あられの日記

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源義家と大国魂神社

2011年04月18日 04時39分31秒 | 歴史散歩
府中にある伊勢丹に沿って延びる道は大国魂神社の参道です。

参道はけやき並木が延びている。並木の途中で銅像を見つけた。誰だろう??
実は源義家なんだって。
あ。説明文発見。
「大国魂神社と馬場大門けやき並木
馬場大門けやき並木は大国魂神社の参道であり、江戸時代には並木北端(都立農業高校付近、けやき並木南端から550メートル余り北)に大国魂神社の木製の一の鳥居が建立されていました。現在では昭和26年に寄進された大鳥居(二の鳥居)が境内に建立されています。
けやき並木の起源は源頼義・義家父子が奥州・安部氏反乱(「前九年の役」と呼ばれ、永承6年(1051年)から康平5年(1062年)までの乱)の平定の途中、大国魂神社に戦勝を祈願し、平定後も参拝してけやきの苗千本を奉植したのが始まりと伝えられています。
現在のけやき並木は天正18年(1590年)に徳川家康が江戸に入り、慶長年中(1596-1615)に二筋の馬場を寄進し、両側に土手を築いてその上にけやきの苗を植えたのが始まりです。その後、寛文7年(1667年)に老中久世大和守が府中宿の大火(正保3年(1646年))で焼失した六所宮(大国魂神社)の再興とともにけやき並木の補植を行っています。
なお、徳川家康によるけやき並木馬場の寄進は、府中で伝統ある馬市は戦国時代から江戸時代初期にかけて、関東でも有数の軍馬の供給地であり、馬市は5月3日の「駒くらべ」の日から始まり、9月晦日まで5ケ月にわたって開催されました。
けやき並木は大正13年、国の2番目の天然記念物に地域指定されています。毎年5月の例大祭(くらやみ祭)では、3日にけやき並木で夕方から囃子の競演、競馬式(駒くらべ)が執り行われています。」ですって。
へえ~。源義家って前九年の役の平定にかかわっていたのか…。つーか、そんなに古い時代にもう源氏がいたってことに驚きました。

けやき並木は旧甲州街道をまたいで、大国魂神社に到達します。画像がソレです。立派なけやきでしょう?

昨日チューリップを見に昭和記念公園へおでかけ。ついでにJR日野駅で途中下車して新撰組歴史散歩。帰りに町田でお買い物というコースだったんですが、小田急線で久々に特急ロマンスカーが走っているのを見かけました。東北関東大震災以後、節電の為ロマンスカーは運休してましたが、いつのまにやら再開していたのですね。上り下りのロマンスカーが町田駅ですれ違ったので、ロマンスカーの本数も元通りなのかしら??
ともあれ、昨日の昭和記念公園は入園料が無料だったのも手伝って、しゃれにならない人出でした。すんごいお花見客!まあ。花見の目的は桜からチューリップ、アイランドポピー、菜の花、ムラサキハナナと変化してましたが…。楽しく飲み食い出来たらそれでいい人々で公園は人で一杯でした!この時の記事はいずれまた。…6月くらいか??
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