あられの日記

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虎ノ門金比羅宮はビルの奥

2017年10月06日 05時38分24秒 | 神社・仏閣
2017.9.24初訪問。虎ノ門ヒルズから桜田通りを徒歩で移動。通りの左右はビルが林立〜〜一部建築現場ですが。
虎ノ門琴平タワーの中?なのか??ビルのエントランスと通りの境に石の鳥居があった!

鳥居の奥に社殿が見えます。間違いなくここが虎ノ門金比羅宮らしい。

目が慣れない〜。土地が高い都会では、ビルの間に神社が残ってる場所も多いんだけども。ここは最初からこの形でビルと神社の建物をセットでデザインしたみたい。

何はともあれ参拝です。
変わった鳥居ですね。銅製です。



両側の柱の彫刻は四神です。右が朱雀と白虎。左が青龍と玄武な模様です。東西南北を守ってる霊獣です。撮影時刻が午後4時半を過ぎてるので、すでに画面が暗いのが残念です。わかります?こう言う想像上の動物が得意な建築家、いましたよね?でもこれ、実は江戸時代のもの。丸亀藩の藩邸内にあったみたい。平成13年(2001)に港区指定有形文化財建造物に指定されました。一般庶民にも公開されてた模様です。

百度石が、鳥居の隣に残っています。裏に大願成就の銘があり、心眼が叶ったお礼に建てられたもの。

説明板発見:東京都指定歴史的建造物虎ノ門金刀比羅宮
設計者:伊東忠太
建築年:昭和26年(1951)
讃岐丸亀藩主の京極高和が、領地・讃岐の金刀比羅大神を、万治3年(1660)に芝・三田にあった江戸藩邸に藩邸内社として勧請。その後延宝7年(1679)に現在の地虎ノ門(江戸城の裏鬼門)に遷座する。
こんぴら人気が高まった文化年間に、京極家では毎月10日に限り一般の参詣を許し、大変賑わったと言われている。
社殿は権現造りで、第二次世界大戦により焼失したが、拝殿と幣殿の部分は昭和26年(1951)に再建された。ともに総尾州檜造り、銅板葺である。日本最初の建築史家伊東忠太の設計校閲による建物で、我国古来の建築技法が随所に使われている。
なお、幣殿の奥の本殿は、昭和58年(1983)に復興されたもので、鉄筋コンクリート造り、銅板葺となっている」
寺院建築の巨人、伊東忠太さんの作なのですね。有名なところでは、築地本願寺や御茶ノ水の湯島聖堂ですね。他にも神社巡りの先々で見かける名前です。
まずは参拝。



見回したけど、伊東忠太さんの特徴でもある想像上の動物いませんねえ?なぜかしら〜??

大祭のポスターがありました。

あ!近い!!大祭式 10月10日(火曜)正午 「浦安の舞」の奉納があります。
おかめ・ひょっとこ民踊行列10日11時・14時 境内をおかめ・ひょっとこなど縁起の良い行列が賑々しく練り歩きます。
里神楽奉納9日11時30分・13時・14時・15時
10日10時・13時・16時 神楽園にて、神様に奉納される里神楽です。

楽しそう〜〜。

緑色は広場及び通路で、歩行者が日常自由に通行または利用できるそうです。
さて、時刻は16時41分。ここで考える。この後、靖国神社でライトアップ&プロジェクトマッピングが日没からスタートします。メトロ移動を考えるとちょうどいい時刻なんだけども。もう疲れちゃったので諦めてお家に帰る〜。ど〜にも暗くなると動けなくなる私。まあこの日のお散歩は充実してたから満足さ〜。

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