ある日、詩に出会った。「この存在は、耳で世界を見て、眼でうたを聴いて、豊穣の最中にいる。 この存在は、名も形も超えて、思考も経験も超えて、万物にひそんでいる。 この存在は、ひたむきに目の前のものへ 融解しようとしている。 この存在は、無限を有している。私もあなたも、この存在であった。 かつて、か?いまもなお、か?」(写真はいずれも5月13日)
定期購読者で支えられている「週刊金曜日」のおもて表紙の裏には1983年生まれの「ろう」の写真家・斎藤陽道(はるみち)氏の写真が毎回掲載される。そして写真にはいつも詩が添えられているのだ。今回の5月15日号では写真よりも詩の方のにひき込まれた。最近の私の関心のある言葉「存在」と「無限」に感応したのかもしれない。作者について調べてみようと思った。
写真家とだけある。石神井ろう学校を卒業。20歳で補聴器を捨て、カメラを持ち、聞くことよりも見ることを選んだ。おなじ「ろう」の写真家である妻・盛山麻奈美との間に息子を授かる。「聴者」だった。歌が嫌いになってしまっていた陽道。あるとき抱いた赤子に突然泣かれ、ふと子守歌がこぼれた。そんな斎藤を追ったドキュメンタリー映画「うたのはじまり」が制作されて公開中だという。
画面全体に、まばゆいばかりのユキヤナギが生い茂っている写真だ。中央にはユキヤナギの少しの隙間ができて、ほこらのようになっている。うっかり見逃すところだった。よく見るとその薄暗い洞の中にこちらを向いてしゃがんでいる裸の幼児がいる。落ちている花びらに興味を示しているのだろうか。そんな写真だった。おそらくこの幼児は陽道が抱いた赤子だろう。そんなことを考えながら詩を読み返した。