脳機能からみた認知症

エイジングライフ研究所が蓄積してきた、脳機能という物差しからアルツハイマー型認知症を理解し、予防する!

生きがいとしての「自分らしい居場所作り」

2024年07月12日 | かくしゃくヒント
87歳になる友人宅を約束もせず訪問しました。山と水田に囲まれた田舎です。
奥が母屋手前が友人の家です。
かれこれ10回くらいはお邪魔したことがあると思いますが、伺うたびにそのセンスの良さに最初は感嘆、続いて心が洗われるような居心地の良さに浸ります。
母屋の玄関と向かい合わせに玄関があります。

玄関からすぐの客間。

一つ一つの飾り物から目が離せません。しかもそのほとんどが自作のさまざまな刺繍の作品なのです。

右の方向に目をやると、刺繍作品をタンスにしあげてる
アンテークの人形をお茶帽子に。人物写真のような刺繍作品。

角度を変えて見るとこういう感じです。

客間の奥には台所や居間があります。
台所も季節感あふれる自作の作品を生かしたインテリアが。

女子会を楽しんでいるところをパチリ。

トイレでも素敵なしつらえを発見しました。

紫陽花が何ヶ所にもいけられていましたが、そのセンスの良さに脱帽。

高齢者にとって「認知症になりたくない」という願いは切実なものがあると思います。
実はその答えはごく簡単。私たちは以下のように言います。
「認知症になるかならないかは、生活ぶりで決まります。生活ぶりは脳の使い方という意味ですよ」
「生きがいや趣味や交遊を楽しみ、運動も欠かさない」
「変化のある楽しい生活」
「自分らしくイキイキと生きているという実感が必須」
このような生活を目指しましょう。

私たちが生きているということは、デジタル情報を担当する左脳、アナログ情報を担当する右脳、そして体を動かす運動脳からなる三頭建ての馬車が動いているということです。
三頭建ての馬車が動くためには御者が必須。状況を判断し、決断を下し、行動を起こさせる。状況変化に応じて行動を抑制するのも御者の役割です。
脳の場合だと御者の役割を担うのは前頭葉です。
時を経ると馬車が古びてくるように、私たちの脳の働きも加齢とともに低下は否めません。物忘れしたり、テキパキことが進まなかったり。これは誰にでも起きることで正常老化です。
認知症は、この道筋とは違います。日々の暮らしに生きている実感や生きたい気持ちもなくなってただただ生きている。前頭葉の出番がない日々が続くところから始まります。御者が命令を出さないなら三頭建て馬車は動きません。使わなければ馬車はだんだんと朽ちていきます。脳だと正常老化を超えて働きが悪くなっていく。それを廃用性機能低下といいます。

廃用性機能低下を起こさないようにと、上記赤字で書いたことをお話ししてあげても
「生活に追われて趣味等するゆとりがなかった」
「もともと友人はいない」
「付き合いして問題が起きたら嫌だから」
「運動は苦手または嫌い」
「もう歳だから、普通に過ごしていれば上等」
「もう歳だから、わざわざ新しいことなんかする気もない」
「もう歳だから、一通り家のことがすんだら、テレビか居眠り」
「もう歳だから、転んでも困るしなるべく外には行かない」
「もう歳だから、おしゃれも面倒くさいし外へは行かない」

まあ次々と理由が出てくること。
馬車の状態を思い浮かべてみましょう。御者の出る幕をわざわざ引いてしまっています。こういう生活を続けていると脳の老化が加速されて6年もたつと、だいたい世の中で言われる認知症になります…

確かに趣味がない人もいる。人づきあいが苦手な人もいる。運動音痴の人もいる…
でも、体がとにかく持つようになった現在、体がもつ限り脳も持たせる必要があるのです。幼い時に知育に偏るのではなく脳全体を上手に育てるということが、将来の認知症予防につながるという壮大な提言を皆さんはどう聞いてくださるでしょうか?
高齢期は喪失の時代。仕事との別れ、友人や肉親との別れ、抗いようもない能力低下。視覚や聴覚だけでなく体力や運動能力の低下。それ以上に正常老化の範疇に入るとはいえ、たまに愕然とさせられる脳の能力の衰えなど。
まず、どうしても必要なことは自己肯定力を持つということですが、それこそ乳幼児期からの育みで生まれるものです。

ところで、老年期を生きるときに、「生きがい」があることは認知症にならないための大きな力となってくれます。
そしておもしろいことに「生きがい」は、自分で決めるものですね。
他者の評価とは関係なく、自分が肯定できる自分なりの生きがい。それを持てるかどうか。ここから認知症と正常老化の決定的な差が生まれます。
高齢になって、なお家族の食事作りをしている時、「この歳になってまだ食事作りに追われるなんて」と思う人もいれば「家族の喜ぶ顔を励みにがんばる」と生きがいにできる人もいる。
自治会の清掃活動に文句がある人もいれば、道のごみ拾いを喜びにする人もいる。
皆からあきれられるほどボランティア活動に励む人もいる。
もちろん趣味やそれを通じた交遊こそ生きがいと公言する人もいる。
健康で長生きをすることに目的を絞っている人も、孫の成長が楽しみな人もいる。

話は最初に戻ります。
私の87歳の友人が、彼女の感性に彩られた居心地のいい空間に生活をしていました。この彼女らしい彼女でないと実現できない生活ぶりを続けていくことそのものが生きがいになるかもという思いはお茶をいただきながら、どんどん確信にまで高まっていきました。
そこで、言いました。
「好子さんはほんとに素敵に生てる。自分らしいこの空間。思い出の作品たち。季節感を取り入れたインテリア。これを実現するためにたくさんの心配りがいるでしょう?それが脳をイキイキさせる。ただ高いところとか重いものとか難しくなったら、工夫してご家族に甘えてね。楽しくやり続けることができれば脳は持つ!」
「あら。認知症にならずに済むのにたったそれっぽち?それでいいのなら、できると思う!」
「あのね。好子さんにはできることでも、別の人にとってはとってもハードルが高いことよ。自分
が納得のできる生きる喜びは人によって違うから」楽しい会話が続きました。
「リハビリ教室に行きはじめたので、ちょっと気を使うようになったんです」とコーディネートされた洋服やポシェットを見せてくれました。


「同じ図案を使ってしまってボケちゃったのかと気にしてました」
いえいえ。糸も生地も変えてあって全く別作品でしたよ。前頭葉全開です。



お話も楽しかったですね。豊かなひとときでした…またお邪魔させてください。
by 高槻絹子






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