毎年、8月になると終戦を記念して(?)戦争映画やドラマが放映されます。
別に戦争モノが好きなわけではありませんが・・・なぜか見てしまうのです。
・・・昔は、怖かった。けれど、戦争の記録というのは、なかったことにはできないし、また忘れてしまうのもいけないことだと思います。(とはいえ、私も戦後生まれで実際の戦争は知らないのですが)
この2週間くらいに、いくつかの作品を見ました。
NHKスペシャルドラマ 「東京裁判」
NHK国際共同制作 特集ドラマ 「太陽の子」
NHK特集ドラマ 「マンゴーの樹の下で~ルソン島、戦火の約束~」
NHK歴史秘話ヒストリア 「ガダルカナル 大敗北の真相」
NHKスペシャル 「証言と映像でつづる原爆投下・全記録」
映画 『父親たちの星条旗』
映画 『硫黄島からの手紙』
映画 『海軍特別年少兵』
私は、昔から歴史という科目が好きでした。
だから、近代史の中での戦争、という歴史も普通に勉強しました。特に、小学生の時に読んだマンガ「はだしのゲン」は、とても怖い話でした。高校2年の修学旅行では広島の原爆記念館に行き、そのリアルな展示物にショックを受けました。
戦争を描いた映画も今までにいくつか観ました。
けれど・・・今回観たいくつかのドラマと映画で、初めて知った事実があって、改めて戦争は人と人が殺し合うという恐ろしいことで、あってはならないことなのだと、再認識しました。
それは、教科書には載っていなかった(載せられない?)事実でした。
ガダルカナルや硫黄島・・・名前は知っていても、その戦火の内容までは詳しく知りませんでした。
こんなにも、激戦だったんだ。そしてアメリカも日本もなんという多くの犠牲者を出したんだろう。しかも、殺し合うだけでなく、日本人は〝玉砕”という名で自ら死んでいく・・・(これはアメリカ人にはわかんないだろうなぁ。)
・・・こんなにも多くの人が死ななければならなかったという事実から、誰がこの戦争を始めたか?ということを考えた時、『東京裁判』の中でずっと言われていた〝戦争責任”という言葉の重さが解ってきました。
映画『父親たちの星条旗』はアメリカサイドから、映画「硫黄島からの手紙』は、日本人からの硫黄島での出来事を描いていて、感慨深かったです。
そして、もう一つ。
最後に見た
映画 『海軍特別年少兵』 (1972年)
聞きなれないこのワードですが・・・実はこの映画を私は12歳の時、父に連れられて映画館で見たのです。
なぜなら、父はまさに、この〝海軍特別年少兵”だったからです。
戦局が悪化して、帝国海軍は、昭和17年から終戦までに14,5歳の少年を志願兵として採用したそうで、父は昭和6年生まれ。海辺の町で育ったので、泳ぐのは得意だったし、その当時の血気盛んな軍国少年として、当然のごとく、自ら志願したそうです。
もちろん、まるで子供のような年齢の少年たちがすぐに戦力になるはずはなく、1年近くの猛訓練と猛勉強の末に第一線に送られたそうです。
規律正しい軍隊の教え、容赦ない罰則、すべては班の連帯責任で、一人でも遅かったり、出来が悪かったりすると、食事も与えてもらえない。体罰ともいえる罰則を受け、逃げ出したくなるような過酷な日々を重ねて、〝海軍特別年少兵”として鍛えられるのです。
(映画の中で、年少兵が送られた戦地が、まさかの硫黄島だったのが、びっくりしました)
・・・が、私の父は、戦争には行っていません。なぜなら、その訓練中に、終戦を迎えたからです。
「あと1年、戦争が長引いていたら、俺は生きていなかった。」
父は、よくそう言っていました。
・・・父は、どんな気持ちでこの映画を観ていたのでしょう。
戦後から75年、実際の戦争を体験した方々も歳を重ね、他界された方も多く、真実を知る人がだんだんといなくなっていきます。だからこそ、こうして戦争の事実を伝えていかなくてはいけないと思います。そして、平和であることの幸せを考えるべきだと思います。