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新・徒然煙草の咄嗟日記

つれづれなるまゝに日くらしPCにむかひて心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく紫煙に託せばあやしうこそものぐるほしけれ

体調不良に気もそぞろの沖縄旅行記(その3)

2014-12-08 22:46:19 | 旅行記

「体調不良に気もそぞろの沖縄旅行記(その2)」のつづきです。

3回目の沖縄旅行にして、那覇新都心・おもろまちにやって来るのは3回連続
つまり毎回やって来ているわけです。
最初は、沖縄県立博物館美術館がお目当てで(記事はこちら)、前回は日本在住者が唯一免税で買い物ができる路面店というT GALLERIAを覗いてみようということで出かけてみました。

そして、今回の一番の目的は、T GALLERIAの真向かいにあるこの丘に登ることでした。

安里配水池が乗っかったこの丘、前回の旅行後に、ここが日米激突した大激戦地だったと知って、これは是非とも行ってみねばと思っていました。

現在では「安里配水池公園」として整備されているこの丘には説明板が設置されていました。

転記しましょう。

慶良間チージ(シュガーローフ)

沖縄戦の激戦地。字安里の北に位置する丘陵地帯に築かれた日本軍の陣地の一つ。日本軍は“すりばち丘”、米軍は“シュガーローフ”と呼んだ。一帯の丘陵地は日本軍の首里防衛の西の要衝で、米第6軍海兵師団と激しい攻防戦が展開された。
ここ慶良間チージの攻防は、1945年5月12日から1週間に及び、1日のうち4度も頂上の争奪戦がくりかえされるという激戦の末、18日に至り米軍が制圧した。
米軍は死傷者2,662人と1,289人の極度の精神疲労者を出し、日本軍も学徒隊・住民を含め多数の死傷者を出した。
それ以降、米軍は首里への攻勢を強め、5月27日、首里の第32軍司令部は南部へ撤退した。沖縄戦は、首里攻防戦で事実上決着していたが、多くの住民をまきこんだ南部戦線の悲劇は6月末まで続いた。

だそうな。

Wikipediaには、

日本軍は、この場所を突破されると那覇市街を米軍に掌握され、さらに首里司令部の裏側に回りこまれて、包囲される恐れが出てきたため、予備兵力と残った砲兵力を惜しげもなくつぎ込む体制を整えていた。

とありますが、確かに第32軍司令部が置かれていた首里(訪問記はこちら)は近いし、

那覇の市街地もかなり近い。

慶良間(キラマ)チージシュガーローフすりばち丘、安里52高地と呼び方は様々あれど、沖縄戦重要な地点であったことが実感できます(戦史はこちらのサイトに詳しいです)。

一見、浮世離れした近未来都市のような現在のおもろまち界隈からは想像できない戦いがこの地で行われたんですなぁ…

私にとっては、それこそ浮世離れの極みのようなT GALLERIAよりも(前回冷やかしただけでもう十分)、安里配水池公園の方が行った甲斐があったというものです。

つづき:2014/12/12 体調不良に気もそぞろの沖縄旅行記(その4)

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