秋生のEtude

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愛情と才能と期待と支配

2011年01月25日 23時56分55秒 | 『モーツァルト!』
たしか・・・舞台『モーツァルト!』今日が大阪公演千秋楽。
・・・いまさらですが、『M!』という舞台は、本当に奥が深い。
観終わった後々までも、いろいろ考えさせられて・・・
実は、ずっと頭の中に引っかかっていたことがあって。
以前、2007年の最後の観劇後にも、どっぷりと親子の関係と子供の自立について考えさせられたのですが・・・(その時の感想はココ

成功をおさめたヴォルフに
父・レオポルドは、「誇らしくはあります。・・・でも満足はできません。」

正直、このシーンではちょっとだけヴォルフがかわいそうで、いつもは親の気持ちでスルーするのに、ヴォルフの気持ちで少し哀しくなってしまったのです。

じゃあ、いったいどうすればよかったの?

以前はヴォルフを見守るような姉として存在していたナンネールが、今期はすごく冷やかにヴォルフと対峙していて、レオポルド寄り(?)だったせいか・・・今期の『M!』を観ながら強く感じたのは、レオポルドの父親としての愛情のあり方(?)だったのです。

小さい頃から才能を発揮して人々の称賛を浴びてきた息子・ヴォルフガング。
息子の才能は自分の誇りであり、その才能を伸ばすためにおそらくあらゆることを犠牲にしてきたであろう父親・レオポルド。
たくさんの時間やお金を投資して、息子の成功を願っていたにちがいない・・・
それなのに、当の息子は自由奔放。才能はあっても、人としてまだまだ未熟で自分を律っすることができない。(確かに、自分の靴のひもも結べないようでは困ります


親って、子供が産まれてくる時は“五体満足であれば”と望むけれど、無事に産まれたらそれ以上の事を望んでしまう。
“いい子”に育ってほしいと、躾をして、教育を受けさせ・・・何かの才能があったら、やっぱりその才能を伸ばそうとするでしょう。
・・・それはその子の幸せに繋がると信じているからです。
親としてそれを楽しみにするのは、当然のことだと思います。
でも、その親の期待に子供が応えてくれればいいけれど、その通りに行かない場合だってある。
その“親の期待”がかえって子供にとってプレッシャーになることもあるだろうし、才能があっても必ずしも成功するとは限らないし。
そもそも、子供の幸せを願うことは親にとってはあたりまえのことですが、子供の幸せは、所詮は子供自身が決めることです。
私は、親が子供に望むのは、最終的にはひとりできちんと生きていける“大人”になることだと思うのです。
そして、大人になるためには様々なプロセスが必要です。
時間をかけ、勉強し、体験し、時には失敗し、反省し、笑ったり泣いたりしながら成長するのがあたりまえで、才能だけでは生きていけない・・・

レオポルドは息子を愛していたと思うけど、一番、期待し愛したのはその才能だったのかもしれません。
「私は天才を作り育てました!!」・・・彼は息子の才能を愛し、自慢にしていた。
それはいつしか自分自身の生きがいとなり・・・

愛情は、才能への期待を増長し、大きく膨らんだ期待はいつしかその人生を支配しようとする。
しかし、たぶん・・・親は子供に期待しすぎてはいけないのです。
レオポルドの死を告げに来る、姉・ナンネールは「パパを裏切った」とヴォルフガングに言うけれど・・・それは、家族としてヴォルフガングの才能を愛し、あまりにも期待しすぎた故に出た言葉だと思います。
才能。・・・すべてはヴォルフガングに才能がありすぎたために起こった悲劇・・・
アマデ(=才能)に向かって「おまえが家族を引き裂いたーっ!!」と叫ぶヴォルフガングはどんな気持だったんだろう・・・


・・・ああ、本当にむずかしい
おそらく何事も“そこそこ”がいいのだと思います。

ウチの息子は、なんの才能もない、ごくごく普通の子ですが・・・
とりあえず・・・私は息子に、ちゃんと仕事をして奥さんと子供を大事にする“普通のおじさん”になってくれればいい、と思うことにします(あれ?やっぱり期待しすぎ?)




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