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原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

身体2カ所(左鎖骨・右手首)同時骨折してから8年…

2021年03月20日 | 医学・医療・介護
 (写真は、当時の私の右腕。 右手橈骨手首に近い箇所骨折、全治1か月の診断が下りギブス固定している。 左鎖骨骨折の方は全治2か月診断で鎖骨保護コルセット装着状態。)


 当該身体2カ所同時骨折後一週間目の状況を、2014.04公開「ミイラになった気分のワタシ…」に綴り公開しているため、以下に振り返ってみよう。

 4月12日に自宅バルコニーにて転び負傷後、ちょうど1週間が経過した。
 未だにバルコニーに出る事に関して恐怖心があるのだが、そうも言っておられず、洗濯回数を減らしつつ恐る恐るベランダで洗濯物を干す日々だ。
 私が一番嫌いな料理こそ、整形外科受診の帰り道に出来合いの食材を買ってきたり(両腕負傷のため持てる重量に限界があり小量しか買い求められないが)、娘に作ってもらったりして手抜きをしている。
 その他の家事に関しては今まで通り私が担当するしか手立てが打てず、ギブスにコルセットの“ミイラスタイル”で、日々ゆっくりながらもルーチンワークをこなしている。
 もちろん、ドクターストップはかかっている。
 何のためのギブス及びコルセット装備なのか。 それは全治までの期間、骨を固定して完治するまで安静に過ごすための医療措置である。 にもかかわらず、ギブスの手やコルセットを背負った上半身を日々動かし続けたのでは回復が遅れるし、下手をすると歪んで骨がくっついたり突出してしまう危険性もあるとの事だ。
 ただ私の外科主治医先生がキャパシティある方で救われる思いだ。
 杓子定規に「絶対安静!」と言い放ったまま“後は我関せず”ではなく、家庭内協力体制の程を確認して下さるのだ。 「コルセットやギブスを取り換えてくれる人はいるか?」「家事を手伝う事に積極的な家庭か否か?」等々… 
 これらの質問に対し、冗談半分で「役に立たない家族ばかりです」とマイナーな回答を返したところ、医師先生曰く「犬でも飼っているのですか?」…   応えて私曰く「一応、主人と娘がおりますが…」  ここで診察室内にいた看護師氏も含め皆が大爆笑である。 
 しかも私からの「パソコンを打ってもいいですか?」との質問に対し、「何かを発信されているのですか?」と問うて下さる医師先生である。  「はい。プロではないのですが真剣に文章を発信し続けています。」 との私の返答に対し、「文字数は多いですか。早打ちですか。」と確認して下さる事も忘れない。 「その通りです!」との我が回答に対し、「少し文字数を控えめにして、ゆっくりと打って下さい」とのアドバイスである。
 次に受診した際には、必ずや「パソコン発信はどうしていますか?」と尋ねて下さる。 例えば、「はい。昨日は我が読者の方々から多くのお見舞いメッセージを頂きました。」と応えると、「それは良かったですね。」と返して下さる先生である。
 などと外科医先生との診察室内でのやり取りを記述している間に、全治2か月の身にして字数が過ぎたようだ。 
 来週早々にはまた外科医を受診し、レントゲン撮影により“回復具合”を確認する段取りとなっている。 「ミイラ」の身にして、少しでも前進出来ているとよいのだが… 

 (以上、2014.04バックナンバーを再掲載したもの。)




 以下は、2021.03.20現在の記述だが。

 実はその後1週間で、我が判断で整形外科受診を取りやめた。
 何故ならば、自己診断で回復の兆しが見えたからだ。
 良き主治医ではあるものの、受診すると必ずや何枚もの「X線撮影」があるのが気になっていた。 このまま週2ペースで2ヶ月間もそれを続行する弊害こそを恐れた。 
 加えて「リハビリ」が始まったのだが…
 これも “気休めにすぎない”と自己判断した。 要するに“信じる者は救われる”の世界観だ。
 しかも、このリハビリ室が高齢者ばかりなのだ。 皆さん、お暇に任せてお隣の高齢者と「私は何処が悪いのよ」「私は何処を痛めている」等々… 互いに“病気自慢”をしつつ気持ち良さそうにそれに身体を委ねているのだが…。 未だ若くして現役世代の私がこんな集団にかかわっている訳にはいかない。
 
