先月亡くなった兄のことを、パワーポイントにまとめてみました。
来週小布施町へ行きますので、その時にお話ししようと思ったのです。
理由はあります。兄が「小ボケの怖さ」「脳リハビリの大切さ」を実感してくれて、「ぜひぜひ皆さんに伝えるように」といってくれたからなのです。
脳がイキイキと働いてくれるということは、とても幸せなことです。せっかく生きているのですから自分らしく生きていかなければ・・・
その時のカギが「前頭葉」です。「前頭葉」こそ自分らしさの源です。
どの道を選択し、どのように生き、どのようにその生き方を評価するか。
何に興味を覚え、何を喜び、何に感動するか。そのすべてを、自分の前頭葉が決めていきます。
前頭葉機能について、エイジングライフ研究所のもう一つのブログで説明してありますのでご参考までに。(2月15日公開)
「脳の司令塔の役割を担う「前頭葉」には人間に特有な数多くの高度な機能が備わっています。その「諸機能」とは、観察、分析、考察、洞察、推理、理解、興味、発想、企画、計画、工夫、創造、予見、シミュレーション、整理、機転、抑制、感動及び判断等の認知機能(A)
並びにそれらの認知機能を発揮する上での「機能発揮度」の基礎となる「三本柱」の機能ともいうべき「意欲」、「注意集中力」及び「注意分配力」の機能(B)
及びそれらに加えて最終的な実行内容を選択し決定する上で不可欠な機能である「評価の物差し」としての「評価の機能」(C)などに区分されます」
「小ボケ」は その大切な「前頭葉」が元気をなくしてしまっている状態です。
兄の場合は、自営していた会社の経営実権を長男に譲った直後に、血糖値が急に上昇して緊急入院したことで、退院後にそれまでの生活を一変せざるを得なかったのは、容易に想像がつきます。
仕事が好きだといつも言っていた兄。
自分で起こした会社の経営に心を砕いていた兄(つぶさないようにするだけでも大変だったことでしょう)
男性なのに甘いものが好きだった兄。食事の楽しみも制限されてしまった・・・
入院中の兄と花火を見ながら「このままでは、危ない橋を渡ることになる。生活を変えて三頭立ての馬車がいつも走っているようにしなくては!まず歩いてね」と話したのです。(2010年8月)
そのターニングポイントから1年たったころに、母の法事で兄に会って、私は兄の前頭葉機能がはっきりと低下していることがわかりました。(2011年8月)
家族は
「なんだか元気がない」「おんなじことを言う」
「動きがモタモタしている」「根気がなくなった」
「よく居眠りしている」などと気にはしていても、
「もう年だし、長い間苦労してきたのだから。ご苦労様でした」という気持ちが先に立って、兄が何もしないでいてもそっと見守る状態だったと思います。
その気になって、自分のしゃべりたいことをしゃべる時には、まるで以前と変わらなかったはずです。
この時の兄のレベルでは、まだまだ世間の皆さんも前頭葉の機能低下が起きていることには気づかなかったと思います。もう3年もすればひそかに噂されるくらいでしょうか?
はっきり「気の毒にボケちゃったんだって」といわれるまでには、まだまだ6年も7年もかかります。
「今生活を変えなくては!」「脳を生き生きと使わなくては・・・・・ボケちゃうの!」
1年前と同じ私のことばを兄はよく聞いてくれました。私と兄だけが危機的な状況を理解したと思います。早いほど、脳機能低下の自覚があり、改善が楽だからです。(スライド内の・・・は絵文字です)
それから、交換メールが始まったのです。
最初は数字だけ(そう私が言いました)
9月17日477歩。16日1839歩。15日2538歩
16*183915*2538とつながっていたので、ちょっとパズルを解くような気分でした兄のメールは全部保存していましたが、私の返信メールは10月末までありません。
1か月半経つと、慣れないせいか携帯のミスタッチもありまだパズル状態ですが、歩数のお知らせだけでなく、私に話したくなった兄の気持ちが伝わってきます。。(「・・・」は絵文字)
1年後(自然への思いに溢れて)
短いメールの中に、会社の皆さんや家族への感謝や、今の社会に対する不満や、経済のこと、選挙の見通し(兄は選挙好きでしたから)、思い出など様々な話をしてくれました。
出会った動物たちとの交流も兄らしい一面でした。散歩中にイヌやネコと出会うことをとても喜び、「アンパンを持って行ったのに来なかった」とかウグイスの鳴き声の変化を追ったり、キジやシカに出会った時などは、兄の興奮が伝染しそうでした。
前頭葉は意欲的なのに、体が言うことを聞かないもどかしさを訴え始めたのは9月半ば。入院はしたもののはかばかしくなく病状は一進一退。兄は、歩けないことをとても残念がりました。
私は海外に行っていたのでしばらく返信できずにいる間に、12月に入って間質性肺炎の診断を受けたのです。その後転院して精密検査を受けたら胃癌も見つかり・・・あっという間に亡くなりました。1月25日でした。
でも、そんなにつらかったとは。
亡くなった時に、お医者様が
「そこまで元気に生活ができたのは不思議なほど」といわれたほど、病魔は巣食っていたらしいです。
体の健康があっての人生ですが、どんなに健康な体があっても、その体を使って生活するとき「私らしくありたい」と思いませんか?
繰り返しますが私らしさの源は前頭葉です。
兄は小ボケから見事にカムバックを果たし、兄らしい前頭葉を取り戻すことができました。家族の働きかけもありましたが、脳リハビリのベースを支えたのは「毎日歩いた」ということだけです。
認知症を治すには、早く見つけること、そして脳を使うという生活改善(一番簡単で効果的なのは歩くこと)がどんなに大切なのかわかっていただけるでしょうか?
兄は人生のラストステージで確かに兄らしい生活を送ることができました。けれども体は病気に勝てなかった・・・
「体のことはみんな言うけど、脳の健康が大切だと、講演の時に皆さんに伝えて」と、兄が上のように言ったのは去年の夏でした。(初掲載2014.2.2)