原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

「男と女、どっちで就活したらいいんだろう。」

2020年09月30日 | 仕事・就職
 (冒頭写真は、本日2020.09.30付朝日新聞朝刊 全面広告を掲載したもの。)


 この広告は、某ヘアケアブランド社が発信したものだが。

 トランスジェンダーを取り上げるに当たり、問題提起力のある広告と見て私は唸った。


 広告の下欄に記されている文章を、以下に引用しよう。

 服装もメイクも髪も、内に秘めた気持ちも、本当は自分の個性を出して就活したい。 でも、不安。 就活の場においては、誰もが少なからず思うことかもしれません。 LGBTQ+の就活生であれば、なおさらです。 ここに登場した二人は、トランスジェンダーの元就活生。 二人にとって、髪は大切なアイデンティティであり、プライドの象徴でした。 自分をアピールしたい時に、自分を偽らなければいけない。 誰にも相談できない悩みを抱える就活生が、この瞬間にも、います。 だからこそいま、一緒に考えませんか。 就活を、自分の個性を偽る場ではなく、自分を、自分らしく表現できる場にするために。

 (以上、朝日新聞全面広告より引用したもの。)



 冒頭から、“トランスジェンダー”とは大幅に異なる話題に変えさせていただくが。

 この私も、“髪” に苦労せざるを得ない人生を歩んでいる。
 それは40歳の時に「頭部皮膚癌」を患ったが故だ。
 癌摘出手術を受け脚から自分の皮膚を植皮したのだが。 頭部のその手術跡を隠さざるを得ないがために、その後25年の年月に渡りウィッグのお世話になっている。 
 ウィッグ生活にはすっかり慣れ切ってはいるものの。 これがために、多額の出費を要するのに加え、何分夏は暑いし、「帽子着用」を強制されると困惑する。(ある時、ヘルメット着用を強制される場面があった。まさかウィッグを外せずその上から着用したが、ウィッグのピンが頭部に当たって痛いし、後のウィッグの手入れに難儀した。)

 それでも25年前から、この私にとってはまさにこのウィッグこそが我がアイデンティティの一部でもある。 
 既に30本近くのウィッグのお世話になって来ているが、今後も死ぬまで続く我がウィッグ生活だ。  
 時々「これ、ウィッグです」と私が説明すると、「言わなきゃ分からないですよ」だの、(10円玉ハゲでもあるのだろうか?)あるいは(薄毛で悩んでいるのだろうか?)と言いたげな怪訝な反応をする人に出会うこともある。
 ウィッグが我が身体の一部である私としては、一言「素敵ですね!」だけでいいのに、とどれほど思うことか… 😖 



 テーマがずれたようだが、話題をトランスジェンダーに戻そう。

 この新聞広告の元就活生二人だが、私の視点では生まれ持った性が左は女性、右が男性と判断する。

 広告内の文言を紹介すると。
 左の方曰く、「男と女、どっちで就活したらいいんだろう。 一年間、悩んで、誰が見ても女性と分かる長い髪で就活していました。」
 右の方曰く、「髪だけは、嘘をつけなかった。 髪を切ることは、ずっと大切にしてきたプライドまで切ることになるから。」

 そうだったんだ…  左の方は、悩んだ挙げ句自身のアイデンティティを偽って長い髪で「女性」として就活したんだね…
 それで、現在はどうされているのだろう。 ああ、ヘアスタイルも服装もすっかり男性に切り替えておられるようだ。

 右の方は、「髪を切ることはずっと大切にしてきたプライドまで切ることになるから」と、ロングヘアで就活したようだね。
 同じく現在はどうされているのかと聞かずとて、美しい女性として職業界でもご活躍のことだろう。


 現在の“就活界”とは、これらトランスジェンダーの就活生に対して如何なる対応を成しているのであろうか?

 参考のため、(本日民主党バイデン氏にやり込められた)トランプ米政権はこれの排除を検討中のようだが。
 発足したばかりの我が国の管政権はどうだろうか??


