子どもの頃まことしやかに十三階段なんだぞと訳知り顔に教えてくれた遊び仲間がいたが、本当のところは知らない。この年になると何段でもよろしい、何がどうあれ、極悪非道の人物にしてもおぞましいと感じる。
山登りは登るよりも降りるのが大変なのだと言う人が居るが、やはり登る方が大変だと思う。確かに若く体力があれば登るのにさほど苦労せず、降りる時の方が気が緩んで怪我をする率は高いかもしれない。
歩く速度は年を取ると遅くなる。老化の良い指標なのだが、じつは心肺機能の良い指標でもあり、昔は六分間歩行などという検査もあった。簡単な検査で、と言っても狭い医院ではできない、要するに六分間でどれくらい歩けるかという検査だ。高齢でなくとも心肺疾患があると、すたすたとは歩けない。美人を形容して立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花などと言ったが、年齢は歩く姿に現れ、見た目はともかく歩く姿では若作りでも人の目を欺けない。
平地でさえ歩行に年齢が現れるのだから、負荷がかかる階段ではより一層年齢を感じることになる。毎日駅の階段を上り下りするが、高校生なぞは女の子も、多少スカートの裾を気にするようではあるが、まるで平地を行くがごとく階段を駆け上がってゆく。若さが眩しい一瞬ではある。
そこへ行くと自分は、最初の五六段は軽々と足が運ぶのだが、最後の五六段は息が切れてきて手すりが欲しくなる。年寄りの階段昇降には手すりは必須で、毎年一人二人高齢の患者さんが階段から落ちて怪我をされている。転ばぬ先の杖、転落前の手すりと申し上げている。