原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

この「原左都子」とて言ってみれば “偽名” なんだけど…

2024年02月29日 | 自己実現
 冒頭から参考だが、「偽名」とは「本当の名前を隠し偽ったもの」との意味だそうだ。
 

 当エッセイ集を最初に公開するときに、著者名を何にするか実に迷ったものだ。
 本気で本名を名乗ろうか!?! と少し考えたりもした。
 ところが我が本名をご存じの方はお分かりだろうが、某著名人(既にお亡くなりになったが)と同姓同名なのである。
 これは、ネット上で混同が生じるのが歴然!! と言うよりもその著名人の方が絶世の美女としてあまりにも著名過ぎる(た)ため、その人物の存在感に潰されることが火を見るよりも明らかだった。😱 

 そこで、自分で頭をひねって考え付いたのが、「原左都子」である。
 「原」は婚姻後の本名。 そして「左」の漢字にはこだわった。(過去に何度も公開しているが。 “右向け右”等と指導されたら「左」に向きたい我が天邪鬼性質を表したものだ。 (「都」に関しては東京都に住んでいるだけの理由です。 ついでに「さと」に関しては旧姓の一部から引用しました。)



 さて、話題を変えて。
 以下に、2024.02.27付朝日新聞デジタルより、先だって亡くなった連続企業爆破事件容疑者:桐島聡氏に関する報道の一部を引用しよう。

 桐島容疑者の逃走半世紀、なぜ見つからなかったか 「公安部の負け」
  2024年2月27日 11時00分

 入院先の病院で今年1月、1970年代に起きた連続企業爆破事件で指名手配中の桐島聡容疑者(70)を名乗り、その後死亡した男について、警視庁公安部は桐島容疑者本人と特定した。逃走生活は半世紀に及んだ。
 5事件で書類送検へ 名乗り死亡の男、49年逃走の桐島容疑者と特定
 桐島容疑者が指名手配されたのは75年5月だった。その直後、広島県の実家に本人とみられる人物から岡山県で潜伏していることをうかがわせる電話がかかってきた。これが、明らかになっていた最後の足取りだった。
 49年後の「告白」により、逃走生活の実態が徐々に明らかになった。
 住み込みで仕事 バーで酒を
 桐島容疑者は川崎市内で日雇いの仕事などをした後、80年代ごろから神奈川県藤沢市の土木会社に住み込みで働いた。一人暮らしで「内田洋」を名乗り、身分証は持っていなかった。
 「うっちゃんは仕事仲間と冗談をかわし、仲良くしていた」。土木会社の取引先の60代男性によると、桐島容疑者はやさしい口調だった。別の土木会社の男性は、「手先が器用で丁寧な仕事をする人だった」と振り返った。車や重機の運転はしなかったという。
 白髪交じりの無精ひげ。近場の銭湯に通い、時折バーで酒を飲んだ。
 20年近く前から来ていたというバーでは、酒を2、3杯飲み、2千円ほど払って帰った。ジーンズ姿が多く、60~70年代のロックが好き。生バンドの演奏があるとリズムにのって奏者を盛り上げ、DJイベントがあれば腕をあげて踊った。年下の女性から好意を寄せられ、「幸せにできない」と断ったという話をしていたこともあった。「うっちー」と呼ばれた。
 なぜ半世紀も逃げ続けられたのか。

 (以下略すが、以上朝日新聞デジタルより引用したもの。)


 公安部の幹部は、桐島容疑者が死ぬ間際に「自分が桐島聡だ」と名乗ったことに対して、「自己顕示欲だ。言いたいことがあるなら逃げ隠れせずに主張すればよかった」と言ったらしい。
 参考だが、桐島容疑者の遺体の引き取りてはおらず、逗子市内で無縁仏として荼毘に付されたとのことだ。

 (以上、朝日新聞2024.02.27付夕刊記事よりごく一部を引用したもの。)