 我が私論としては。

 こと就活に於いては、男女もトランスジェンダーも関係無く職場が欲する“能力ある者”を採用するのがあくまでも鉄則! と結論付けたい。😠 

 (それよりも既に産業界の一部で提案されているが、“新卒者の一括就活”自体をやめたらどうか、と言いたくもなる。 既に年功序列制も崩壊しつつある現世に於いて、これが存在する弊害の方がずっと大きいと考察する。)

「はつらつライフ手帳」、“釈迦に説法”だよ

2020年09月28日 | 医学・医療・介護
 (冒頭写真は、私が住む自治体より送付された「はつらつライフ手帳」。)


 これ、一体どうなっているんだ?!?
 
 高齢域入口の年齢を迎える今秋、自治体より次々と“高齢者関連書類”等々が郵送されてくる。


 昨週届いたのが、冒頭の「はつらつライフ手帳」だ。

 分厚い封筒にて送付されてきたため、てっきり“記念グッズ”がプレゼントされるのかと多少期待して開封してみたら。😝 
 中に入っていたのが、冒頭写真の冊子。


 我が自治体は、毎年こんな冊子を対象高齢者全員に送付しているのだろうか??
 そうだとすれば、とてつもない税金の無駄遣いだ! 😡 
 少なくとも“希望制”にすればよいものを…



 と思いつつ、少し内容を転載してみよう。 (ページ順不同となっております。)

        
 「認知症の早期発見」がテーマのページだが。
 それを言われると、確かにこの原左都子も“既に認知症か!?!”と焦る場面が日々多々ある。
 「最近の出来事が思い出せない」「物を置き忘れる」「簡単な計算ができなくなった」「同じ質問を何度もする」「今まで楽しかったことへの意欲がなくなった」……
 ただ、その“症状の重度”こそが問われる問題と私は心得ている。
 その予防策として、陳腐な改善策ばかりが挙げられているが。
 最後の「人とのつながりを大切に」などは、現代の“人間関係の希薄化"時代において、それを安易に高齢者の自助努力に課すのは“酷”ではなかろうか??
 

        
 「歯磨き指導」と「口のトラブルがもたらす高齢者への健康被害」のページだが。
 この冊子を見ずとも、既にその情報は世に錯乱している。 「お口の体操」に関しては、私はこの指導を疑問視している。 こんなことをせずとて、日々の食事や会話、あるいは趣味の歌等で自然と口周囲の筋肉は平常に保たれるのではあるまいか? (ああ、それらが一切無い高齢者への指導ね? ただ、その種の高齢者とは多分、この冊子すら一切読まないと思うけど…)

        
 このページに関しては、私の場合十分に運動量が満たされていると言えよう。

        
 あのねえ。 高齢者相手に「フレイル」だの「ロコモ」だの「メタボ」(これは既に一般化しているが)なる奇妙な新語を自治体が使用するのをやめませんか??


        
 このページも陳腐だが。 「人生100年時代の健康づくり」の文言には賛同する。 

        
 申し訳ないが…。 元医学関係者にして職場での強制健診が終了して以降、“健診を受けない主義”を貫いている。 自己診断にてある程度自身の健康状態が把握可能な事、また健診受診による身体へのダメージを回避したいためだ。

        
 いや~~、懐かしいなあ。 我が医学部にての専門分野はこれだったが、当時これらに関する学業や実習を繰り返したものだ。
 就職先では免疫学分野に従事したが、特に血液学関連の学業や実習が大いに役立った。
 (医学経験の無い高齢者相手にこれを読破させるのは、かなり難儀と思うが…)


        
 この冊子の最終部に近いページに、自治体の介護・高齢者福祉サービス相談場所が列挙されている。
 私の場合、もっと高齢域に達しようと自助努力での生活を目指しているが。
 確かに将来的に一人娘に迷惑をかけないためには、自治体のサービスに依存するとの方策は有効であろう。

 ということで、この冊子は廃棄せずに一応保存しておくことにしよう。

いじめられている子たちよ、(連鎖)自殺はするな!

