牧野富太郎は文久2年(1862)に高知県の造り酒屋などを営む裕福な家に生まれました。幼くして父母と死別した富太郎は、裏山で草木を友として育ったと伝わります。
19歳で上京し独学で植物学を勉強しました。22歳で東京帝国大学(現東京大学)の植物教室に出入りし、本格的な植物の研究に入りました。
西武池袋線の大泉学園にあります牧野記念庭園は、大正15年から94歳で亡くなる昭和34年まで博士が住んでいた自宅跡です。貧困に苦しみながら研究を続け、牧野富太郎博士は「日本の植物学の父」と言われています。 (練馬区大泉学園) (つづく)
19歳で上京し独学で植物学を勉強しました。22歳で東京帝国大学(現東京大学)の植物教室に出入りし、本格的な植物の研究に入りました。
西武池袋線の大泉学園にあります牧野記念庭園は、大正15年から94歳で亡くなる昭和34年まで博士が住んでいた自宅跡です。貧困に苦しみながら研究を続け、牧野富太郎博士は「日本の植物学の父」と言われています。 (練馬区大泉学園) (つづく)
牧野富太郎植物園にはユキワリイチゲが
あるそうです。
私もいつか行ってみたい場所です。
頑張って!
ユキワリイチゲは西日本の花ですので、こちらでは自生しているものを見ることができません。
牧野庭園では蕾ですがたくさんありました。
近くでは東京薬科大学にありました。
現在はわかりません。
牧野庭園は電話で開花状況を聞いていかれたら良いと思います。
甘口さん久しぶりです。
「高尾山の植物の父」だなんて、とてもとてもです。