 その後は日々自己診断の下に、幹部をかばいつつ日常生活を送る日々だった。
 4月下旬にランニング大会出場エントリーをしていたのだが。
 これに“出よう!”との思いが一瞬過ぎった。 鎖骨保護のコルセットはしたままで、右手のギブスは外しての出場を目指したものの…
 骨折後ランニング練習をずっと自粛していたことと、やはり両手が未だ振れない事実を受け入れ、出場は断念した…

 全治2ヶ月の鎖骨の方は、コルセットのお陰で比較的安静が保たれたが。
 右手首骨折にはその後もずっと難儀させられた。 とにかく日常生活に於いて右手を使わないと何事も成せない。
 骨折直後の頃は娘の援助も多少あったが、当時大学生だった娘に依存し続ける訳にはいかない。 亭主に関しては我が骨折の心配はしてくれるものの、元々役に立たないキャラだ…😖 

 と言うわけで上記医師先生のお言葉、「コルセットやギブスを取り換えてくれる人はいるか?」「家事を手伝う事に積極的な家庭か否か?」に関しては。
 早期にそれを諦め、すべてを自分で成す訓練に励んだ。 
 やってみれば出来るもので、冒頭写真のギブスも我が左手のみでこなせたし、コルセットは元々背負えばよいため簡単だった。
 食事の準備はギブス無しで実施する日々だった。 掃除も洗濯もいつも通りきちんとこなした。 一番辛かったのは“布団干し”かな? これが一番ハードだったが、週1くらいは痛みに耐えつつ家族皆の布団を干した。


 それにしても、私の場合今から8年前という比較的若い時期に2カ所同時骨折を経験したことが今に至って教訓となっている。
 この厳しかった骨折経験後は、現在の私に「怪我をするべきでない!」との訓示を確かに与えてくれた。
 その後駅の階段昇降をする際には、必ずや手すりにつかまる習慣が身についたし。 お洒落にこだわる私だが、靴のヒールを低めに移行した。

 幸い、その後大きな怪我をしていない。
 

再掲載 「規律の既成化が強まる社会」

2021年03月19日 | 時事論評
 (写真は、数年前の4月2日に原左都子が保護者の立場で訪れた某大学に於ける入学式の風景)

 
 本日も日中出かける用件があり、多忙だった故に。

 我が「原左都子エッセイ集」編集画面にて見かけた中で、私自身が読み返しても印象深いバックナンバー「規律の規制化が強まる社会」を、以下に再掲載させていただこう。



 2012,04に、我が一人娘が大学に入学した。

 その入学式に先立つ我が親子の最大の関心事とは、(くだらない事は承知だが)何を着ていくか、だった。
 と言うのも娘が見聞したところによると、今時の大学の入学式には皆“黒のリクルートスーツ”姿で出席するのが常識であるらしいのだ。
 それに反応して私曰く、「なんで18,9の子どもが自分のおめでたい式典に“葬式もどき”の恰好で出席せねばならないの?? 自分が好きなものを着ていきゃいいじゃないの! 私なんか大学の入学式は(大学院も含めて)3度出席したけど、3回共自分の思い通りの好き勝手な恰好で行ったわよ。」
 
 実にその通りだったし、当時はそれが当然の“自由な”世の中だった。

 早速、原左都子自身が過去に於いて着用した入学式の衣装に関してここで語らせて頂くことにしよう。
 まず1回目、我が18歳の時の入学式には、エメラルド色の流れるようなラインのロングフレアスカートスーツに真っ赤なエナメルパンプスのいでたちだった。
 事前に母が「入学祝いにあなたが好きな洋服を買ってあげる」と申し出たのをよいことに、私は以前よりショーウィンドウを見て気に入っていたそのスーツが欲しいと回答した。 早速スポンサーの母を伴ってブティックで試着したところ、まるでオーダーしたかのようにサイズがピッタリでよく似合ったのだ! それを見た母もまんざらではない様子で即決で買ってくれた。 私のセンスにより真っ赤のエナメルパンプスをコーディネートして、入学式に着ていくことと相成った。 (その姿はやはり相当派手だったようで入学後私の衣裳を記憶していた教官や学生が多数存在し、プラスマイナスそれぞれのご感想を頂戴したものだ。)

