私が幼少のみぎり、ある自発的な作業が習慣になっていました。
それは、相撲のTV中継が始まる前に、TV前のスペースに祖父の座布団を移動させること。
相撲中継が始まると、相撲大好きな祖父は私が敷いた座布団に坐って、大いに楽しんでいたものでした。
ちなみに、近所の友人(ものごころつく頃から一緒に遊んでいました)の祖父もまた大の相撲好きで、このおじいちゃんの場合は、TVの前に腰掛けを置いて、クリップボード(画板?)に星取り表をセットして観戦していましたっけ…
それはともかく、私の祖父のご贔屓は柏戸っっつうか、どうやらアンチ大鵬だったようで、大鵬が負けると、祖父は大喜び
こんな環境に加えて、南海ホークスファン(+ 強烈なアンチ読売ジャイアンツ)の父のもとで育った私は、当然のごとく当時の決まり文句「巨人・大鵬・卵焼き」とは無縁でございました(卵焼きは好きでしたケド…)。
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話を大鵬さんに戻せば、大鵬部屋は大鵬親方の奥さんの実家がある秋田で合宿したことがありまして、母が市民市場に買い出しに来たお相撲さんを見た話をしてくれましたっけ…。
そんなことをツラツラと思い出させてくれたのが、納谷"大鵬"幸喜さんの訃報です。
昭和の大横綱、去る-。大相撲史上最多の32回の優勝を記録した元横綱大鵬の納谷幸喜(なや・こうき)さんが19日午後3時15分、心室頻拍のため東京都内の病院で死去した。72歳だった。サハリン(旧樺太)で生まれ、21歳3カ月の当時の最年少記録で第48代横綱に昇進。ライバル柏戸と「柏鵬時代」を築いた1960年代の国民的ヒーローで、「巨人、大鵬、卵焼き」の流行語も生まれた。引退後は一代年寄「大鵬」として後進の指導に当たる一方、36歳で脳梗塞に倒れ、病とも闘い続けた。(サンスポより)
現役引退後は、ご自身の病気の他、後継大嶽部屋の不祥事(野球賭博、大麻疑惑)、さらには「実家」二所ノ関部屋の閉鎖決定など、心労が重なったことでしょう。
でも、「第48代 横綱 大鵬幸喜」は不世出の大横綱として語り継がれるのだろうなと思います。
昭和は遠くなりにけり、、、、そんなことを感じてしまいます。
納谷"大鵬"幸喜さんのご冥福をお祈りいたします。
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