習慣(習性)というのは凄いもので、今朝、5:30に目が覚めました。
二度寝する手もあったわけですが、ごそごそとベッドから降り、PC
でニュースを見ると、朝日新聞DIGITALのトップ記事の見出しが、
後藤健二さん殺害か 「イスラム国」が新たな動画
えぇっ
驚いて他の新聞社のサイトを見ても、こんなニュースは載っていません
どういうこと????? 朝日が単独で先走った?
そこで、TVのスイッチを入れてNHKにチャンネルを合わせると、、、、
普通の番組をやっています。
どういうこと?
実は、私がNHK TVを見始めたとき、ちょうどニュースの合間だったようで、直に、「イスラム国」が後藤健司さんを殺害
したとする動画が配信されたというニュースが始まりました。
その後の報道を見る限り、本当に「イスラム国」は後藤さんを殺してしまったようです。
なんてことを…
「イスラム国」が後藤さんの命を奪う「正統性」「道理」はあるのか?
そんなものは無くて、ただ後藤さんが「イスラム国」に捕らえられた「日本人」だというだけではないのか?
後藤さんがどんな人なのか、どんなことをしてきた人なのか、「イスラム国」は判っているのか?
なんてことを「イスラム国」に聞いてみたいところですが、そんなことはできない
し、仮に聞くことができたとしても、思考体系がまったく違う
のはあきらかですから、満足できる回答が得られるはずもないでしょう。
ふと浮かんだフレーズが、この記事のタイトル…。
てめぇら、人間じゃねぇや
昔の連続時代劇「破れ傘刀舟悪人狩り」の主人公、叶刀舟(萬屋錦之介)
の決めゼリフです。
このあとに、
叩っ斬ってやる
と続きます。
視聴者は、胸の空く思いでこのセリフを聞き、そのあとの立ち回りに見入っていたのでしょう。
でも、刀舟先生が、自ら罰を下す道理はあったのでしょうか?
そりゃ、気持ちは判ります。
でも、いわゆる「私刑」ですよね。
こりゃダメでしょ。
話が逸れましたが、やはり私は、
てめぇら、人間じゃねぇや
と叫びたい
ひたすらイスラム教義の勝手な解釈と、殺戮と恐怖だけで人間を統治し(跪かせ)ようだなんて、愚かすぎる
こんな所業をくりかえす「イスラム国」の連中にとっての「幸せ」とは何なんだろうか? と考えてしまいます。
仮に、とてつもなく多くの人々の悲しみや怒りの上に彼らの「楽園」を築いたとしても、そこが「楽園」と呼べるシロモノになり得るのでしょうか?
普通の神経ならば、毎夜、悪夢にうなされることになるのでしょうが、普通のムスリムの人々
に対しても、
などと脅す連中ですから、他人から、ましてや異教徒や異宗派の人々
からどう思われようと、屁のかっぱなんでしょうな…
どうすりゃ良いのでしょうか…
ただ思うのは、朝日新聞DIGITALの記事にツイートしている「反原発」「反戦」を標榜する御仁たちが主張するように、日本が「イスラム国」に対して中立の立場を取ることには反対
です。
それこそ狂気の集団「イスラム国」
の思うツボってヤツでしょ
ちょっと疑問に思っていることなんですが、「イスラム国」
が配信している画像や映像
は、配信された時間軸で撮影or作成されたものなのでしょうか?
もしかすると、ずいぶん前に撮影or作成した画像や映像を、タイミングを見計らって配信しているのかもしれません。
また、人質になっているとされるヨルダン軍のパイロットは、既に殺害されているのかも…。
この辺りは私の臆測に過ぎませんが、人でなしの「イスラム国」
ならやりかねない狡猾な手段かと思います。
なんともまとまりのない記事になってしまいました。
まだ私の頭の整理がついていないということで、ご容赦くださいませ。
最後に、新約聖書にある言葉だというこちらのフレーズを載せておきます。
愛する者よ、自ら復讐すな、ただ神の怒に任せまつれ。
録して『主いひ給ふ、復讐するは我にあり、我これに報いん』とあり
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