 2度目は30歳にして再び入学した大学の入学式だが、この時私はまだ民間企業を退社しておらず(参考のため夏のボーナスをゲットした6月末に退社した)多忙な合間を縫って入学式に出席せねばならない身であったため、いつも通りの普段着で出かけた。  
 当時“規律の既成化”道程を時代が歩み始めた時期だったのか、(まさか“黒一色”ではないのだが)フォーマルっぽい正装をしている新入生が多かった記憶がある。

 3度目の30歳半ばの大学院の入学式には、当時流行していたミニスカボディコン・ショッキングピンク色スーツで出かけた。 会場内の多くは大学入学学生であり、大学院席が会場の隅っこに位置していて大学院入学生が数少なかった事もあり、さほど目立つ存在ではなかったと記憶している。

 さて、娘の今回の大学入学式衣装に話題を戻そう。
 今時の大学入学式は“黒のリクルートスーツ”スタイルが常識と聞き、その実態を(何と阿呆らしい…)と落胆しつつも、我が娘が入学した大学で無事に生き抜ける方策を模索してやるのも母親としての役割である事には間違いない。
 そこで母である私が採った方策とは、ネット上で展開されている「ベストアンサーなんたら…」の質問コーナーをチェックすることだった。
 今時ウェブ上でその種のサイトが山ほど存在するのだが、その中で私が見聞した幾つかのサイトの「ベストアンサー」とは、やはり“黒のリクルートスーツ”案が圧倒的多数だった。

 その中で、大学入学予定学生の母親が投稿した質問に応えた現役大学生による“我がベストアンサー”を発見したのだ!  その回答を以下に紹介しよう。
 「今後大学生となる人物が入学式に着ていく服など、本人自身が考慮し判断実行すれば済む話だ。お母上はご自身が着ていく服に関してもお迷いのようだが、そもそも大学の入学式に親など来なくていいのではないのか。」
 この現役大学生の回答にいたく感動した原左都子である。 こんな骨太の現役大学生が現在存在している事実を知っただけでも、私はこの国の明るい未来が描けた気さえさせてもらえたのだ!

 まあそれにしても、我が子が生まれ持った個性は上記アンサーの大学生とは大いに食い違う。 それを承知しつつ我が娘と再度相談・確認した。
 結果として、私の背中を見て育っている娘が言うには「“黒のリクルートスーツ”は着ていかない!」との結論だった。  「リクルートスーツを着ないにしても“黒”でまとめた方が無難かも…??」と提案した母の私に対して、娘はそれに従い黒のエレガントドレスコーディネートで入学式に出席する事と相成った。

 ここで上記大学入学式の写真を解説するならば、前方に位置している入学生の皆さん全員が“黒スーツ”を着用している姿を認識いただける事であろう。

 日本の社会はいつの時代からこのように“規律の既成化”にまみれ窮屈になってしまったのだろう??
 その話は、我が高校教員時代に遡る事を記憶している。
 ちょうど我が国の義務教育において「日の丸・君が代」問題が勃発したのが、私が高校教員に赴任した頃の事だったと記憶する。 当時の学校職員会議の場で、卒業式や入学式にそれらを掲げ全校生徒に歌わせる事の是非に関する議論が展開した。 「反対!」意見に同調する原左都子であったのは当然だが、その我が認識の前提として、何故近代市民社会においてこんな“くだらない事象”が今現在議論されねばならないのかこそが不可思議であり、実に悔しく情けない思いだったものだ。
 おそらく私が所属していた学校が公教育現場とは言え義務教育ではない「高校」であったため、反対意見を唱える教職員に対する処罰対応の程が緩やかだったのか?とも考察する。 当時はまだしも「日の丸・君が代」に反対する職員が法的処罰の対象となる時期ではなかった様子だ。(反対志向の強い教員に対しては、人事異動面でマイナーな対応が施されていた事は認識しているが……。) 
 その後私は教育現場を去りその議論に参加せずに済む立場にはあるが、この種の議論が教育現場の教員を更に苦しめる事態に陥っている現状を危惧して余りある現状だ。

