学歴のない牧野富太郎牧野が理学博士の号をとったのは、昭和2年で66歳のことです。その年の暮れ、札幌での記念講演の帰途に仙台で新種の笹を発見しました。
そして、翌昭和3年2月に博士を支えてきた妻寿衛子が55歳でこの世を去りました。博士はその新種の笹を「スエコザサ」と名付け、妻の墓へこの笹を植えました。
色紙に見られます号の「結網」は漢書にある言葉で、淵に立って魚を得たいと願うより、家に帰ってそれを獲る網を結ったほうがよいという意味なのだそうです。 (練馬区大泉学園) (つづく)
そして、翌昭和3年2月に博士を支えてきた妻寿衛子が55歳でこの世を去りました。博士はその新種の笹を「スエコザサ」と名付け、妻の墓へこの笹を植えました。
色紙に見られます号の「結網」は漢書にある言葉で、淵に立って魚を得たいと願うより、家に帰ってそれを獲る網を結ったほうがよいという意味なのだそうです。 (練馬区大泉学園) (つづく)