原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

我が「結膜下出血」、ついに左目全体が真っ赤状態!

2019年02月28日 | 医学・医療・介護
 (写真は、つい先程撮影した我が左目の「結膜下出血」の現況。)


 今朝方「結膜下出血」検索にて、ネット画像を確認したのだが…
 元医学関係者の原左都子にして、山程画像が溢れている中、我が出血症状が一番重症ではないか?!? なる不安感に襲われる。

 どうやら未だ出血が続き、日毎出血量が増加している恐れもありそうだ。

 そんなに心配なら、眼科受診せよ! と皆さんにアドバイスされそうでもある。
 ところが実際問題この外見の“怪奇さ”以外、他に何らの症状も無いのが眼科受診を戸惑うところでもある。


 それにしても憂鬱な日々だ。
 その理由が “たかが目の出血” である事実が、自分自身でも腹立たしい!

 歌手・タレントの堀ちえみ氏のように、ステージⅣの舌癌摘出及び脚からの皮膚移植(舌の6割を切除し植皮を施したらしいが)とリンパ節切除手術に耐え抜き頑張る程に、私の場合は果敢な闘いでもあるまいに…

 実に自分が情けなくなる。
 昨日サングラスをかけて外出したじゃないか。  目の出血症状が無くなり元の白目に戻るまで、それを実行すれば済む事じゃないか! と自分を励ましたりもするのだが…

 ただやはり“サングラス姿”とは、世の不信感や不可思議感を煽る現状を実感させられる思いでもある。
 昨日とて実はそうだった。 たかが買い物に行っただけなのだが、とにかく都会は人が多いせいか、どうしても他者の視線が気になる。
 好意に解釈するならば、(「あの人、芸能人かしら?」 と一人で勝手に言っていよう。)風の反応もあるにはある…  それにしても“買い物”くらい一人勝手にさせて欲しいものだし…


 本日の場合、この初春の大雨に助けられる思いだ。
 この大雨のせいで、私は今日は“引きこもり”よ~~。  と自己弁護出来そうじゃないか。

 いや本心を言うと、本日音楽スタジオへフルート自主レッスンに行きたかった。
 何故取り止めたかといえば、スタジオ受付担当者の我が“サングラス”への反応を想像してしまった故だ。 「どうしたんですか?珍しいですね、サングラススタイルは。」 などと声をかけられた場合に、その説明責任を果たす事態が憂鬱となったのだ。  
 “想像力が豊か過ぎ!” あるいは、“自己顕示欲が強過ぎ!” と指摘されればそれまでだ。
 しかも今現在の世の中とは個人情報保護観点が異常なまでに進展していて、まさか営利業者が顧客にそのような質問をして墓穴を掘ったりもしないであろう。


 そうか、そう考察すれば、私は明日からサングラス姿で外出しても大丈夫じゃないか! との結論が自ら導けそうだ。
 明日は、晴天で暖かくなるとのこと。
 ランニング練習にも行きたいなあ。 ただし、眼圧を煽りそうな運動はしばらく控えるべきかもしれない。
 そういえば、そもそも今回の「結膜下出血」は先週の日曜日にランニング練習を実力以上に頑張り、良きタイムが出て一人浮かれていた直後から発病したような気もする。
 しばらくはランニング練習を慎むべきか?  ただ、この種の自己抑制も苦手な私だ。
 かと言って、フルート練習とて大いなる肺活量を要求される趣味だし…

 これらすべての事象を考察・熟考し過ぎる我が思考・生活パターンこそが、自分の「結膜下出血」の発症と悪化を煽っているのか、との結論も導けそうだ…… 


目を患うと、こういう結末となりますね…

2019年02月27日 | 医学・医療・介護
 (写真は、我が持病である「結膜下出血」のため、本日外出するに際しサングラスをかけた原左都子の映像。)