 今回の我がエッセイに於いては、これ以上の「日の丸・君が代」議論を展開することは差し控えるが、現実問題として、上記写真の大学でもご覧のように「日の丸」が壇上に高々と掲示されていている現実である……
 おそらく日本国中すべての国公立及び私立大学に於いて、同じ現状である事だろう…。
 それにしてもだ。
 大学新入学生が入学式に着ていく服など何なりと自由でよいであろうに。
 にもかかわらず、何故若き世代の皆が“黒のリクルートスーツ”を着用せねばならないのだ??
 それってもしかしたら、今の若者は「日の丸」を掲げ「君が代」を斉唱する事を深い思慮も無く受け入れらる事実と同一レベルの話なのか??  あるいは、そんなくだらないことで“処罰”を受けている場合ではない、との“我が身息災”逃避行動なのか???

 今の日本とは世界規模での政治経済危機と共に、そんな“全体主義”観点から一アジアの小国として落ちぶれてしまったのではないのか??? 
 何故、今の若者達は組織体制に迎合するばかりで現状打破を志さないのか!? その“黒のリクルートスーツ”の着心地がそれ程よいのか??

 参考のため原左都子はDNAに於いて純粋な日本人であるがこそ故に、この種の軟弱な若者層に“歯がゆいまでの懸念”を抱きつつの今回の論評である。 

 (以上、我がエッセイ集2012.04に公開したバックナンバーを再掲載したもの。)



 2021.3の今思い起こすに。

 私が高校教師をしていた時代が1990年代前後頃だったのだが。
 その時代に既に、国家の指導により学校の入学式・卒業式に「日の丸を掲げ」「国家である“君が代”を全校生徒に斉唱させよ!」との命令が学校現場に届いていた。

 ただ私が現役教員だった頃は、それを教職員組合等々の反発も動員しつつ、学校現場で「採決」がなされた頃だった。
 当然ながらこの原左都子など断固として「反対派」であったものだが、総じて教職員の皆さんも「反対派」が多数であり、結果として生徒の式典に“日の丸・君が代”を回避することが叶ったものだ。
 (参考だが、どうしても学校長がそれを実行したいのならば、校長室にて個人的に“日の丸”を掲げよ! と末端教員が団結してそうさせて済んだ平和な時代背景だった。)

 その後の我が国における学校現場の「日の丸・君が代」問題は、国民の皆様もご存じの通りだ。
 これに反発する教職員には厳しい処罰が下されるとの、この平和国家時代に“あり得ない時代”に成り下がっている。

 そんな現在の「日の丸・君が代」問題を嘆きつつ、このエッセイを再公開させていただいた…


近隣に咲く春の花 と “都道路計画・放射35・36号線”

2021年03月18日 | その他オピニオン
  (冒頭写真は、昨日買い物道中に見つけた春の花。)


 昨日は、春本番らしい穏やかな日和に恵まれた。

 こんな日は、いつも以上にお洒落をして出かけたい気分になる。😘 

 少し遠目のスーパーへ買い物に行く道中に、春の花を探しつつ歩いた。


          
 これは、我が家の集合住宅敷地内に咲いていた樹木の花。(申し訳ないですが、その名は不明です。 以下同様。)😜 


 次に見つけたのが、冒頭の樹木の花。
          


          
 そして、こちらも樹木の花。

 個人住宅の敷地内にも沢山の綺麗な花が咲いていたが、さすがにカメラ撮影は遠慮申し上げた。



 ところで、私が住む地の直ぐ近くが都道路計画「放射35・36号線計画」に引っかかっている事態に関しては、バックナンバーにて述べている。

 その工事が、いよいよこの3月頃から始まった様子だ。
 これに関しても、昨日現場近くを視察してきた。

          

