駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

医師不足の遠因

2008年11月06日 | 医療
 この数年、急に医師不足が表面化してきた。直接の原因は新しい研修医制度にある。この制度により新卒の医師が人気のある病院(都市部や有名病院)に偏在してしまい、人気のない大学病院に若い医師が残らなくなった。新入医師の激減した大学病院から関連の病院へ医師を派遣することが出来なくなり、手薄になった病院の医師に過重な負担が掛かるようになった。耐えられない医師が辞めて開業し、残された医師の労働環境がさらに悪化する悪循環に陥っている。
 新しい研修医制度はアメリカの制度を真似た制度で、新卒の医師は全国何処でも自分の希望する大学病院や各種総合病院で研修を受けることができるようなった(希望者が多い病院では選別があり、面接で落ちれば第二第三希望の研修病院へ回ることになる)。この制度により、大学による病院の系列化や医局制度が解体し、出身大学や教授の意向に関わりなく自由公平に身分が求めやすくなり、混在による切磋琢磨が働くとの希望的観測があった。
 ところが、当然と言えば当然?なのだが、新卒医師は条件の良い大学や病院(勉強しやすく将来性がありそう)で研修を受けようとするため、地方や歴史の浅い大学病院あるいは設備や指導医が不十分な病院で研修を受ける医師が少なく、若手医師の偏在が起きてしまった。そしてこの2年間の研修医時代に各科の実態を知るようになり、かっては先輩の勧誘などで確保できた人材も、夜呼び出されて大変あるいは訴訟が多そうで大変な科を敬遠し、語弊があるが楽な科へ進む医師が増えてしまった。つまり専門科の偏在が助長された。
 皮肉なことだが、封建的とされる医局制度によって制限されていた個人の選択の自由が解放されることによって、結果としては逆に不均等な地域や専門科の医師分布を招いたことになる。
 この新しい研修医制度の導入による混乱はあと数年でいくらか収束すると思われる。それは最初の研修医が一人前になって医師を求めている病院へ就職する時期が来るからだ。あと十数年もすれば大学による病院の系列化もなくなるかもしれない?(難しいと思うが)。
 根本の医師不足の原因は医療費抑制のために政府が医師を十分作らなかったことにある(医師会にも責任がある)。その理屈は供給が需要を生むということらしい。政府はあわてて反省し方向転換するらしいが、ただ医師の数を増やしても、地域と専門性を適当に配分しなければ、医師不足は解消できず、過剰と過疎の混在という妙なことが起きるだろう。
 まあ、そうした具体的な政策の問題はあるが、私は現在の医師不足の遠因は篤姫の不在にあると思う。即ち、この国の覚悟の希薄化だ。アメリカ大統領は私が十ヶ月前予想したようにオバマになると思うが、マッケインも素晴らしいことを言っている。「私は個人的な幸の追求でなく国の大義に生きたい」と。医師にもどこかそうした気持ちが必要と思う。もちろん医師だけでなく、公の仕事に就く者は、いや本当はどんな仕事にも、いくらかはそうした気持ちがなければ、共同体の屋台骨が崩れてしまう。勿論、覚悟に見合う労働条件を整備して、愚かな竹槍精神論に堕してはならないのであるが。
 

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