思いますが、『ニュートン・ナイト 自由の旗をかかげた男』では、逃亡奴隷が森の中に隠れて集団で生活している場面が描かれたりしていますので(彼らをサポートする人々もいます)、人数は少ないながらも逃げ出す奴隷は結構いたように思われます。