 
 最後に、原左都子の私見だが。

 桐島容疑者が死ぬ間際に本名を名乗ったのは、決して「自己顕示欲」ではなくて。
 真の自己存在を、死ぬ前に表明したかったのではなかろうか?
 原左都子の感想では この方(桐島容疑者のことだが)、本来の人間像として“善人”なのではなかろうか?? (報道によれば、“うっちゃん”と周囲に呼ばれた時代には仕事仲間ともうまく行って仲良くしていた様子でもあるし…)
 いやもちろん、過去に犯した罪のケリを死ぬ前にきちんとつけておくべきではあろうが。 公安から執拗に追われ続け続けている身であり、それをすると監獄行きなのは火を見るよりも明らかな状況下におかれ続ける人生だったはずだ。
 それでも、“うっちゃん時代”には少しは人間らしい交流もあった様子であることに、救われる思いもある…



 最後に、「原左都子」とのペンネームに話題を戻そう。

 今現在の世の中は、この種のペンネーム等々を使用せずしてネット世界が渡れない程の危険性が溢れている。

 私としては、正々堂々と本名でオピニオンブログを公開したい思いもある。
 「原左都子エッセイ集」を公開するに当たり、何の“後ろめたさ”も無いが故だ!
 ただこの私も過去に、当エッセイ集を公開しているが故の“誹謗中傷”に遭遇している。
 それ故に 早い時期から「コメント欄」を閉鎖する等々の措置を採用せざるを得なかったものだ。

 今となっては 「原左都子」のペンネームが好意的に受け入れられている局面にも接することが叶い、我がブログライフを私なりに楽しませて頂いてもいるが。

 
 桐島容疑者が死ぬ間際に本名を名乗りたかった心情を、理解できる思いだ… 


学校給食に“ウズラの卵”を丸ごと使用し1年男児が死亡するとの悲惨な事件発生

2024年02月27日 | 時事論評
 義務教育である学校現場が提供した「給食」で、またもや児童生徒の死者を出してしまった…


 こんな悲惨なことは無く、昨夜このニュース報道に触れて以降私は学校給食の在り方に対する“怒り”感情の持って行き場が無い程に苦しんでいる。


 以前にも、学校給食による小学4年生女児の死者を出している。
 その際に当エッセイ集にて公開した、2013.08.08付エッセイ「一少女が命をかけて給食のお替わりをした理由」等々に於いて、我が私論を述べているためその一部を以下に引用しよう。

 義務教育学校現場における給食が国民に果たしている役割は、その恩恵に与った時代がある私も確かに大きいものであることは自覚できている。
 そうであるからこそ、「食」に関するあらゆる多様性を学校現場は認識し直すべきであろう。
 今一度言うが、公立小学校に通っていたアレルギー女児は、決して給食の「おかわり」をしたから死に至ったのではない。
 人間の多様性を心得ない、あるいはその対策を怠っている義務教育学校現場が招いた悲惨な事故に他ならない。 

 (以上、2013.08.08付エッセイ「一少女が命をかけて給食で“おかわり”を下理由」より最後の結論部分のみを再掲載したもの。)


 上記事例の場合、小4女児が「アレルギー体質」であるとの事情もあった。 
 ただ私の認識では、この事件が発生する以前より既に学校給食に於ける「アレルギーへの対策」は十分に実行されていたと記憶している。
 それにもかかわらず、この事件が発生してしまった事実に胸を痛めたものだ。


