あられの日記

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柿本人麻呂の歌碑

2024年05月02日 05時20分55秒 | 歴史散歩
丸亀京極藩の大名庭園、中津万象園に柿本人麻呂の歌碑があるというので探してみれば?
よ、読めない〜!!
今、NHKの大河ドラマは紫式部が主人公ですね。時折まひろちゃんが書く手紙も出て来ますが、あれ、ひらがなですよね?
え〜と?ひらがなっていつ出来たのか?
webによりますと、ひらがなは、中国から伝来した漢字から日本で派生したものです。西暦900年ごろの平安時代に、その前の奈良時代を中心に使われていた万葉仮名に代わるものとして、ひらがなが広がったと言われています。古来、漢字で表されていた文章は、画数が多く面倒だったため、日本人は省略して書くようになります」だそうです。ということは漢字だらけの歌碑は、飛鳥時代に生きた柿本人麻呂の使っていた「万葉仮名」で書いてあるのだな。
wikiによりますと、紫式部の生没年ははっきりしてませんが、大体西暦970年?から1031年?くらいの人らしい。
ついでに藤原道長は生没年がはっきりしていて、966年生まれ〜1028年死去。
おまけ:柿本人麻呂は660年生まれ〜724年死去。飛鳥時代の歌人。
一応説明版もあったので、歌碑を解説、いや、現代語訳してみます。
冒頭より「玉藻吉(たまもよし)」「讃岐國者(讃岐の国は)」「國柄加(国からか)」「雖見不飽(見れども飽かぬ)」
「神柄加(かむからか)」「幾許貴寸(ここだ貴き)」「天地(あめつち)」「日月与共(ひつきと共に)」
「満将行(足り行かむ)」「神乃御面跡(神のみおもと)」「次来(継ぎきたる)」中乃水門(中の湊ゆ)」
「従」「舟浮而(舟浮けて)」「吾傍来者(我が漕ぎ来れば)」「時風(時つ風)」ここまでが歌です。

続いて説明板によりますと、歌に出てくる「中乃水門」がここ中津万象園付近のことなのだとか。
1300年前に柿本人麻呂が香川県の現在金倉川と呼ばれている河口の中乃水門より船出して、現在の坂出市の沙弥島に渡りこの句を詠んだそうです。
飛鳥時代に何故都から香川県まで来たのだろう??ともあれ、平安時代のひらがなも書き文字だと読めない自信があるけども。万葉仮名は更に難しい。漢文とも違う〜。
ついでなので「短歌の歴史」もwebで検索かけたらば、今から1300年前に作られた5・7・5・7・7からできている詩のこととある。ということは、柿本人麻呂の歌碑は短歌だったのね。分かるか〜!!だって漢字の数が5・7・5ではないではないか!訳がわからない。私には高度過ぎです。

ところで、実はこの日ちょっとした計画があった。
大学時代の3人で中津万象園を訪れたのだが、先月学科は違うけど大学時代の友人から引っ越しハガキが届いた。共通の友人だったので、ぜひ引っ越しお疲れハガキを3人の連名で出したいと思い、新しい住所と切手とボールペンを持参していた。観光地なので絵葉書を買えばいいと思つてたのですが。
なんと!
今時の観光地には絵葉書を置いてなかったのです。
マジでっ!?
まさか!そんなっ!
で、デデデでも大丈夫。次のとこに絵葉書があると思うのだ。凹みかけた気持ちを立て直し。

さて、中津万象園を訪れる目的の一つにお食事処の懐風亭さんでランチが食べたいというのが会った。
けど予約が満席につき断られた。そんなことある??と思いつつ駐車場に到着した時に謎は解けた。
観光バスが数台停まってたのだ。見れば愛媛の伊予鉄系や徳島の徳急系。おそらく3月に入りお遍路の本格シーズンに入って観光客が増えてる模様。懐風亭さんも観光客向けの懐石が人気なのだろう。
ってなことで、友人の提案で善通寺さんの偕行社カフェのランチへ予定変更です。(続く)

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