 これ、やはりどうみても“不審者おばさん”だろう。


 それでも本日どうしても外出したい私は、サングラス着用のこの風貌で出掛ける事と相成った。



 ただこの風貌でも各所で“笑顔”を振りまけば、世に受け入れられる事実を再確認した。



 しばらく(おそらく後3週間程度)、我がサングラス着用の外出が続行することだろう。

「結膜下出血」、厄介な持病です…

2019年02月26日 | 医学・医療・介護
 (写真は、つい先程撮影した私の左目。 白目の外側全体が大量出血状態です。)


 冒頭から、まるで化け物のごとくの“怪奇写真”を公開して恐縮です。


 10年程前から患っている我が持病の「結膜下出血」症状が、3日程前より出現してしまっている。

 この「結膜下出血」に関して、本エッセイ集2012.06.20バックナンバー「白目が突然真っ赤に染まった経験ないですか?」に於いても記載しているため、以下にそれを今一度反復させていただこう。

 この症状を 「結膜下出血」 と呼ぶらしい。
 この症状名を私が知ったのは、過去の朝日新聞「体とこころの通信簿」記事を読んだ後の事だった。
 見た目が“衝撃的”とも表現できる突然の症状を、私は今まで4度も経験している。(2012年現在)
 一番最初は秋の事だった。 朝いつものように起床し顔を洗おうとして鏡を覗いた私は 「ギョエーーー!!」 と叫びたい程に仰天した。 左目外側半分の白目部分が血で真っ赤に染まっているではないか!! まだまだ外見にこだわり美容を重要課題と位置づけている私にとっては、実にショッキングな出来事だった。
 詳しく説明すると、朝の時点においては白目の血眼の中にまだしも白い部分が覗いていた。 ところが時間が経過すると共に我が白目は真っ赤な血で占領され左目の左側半分がすべて「真っ赤」状態となったのだ。
 元医学関係者の私だが、眼科分野はさほど心得ていないのが事実だ。 
 そんな中冷静に諸症状を考察してみるに、ゾンビのごとくの外見の凄まじさに比して、不思議と局所部の「痛み」や「熱感」や「痒み」等の症状は一切ない。 体熱を測定してみても平熱状態だ。 その他の体調も特にいつもと変化はない。
 その後起きてきた我が家族にその「目」を見せると、いつもは(朝寝起きでなくとも)ボーっとしていると表現するのが適切な“おっとり系”気質の家族がやはり 「ギョエーー!」 と驚くのである。 決して私の体の心配などしもした事もない身内ですら、「今日すぐに眼科を受診するべきだ!」と言う。
 「え~~~。 病院に行く趣味はないよ~~。 そのうち消えるからしばらく様子を見る事にする。」と答えつつも、このゾンビの外見では外に出ることもままならないなあ、と困り果てた私だ。
 そういう時に限って人に会わねばならない機会が多発するのが“世の常”と言うものだ。 その時会うであろう相手に対し、我が「赤目」に関する適切な説明責任があると心得て不覚にも眼科を受診した。
 私が受診した眼科外来では、医師受診の前に女性職員が待合室を回り患者相手に“受診理由”等の簡単な事前問診をしに来る。 私の番になり、女性職員が我が「赤目」を見て明らかに“仰天!”したのを私は見逃さなかった。 職員尋ねて曰く「何かに目をぶつけましたか??」(あるいは「誰かに殴り飛ばされましたか?」とは問わなかったが、そんな切羽詰まった雰囲気を女性職員から感じ取った私だ。 なんせ、今時DV多いからねえ……)  「いえ、何もなかったのに今朝起きたら突然この目になっていたのです。」と訴える私だが、どうも女性職員は疑っている様子だ…