          

          
 下の2枚は我が家のバルコニーより撮影したもの。


 この道路計画は、我が家が当地へ引っ越して来る18年前以前より存在していたようだ。
 住居購入契約締結時の“重要説明事項”として掲げられていたものの。
 転居して後しばらくは建設 “凍結状態”が続き、その後も道路が通る場所のみ整地された後、またもや放置状態となり…
 この18年間は、「この道路計画の行方は一体どうなるんだろう…」と亭主と話し合う機会が多かった。

 参考だが、この道路計画は都の主要幹線道路である環状七号線と環状八号線を結ぶパイプ道の幹線道路建設なのだが。 
 これが完成すると、都心から埼玉・大宮まで一直線での移動が可能となるとの多大なメリットがあるようだ。
 既に大宮から我が家に程近い東京メトロ駅近くまでは開通していて、後残されているのは、我が家の目の前の写真地域のみとなっていたのだが。

 どうやらこの道路は、我が家最寄の地下鉄駅近辺は石神井川を見下ろす“高架道路”となるようだ。
 その建設に多大な資金が必要、との理由で計画が長期に渡り頓挫していたようだが…😵 

 この厳しい“コロナ禍”に於いて、都はその資金を一体何処から捻出するのかは不明なれども、とにかく道路建設が本格的施工に及んだ。

 一応、主要道路及び歩道の外側に樹木並木を造り近隣住居への騒音に配慮するとの計画のようだが。
 さてさて、集合住宅上階の我が家への騒音は如何程なのだろう???


 とにもかくにも、「放射第35・36号線」高架道路計画最終残り部分の建設がこの春再開した。

 

再掲載 「公的年金に関しリスクに挑まない事がリスクと釈明するが…」

2021年03月17日 | 時事論評
 本日は外出せねばならない用件があり、それをこなして帰宅してみると…


 我が「原左都子エッセイ集」2016.09.20付公開の表題バックナンバーが編集画面内上位にランクインしていた。

 早速、以下に再掲載させて頂こう。 

 自民政権が圧勝した参院選を控えた頃の 2016.7.2 バックナンバーに於いて、私は 「許し難き公的年金積立金5兆円損失計上の失策」 なる表題のエッセイを綴り公開している。
 これが何と! 直後にネット上にて言論統制措置を受け、当時しばらく国内検索元より「原左都子エッセイ集」が全面的に検索不能になるとの被害を受けている。

 その余波が未だ一部解消していない中、私は昨日(9月19日)民放テレビにて “公的年金積立金5兆円損失問題” に関し、専門筋と名乗る人物達が論述し合っている場面に偶然出くわした。
 彼ら専門筋(?)らの主張とは私なりに要約するなら 「今や資金運用に於いて安全策を取る事こそがハイリスク。 そんな事は投資界では常識中の常識。 それを知らない素人は従来の固定金利等の金融安全運用こそが安泰と捉えているようだが、今やその(陳腐な)考えこそがハイリスク。 故に、安倍政権が公的年金を投資資金として運用し5兆円(今年の更なる積算で10兆円)の損失は投資家筋からみると安全政策範囲内、ナンタラカンタラ……」
 これを聞いていた民放出演者であるタレントどもが 「なるほどそうか‥…」と同意するのだ。
 その直後、経営法学を心得ている私としてはその“勘違いぶり”が腹立たしくてテレビの電源を切った。

 そこで今回のエッセイでは、国家が公的年金運用に於いて投資活動をした挙句10兆円の損失を計上している事実が、真に正当か否かを今一度問う事を主眼とする。
 要するに、またもや言論統制を受ける事をものともせず、果敢にも政権の公的年金投資損失の失策を私なりに突こうとする趣旨だ。