2020年09月27日 | 教育・学校
 ここのところ、芸能界中堅クラスの男優・女優達の自殺が相次いでいる。

 その理由が分かりにくいのが、これらの自殺連鎖騒動の特徴だろう。

 故・三浦春馬氏など、私は好みだった。 (と言いつつ、子役時代を除き出演ドラマも映画も見ていないのだが。) 
 NHKの「世界はほしいモノに溢れている」の予告編をよく目にしたが、何とも言えない雰囲気があって、いつも楽しそうに当該番組に出演している春馬氏に引き込まれたものだ。

 今朝の速報で伝えられた故・竹内結子氏は、過去にNHK連ドラを見た。
 その後結婚・出産、離婚、再婚、2度目の出産を経過して時が経たない時期の自殺だ。 状況の詳細が未だ発表されていないが、氏が何故自殺に及んだのか理解出来るまでに時間を要しそうだ。



 大きく話題を変えよう。

 昨日のpopular entries トップ10内に、2012.08.20付公開のいじめ問題に関するエッセイがランクインしていた。
 我が“いじめ問題”に対する思考がよくまとめられているため、以下に今一度公開させていただこう。


 朝日新聞朝刊紙上に於いて、34回に渡り連載された 「いじめられている(いじめている、いじめを見ている)君へ」 シリーズが先日やっと終了した。
 上記記事を見ていない人のために少し補足説明をすると、当該シリーズは大津市の中学2年生男子が「いじめ」により自殺した問題を受け、朝日新聞が各界の“著名人”を対象として“いじめ”問題に対する体験談や意見等を集結した連載ものである。
 「原左都子エッセイ集」先月26日付バックナンバー 「いじめられている君、今はとにかく逃げよう。」 に於いて、私は既にこのシリーズに対する批判的見解を述べている。 それを少しだけ振り返らせていただこう。
 現在朝日新聞紙面で「いじめ」に関する“見識者”達によるメッセージを朝刊で連載中のようだ。 その中には原左都子に言わせてもらうと、いじめられている人物の“切羽詰った”状態を本気で理解できているのか?!? との拍子抜けのメッセージが数多く存在する。
 
 7月に上記エッセイを公開した後も、私は世の“見識者”(と名乗る人)達が“いじめられている子ども達”を救うべく如何なるアドバイスを朝日新聞紙上で展開するのかを注視し続けてきた。
 結論として、上記我がエッセイ集バックナンバーで賞賛させて頂いた 社会学者 土井隆義氏 による 「友達づくり、苦手でいい」 との見解以外には、残念ながらこれとして実際に“いじめ”を受けて苦しんでいる子ども達を救済できそうな内容の記事が一つも見出せない。
 それに少し近いご意見を書かれている“著名人”の方もいなくはないのだが、結論部分でご自身の“成功談”を披露することによりすべてを台無しにしている印象を私は受ける…
 決して「成功」してはいけない、などとの私論を展開する訳ではないのだが、とにかく、今現在“いじめ”を受けて自殺さえも視野に入れている子ども達に対して「自分は成功したぞ!」との言及は如何なものであろう? 今はその記述を慎むべきではあるまいか?
 天邪鬼の原左都子でなくとも、全国紙上で著名人によるそんな“自慢話”を庶民の誰が読んだって、「だったらあんた達は今後も勝手に有名人として生きていけば?」との、付き合っていられない感覚に襲われるというものではなかろうか??

 この朝日新聞“いじめ”解決?シリーズは、“著名人”にアドバイスをしてもらおうとのスタンス自体がそもそもの誤りであると原左都子は判断する。 名も無き年少の子ども達が今現在切羽詰っている事象を、世の成功者(? そうではない“名ばかりの著名人”も多く存在する実態ではあろうが…)にその解決策を委ねたところで、適切な回答が望めるべくもない事など歴然だったであろうに。
 とは言っても新聞紙上で無名人がアドバイスをしたところで、誰もそんなもの読みやしないしねえ、朝日新聞さん……

 そうこう悶々としていたところ、経済学者の 金子勝氏 がこの朝日新聞“いじめ”シリーズ終盤で「大人」相手にとんでもない喧嘩を売って出たのだ!
 参考のため、金子勝氏とは朝日新聞別刷「be」“悩みのるつぼ”の相談員として長い期間活躍されている人物でおられる。 原左都子としては、氏の回答内容より“中庸穏便な人格者”として一応好印象を持たせて頂いていた。

 ところが驚いた事に私にとって穏便な印象の金子氏が「いじめている君へ」の記事においておっしゃるには、 「おかしな大人見習うな」 である。
 この題名を一見して、被害妄想かもしれないが原左都子のような大人を見習うな!と金子氏から斬られた思いの私だ…
 と言うのも私は本エッセイ集を通して、世間相手に言いたい放題辛口論評を公開しているがごとくの印象を振り撒いているのであろう、との客観的視野で自分自身を捉えている部分があるからだ。 実は、現実世界では常に自己を様々な角度から省みている私であるが、そんな事を一庶民が自己分析したところで埒が明かないことも承知しているし…