 その後諸検査の後、やっと眼科医受診と相成った。
 その場で眼底検査等をしつつ私のカルテを眺めた医師曰く、 「老化現象でしょう」。
 これも言われたくない思いだが、我が年齢を勘案した場合そういう回答となろう事は理解範囲内だ。  要するに結膜毛細管が「動脈硬化」を起こし、白目部分に内出血した結果が“突然の赤目”だったのだ。
 今回の我が毛細管出血は相当の多量だったようで「“全治(すなわち通常の白目に戻る)”まで2,3週間かかるかもしれないが、その間はサングラスでもかけて外出されたらどうですか?」などとアドバイスしてくれるところを見ると、結構良心的な眼科医さんだんだなあ~、と感じつつ安心して帰宅した。
 その後医師の指示通り外ではサングラス生活となった私だが、ここでいつもは経験しない社会の反応に出遭う事と相成る。  サングラススタイルで電車に乗ったところ、若きカップルの男性が「こんな昼間にサングラスをかけるのはどうかなあ~~」云々と女性に話しかけるではないか!  (ちょっと待って。 私は目を病んでいるから仕方なくサングラスをかけているのよ!)とも言えず、電車の中で身を小さくするしかなかったものだ…。 
 あるいは目的地に着いてサングラスを外すと、やはり「その目、一体どうしたんですか!?!」の質問攻めだ。 「老化現象…」と説明しても、どうも疑いの視線なのだ。 (この人亭主からDV状態かな?) (酔っ払って転んだんじゃないの?) 的な視線を浴びねばならない程に、我が白目が「真っ赤」状態である事は私も鏡を見て心得ているものの……
 二度目にこの症状が出たのは、折りしも我が子の高校個人面談のその日の事だった。
 (よりにもよって、何でこんな時に!??) と怒りにも近い思いで我が目を恨みつつ娘の高校へ向かったところ、そういう時に限って日頃会わない諸先生方に会うはめとなるものだ。 まさかさすがに「その目、どうしたのですか?」と尋ねる教師はいないが、やはり担任をはじめとする教師の皆さん一瞬にして「ギョエー!!」 状態であることが見て取れるのだ…。  (これで娘の大学推薦をはずしたか…)とも思ったものだが、結果としてはその後無事推薦が取れた事に関しては既にバックナンバーで綴っている。 それにしても高齢出産年寄り母とは、自分では意図していない妙なところで苦労する事を実感である……
 さて、それでは最後に「結膜下出血」とは如何なる症状及び医学的所見であるかに関して、冒頭の朝日新聞記事を参照しつつ紹介することにしよう。
 「結膜下出血」とは、皆さんが既によく経験している「結膜充血」とはまったく異なる機序の症状であることから説明しよう。  「充血」とは血管が拡張する現象であるのに対し、「出血」とはその名の通り血管が破裂してその中身の血液が結膜下に出る現象だ。 それ故に「結膜充血」と「結膜下出血」ではその外見的様相も大幅に異なる。「充血」の場合は白目部分が“赤くなる”程度だが、「出血」の場合は“真っ赤っ赤”状態となるのだ。  では、出血症状が何故に突然出現するのかと言えば、「外傷」によらない場合の多くが「加齢による動脈硬化」がもたらす現象であるとのことだ。
 ただし、若い世代に於いても飲み過ぎや過度の運動をした場合、この症状を起こす事例もあるらしい。 「結膜下出血」自体には問題がないケースがほとんどだが、日頃の生活習慣がもたらしたサインと受け止めてはどうか、なる専門家氏よりのアドバイスもある。
 (以上、「結膜下出血」に関する我がエッセイ集バックナンバーより一部を引用したもの。)