 その前に、私が2016.7.2に公開した冒頭エッセイの一部を、今一度以下に要約して紹介しよう。
 皆様も既にご存知の通り、昨日(7月1日) 公的年金を運用する年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)の2015年度の運用損失が、5兆円台に達したことが判明した。  この事実自体が、月々とても少額とは言えない公的年金保険料を強制的に支払わされ続けている(続けた)庶民にとっては、貴重な年金財源を一瞬にして“あぶく銭”にされ身を斬られる思いだ。
 こういう事を書くと、プロの投資家達は口を揃えて次のように反論するであろう事は想像が付く。「素人はこれだから困る。 そもそも資金運用とは経済変動により上下動する性質のものだ。 それを弁えて長い目で見てものを言うべきだ。 一時の損失実態のみを捉えて『責任を取れ!』と叫ぶのは慎むべきだ。」
 更に許し難いのは、自民党政権がこの巨額損失計上の事実を7月10日に実施される参議院選挙の “後に” 「正式発表」すると言う。   これでは、野党から「損失隠しだ!」と批判されて当然だろうし、私自身も、その「票取り」の見え透いた手口に唖然とさせられるばかりだ。
 ここで、朝日新聞7月1日一面トップ 「年金運用損5兆円超」 と題する記事より、その内容を以下に要約して紹介しよう。   GPIFは国民年金及び厚生年金積立金約140兆円を運用している行政独立法人だが、非公式で15年度の財務諸表を報告した結果、運用損は総額で5兆円以上に上ったという。 当組織は、14年10月に国内債券の比率を下げ、その代わりに株式比率を50%に倍増。 安倍政権はこれを成長戦略として位置付けたのだが、それがために株価の影響を受け易くなった。  GPIFの運用基準をめぐる議論も再燃しそうだ。  単年度の運用損がすぐに年金の支給に影響する状況ではないが、もしも今後長期に渡って損失が続くようだと将来の年金財源が苦しくなる。
 年金制度に詳しい専門家は、「与党はGPIFの運用基準を変える時、積立金オーナーである国民に十分な事前説明をしなかった。 野党も運用損で上げ足を取って国民の不安を煽るのはよくない」と指摘した上で、「積立金は国民のもの。財務諸表で年度の運用成績が分かるなら、速報値として開示するべきだ」と求めた。   (以上、朝日新聞7月1日付トップ記事より要約引用。)
 私自身、安倍政権がアベノミクス経済政策の主要な一環として「公的年金運用」をギャンブルとも表現可能な「株価操作」にその財源の50%をも依存したとの事実を知ったのは、ずっと後の事だ。  一応「経営法学修士」を取得している身にして、当然ながら今の世が世界の株式情勢や為替変動により揺れ動く経済体制である事も十分に把握している。 それだからこそ、より慎重に個人の財産を健全に管理保護したいとの観点に立っているのだ。
 安倍政権の一番の誤りとは、“公的年金積立金をギャンブル株価操作に50%も依存する”なる発表を、国民に対してただの一度も正式公表していない事実だ。  年金財源を管理しているはずの国家の組織が、その貴重な年金保険料を「株式運用」して今年5兆円を超過する損失を計上したとの許し難き事実を、まずは直視しよう。
 (以上、「原左都子エッセイ集」バックナンバーより一部を要約引用。)

 原左都子の私論に入るが。
 確かに何がリスクで何が安全かと問われると、これは困難な課題だ。
 例えば 「登山家」を例に挙げよう。 (私の知人にも少なからずの素人登山家が存在するが。)
 彼ら(特にプロの登山家)はリスク承知で山に登っている。 いやむしろ“リスク”をその技の極みと位置付けているのかもしれない。
 (御嶽山噴火等の自然災害を除き)、もしかしたらプロ登山家達とは “命がけ”  で山に登っているのではなかろうか?  そして、例え死に至ってもおそらくその「捜索費用」も自己負担で賄えるからこそ、自らの夢を追い求め山の頂上を目指すのであろう。

