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新・徒然煙草の咄嗟日記

つれづれなるまゝに日くらしPCにむかひて心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく紫煙に託せばあやしうこそものぐるほしけれ

初めて出かけた上野東照宮は、、、、

2015-02-15 21:49:11 | 美術館・博物館・アート/タウンウォッチング

きょう、上野に出かけてきました。

お目当ては東京国立博物館(トーハク)で展示中のこちら

本阿弥光悦「舟橋蒔絵硯箱」

本阿弥光悦の作になる国宝「舟橋蒔絵硯箱」

金箔押しされた川面と舟の上にアーチ状にどっしりと架かる鉛の橋、そして、流麗な筆致で書かれた

『後撰和歌集』に収められた源等の歌「東路のさのの(船橋)かけてのみ思わたるを知る人そなき」

って、私には到底読めませんが…。
でも、イイ

でもでも、きょうのイチオシは、「舟橋蒔絵硯箱」でもTwitterで書いたアイスココアでもなく、

アイスココア

上野東照宮でした

上野東照宮「水舎門」

ここ数年、ほぼ毎月欠かさずに上野「通っている」ですが、 上野東照宮にやって来たのはきょうが初めてでした。
そして、これが予想外に衝撃的なものでした。

関東大震災太平洋戦争をくぐり抜けてきた東京には、江戸時代以前に建てられた建物はさほど残っていません。
上野の場合は、戊辰戦争(上野戦争)もありましたし…

そんな「常識」の隙間をかいくぐって生き残っていたのが、この上野東照宮だったのですよ

上野東照宮

石灯籠参道に並ぶ大ぶりの石灯籠には、一様に「慶安」の年号が刻まれていました。

「慶安」で思い出すのは、そう、「慶安の御触書」
江戸幕府の3代将軍・家光の治政下で発せられた御触書です。

上野東照宮案内板を転記します。

元和2年2月、見舞いのため駿府城にいた藤堂高虎天海僧正は危篤の家康公の病床に招かれ、三人一処に末永く魂鎮なるところを造って欲しいと遺言された。そこで高虎の屋敷地であるこの上野の山に寛永4年(1627年)に本宮を造営した。
その後、将軍家光はこの建物に満足出来ず、慶安4年、現在の社殿を造営替えし、江戸の象徴とした。

だそうです。

天海が創建した東叡山寛永寺(こちらの記事で書きましたっけ)は、現在の上野公園のほとんどを寺域としていたわけですが、でそのほとんど上野戦争焼失して、残ったのは清水観音堂旧本坊表門(黒門)など、ごく一部だったと思っていたのですが、上野東照宮も残っていたとは私は知りませんでした

その上野東照宮ときたら…。

おぉ~、キンキラキン

1651年(慶安4年)造営。国指定重要文化財。正式名称は唐破風造り四脚門(からはふづくりよつあしもん)。
柱内外の四額面には左甚五郎作の昇り龍・降り龍の彫刻があり、 毎夜不忍池の水を飲みに行くという伝説があります。

という唐門だけでも350年前に建てられたものとは思えないきらびやかさで十分に圧倒されますが、拝観料500円をお納めして入ったこの門&透塀の内側は、さらに衝撃的でした

 おぉ~、まぶしい と叫びそうなキンキラキンの壁

こんな神社、観たことがありません
あのハデハデ日光東照宮だって、こんなにキンキラキンではありませんでしたゾ

それにしても、くりかえしますが、とても350年前に建てられたものとは思えないきれいさではありませんか

拝殿を正面から拝見しますと、

う~む、、、、背中=唐門の向こう(無料拝観区域)から柏手の音を聴くのは、ちょっと落ち着かない

キンキラキンの色彩もさることながら、目を惹かれたのは社殿の足もとでした。

だいたい、社寺の土台は、礎石の上に柱が乗っかっているものだと思っていたのですが、上野東照宮の社殿の足もとは、、、、

基壇(というのか?)の上に、寺社の屋根組を支える斗栱(ときょう)のようなものが乗っかって、その上に社殿が建てられています。

なんだか、巨大な御神輿が地面に置かれているようで、こんな構造を観たのは初めてのような気がします。

いやはや、驚かせられっぱなしの上野東照宮でした。

ちなみに上野東照宮では、ぼたん苑「冬のぼたん」が公開中だったのですが、今回はご遠慮いたしました。入苑料700円だそうでしたし…

五重塔あ、そうそう、すぐそばに五重塔がそびえていまして、近くから拝見しようと思ったのですが、どうしても柵の向こう側に行けません

どうしたら近くに行けるのだろうか?と思っていたら、こんな看板が、、、

五重塔は動物園内にあります。
The five-story pagota is located in the zoo.

