みなさんは相貌失認の話を読んで、こんな世界があるのかとびっくりされたでしょう。
右脳には、日常的にはあまり気が付かれていない大切な機能が秘められているという意味で、相貌失認の紹介をしていますが、実際に相貌失認の人に出会う確率は、非常に小さいと思われます。一例で、学会発表されるくらいでしたから。
私は具体的には二人しか知りません。そのうちの一人が前に紹介した大学生です。
もう一人が、今日の方です。
77歳の男性。開業医をなさっていました。以下はご本人からの話の再現です。
「夜、ある会合から、車を運転して家に向かっていました。確かに家の近くまで帰ってきたのですが、不思議なことにどうしても家にたどり着けません。
四苦八苦した挙句に、敷地内にある大きな高い木が目に入ってようやくたどり着いたのです。そこまではよかったのです。続きがあって、なんと自分ちの車庫にバックで入れるのに、二度三度とぶつけてしまったのです。
その日は早々に寝て、翌朝になっても『なんだか変だから』受診したのです。何度となく来たことのあるこの病院の玄関に立ったときに、なんともいえない不思議な感覚が襲ってきました。
外来はどこ、トイレはどこ、検査はどこってわかってるはずなのに、だって何度も来たことがあるんですよ。まるで始めて来た建物のように、どこに何があるか何にもわからなかった・・・」
脳外科での精密検査の結果、右頭頂・側頭葉皮質下出血がわかり早速吸引術を受けました。手術は成功、経過も順調で機能検査のために私のところに見えました。(上記は初回検査のときの説明です)
手術は成功、経過も順調なうえここまでの説明ができて、もちろん体にマヒも無い状態ならば、普通の病院では機能検査は行いません。
できうる限りは機能検査というのが、病院の方針でしたから検査をしたのです。 3回分の検査をまとめたものがありますので見てください。
おなじみの立方体透視図模写です。
左空間失認があることがよくわかりますね。
5月8日はまったく描けません。
5月15日はまだまだ苦労しているのがよくわかります。
5月26日は一応完成しています。間違いなく回復はしてきていますが、実際は模写はとても大変で、立体視ができたような結果になっただけでした。
こうして検査をすることで、とくに「できない」結果がある場合には、そこから理解が深まっていく体験を何度も持ったものですが、このときも5月26日の検査の後で「実は、看護婦さんを覚えられなくて」と話が始まりました。最初は日常的に言われる程度の「人の顔がおぼえられない」状態かと思いましたが、話し振りが真剣で、なぜかどうしても区別が付かないと強調します。
相貌失認の可能性を頭に入れて、話を聞いていきました。
「主治医はわかります。問題は看護婦さん。ほんとに困るんですよね」
「家族は困りません」
例の写真テストをやりました。
有名人に関しては、大体判別が可能でしたが完璧ではありませんでした。
男女や老若もほとんど大丈夫。
退院前に言い出されたので、発病直後はもっと困っていたのかもわかりません。他の機能がどんどん改善してきましたから、相貌失認も改善してきた可能性は高いでしょう。
また、相貌失認の責任病巣は右後頭葉といわれています。この人は右頭頂・側頭葉皮質下出血ですから、少し場所が違うために軽症ですんだのかもわかりません。
例えドクターといえども脳機能障害に関しては素人に近いものがあることを、私はこのドクターから学びました。
入院時の玄関先での出来事は、右脳障害による「地誌的見当識障害」ですし、看護婦さんの顔が覚えられないのは「相貌失認」です。
ご自分におきた右脳障害後遺症を、「なぜか不思議なことがおきる」と捉えていました。
立方体透視図模写よりも簡単に実施できる検査があります。
線分二等分法といって、直線を提示して「真ん中と思うところに印をつけてください」といいます。
右のスライドの一番上の線が正確に二等分したものです。
それと比べると1回目は、左空間失認が、非常に大きかったことがよくわかります。
2度目と3度目は少し改善してきています。①は最初に自発的に印をつけてもらったもの、②は「それでいいですか?」と注意を促した後で再度付けた印。
3度目のほうがより中心よりですね。
4度目は約3ヵ月後ですが、中心点を越えて左に寄っています。
(皆さんも実験するとわかりますが、正常に脳が機能している私たちは半分のところに印をつけることができます。線分を二つ折りにしてみると、その正確さにびっくりします)
やや左寄りだということを指摘したら「左空間失認の傾向を持っていることを十分に承知しているため、失敗しないように意識的により左に印をつけた」と説明をしてくれました。
ということは、いまだに空間認識には支障が残っているということを意味します。
相貌失認については「患者さんの顔はやはりわかりにくい」といわれていました。
改善したとはいえ今後後遺症として残っていくという覚悟はいります。
皆さんがエイジングライフ研究所の二段階方式を実施するときも、検査をすることで、その人の今の状態を理解するのです。そして、生活改善指導をしますね。
よくなったにしろよくならなかったにしろ、本人の発言や家族の説明だけでなく再検査や再々検査が、その後の状態がどう推移したのかを把握するのにどうしても必要だということを、こういうケースを通じて理解してほしいと思います。