 片や、国家の公的年金運用。
 これぞ決して、登山家や一部の投資家の趣味と一緒にする過ちを犯してはならない事は歴然だ。 
 昨日、民放テレビ番組にて論評をしていた著名(?)投資専門家達にもの申したい。
 確かに貴方達が言いたい事は、私も重々理解可能だ。 ただ、その思想とは現時点での経済情勢を正当化してこそ成り立つ論理に他ならない。 真に現実の経済情勢を真っ当と捉えているのか!??  そんなの、時代の趨勢に翻弄されているだけの話だろう。
 確かに資本主義社会に於いては勝てるものが勝つのだろうが、真なる勝者とは後々判明するものだ。 何を持って投資勝者と捉えるのか、私など結論を未来に先送りしつつ現状を冷淡視しものを言っているつもりだが……。

 ましてや、安倍政権は決して個人投資家ではない。 1億2千万国民の命を預かっている。 この観点を決して忘れないで欲しい。
 故に安倍政権関係者でもない限り、民放テレビを通して素人国民相手に中途半端な投資活動の善悪を吹聴することは控えるべきだ。
 では今後安倍政権は、今後国民に対して何を成すべきか。
 その答えは歴然だ。 民放テレビ等に下手に依存・迎合するのではなく、自らが「公的年金運用に於いて現在10兆円の損失を計上している事実」をとりあえず国民皆に公表するべきだ。
 原左都子自身は、近い過去にNHKテレビ報道にてそれを“一度だけ”見聞しているが、これでは全国民が周知したとはとても思えない。 
 とにかく国民から多額の血税や年金保険料を没収している国家の立場として、安倍政権の投資行動による現在の損失も含めた 「公的年金運用実績及び今後の見通し」全般を “もっと分かり易い伝達法” により全国民に公開するべく努力するのが再スタートであろう。 

 (以上、本エッセイ集2016年バックナンバーより再掲載したもの。)



 我が国における「年金制度」とは今尚、安倍政権より引き続き日銀総裁を続行している黒田氏の金融政策により牛耳られているとの話題を聞くことが多い。
 そもそも日銀総裁とは、我が記憶によれば過去に置いては“5年任期”で無かっただろうか?? 
 それを前政権安倍氏の独裁で、未だ尚黒田氏が続行している事実こそが許しがたいのに…  
 菅政権下でも未だ黒田氏を日銀総裁として温存しているのは何故か!??


 今となっては、私も年を重ねてしまっているが。

 もしも、この懸案に関し論評可能な人物が存在するのならば。
 是非共、そのご論評を拝見したいものだが…


 と、ここまで書いたところで、2021.03.17 19時の今現在。 
 NHKテレビでは菅首相による「コロナ禍緊急事態宣言解除」発表がリアルタイムにて行われている。
 どこまでも首相としての意思が一切無い首相なのか、失望と共に呆れ果てるばかりだ…

 

「アンタも好きね~~」と言われそうだが、インド三輪タクシーミニチュア2台目購入!

2021年03月17日 | 雑記
 (冒頭写真は、Amazonにて購入したインド三輪タクシーミニチュア2台。)


 いや、これがね。
 いつものようにAmazonサイトを閲覧していたら、またもや偶然緑色のミニチュアを発見したのよ!
 早速購入したところ、中国から直輸入で2週間程の日数を要して一昨日我が家に到着したとの訳だ。


           
 2008年秋に知人美術家氏の国際美術賞受賞式典出席のため同行し、インドを旅した際にデリーにて撮影した本物の三輪タクシー。
 これにインドのIT工業都市・ボパールにて乗車したことに関しては、バックナンバーにて記載済みだが。


 今回到着した緑色版は、土台に取り付けられている補助部品が私の力では外せず、そのまま保存してあるのだが。

 参考だが、このミニチュアはハンドルが動かせる構造になっていてそれに伴い前輪が左右に移動するため、回転走行させる楽しみもあるのだが…
 まあいいや、それは黒色版で実行出来るし。



 ついでに、黒色版に関するメッセージコメントをAmazonサイトに投稿したのが販売ページに掲載されているため、紹介しておこう。
            
         
        

 (参考ですが、“ぱっか”とは我が家庭内での愛称です。 我が最愛の娘が幼少の頃に名付けてくれました。 その由来に関してはバックナンバーにて紹介しています。 話すと長くなりますので今回は割愛します。)