 今現在患っている私の「結膜下出血」に関して、自己診断範囲で説明しよう。

 上記バックナンバー記載通り、この症状はあくまでも“老化現象”の範疇に過ぎず、特段の悪質性を兼ね備えた疾患では無い事実は明らかだ。

 ただ2012年以降現在に至るまで、度々定期的に繰り返す我が「結膜下出血」の発生機序を自分なりに分析してみるに。
 日常生活上の“過労や心労”との因果関係はありそうだ。
 今回の場合、特別出血量が多い。 それと並行して日常生活上、“過労・心労”を余儀なくされていた事も事実だろう。
 親族皆の税務申告業務を一手に引き受けている私は、2月上旬までそれに励んだ。
 あるいは、親族皆に我がはたらきを依存・信頼されている身の私にして、(この場での公開は控えるが)親族に関する他の無理難題もつつがなくこなして来ている。
 “疲労・心労が蓄積しいている…” なる自己診断もあるにはあったが、私が動かずして誰がどうする!?との自負もあり、ここ1ヶ月程ひたすら頑張って来た実感もある。

 そうしたところ出現したのが、「結膜下出血」だ。
 いつもは親族すべての業務を私に全面依存している我が亭主も、さすがに私の真っ赤に染まった目を見て申し訳なく思っている様子だ。 だからと言って今後に及び役に立つ亭主ではあり得ないが…

 ただそう考察すると、我が「結膜下出血」症状とは、少なくとも家族に我が“体調異変”を気付かせるシグナル的役割を果たしているのやもしれない。  

 それにしても困ったものだ。
 今尚外見を最大限繕いたい私にして、このゾンビの容姿じゃ、ランニングにもフルート練習にも行けやしないなあ。 (と言いつつ明日はサングラス着用で外出する予定ですので、ご心配無く。)

2019.02.24 沖縄県民投票、沖縄の皆さんの理性に感動!

2019年02月25日 | 時事論評
 昨日2019.02.24に実施された「沖縄県名護市辺野古新基地建設賛否を問う県民投票」に於いて、反対投票が40万票を上回り、辺野古移転反対の強い民意が改めて示される結果となった。


 この沖縄県民投票の行方を、ずっと見守って来た原左都子である。

 そんな我が思いを綴った2018.11.29公開「『沖縄返還合意』より半世紀、未だ軽減されない沖縄の負担」と題するバックナンバーの一部を、今一度以下に要約引用させていただこう。

 「沖縄返還合意」が実施されたのは1969年、私が中学生時の事だった。
 沖縄の存在は子供心に周知していたものの、その沖縄が米国領だった事実をその時初めて知った記憶がある。 
 時の総理は佐藤栄作氏。 その佐藤首相と米国ニクソン大統領との首脳会談で72年に沖縄を核抜き・本土並みで返還することと、日米安保条約の自動延長などが合意された。 この事実イコール、沖縄の米軍基地から核兵器を撤去し、安保条約や地位協定を“本土並み”に適用するというものだった。 
 朝日新聞記事によれば、当時の沖縄に於いては“返還歓迎”の声が出る一方で、日米軍事体制の強化との批判が強く、世論は分かれていたらしい。 沖縄県民に不当な差別と忍従を強いるとして安保体制を批判し、基地固定化は県民の願いと相いれないとの苦渋の反論もあったとの事だ。
 本土では60年頃までに米軍基地が大幅に縮小された。
 ところが、沖縄も“本土並み”に米軍基地が縮小されるだろうとの沖縄の期待は大きく裏切られるどころか…… 
 「沖縄返還合意」後半世紀が過ぎ去り、現在ではその70%以上が沖縄に集中してしまっている現実…  (参考だが、沖縄の面積は、国土全体の0,6%に過ぎない。)
 ちなみに「沖縄返還合意」の張本人である佐藤首相は、返還合意に関し「大成功」と総括しその年の12月に総選挙で自民党が大勝したとのことだ。
 (話題を現在に移して) 日々の「辺野古埋立て映像」をテレビ報道画面等で見せられると。 移設反対派の命がけの反対運動にもかかわらず、既にここまで辺野古が安倍政権により“破壊”されてしまっている事実が実に悲惨で、実に嘆かわしい思いだ。
 加えて、やはり沖縄県民間でも“意見の相違”が存在するのは自明の理であろうが…。
 来年2月24日(昨日の事だが)に実施される「沖縄県民による県民投票」の結果を、今はとにかく見守りたい。
 (以上、本エッセイ集バックナンバーより一部を引用したもの。)