とな

帰宅してから調べると、この五重塔は、明治初年の神仏分離の流れの中で、寛永寺のものとなり、寛永寺から東京都に寄付されたのだとか。
確かに、「神社に五重塔」というのはですもんね。
でも、神社とお寺がゴシャゴシャだったのは、長い風習と歴史を持っていたんですよねぇ。
杓子定規な神仏分離がもたらした損失の大きさを思えば、旧寛永寺五重塔は幸せだったのかもしれません。

いつか上野動物園に行って、間近に旧寛永寺五重塔を拝見することにしましょう。

コメント (3)
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改札を入ってから行き先を決めた(後編)

2014-12-18 22:38:54 | 美術館・博物館・アート/タウンウォッチング

「体調不良に気もそぞろの沖縄旅行記」を再開する前に「改札を入ってから行き先を決めた」シリーズを完結させてしまいましょう。

「中編」のつづきは大宮公園から始まります。

大宮公園には、サッカー場NACK5スタジアム大宮大宮公園野球場競輪場(正式名称は「大宮公園陸上競技場兼双輪場」なんだとか)、弓道場といったスポーツ施設のほか、小動物園「小動物を集めた動物園」「小さな動物園」をかけた施設っぽい)とか遊園地なんぞもありました。

この遊園地の(正式名称は「大宮公園児童スポーツランド」というらしい)たたずまいが、レトロというか、昭和の匂いがプンプンと漂っていました。

レトロといえば、「ボート池」こと「舟遊池」の畔にある売店の前に置かれたおもちゃの自販機がまた…

のでるタバコ」って… まじっすか (と書いてあります)

吹くとけむりが出ます。絶対に吸わないで下さい。
誤って吸ってしまった場合はお水でうがいして下さい。

だそうです。

タバコに対する風当たりが強い昨今、よくぞ生き延びておりますなぁ。
そういえば、3年前に出かけた熊本・水前寺成趣園(訪問記はこちら)にもこんな自販機があったよなぁ…と HDDをあさってみますと、、、

同じものがありました

この「煙のでるタバコ」、売れているのでしょうか?
ネタで買ってみれば良かったと後悔しています

レトロネタをもう一丁

レトロの王道ともいうべき「ボンカレー」ホーロー看板です

松山容子さんが微笑むこの伝説ホーロー看板があったのは、埼玉県立歴史と民俗の博物館ゆめ体験広場エリア3 『昭和の原っぱ』」です。

木製電柱や土管、ホーロー看板やスバル360などをディスプレイすることで昭和30~40年代のノスタルジックな雰囲気を再現した屋外施設です。メンコにベーゴマ、フラフープ、紙芝居や縁日といったノスタルジックな体験やイベントをとおして、昔と現代のガキ大将が交流する空間です。

というこのエリア、「20世紀少年」の私にとっては、なかなかでした
博物館としては、子どもを連れてきたお父さん&お母さんが、子どもをさておいてノスタルジーに狂気乱舞する状況を想定しているんでしょうなぁ

もっとも私の場合、ベーゴマフラフープは遊んだ記憶がありませんが…

   

と、いうことで、埼玉県立歴史と民俗の博物館に入場しました。

この日、氷川神社に行こうと思い立つまで、その存在すら知らなかった埼玉県立歴史と民俗の博物館でありますが、思いのほか立派

でも、「ゆめ体験広場」など個性はあるのだけれど、基本的には旧石器時代から始まって、地元ネタを盛り込みつつ現代まで至るという編年体の構成は、自治体が設置・運営する博物館ではごく標準的で、目新しさはありません

さはさりながら、さきたま古墳群(訪問記はこちら)稲荷山古墳から出土した国宝「金錯銘鉄剣」レプリカと、

江田船山古墳から出土した「銀象嵌銘大刀」レプリカ(現物は東京国立博物館で何度も拝見しています)とを、一緒に拝見できるというのは、なかなかなことだと思います。

ほかには、板碑の展示が良かったですゾ

そうそう、このパネルはなかなか興味深いものがありました。

「古墳時代における馬形埴輪と馬の遺体の出土数」と題したこのパネルは、その名のとおり、地方別の馬形埴輪の出土数と馬の遺体の出土数を示したものですが、馬形埴輪日本全体(北海道を除く)で出土している一方、馬の遺体の出土地は極端東日本に偏っているいるのだとか。
つまり、古墳時代にはがいたのは畿内以東だけだったかもしれないというわけですな。

へぇ~~ です
御存知でした? この事実

というわけで、ここは県外の方がわざわざ交通費をかけて出かけるまでもない と思いつつ、埼玉県立歴史と民俗の博物館を後にした私は、蕎麦屋さんで遅い昼食を摂り、大宮公園駅から大宮駅に向かいました。

これまたレトロですこと

駅舎レトロなんですが、路線名は、いつの間にやら「東武野田線」から、

「東武アーバンパークライン」に変わっていました

どこで切って読んだらよいのか迷ってしまう路線名です

東武伊勢崎線のうち、浅草東武動物公園区間が「東京スカイツリーライン」というなんともな路線名に改称されたタイミングで、こちらも改称されたようです。
それにしても、どうなんでしょ、「東武アーバンパークライン」という路線名…

まぁ、沿線に住んでいるわけでもない私は、路線名に云々言う立場にありませんけれど…

ということで、半日間の大宮探訪、収穫の多いものとなりました

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