 それでは、上記金子氏による「おかしな大人見習うな」の記述内容の一部を以下に紹介しよう。
 金子氏は自民党参院議員 片山さつき氏 が高額所得者であるお笑い芸人の母親が生活保護を受けている事を国会で突いたことを 「いじめ」 とみなしておられるようだ。 そして、これこそが学校で生徒が受けている「いじめ」と似ていると指摘されている。
 加えて、片山さつき氏が“親族の扶養義務を強めるべきだ”と主張した事に対し、そんな事をしたらたちまち生活に困ってしまう弱い立場の親子だっている、と訴えておられる。
 この事案に対しては、原左都子は片山さつき氏が国会でお笑い芸人を突いたことを評価している事に関して、本ブログバックナンバーで既に公開している。
 当該議論に関しては、現代社会に於いて誰が弱者で誰が強者なのかを根本的に突き詰める事からスタートし直すべきであろう。
 おそらく金子氏のご見解とは、片山さつき氏こそが強者であるのに、何故弱者であるお笑い芸人を国会で突き倒したのかとのご自身の論理によるのであろう。
 金子氏が如何程の生活をされているのかを私はまったく存じないが、一時とてお笑い芸人が5000万円を超過する年収を得ているのならば、やはり親をその年収内で扶養する選択こそが庶民感覚と私は判断する。 従って原左都子としてはこの事例の場合、片山さつき氏がお笑い芸人を国会で突いたことに関しては、国会議員として正当な行為であったと位置付けるのだ。

 さらに金子氏は大震災に伴って発生した福島第一原発事故に関しても言及しておられるが、これなどはまさに東電や原子力安全保安院の責任が今後に至って追求されるべきなのは当然である。

 それにしても、ちょっと待ってよ金子さん。
 すべての事象を一緒くたにして、「弱い人はいじめられ、追い込まれる。強い人は何をしても許され平気でいられる。こんな社会を今の大人は作っているんです。 どうか、今若い君達は今の大人とは違った生き方をして下さい」 とは、どうしたことか??
 こんな陳腐な決まり文句を、現役学者たるものが一般新聞紙上で公表して許されるのか??  
 金子さん、こんな場で恥をかかせて申し訳ないが、庶民の私が拙いエッセイ集を綴る時とて世に公開されている各種資料や文献を参照しつつ、自らの記事に関する検証・監修作業に時間を費やしている。
 今の時代とは各種学問が融合しつつ発展を遂げている事実をも捉えるべきではないのか? 通り一遍の決まり文句をそのまま新聞紙面に公開するのではなく、その背景要因を深く掘り下げ自分なりに分析・考察し直す作業に時間を費やすべきである。それこそが学問を追究する(した)者の社会に対する使命として。

 私自身は“おかしな大人”であることを少し認める。
 それでもそんな私も含めて世の中に生きている庶民達とは、子どもも大人も経済学者であられる金子氏の想像の及ばぬ処で、“おかしな世の中”を自分なりに渡っていこうと努力を重ねつつ生を営み続けていると私は信じたい。 

 (以上、本エッセイ集バックナンバーの一部を再掲載したもの。)



 現在の学校は“コロナ禍”対策で手一杯状態を強いられ、“いじめ問題”など後回しなのだろうか?
 報道によれば、“コロナ感染した子達に対する排除思想”が生徒間でまかり通っていると見聞したりする。
 この問題に関しては、医学的観点からも解決が困難な気がしている。 排除思想に陥る子ども達や保護者の心理が痛い程分かる私としては、頭ごなしに“それをやめよ!”と指示する事こそに無責任感を覚える。

 テーマが変わりそうなため、ここではとにかく表題のテーマでまとめよう。

 子ども達よ、たとえ贔屓の俳優・女優が死に至ったとしても決して連鎖自殺はするな! 
 そんな暇も心の余裕も無い程に、今は“コロナ禍”との闘いこそが大変かと想像するが………😩 

