脳機能からみた認知症

エイジングライフ研究所が蓄積してきた、脳機能という物差しからアルツハイマー型認知症を理解し、予防する!

(続)高齢者の危険運転

2019年04月30日 | 前頭葉の働き
池袋の自動車事故の報道を受けて、友人とメールのやり取りをしました。「亡くなられた母子の夫(父)の会見は、涙なしでは見られませんでしたね。前頭葉機能に注目すれば、事故を起こす人達を事前に知ることができるのですが…」

唐突ですが、光市母子殺人事件の本村洋さんのことを思い出してしまいました。
本村さんは「全国犯罪被害者の会(あすの会)」の最も若い発起人として、加害者に手厚いだけの人権保護を、被害者にこそ認めるべきだと活動を進めてこられたことで有名です。どんなに苦しい日々だったことでしょう。この活動は20年間くらいも続いたと思いますが、犯罪被害者基本法制定という、まさに司法に風穴を開けることに結実しました。
「2人が生きた意味や証しを残してあげたかった。2人の犠牲があってこの法律ができた。この中に2人はいる」たしかこのように言われました。
何の過失もないのに急に命を奪われてしまうということでは、光母子殺人事件でも交通事故でもまったく同じ。残されたご遺族の悲嘆やもっていきようのないい怒りも、まったく同じ。
「少しでも運転に不安ある人は、車を運転しないという選択肢を考えてほしい。また周囲の人も本人に働きかけてほしい。家族の中に運転に不安のある人がいるなら、いま一度家族内で考えてほしい。それが世の中に広がれば交通事故による犠牲者を減らせるかもしれない」こういうことばを聞いたこともあります。

私はどうしても知っていただきたいと思うのです。
高齢者の自動車事故の時に言われる、「アクセルとブレーキの踏み間違い」ということですが、単に足の運動がスムーズでなかったというのではないのです。重大な事故につながる「アクセルから足を離しブレーキを踏む。または停車させるという判断が下せない」という見方が必要だと思います。つまりは脳の機能の問題。運動機能の衰えだけではなくはっきりとした前頭葉機能低下があるということなのです。
前頭葉機能は加齢とともに減退していきます。つまり、老化があるわけですから高齢になるほど危険性も増すことになります。でも、年齢だけではないのです。その人の前頭葉機能がどのくらい若々しさを保っているかがカギなのです。「90歳」でも対応できる前頭葉機能があれば運転はできますし、たとえ「65歳」であっても前頭葉機能が十分に働いていないと運転は無理だということになります。

今、認知症予防に関しては「デュアルタスク(歌いながら歩くというように、運動と頭を使うという二つのことを同時にやる、ながら運動。)」ということばが席巻しています。

考えてもみてください。自動車を運転している時には、ふたつどころではない注意力分配が要求されます。そもそも何のために運転をしているのか。時間の制約はあるのか。いくべき道を考える。混雑状況により道の変更をすることも。信号や道路標識の認知。スピード、ガソリンその他のメーター表示のチェックも。前だけでなくバックミラーもサイドミラーも確認が必要。同乗者がいれば会話をし、時によったらラジオや音楽を楽しむ。運転終了後の行動のシュミレーションだって、苦も無くこなします。「そうだ。卵と牛乳を買って帰らなくっちゃあ」
もちろん大前提として、人に対しまた他車に対しても安全運転には最大の注意集中力を注がなくてはいけません。

これだけのことを同時進行させる能力がなければ、運転はできません。その能力を現行の高齢者認知機能検査がなしえているでしょうか?
もし、運転不能の高齢者を運転可と判定したとしたら、公安委員会の責任も問われなくてはいけません。
もし受診していて「年齢相応です、認知症ではありません」と診断した医師がいたら、同様です。
ちょっと過激と思われたかもしれません。
実は、友人の返信を読みながら、少しネットで検索してみました。田中亜紀子さんというライターが書かれた
「法に定められた『運転免許取り消し方法』」という記事を発見しました。田中さんは元校長先生だったお父様が認知症が進んでいく様を間近で感じ、事故を起こす前にどうしても運転をやめさせたいと思ったのです。
(私の記事ですがご参考までに。スピードが遅すぎて怖いんです。自動車運転に関して認知症の初めにはどのようなことが起きるかまとめてあります)

