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新・徒然煙草の咄嗟日記

つれづれなるまゝに日くらしPCにむかひて心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく紫煙に託せばあやしうこそものぐるほしけれ

記念館・美術館・博物館をハシゴ(その4)

2013-12-08 09:22:47 | タウンウオッチング

「記念館・美術館・博物館をハシゴ(その4)」のつづきは、旧江戸城皇居東御苑)散策のお話です。

去年の散策のとき(記事はこちら)は、本丸跡を重点的に歩きましたので、今回は趣向を変えて、二の丸跡を歩いてみました。
前回と今回のルートマップはこんな具合 青い線が前回、赤い線が今回のルートです。

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基本的に本丸跡芝生が広がるオープンエリアで、

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二の丸跡雑木林庭園が広がっています。

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とても都心のど真ん中とは思えない光景ですが、ここが江戸時代から雑木林であったはずもなく、二の丸御殿が建っていた場所。
1867(慶応3)年に御殿が焼失して以降はほとんど放置状態だったようで、それでも本丸跡を含む一帯が皇居東御苑として整備されて1968(昭和43)年から一般公開されるようになり、更に、

この雑木林は、昭和天皇のご発意により、武蔵野の面影を持つ樹林として、昭和57年から60年にかけて整備されたものです。

だそうで、結構新しい「雑木林」です。
それにしても、都心の紅葉が見事

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そして、庭園もきれい

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この二の丸庭園、初代は名手・小堀遠州作だったそうですが、その後、改修が加えられ、更に明治以降は荒廃 昭和期の一般公開にあわせて、9代将軍家重時代の庭絵図面をもとに復元されたものなのだとか。

池に棲むが優雅でした

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このヒレの長いは、ヒレナガニシキゴイ見たまんまの名を持つ種類で、説明板によりますと、

今上陛下の御発案により、インドネシアのヒレナガゴイと日本のニシキゴイを交配して生まれました。

だそうな。
優雅といえば、池の近くに立つ「諏訪の茶屋」優雅です。

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むくりを持った銅板葺きの屋根これでもかと言わんばかりに深い軒、清々しい障子の白、、、良いです
この建物についての説明板もありました。

諏訪の茶屋は、江戸時代には吹上地区(現在御所等のある一帯)にありました。
この建物は、明治45年に再建されたもので、明治期の茶室風の建物として優雅な外観をもっているため、皇居東御苑の整備に当たりここに移されました。

吹上御苑内に立っているままだと、ごく限られた人しか目にできませんから、ありがたい移設でございます。

   

二の丸庭園はこのくらいにして、本丸跡を目指します。

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二の丸跡から本丸跡へ向かう上り坂には、「梅林坂」という名前がつけられています。

梅林坂は、本丸と二の丸を結ぶ坂です。
文明10年(1478年)太田道灌が天神社をまつり、数百株の梅を植えたので梅林坂の名が付いたといわれています。
現在は約50本の紅白の梅が植えられており、12月末から2月まで花が楽しめます。

だそうですから、江戸城の初期からあった坂道なんですなぁ。
江戸時代、この付近には二つの門(下梅林門と上梅林門)が置かれていて、城外⇒平川門下梅林門梅林坂上梅林門本丸(大奥)が、「大奥の勝手口ルート」だったそうな。

ところで、皇居東御苑参観の3つの入口の一つ「平川門」は、お城から糞尿や死体、罪人を運び出す「不浄門でもあったそうです(詳しくはこちらのサイトをご覧あれ)。

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私の認識としては、「不浄門鬼門にあたる「艮(うしとら:北東)」に置かれるものです。
また出たぁ~、このブログでは常連の
これまで何度も取り上げてきた「艮」(最近ではこちらの記事)、考えてみれば、江戸城の「艮」はどうなっているのでしょうか

Googleマップで見ると、、、、

おぉ、北東隅が欠けている

北東の隅を凹ませて鬼門を無くする手法は、京都御所記事はこちら)、東本願寺記事はこちら)、鹿児島城記事はこちら)でも使われていますが、江戸城の北東隅の凹ませ方ハンパありません

しかも、江戸城の北東隅、お堀を挟んだ向かいには和気清麻呂像が立っています。
千代田区観光協会のサイトの説明には、

奈良朝期末の廷臣、地方の豪族出身で藤原仲麻呂の乱で天平神護一年(765)右兵衛尉となり、姉広虫とともに信任を得た。神護景雲三年(769)道鏡が皇位をうかがった時、宇佐八幡の信託をきき道鏡の野望を挫いた。清麻呂は別部穢麻呂と改名され大隅(鹿児島)に配流、天皇の死後、道鏡失脚により復帰した。光仁・桓武天皇深く信頼され、平安遷都を推進、造都に活躍している。
この像は、昭和15年、紀元2600年記念事業として建立、楠公銅像とともに文武の二忠臣を象徴したものである。

とあるだけですが、宮城(旧江戸城)の鬼門の守護和気清麻呂像に託する意図が隠されているものと私は確信しています

   

さて、せっかく本丸跡までやって来たのですから、今回も天守台に昇りました。

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そして、日本武道館大屋根を眺めながら、約2ヶ月後に日本武道館で開催される「MISIA 星空のライヴVII -15th Celebration- Hoshizora Symphony Orchestra」に思いを馳せました。

こうして、しっかりと締めた私は、北桔橋門から城外に出たのでありました。

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つづき:2013/12/09 記念館・美術館・博物館をハシゴ(その5)

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