 一旦、私見に入ろう。

 その後この「沖縄県民投票」に関して、複数の市町村レベルの長より “県民投票の実施自体に我が自治体は反対する” との意見が出た。 そのすべての自治体長が安倍政権派すなわち「辺野古移転賛成派」だったものだが。
 これに大いなる違和感を抱いた私だ。 「知事の権限で実施する県民投票に、自治体長の立場で投票自体の実施反対を主張する権利は何ら無いはずだ。 自治体住民一人一人に県民投票する権利があり、それの実施に反対するのは自治体長の越権行為だ。」と一人勝手に憤ったものだ。
 さすがにその後この論争はすぐに鎮静化したものの…

 次なる問題は、「賛成」「反対」に加えて「どちらか分からない」との選択肢が加わった事態だ。
 これに対しても私は当初大いなる違和感を抱かされた…  その後ニュース報道等にて、沖縄県民皆さんの「どちらか分からない」なる判断にも“重い思い”が存在する事を知ったものの。 
 昨日の投票結果としては、「どちらか分からない」への投票数は少数であり、投票した沖縄県民のほとんどの皆さんが「反対「賛成」何れかに投票した事実に安堵した。


 本日午前中に見た 昨日の「沖縄県民投票」をめぐるネット情報の一部を、以下に2本要約引用しよう。

 玉城知事 県議会で「民意受け止め移設計画見直しを」
沖縄県の玉城知事は25日の県議会で、県民投票でアメリカ軍普天間基地の移設に伴う辺野古沖の埋め立てに反対する民意が示されたとして、政府に対し移設計画を見直すよう強く求めていく考えを示した。
 玉城知事は「数字のとらえかたはいろいろとあると思うが、民意は反映されていると受け止めている」と述べた。 そのうえで、玉城知事は「政府は県民の断固たる民意を真正面から受け止め、『辺野古が唯一』というこれまでの方針を直ちに見直し工事を中止するとともに、普天間飛行場の1日も早い閉鎖・返還という根本的な問題の解決に向け、対話に改めて応じていただくよう強く求めたい」と述べた。
 また、玉城知事は普天間基地については早期に国外への移転計画を進めていくべきだという認識を示した。  

 玉城デニー知事は民意を後ろ盾に、新基地建設断念を政府に求める構えだ。 ただ、安倍政権が基地建設を強行するのは確実で、県と国の鋭い対立は続く。 反対への投票を呼び掛けてきた「オール沖縄」勢力は4月の衆院補欠選、夏の参院選に照準を向けた。 昨年知事選以降続く勝利を収めることで、辺野古反対の民意継続と国内世論の喚起を狙う。
 (自民支持者の中にも反対投票者がいたようだが)、「単なる辺野古反対票ではない。米兵暴行事件、米軍機墜落など73年間の怒りが込められた反対票だ」。 与党関係者は頬を紅潮させこう強調した。
 投票率が50%を割れば、政府が「民意ではない」と意義を矮小化することが予想されていた。ただ、県幹部は「当初から県は投票率に重きは置いていない。大切なのは条例で知事が尊重するラインとした投票資格者総数の4分の1を超えるかだ」と落ち着いていた。
 「自民支持者も反対している。政府のやり方は許されない不条理なことだということを県民が表した結果だ」。新基地建設反対県民投票連絡会の呉屋守將共同代表は反対多数となった結果を受け、勝利宣言した。  「5割を超えたか…」。政府関係者は投票率も半数を超えたことにため息交じりに語った。 政府はこれまで、辺野古が争点に挙げられる知事選や首長選の結果が出ても「さまざまな施策について主張が行われるものだ」(菅義偉官房長官)などと、選挙結果に伴う辺野古の評価をかわしてきた。
 ただ、今回は辺野古の賛否だけを問うワン・イシューの結果だ。 政府関係者は「さすがに民意ではないとは言い切れない」と本音を漏らす。辺野古を進める方針は変わらないが「反対の声が強まり、逆風になるのは確かだ」と語る。
 一方、自主投票を決め静観した自民側からは選挙への影響を懸念する声が上がる。 県連関係者は「県は民意を全面に首相官邸や各党に辺野古断念を求める。そのたびに辺野古が話題になる」と不快感を示す。 ただ、自民が「3択」に応じたことで県民投票の全県実施が実現した経緯がある。 県連幹部は「やはり全県実施すべきではなかった」と声を落とし、こう吐き捨てた。「結局、県民投票はオール沖縄の政争の具にされただけではないか」

