きのう、東京国立博物館(東博)で開催中の文化財保護法制定60周年記念 特別展「仏教伝来の道 平山郁夫と文化財保護」 を観てきました。
「絶対に混んでいるはずはない」という妄想的確信の下に出かけていきますと、なんだ、この人混みは
一方で、チケット売り場には行列はありません。
なんのことはなく、外国人の団体さんが帰ろうとしているところでした。
皆さん、楽しんでいただけたでしょうか? いくつかのグループに分かれて記念撮影をしていらっしゃいましたが、本館を背景にした集合写真は絵になりますなぁ。
「仏教伝来の道 平山郁夫と文化財保護」展のことは後回しにしまして、まずは平常展、いや総合文化展のこと。
「『トーハク』では軽薄だけど、やはり東博は凄い」シリーズで浮上した疑問点を解消しようというしだいです。
その検証作業の最初は、「その1」と「その2」で書いた「大階段の踊り場にある扉(下の写真)の内側はどうなっているか」。
特集陳列「仏像の道-インドから日本へ」が行われている本館1階の特別5室に入り、見上げますと、おぉ、ありました
この回廊を開放して、ここからも展示を眺められる企画があったら楽しそうです
次は、同じく「その2」から「叢梨地花鳥山水蒔絵脇指(むらなしじ かちょうさんすい まきえのわきざし)」。
この脇差しの目貫(目釘?)(後藤一乗:作)が月兎の意匠であることから、
もしかしてこの脇差しの持ち主は卯年生まれだったのかもしれませんな。
なんて書いたわけですが、その後、この脇差しの持ち主が孝明天皇だったという記述に巡り会いました。ところが、私は、この展示の説明プレートを読んだ記憶がない上に、写真も撮ってきていませんでした
。そこで、今回、確認してみようというわけです。
説明プレートにはこうありました。
幕末の装剣金工家、後藤一乗が全体の図柄と金具の制作を担当した孝明天皇所用の拵(こしらえ)。鞘の表は日が昇る山裾に鶴が群れる光景、裏は川岸の梅に雪が降り積もる光景を蒔絵であらわす。
指裏(さしうら)に据えられた金無垢の目釘には餅をついている兎があらわされている。
おぉ、「孝明天皇」「目釘」と懸案が一つ半まで解決です
そして、明治天皇の父上の「孝明天皇」の生年を調べてみますと、、天保2年(1831年)と、ちょうど180年前、、、、、180は60の倍数だから、干支は今年と同じ「辛卯(かのと・う)」
私の予想どおり、「この脇差しの持ち主は卯年生まれ」ではありませんか(仮に孝明天皇がご存命でいらっしゃればトリプル還暦デス)
「間抜け」と「見事」が渾然一体となっている私であります…
「落ち穂拾い」の最後は、「完結編」で
メタボ系の人がむりやり着ると、背中がガバぁ~っと開いて、かなりみっともないことになりそうです
と書いた鎧「色々糸威腹巻(いろいろ いとおどしのはらまき)」です。
これを後ろから見ると、こうなっています。
「腹巻」というのは鎌倉末期~南北朝時代に流行った鎧の形式で、割烹着のように背中で紐で結わえることで、体にぴったりフィット
します。
でも、割烹着ならまだしも、腹巻を一人で着用するのは大変そうです。ヘタをすると、結び紐を手探りしたり、結んだりするうちに手がつりそう…
また、力んだ拍子に、結び紐がほどけたり千切れたりするかも…
ちなみに、日本の鎧は、古代のものを除けば、基本的に、前⇒左⇒後⇒右とつながっていて、体にぐるりと巻き付けた上で、右脇で結わえる形式が多いようです。
ということで、「落ち穂拾い」はここまでにして、今回の総合文化展の鑑賞記は「仏教伝来の道 平山郁夫と文化財保護」展(来週のNHK「日曜美術館」で取り上げられます
)の感想のあとにつづきます。