男性へのセクハラ、心せねば…

2020年09月26日 | 恋愛・男女関係
 朝日新聞2020.09.25付夕刊内に、「男性へのセクハラ  気づいて」と題する記事があった。


 この記事によると、“女性から交際を迫られ”たり、“男性から風俗誘われたり”、“仕事で女性上司と一緒に車に乗ると体を触られたり” ……
 等々の、様々な男性に対するセクハラ事例が列挙されている。

 これらに対し、セクハラを受けた男性当人は“うつ病が悪化して就職して1年足らずで過敏性大腸炎になったり”、“体調を崩して退職したり”、

 あるいは、“勇気を出して訴えたが、男性だからと軽くあしらわれたり”、…と続く。


 一旦、原左都子の私見だが。

 上記の被害男性達こそが、軟弱すぎないか?!? との感もある。

 女性から交際を迫られたのが嫌ならば、毅然と断れば済むようにも思うし。(私は長い独身時代を通してずっとそうしてきたし、それで問題は発生しなかった。)
 女性上司から車の中で触られるのが嫌ならば、これとてすぐさま「やめて下さい!」と当人に訴えれば済みそうにも思う。(これまた私自身は、過去にそうして来た。)

 最後の、“勇気を出して訴えたが、男性だからと軽くあしらわれた”事例に関しては、訴え処が悪かったのではないか?!と想像したりもする。
 まずは、セクハラの当事者同士でとことん話し決着を付けるべきではなかろうか?
 それをせずして、いきなりセクハラ専門機関へ訴え出る事の危険性もあるようにも推測する。 

 要するに、この種の事件に対する現世代の人々の“事件対応力”こそが極度に低下していることを懸念したりもする。



 私自身の過去を振り返ってみよう。

 まず第一義として、“ハラスメント概念”が全く存在しない時代背景だった。
 職場では男女関係無く、皆が仲良しだった風景を思い起こす。

 特に最初に勤務した医学関係の職場では、若い世代の医学専門人材が多かったこともあろう。 それよりも業務内容の専門性が高かったせいか、職場内に男女差別の土壌が一切無かったのが幸いだったのかもしれない。 
 とにかくセクハラ等々の言葉に触れる機会も無く、業務に集中できたものだ。

 20代後半期に、私は当該医学現場の職場長に任命されたのだが。
 若い男性部下を“たぶらかそう”などとの発想が一切無かったなあ…😲
  いや、男性上司に部下の指導等に関して個人的に相談に乗ってもらったりはした。 他の事柄にも話が弾みその後仲良しになり個人的に一緒に飲みに行ったりしたものの、“セクハラ”などとはまったく無縁の良き関係が続いたものだ。 (その後もその種の相手男性が複数人存在し、楽しく有意義なオールドミス時代を謳歌した。)😜 


 などと、我が長き独身時代の楽しく充実していた記憶を辿っていてもキリがないぞ。😖 



 最後に私見でまとめよう。

 とにもかくにも、この世はすっかり“ハラスメントを主張する者勝ち時代”に移ろいでしまった。
 人の心が渇き切った現代に突入して以降既に年月が通り行き、人間関係の希薄化現象が留まることを知らない。
 人間同士が“仲良く”出来た時代はとうの昔の夢物語と成り果て、人と人とが接近し良き関係を築くことが困難な世と移り変わっている。😪 

 そんな時代下に於いて、男性もセクハラを訴えているとするならば。

 やはり弱者(被害者と言うべきか?)は救済するべきであろう。
 自力救済が不能であるならば、ここは専門機関に訴えるとの方策も有効なのだろう。


 などと他人事のような記述をしていて、はたと気づいたのだが。
 この原左都子も例えば当該ブログ上等で、男性ブロガー氏に対して“セクハラ”もどきのコメント等を書き入れていないだろうか?!?
 
