今日は敬老の日らしい。老人と言われてさほど抵抗のない年齢になったが、果たして今も敬老という概念が生きているか、大いに疑問に感じている。令和に入る数年前から老人だけでなく人を敬うという気持ちが薄れてきた。今や絶滅危惧感覚になった。人を敬う気持ちが生きていた時代をご存じの方は、ああそうだなと思われるだろう。三十代以下の人には何の話か分からないかもしれない。
昨日、久しぶりに繁華街を歩いたら、本屋がなくなり百円ショップになっていた。本を読まない人が増えたのだ。老人的感慨かもしれないが空恐ろしい気がする。本こそどこでもドアで、新しい世界を教えてくれる。一言では表現できない考えや一日では学べない知識を教えてくれる玉手箱なのに手に取る人が減ってきた。一方、一言で人や物事を捉え皮相を滑る人が増えたように見える。
新型コロナ対応で行政のデジタル化が遅れているのが露わになって、それっとデジタル改革担当相職が新設された。抜擢された平井という人物が適任かどうかは徐々に明らかになる。この人は社民党党首だった福島瑞穂議員の発言に「黙れ、ばばあ!」と匿名で書き込んだのがバレたり、審議中にワニの動画を見ていたりした人物で果たして難しい概念や技術をやさしく説明することができるか、デジタル化によってに何をどうするか何がどうなるかを語ることができるか注目したい。できないようなら、単にデジタル機器が使えていい年をして人を敬う気持ちの乏しい押しが強いだけの人物で不適任ということになる。
デジタル化が遅れたのは何故かを十分に検証し報告してほしい。デジタル機器の配布不足、連結配線不足などという現象面だけでなく、構造的心理的障害を明らかにしなければ、上滑りのデジタル促進に終わるだろう。平井卓也大臣には促進と並行してその分析をお願いしたい。