 
 さて、話題を昨日発生した“ウズラの卵を丸ごと給食に入れていたがために、それを食して喉に詰めまらせ、死に至った事件に戻そう。

 昨夜午後9時のニュースにてこの事件を初めて知ったのだが。
 実に驚かされたのは、小学生の給食の食材として「ウズラの卵」を丸ごと入れたとの事実だ。

 これ、だれがどう考察しても、特に未だ小さい小1の子どもが「喉に詰めるであろう」事態が発生するのを予測可能なのではなかろうか??
 咀嚼能力も未発達に加えて、美味しいのであろう現在の給食をゆっくり味わいながら食するすべもなかろう。
 (参考だが、私が小学生頃・昭和30年代の給食とは、極限にまずくて困惑させられたものだ。 個人的には給食時間が来るのが苦痛で苦痛で… 給食の直前になると拒否反応が我が体内から起こり、とてもじゃないが食べられなかったものだ… 😵  ただ、全部食せよ!!などと強制されることは無い時代だったため、ほとんど残しても許されたため助かったものだが。)


 ウズラの卵といえば、私の感覚では直径1cm、高さが1,5cm程ではなかろうか? それを、大人の私とて丸呑みするのが危険であることは想像可能だ。
 何故、そんな大きな食材をカットする等の措置をせずに、給食のおかずの中に丸ごと入れたのだろう??

 現在の学校給食現場には、必ずや栄養士等の食の専門家が配置されていると認識しているのだが。
 それらの専門家が、ウズラの卵を丸ごと食材として出すことに同意したのだろうか???


 とにもかくにも、学校給食に於いて「死者」を出すことだけは 是が非でも撲滅するべきだ!

  「ウズラの卵」のみならず同様の大きな食材の取り扱い方を、今一度学校給食現場で専門家を中心として再検討して欲しい。

 どうか今後は、学校給食にて絶対に死者を出さないことを第一義として心しつつ、関係者の皆様にはご精進いただきたいものだ。
 

“Copilot”への「原左都子さんはどんな賞を受賞してますか?」とのネット上の質問には笑った!

2024年02月26日 | 自己実現
 参考ですが、Copilot とは今流行りの「AIチャットモード」に他ならないのだが。

 それへの質問が日々幾つも届いている様子だ。???


 その中に、冒頭表題の「原左都子さんはどんな賞を受賞していますか?」なる質問が届いている様子だが。



 これに関しては、原左都子本人が回答しよう。


 おそらく、質問者氏のご意向とは。

 「ノーベル賞」を手始めとして、世に名だたる賞の受賞を思い浮かべつつ質問なさったのであろう。


 
 私ども、原左都子との人物像に関しては、当該「原左都子エッセイ集」をくまなくお読み下されば、その一部くらいは把握可能かと存じます。

 ところが、残念ながら。
 この原左都子自身は今までの半生に渡って、一度も“メジャーデビュー”に憧れた経験が皆無の人間です。

 この場合の“メジャーデビュー”の意味合いとは、単にマスメディアに取り上げられるべき立場、とでも申しましょうか、私なりの特段の定義が無いのが事実でもありますが。


 とにかく私ども原左都子は、そのような大それた(勘違いの)事態を何が何でも避けたい思いが強靭な人間です。

 と申しますのも、身近な例を挙げますと。 
 我が実姉が過去に於いて、某著名ミス美人コンテストの日本大会に出場して都道府県大会で優勝した経験の持ち主なのですが。
 あの優勝経験で我が実姉の人格の程が大いに歪んでしまった感覚を、未だに実妹の私はトラウマとして持ち続けているのです…

 話題が たかが「美人コンテスト」であり、そもそもその勝ち組になったからと言ってどうした!?? くだらな過ぎるレベルの話ではありますが。
 それで、人生を“しくじる”人間が現に存在する事実を見てきている我が身としましては。


 とにかく今後も自身の能力・実力のみに依存しつつ、それをほんの少しづつ小出しにしながら。
 受賞などとはまったく縁のない環境下で、この世を原左都子なりに面白おかしく渡り続けて生きたいと欲しております。


NHK・日曜討論 2024.02.25放映「ロシアのウクライナ侵攻の今後」を要約します。

2024年02月25日 | 時事論評
 日曜朝のNHK総合テレビは、いつもならば旅番組「小さな旅」が放映されて。
 大野雄二氏作曲の名曲が流れ、毎週あれを聞いては朝からしんみりと涙している原左都子だが… 😪 