 (以上、ネット情報より2本「沖縄県民投票」に関する記載を引用したもの。)


 最後に、私論を記そう。

 安倍政権や沖縄県政権派は、今更“泣き言”をメディアにて披露するのは慎むべきだろう。
 今回の「沖縄県民投票」は、玉城知事と沖縄県民による「県民投票」結果の完璧勝利だ!!

 「沖縄返還合意」後半世紀が過ぎ去った後も、現在米軍基地の70%以上が沖縄に集中してしまっている現実に。 
 沖縄県民のみならず日本国民皆が決着を付ける時が、遅ればせながら今まさにやって来た!と私は理解する。
 とにかく「辺野古移転」には沖縄県民から “NO!” アンサーが下ったのだ!

 この結果を国民皆が“我が事”として捉える事から、「沖縄負担軽減」を再開しよう。 

JAXAよ、感涙して抱き合うのは未だ早い

2019年02月23日 | 時事論評
 元“科学者の端くれ”を自称している原左都子だが。


 以前より、宇宙工学研究開発の“現実社会への貢献度”を推し量る事ほど困難な事実は他にないように感じている。
 そうであるのにその研究開発のために莫大な国家予算を費やさざるを得ないのも、宇宙工学研究開発の特徴であろう。

 これに対し、例えば「医学」などは研究とその結果との因果関係が万人に分かりやすい科学分野ではなかろうか。
 研究が成功すると人命を救う事が可能となる。 (いやいや、そうでもないのに莫大な国家予算が注ぎ込まれたり、はたまた研究者の売名目的似非研究の存在も否定できないかもしれないが…。)


 さて昨日、JAXA(宇宙航空研究開発機構)より探査機「はやぶさ2」が小惑星リュウグウへの着陸に成功した、との発表があった。
 昨日のニュース報道はテレビ・新聞等々何を見てもこればかりで、その都度、JAXAのおっさんたち(失礼申し上げました!)ではなく、研究者達が感涙しつつ抱き合う映像がテレビ画面いっぱいに大写しされた。

 もちろんJAXAとしては、歴史的快挙であろう。
 それは十分把握しているものの、何分“天邪鬼”の原左都子だ。 この開発研究のために一体如何程の巨額国税が投資された事だろう、との側面ばかりが我が脳裏を巡る…

 テレビニュース映像によると、巷の国民達は大喜びの様子だ。 
 宇宙ファンは元よりそうではなさそうな国民達も集結して、JAXAの成功を我が事のように祝う姿が一日中放映された。


 さて、本日2019.02.23朝日新聞「社説」に於いては、JAXAの昨日の成功を単に祝うのみならず今後の展望に関する論評も記載されていたため、それを以下に要約引用させていただこう。