田中さんの記事は、家族すら理解してもらえないところから始め、ようやく運転ができない状態にまで持って行った過程が詳細に書かれています。幸い他者を巻き込む事故はなかったのですがお父様の転倒事故(前頭葉の状況判断力がないということの怖さに直面して心が震えました)などを経て、免許証を返納することができたいきさつが書かれています。現に心配のご家族がいらっしゃる方は、田中さんは何度も原稿を書かれていますので、クリックして次々にお読みください。

以前、病院に勤務していたときには「この前頭葉機能では運転は無理です」と何度も言いました。心臓でも肺でも肝臓でも腎臓でも、その機能に問題があったら「してはいけないことを禁止する」でしょう。それと同じような感覚でした。
それでも本人が言うことを聞かないといわれると「接触事故なら知れていますが、あたった相手が人だったらどうしますか!」と厳しく言いました。
小ボケのレベルにとどまっていると、納得できる場合が大半だったと思います。中ボケでも運転していることはざらにありますが、そうなると「問題ない」と言い張り、隠れて乗ってしまったりもして家族は苦慮したことと思います。
さて上述の田中さんの記事によると、「表技」があるのです。長くなりますが引用です。
【それは道路交通法第百三条(免許の取り消し・停止等)に記されている。認知症だけでなく他の精神疾患、アルコール・麻薬の中毒者など様々な「運転に適さない病気や症状」の人にも適用される。
もし認知症と診断された場合、公安委員会のフォーマットの申請書に医師が診断を記入し提出する。用紙は家族が運転免許センターにとりにいっても、医師が専用のものをダウンロードしてもいい。ポイントは認知機能の衰えや認知症の疑いでなく、「認知症」ときちんと診断されていることだ。ほかの精神疾患などもしかり。
その申請が公安委員会審議され、法令に即した状況と判断されれば、通常1ヵ月以後に行政処分の免許取り消しに向けた「聴聞会」の通知が本人に来る。本人はかなり驚くだろうが、聴聞会への出席を拒否すると自動的に取り消し。出席しても新しい証拠、つまり「認知症ではない」という新しい診断書などを聴示できなければ、免許は取り消しになる可能性が高い】


簡単な道のようですが、一番の問題は、認知症の定義がはっきりしていないことです。今回の事故を起こしてしまった飯塚さんが認知症かどうか受診したとします。現状では多分「認知症」とは診断されないと思うのです。
認知機能検査としてよく使われるMMSがたとえ満点であっても、前頭葉機能が不合格である小ボケがあることを誰も知りません。
ドクターは膝や腰の不調、視力などには留意してくれると思います。
「(膝や腰のために、または見えづらいから)運転は控えた方がいい」ならいってくれるでしょう、膝や腰や視力が万全でも運転不可の状態があるとは全く想定外だと思います。
ちょっと考えてみました。
・高齢者の危険運転で命を落とした方たちのご遺族の思いを国民がしっかりと受け止めて、この情報(医師が認知症と診断すると免許取り消しになる)が広く周知徹底される・・・
・家族が運転に異常を感じて受診したにもかかわらず「認知症ではない」と診断されて、免許取り消しができないままに事故を起こしてしまう。
「認知症でない」と診断された高齢者の事故が続く(のはとても困るのですが)と、認知症の線引きに変化が起きるのではないか?医師に対する糾弾もあるでしょうし、新しい流れが生まれる可能性があるのではないかと夢想してしまいます。

さらに検索を進めていくと、とんでもないページに行き当たりました!
「認知症と診断された人たちから免許証を取り上げるべきでない」というのです。
「運転ができなくなると、脳への刺激が減ることになって認知症が進行する。その人の『かく生きたい』ということを保証しなくてはいけない」
「被害者家族の前でいえるのですか?」と詰問したくなりながら、思いつきました。
若年認知症と誤診されている、側頭葉性健忘症(前頭葉機能は正常、記憶力だけに問題が起きる。このブログのカテゴリーから具体例にあたってください)の人たちを前提にした発言に違いありません。ことほど認知症の理解は進んでいないのです。





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