 本日は、午前8時から冒頭の「日曜討論」が放映された。

 (なんだよ、今日はあの名曲が聴けないのか…)と多少意気消沈していたものの。
 討論番組が始まった途端に、我が集中力はそれの視聴にすぐ切り替わった。



 それでは、「日曜討論・ロシアのウクライナ侵攻の今後」の原左都子によるメモ書きを以下に公開します。 
 テレビ放映内の議論内容に従いつつも我が興味を優先してのメモ書きのため、中身がバラついていることをあらかじめお詫びしておきます。


 ウクライナの主張としては、今後も主権を失いたくないとのことだ。(要するにロシアの支配下に置かれることは、是が非でも避けたいとのことだろう。)

 現在のウクライナに対する支援の1位は、EU諸国のようだ。
 (我が想像では、米国が1位かと思っていたらそうではないらしい。)

 米国のトランプ氏は、ロシアのプーチンに対し独裁面で評価しているようだ。
 ウクライナは米国の分断状態を懸念している??(メモ書きが不十分な点をお詫びします。)
 米国大統領選においては、極端な思想の人物が選出されるのが特徴らしい。
 ロシアはこの米国大統領選に関しては、野党系候補をすべてブロックしているとのこと。 プーチン政権は今後も続くと考えておくべきとの討論内容だった。

 トランプ氏の大統領選の戦法とは、「何をやれば自分の支持率が上がるか」がモットーであり、それに従って選挙活動をしているらしい。

 現在のEUは足並みの乱れがあり、ウクライナ支援に関してはロシアと関係がある国の支持率が低いとのことだ。
 そして EU各国は今までは米国に頼り切っていた状況から、自らがやりたい方向へ転換しているとのこと。 (原左都子の感想だが、どおりでEU会議がいつもまとまりが無いのか??…)
 例えばポーランドは、次は自国がロシアに狙われるか!?!との危機感があるらしい。 (同じく原左都子の感想だが、それはお気の毒!!)
 ロシアに一番近いエストニアなど、ロシアに対する危機感が急上昇して尋常ではないようだ… (原左都子の思いは上記と同様、お気の毒としか言いようが無い…)

 ウクライナのゼレンスキー大統領の主張としては、ロシアとは一時的停戦ではなくロシアの敗北こそが重要とのこと。(原左都子の感想だが、全く同感!!)
 ゼレンスキー大統領曰く、変な停戦ではウクライナは潰される。 たとえアメリカ支援が止まってもウクライナは生き残りたい。(原左都子の意思としても応援申し上げます! ただウクライナ市民はもちろんのこと、市民戦闘員の犠牲者が沢山出ている点が実に辛いところだ…)

 プーチンとしては真の交渉相手はアメリカ!(そうだろうなあ…)らしいが。 これ以上両者がやりあうと、両者共々厳しい。との討論者の御意見。

 和平への出口を間違えると、ウクライナが悲惨になる…

 ウクライナに対するロシアの戦争は、既に2014年から始まっている。
 西側がウクライナに何を与えるかによって、ロシアの態度が変化する。(その通りだろうなあ…)

 さて、それでは我が国日本は「ロシアのウクライナ侵攻」に対して、何をするべきか!??

 現状では 日本は軍事支援はできないが、医療支援では頑張っているらしい。 加えて、音楽・文化方面での支援も活発なのは私も承知している。
 そもそも軍事支援能力は、日本には無い。 防衛能力も然りだ。