 探査機「はやぶさ2」が小惑星リュウグウへの着陸に成功した。 資料採取のための弾丸を発射したことを示すデータも届いた。
 地球に戻る予定の20年末までに、あと2回の着陸と人工クレーターの生成とないう前例のない試みが控える。  停滞気味の日本の科学界にあって、光明を見る思いだ。
 数々のトラブルに直面しながらも工夫を凝らして地球に戻ってきたはやぶさは、多くの関心を呼び起こした。 貴重な分析結果も得られた。 その成果は人類共有の財産となり、日本の科学技術力を世界に示す役割も果たした。
 ただし、足元は心もとない。 政府の宇宙関連予算はほぼ横ばいだが、安全保障や産業利用のための計画に重点的に割り振られ、科学分野は低迷している。 15年度は200億円あった予算は、今年度110億円にまで落ち込んだ。 今後、米トランプ政権が掲げる有人月探査計画に日本がどのように参加するのかの議論も本格化する。 場合によっては巨額の費用負担が生じかねず、結果として科学探査にしわ寄せが及ぶ可能性もある。 
 はやぶさ2号にも当初はなかなか予算がつかなかった。 「初代」が奇跡的な帰還を果たさなければそのまま塩漬けとなり、今回の快挙も実現しなかったかもしれない。 このような綱渡り状態が続けば、技術の成熟と継承はおぼつかない。
 政府は宇宙開発構想を打ち上げるだけでなく、予算や人員の要請などで確実に下支えしていく必要がある。 そのためには国民の理解と支持が不可欠だ。 はやぶさ2号が持ち帰るであろう試料の分析を通じて、太陽系の成り立ちや生命の起源の解釈が期待される。
 関係者は、この事業の目的や価値、そして宇宙をめざす根源的な意義を、社会に分かりやすく伝える事に、引き続き取り組んでもらいたい。
 (以上、朝日新聞本日「社説」より要約引用したもの。) 


 ここで、余談に入ろう。

 昨日昼間テレビのニュース解説番組を見ていたところ、当該JAXA成功ニュースに絡んで某女性解説者から「私も宇宙へ行きたくて、宇宙飛行士の試験を目指したことがある」なる談話が出た。
 この談話を何気なく聞いた私は、漠然と(宇宙へ行きたいという人は少なくないが、その理由は何なのだろう??)と思い描いた。 
 少なくとも私の場合、その発想はまったくない。 何分“閉所恐怖症”気味でもある。 それより何より、宇宙にてあれ程の厳しいミッションの連続を達成せねばならない体力・気力の程を兼ね備えた人物とは、希少な存在であろうと心得る。 私には所詮不可能な業務のひとつにしか過ぎない。

 それに対しJAXA(米国NASAも同様だろうが)職員(研究開発員)を目指す人材とは、あくまでも「宇宙開発科学者」であらんとしている存在であり、宇宙飛行士を目指す人物とはまったく別範疇に分類できるであろう。 
 (こんなところで私事の披露で恐縮だが、我が米国育ち日米ハーフの甥がNASAに就職を決定している。 大学院にて学位取得後、NASAにて宇宙開発科学者として将来活躍する予定だ。)


 最後に、原左都子の私論でまとめよう。

 JAXAもNASAもその規模は異なれど、まさに同様だろうが…。
 
 “宇宙開発研究科学者の夢” と “国家財政による巨額予算” の間に、これ程までに整合性が取れない科学分野は他に類を見ないのではあるまいか??

 上記朝日新聞「社説」に記載されているが、「政府の宇宙関連予算はほぼ横ばいだが、安全保障や産業利用のための計画に重点的に割り振られ、科学分野は低迷」する事実とは、国民全体の整合性を考慮した場合やむを得ない事実であろう。
 (いや、安倍政権に長年操られている我々は、すべての国家予算に関して何らの“整合性”無き事実下に無理やり生かされているとも表現出来そうだが。)

 ここは、昨日「はやぶさ2」の快挙に感涙し抱き合ったJAXA研究者達の涙を信じよう。

 貴方達の宇宙開発研究に捧げる夢と努力こそがJAXAの行方を方向付け、今後の我が国の宇宙開発の未来につながる事であろう。