 重々心せねば、男性セクハラの加害者と成りかねない現状に気付かされたりもする…😱 

再掲載 「あなたこそ『かっこいい』」

2020年09月25日 | 人間関係
 今年も運動会シーズンがやってきたが。

 “コロナ禍”の影響下で、例年通りの大々的な運動会が開催不能なため、各校が工夫しつつ小規模開催となる学校が多数のようだ。



 そんな折、当「原左都子エッセイ集」2008.10.16付公開の表題エッセイが昨日の編集画面のトップ50にランクインしていた。

 今一度自分で読み直してみたのだが。
 これが泣ける! 泣ける! 😭 
 そんな“ナルシシズム”な我が感動を皆さんにもお伝えしたくて、以下に再掲載させていただこう。


 新聞の投書欄を読んで、涙もろい私は久々に目に涙を浮かべた。
 何てことはない、どこにでもありそうな運動会での光景の一コマなのであるが、心に訴えてくるものがありホロリとさせられた。
 本日の記事では、この投書を取り上げることにしよう。

 では早速、朝日新聞10月10日(金)付け朝刊「声」欄に掲載されたその投書の全文を以下に紹介する。 投書者は43歳の男性会社員である。

 娘たちの通う小学校の運動会でのこと。プログラムは6年生の借り物競争。一人の男の子が「かっこいい男の人」の札を客席に向かって気恥ずかしそうに掲げていた。事前にいろいろな「借り物」を用意してくれる援軍を頼んでいる児童もいたが、彼はそうではなかったようだ。他の子が借り物を探し当ててゴールへ向かって行く中、彼の焦る気持ちに応える人が出てこない。
 「よっしゃ」と思って私は出て行った。彼は安堵の表情を浮かべ、私と手をつないで懸命に走った。ダントツのビリだった。 「もうちょっと顔に自信があったらすぐに出て行ったんだけど、ごめんな」と言ったら、ペコリと頭を下げて「いえ、ありがとうございました」と言ってくれた。
 私はわずか何十秒か前のためらいを恥ずかしく思った。彼とのふれあいはわずかな時間だったが、「君のほうがかっこいいよ。こっちこそありがとう」と彼の小さい背中に呼びかけた。さわやかな秋の一日だった。
 以上が、朝日新聞「声」欄投書の全文である。

 私事及び私見だが。

 日本人ならば、おそらく小中学校の運動会で「借り物競争」を経験していない人はいないのではなかろうかと思われる。
 この私も記憶によると、小6と中3時の2回「借り物競争」を経験している。少しギャンブルっぽくもあるこの運動会の名物競技は、観戦する側としては思わぬどんでん返しがあったりして結構楽しめるのだが、出場する側にとっては大きなプレッシャーだ。特に、この投書の例のように“物”ではなく“人”の札が借り物として当たった場合、すぐさま一緒に走ってくれる人が見つからない場合が多く、“人”の札が当たらないことを祈るばかりである。

 ところが、“人”の札とは当たるものだ。
 私も、中3時の借り物競争で「中1の女の子」という札が当たった。とっさに、(知らない子は走ってくれない。知り合いを探そう!)と判断し探していると、部活動の後輩の女の子が見つかった。彼女は運動靴を脱いで座っていたのだが、急いで履いて出てきてくれた。これが相当の俊足の女の子で、先輩で長身の私の手をぐいぐい引っ張り一人抜き、二人抜きの快走だ! 私は引っ張られて転びそうになりながら上位入賞した。
 今尚よく憶えている出来事である。あれは手をつないで走るからいい。ほんの一時の場面なのだが、人と人とか確かな触れ合いをしつつ共にゴールを目指している感触がある。だから、よく憶えているのだと私は思う。

 私の姉も中3の借り物競争で「同級生の男の子」の札が当たったことがあるのだが、その時自分のために出てきてくれた男の子と二人で手をつないで走った感覚が忘れられない、と後々までよく言っていた。

 さて、朝日新聞の投書に話を戻すと、この小6の男の子と投書者の男性も、一時ではあるが手をつないで一緒にゴールを目指したことによって、確かな心の触れ合いをしたものと見て取れる。
 結果としてビリであろうが何であろうが、心に大きな思い出が残ったことであろう。
 「かっこいい男の人」という“粋な”「借り物」を考え付いた学校もなかなか気が利いていて洒落ている。
 そして、きちんとお礼を言った男の子と、“かっこいい”という言葉に一旦は躊躇しつつも男の子の心情を察して一肌脱いで観客の前で走り、「君のほうがかっこいいよ」と少年の小さな背中に返した男性。本当にさわやかな秋の日の運動会の光景である。 

 43歳の会社員さん、男の子の心情を察して走ったあなた、そしてこんな素敵な話を聞かせてくれたあなたこそ、すごく「かっこいい」ですよ!  

 (以上、当エッセイ集バックナンバーより再掲載したもの。)