 そんな日本は、ロシアのウクライナ侵攻に対して矢おもてには立てない立場だが。
 今後は民生支援等々、できるところからやるべき。

 との事で、本日午前9時からのNHK総合テレビの討論会は終了しました。


「ねえ 彼女、お茶しない??」の古き良き時代

2024年02月24日 | 恋愛・男女関係
 私が郷里から上京した頃は、まさにそんな時代だった。
 参考までに、私が上京したのは1970年代後半時期だ。

 我が上京目的は都内の某医学関係企業に就職するためだったのだが、未だ20代前半期のうら若い乙女(?)時代でもあり。

 休日に都内繁華街(新宿、池袋、六本木界隈)へ出掛けると、見知らぬ男性(というよりも男の子と言うべきか)、から冒頭の声がかかったものだ。
 
 「ねえ 彼女、お茶しない?」

 以前もこの話題をエッセイに書いた記憶があるが。

 これなど至って健全な男女の出会いと言えないだろうか?
 とりあえず サテン(喫茶店のことだが)でコーヒーでも飲みながら、お互いの事を語り合おうよ」てな訳だ。

 その誘いにすべて応じる訳ではないが、我が感覚から(この子、いい子っぽいなあ)と感じた男子の誘いには、よく乗ったものだ。
 とにかくまさにお茶を飲みながら、よく語り合った。
 その第一印象が良くお互いに話しが盛り上がると、とりあえず次回会う約束をしたなあ。 その回が重なって意気投合すると、彼氏(彼女)として認めることとなるとの図式だ。

 もちろん、職場でもお誘いはあった。
 大抵は「夕食一緒に食べよう!」だったものだが、こちらの方は同じ企業に勤めている関係で素性が知れているので、安心度は高かった。
 (社内結婚が多いのもうなずける。皆さん、特に結婚ともなるとそんな安心度を優先したのだろうなあ…)

 片や私の場合は、同企業、同種職業の男性よりも、外部で知り合う男性の方によほど興味があったものだ。

 既に時効が成立している😷 故に、私が上京後若き時代にお付き合いした男性の職業等々を語ると。 「工業デザイナー」、「医師(同業ではあるが職場が全く異なる人物だった)、「IT技術者」、等々)かな??
 ちなみに我が亭主(物理学研究者)は晩婚見合いにて知り合い 即刻婚姻に至ったため、付き合い期間は短かった。



 私事はどうでもよく、勝手に言ってりゃいいとして。😜 

 本日 2024.02.24付朝日新聞「悩みのるつぼ」の相談は、30代男性による「『ぼっち』の僕でも彼女が欲しい」だった。

 参考だが、「ぼっち」とは「ひとりぼっち」のことらしい。 近年、特に独身男性にこの「ぼっち」が多発している模様だ。

 今回の相談者の「ぼっち」さんも、生まれてこの方彼女がいないらしい。
 その身にして、彼女が欲しいとおっしゃる。
 ところが、自身の手札(経済力、容姿、経験値、コミュニケーション能力)を考えると、女性に選ばれる要因も相手を楽しませる自信もないそうだ。😲 
 それでも彼女が欲しいらしく、とにかく一度恋愛をしてみたいとのこと。
 ご趣味は、漫画、アニメ鑑賞、アイドルグループの応援(イベントには行ったことが無いらしい)、とにかくインドアタイプらしい。



 最後に、原左都子の私見を書かせていただこう。

 自身の上京直後を振り返ってみるに、実に“古き良き時代”だったものだ。

 街で声を掛けられてそれに乗ったとて、相手はまさか実はホストのおにいちゃんで大金を貢がされるとの事も皆無。😱 
 いやいや、私に声を掛けてきた男子たちは実に“いい子”だったよ。「ごめんなさい」とお断りしても、すぐに素直に引き下がってくれたし。
 当時は喫茶店で会話が一般的だった(あくまでも私の場合は)が、その会話が成立してまた会おうとなった場合のみに、電話番号交換等々をしたものだ。


 今の時代は「個人情報保護法」の成立や、世の危険性が想像以上に極大している現実下において。
 実際問題、人と人が安易に知り合いにくい社会と成り下がってしまっている… 

 何だか現代の若者を気の毒にも思いつつ。
 こんな世の中において「ぼっち」が増殖するのはやむを得ない現実と、受け取らざるを得ない現状なのか…