「1年半ぶりの旭川⇒札幌旅行 ダイジェスト #1 & #2」のつづき、ダイジェスト版の完結編です。
きょうの夕方、羽田空港に着き、そこからちょうど2時間を要して本宅に帰着しました。
きのう(3日目)ときょう(最終日)の旅程は、
【3日目】 4月18日 (月)
ホテル⇒徒歩⇒大通公園⇒徒歩⇒すすきの⇒徒歩⇒ホテル⇒徒歩⇒札幌文化芸術劇場 hitaru (MISIA星空のライヴ ACROSS THE UNIVERSE 1st Stage)⇒徒歩⇒ホテル⇒徒歩⇒札幌文化芸術劇場 hitaru (MISIA星空のライヴ ACROSS THE UNIVERSE 2nd Stage)⇒徒歩⇒プチオフ会⇒徒歩⇒ホテル
【最終日】 4月19日 (火)
ホテル⇒徒歩⇒札幌駅⇒特急 北斗⇒白老駅⇒徒歩⇒ウポポイ⇒徒歩⇒白老駅⇒特急 すずらん⇒南千歳駅⇒エアポート快速⇒新千歳空港⇒飛行機⇒羽田空港⇒京急⇒品川駅⇒上野東京ライン⇒赤羽駅⇒埼京線⇒最寄り駅⇒徒歩⇒本宅
というものでした。
最終日は、1年半前に国立アイヌ民族博物館の「日時指定券」がとれなかったウポポイのリターンマッチを予定していましたけれど、
まったく予定が立っていなかったのは、3日目の「MISIA星空のライヴ ACROSS THE UNIVERSE」までの時間でした。
なにせこの日は月曜日。
「ダイジェスト #1 & #2」で、
博物館とか美術館は休館日なんだよな…
さて、どうしましょ
と書いたそのまま、結論が出ないまま、夜が明けてしまいました
10:30近くまで、ホテルの自室で「ダイジェスト #1 & #2」を書いていましたが、せっかく札幌まで来て、15:00頃までジトぉ~と過ごすのは、いくらなんでももったいない
ということで(?)、大通公園を散策してみようかと思い立ちました。
小雨が降っているとはいえ、ホテルから近いですし…。
こんな思いつきで始めた大通公園の散策だったのですが、、、、、
自分で言うのもなんですが、私、一見、なんでもないところを楽しむ才能を持っているんじゃないかと思ったりして…
詳細は旅行記本編で書くつもりですが、大通公園にある記念碑の一つ一つがおもしろくて、例えば、1886年に建てたれた「開拓紀年碑」なんて、題字は王羲之の筆なんですと
王羲之といえば、このブログでも何度もご登場いただいた「永和九年」の史上最高峰とも称えられる達筆な方なのですが、問題は、その生きていた時期が4世紀だということ
説明板によれば、
大通公園で最も古い記念碑です。1982(明治15)年に開拓使が廃止された後、札幌神社の宮司らが中心となって募金を集め、1986(明治19)年に偕楽園内(現在の北7条西7丁目付近)に建立されました。1901(明治34)年に台座の修復を兼ねて、公的土地である現在の場所に移設されました。題字は中国の書聖・王羲之の書から5文字を拾い、刻まれたものです。開拓紀年碑の紀の文字は勅選または国家の公式の記録として制作された場合に使われます。
だそうで、いわゆる「サンプリング」ってヤツですな
この碑だけでなく、いろいろ面白いものを見つけたのですが、この日一番の掘り出し物(?)は、こちらの神社でした。
歩いていた通りの反対側の神社が目に止まりました。
「三吉神社」。
私の故郷、秋田市には同名の神社があるよなぁ~ と思いました。
うまい具合に、通りを走るクルマが途切れたものですから、走って道路を横断し、由緒書を見ると、、、、、衝撃の事実が書かれていました。
由緒 霊峰秋田太平山ノ山頂二祀ル太平山三吉神社ノ御分霊ヲ明治11年豊平川東詰ニ奉斎シ翌年現地ニ遷座ス
大正14年氏神トシテ幣帛共進指定セラル
ななななんと、秋田の三吉神社から分霊されたとな
これには驚きました。
このあと聴いた「MISIA星空のライヴ ACROSS THE UNIVERSE」の2公演、とりわけ 2nd Stageは、これまでのツアー中で最高のライヴだったのですが、この札幌の三吉神社の存在を知ったことは、それにも勝るとも劣らない今回の北海道旅行での収穫だったと思っています。
まぁ、これは「ダイジェスト」ですから、この辺にしておきましょう
旅行記本編:2022/05/15 1年半ぶりの旭川⇒札幌旅行 #3-1
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