半農半X?土のある農的生活を求めて

「生きることは生活すること」をモットーに都会から田舎へ移り住み、農村の魅力を満喫しながら、日々、人生を楽しく耕しています

昔の女性の忍耐力

2017年07月20日 | 農的体験・生活
昔の女性の忍耐力というのは凄かったんだと思います。

とういうより、家庭にそういった存在がいたことは、ある意味、日本が強い立派な人が多かったという礎の1つだったんじゃないかな、と思う今日この頃です。

私はたまたま「おかげさま農場」という平均年齢が68才ぐらいの農家さんのところでお仕事をさせて頂いているということもあり、世の中の団塊世代とは違った、ちょっと前の田舎の家族の在り方というか生活を今も営んでいる団塊世代の方々と触れられている有難い立場です。

普通、一般的な団塊世代は、自由恋愛&老後をお金とお孫さん中心で楽しんでいる感じだと思います。
いわゆる欧米型ライフスタイルの洗礼を受けた世代ですよね。

ところが、田舎はまだそうではなく、その1世代前ぐらいの生活スタイルが、団塊世代にも残っています。

例えば、女性はお茶を入れてくれるのが当たり前。

もちろん、男性の農家さんもご自宅にいけば「まあお茶でも飲んでけ」といってお茶を出してくれます。

ただ、例えばみんなが集まっている時に、率先してお茶を入れてくれるのはお母さん達です。
飲んだ後のお茶碗を下っ端の私が片付けようとすると、たいてい、女性のお母さん達は「いいからいいから、そんなもん、男がやることはないんだよ」と止められるのです。

私が就職した20年ぐらい前は、既に女性がお茶をくむなんていう習慣は、ある程度大きな会社ではありませんでしたから、女性が男性のお茶を汲むのが当たり前、といったような価値観で生きているお母さん方と触れ合うと、何だか新鮮というか、「あぁ、昔はこんな感じだったんだろうな」と思うわけです。

そして、当たり前にそういったことをするお母さん達が、なんだかすごいな、と思うわけです。

「今の若い男は大変だな。茶碗洗ったりお茶入れたりするんだろう?」とお母さん達は言います。

私が、今の時代はそれが普通、というと、あるお母さんはこう言うのです。

「男と女は違うんだよな。畑仕事も力がある男にはどうしてもかなわない。だから男の仕事、女の仕事というのがある。女も家の仕事があって大変だけど、男だって地域のつきあいとか、家の代表として色々大変なんだからな。だからそんなこと、男はしなくてもいいのにな。今の若い母ちゃん達はしゃーねーな」

自由恋愛もあるでしょうが、お見合いもあって、「家に入る」というのが当たり前の時代でしたし、今も私より年下の男の農家さんも、跡を継いだ自分を「旦那」と言います。

「旦那」というのは、仏教用語か何かだったと思いますが、いわゆる家の総領、家の代表として家族を食わしていく責任者、ということです。

男性は「自分が旦那だ」という意識があって、「食わしていく」という責任感があります。
若ければ地域の消防団や村の役回りを担わなければいけません。

女性は「女のやること」として、家の仕事をやります。

そして、お父さんもお母さんも日常は畑で一生懸命一緒に田畑で汗水流して働いています。

それぞれが、地域での役割、家での役割と認識して、責任をもって働いています。

田舎の暮らしは、最初は「しがらみが多い」ように見えます。

しかし、昔からそういった生活で、親の世代もそうしているから、自分達もそうする、といった「縦のつながり」があって、そして地域との「横のつながり」の中で、自分をある意味縛るものがあって、そこで生きていくことが生活していくことなんだ、というのが当たり前にあります。

そうすると、家と会社を行ったりきたりで、休日は家族や友達と遊ぶ、といったライフスタイルというのは、戦後、欧米にあこがれ導入されて今の団塊世代あたりから始まった、最近の生活文化なんだな、と思います。

例えば私は子どもが大好きです。

世の人達も子供が大好きで、大学生の入学式に親が行くのが当たり前だそうです。
昔なら考えられません。

それはある意味「暇」なんだと思うのです。

言葉の誤解を招くのであれば訂正すると、田舎の農家さんと比べると「自分たちの使える時間的余裕と人間関係が緩い状態」なんだと思います。

私もある意味、農家さん達から見れば「暇がある人」と思われるんだと思います。

毎日、畑の仕事に追われている農家さん、あるいは土日でも地域の役回りで忙しい農家さんからみれば「最近の人」とみられるわけです。

でも一方で思うことは、そういった「縦と横のつながり」で生きている農家さん達は、自己中心的では生きられないので、みんなしっかりしているんです。

みんな、私を含めた「最近の人」に比べると、1人1人が忍耐強いと思います。

核家族、あるいは親と自分の2世代家族で暮らしている私達世代は、例えば、家族内でちょっとしたことですぐいざこざがあります。

でも、ふと農家さん達に目を向けると、小さなことでごちゃごちゃケンカしません。
ちょっとした口論があっても、なんだかんだいって旦那をお母さんはたてます。

男には男の役割がある、女には女の役割がある、と明確にみんな共通認識を持っているからです。


そして、その中で、恐らく人間関係で最も大変であろう嫁・姑関係も受け入れ、「家に入った」お嫁さん、つまりお母さんは、畑仕事もして、家の仕事もして、姑の対応もして、本当に忍耐強いな~と思います。

そういった家の中のお母さんがしっかりしているから、男も外できちんと役目を果たせたろうし、家が回っていたんだと思います。
そして、しっかりしている親の下に、しっかりした子供が育つ。

男も女もみんなそれぞれ頑張っている。

でも、全ての礎のお母さんがぶれない、しっかりしている、というのは、恐らく家や地域、あるいは子供たちがしっかり育つ一番影響を与えることなんだと思うのです。

東城百合子さんが「お母さんは家の太陽だった」と言いますが、今は男性だろうが女性だろうが、どちらかが「家の中の人格者」としてしっかりしていることが、とても大切な時代なんだろうな、と思うのです。

でも、日本ではやっぱりお母さんの器の大きさ、忍耐強さ、人格の大きさが、すべての礎だったような気がします。

たかがお茶くみ、たかが洗濯、たかが食事、ではなく「それは自分の仕事」と思ってやってきたお母さん達。
私からみると、そういったお母さん達の生き方は偉大だと思います。
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