原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

教科書のページ数と子供の学力は相関するか?

2015年11月30日 | 時事論評
 私は過去に於いて高校教員経験があるが、私が受け持っていた教科は「社会」の一部と「商業」全般である。

 その時代の高校現場に於ける「教科書」の位置付けは、義務教育課程の小中学校とは異なり、学校現場に一任されていたのではあるまいか?
 と言うのも、私の場合、公立高校と私立女子高校での教員経験があるが、両者共に教科書使用に関しては教科担当教員に任せられていた。


 この自由度に大いに幸いした私だ。

 とにかく学問に関して確固たるポリシーを持っていた私には、そもそも“教科書に従って”つまらない授業を施そうなどとの発想が出るはずもない。
 加えて、一見“悪(ワル)”そうな子ども達の目の輝きに一旦感動を受けたものなら、教科書に従った通り一遍の授業を展開し、授業中に生徒達にお喋りしたり寝られる事こそが、こちらこそ許し難い。 (などと偉そうに言っても、授業中喋る子も寝る子も多かったのですがね…
 一方、我が授業の賞賛生徒も少なからず存在したことを付け加えておこう。 (「先生って、毎日家で一生懸命授業の準備をして来てるのが伝わるよ。」などと黄色いくちばしで褒めてもらえる事もあった。
 
 と言う訳で、私の場合は教科書に全面的に依存した授業などただの一度も実施せず、自分自身で毎時間レジメを作成して授業を執り行った。 その準備作業とは、おそらく皆さんの想像をはるかに超えて過酷だったと振り返る。

 ただ、例外はあった。

 例えば、社会の一科目「現代社会」などは、私自身が過去に生徒の立場で高校の授業にて未経験の、当時としては新しい科目だった。 一体如何なる科目なのかとの下調べ目的で、当時発行されていた「現代社会」の教科書を読み込んだ経験はある。 これがなかなかまとまった良き科目と実感した。 その教科書を参照しつつ、やはり自分で毎時間レジメを作成して授業を進めたものだ。

 あるいは、商業科の一科目である「商業法規」に於いて、副読本を利用した経験もある。
 それには私なりの確固たる理由があった。 たとえ相手が高校生と言えども、法律を学習させるにあたり「現行法規」を紐解き参照せねば授業が進められる訳もないのだ。 
 そこで私が真っ先に考えついたのは、市販されている「六法」の活用だった。 が、一番安価なものでも¥1,000ーを超過していたのに加え、生徒各自に書店に行って購入せよと指導しても、誰も買う訳がない事は十分承知していた。 
 そうしたところ、教科書の「副読本」の位置付けにある書物が存在する事が判明した。 これを利用すれば市販品よりもずっと安価だし、学校の教科書業者を通して生徒全員に私から配布する事も可能だ。
 私が当時利用したのは、㈱一橋出版社による「新商業六法」なる副読本だったのだが、この内容が実によくまとまっているのだ。 しかも市販品よりも安価である。
 それでも生徒達から、「せんせ~~、そんなもの買ってくれと家で言ったら、うちの母ちゃんがまた出費かと泣くぞーー。」とのご意見を複数賜ったものだ。  そんな生徒達の思いも十分に察して、「ホントに申し訳ないけど、この六法は貴方達が卒業した後にも必ず役に立つから、お願いだから買って。」と生徒に嘆願した事が今となっては懐かしい。
 教員である私のたっての希望により強制的に生徒に副読本を買わせた以上、もちろん授業中に当該「新商業六法」は十二分に活用した。
 ただその後時代の変遷や政権の移り変わりと共に法律改定が相次ぎ、今となっては役に立たない書物となっている事実を、遅ればせながら当時の生徒達にお詫びしておこう。


 ここで話題を変えよう。

 朝日新聞 2015.11.20 朝刊に、「教科書会社、教員との距離は 三省堂問題、他者に聞く」 との記事が掲載されていた。
 当該記事の片隅に、「少子化で減る部数」との記載があったのだが、その内容を以下に要約して紹介しよう。
 文科省によると、全国の小中学校や高校、特別支援学校で今年度使われている教科書は計1億2681万冊。 少子化の影響で1985年より4割減だった。 近年はゆとり教育からの転換で教科書の総ページ数は10年間で3割以上増え、製作費は大幅に上がっている。 教科書各社は関連教材などの売り上げ確保を図っているのが実情という。
 (以上、朝日新聞記事より左端にあったほんの一部を要約引用したもの。)


 最後に、原左都子の私論に入ろう。

 ㈱三省堂による教科書販売に伴う学校現場の校長や教員との癒着事件は、既に皆さんご存知の事であろう。
 学校現場の校長達は、三省堂との癒着により旅行招待や金5万円謝礼金などという(私に言わせてもらうと実にみっともない)せせこましいばかりの癒着に何故長年興じていたのだろうか??

 学校現場教職員とは、そんなせせこましい業者との癒着に安穏としている場合ではなかろう。

 今教育関係者が一番に成すべき事とは、政権による「教科書検定」の実態に興味を持ち対策を練る事だ。
 安倍政権による安保法案改憲政策により、特に「社会」分野に於ける教科書検定が、その歪んた思想で大きく変貌しようとしている。
 この実態こそに、学校長はじめ末端の教員に至るまで興味を持って対応するべきではないのか!?

 それを実行出来て、その実態を子供達に自ら伝えられるごとくの授業を個々の教員が成してこそ、世は少しづつでも良き方向に変遷すると私は信じている。
 学校現場から国家や自治体の教科書政策に異議申し立てせずして、一体誰が貴方達教員の味方をしてくれると考えているのか。

 現政権政策に素直に従い、しかも大規模教科書企業の恩恵を被り少額賄賂を授受し、ましてやその賄賂企業が作成した教科書内容を鵜呑みにして、日々マンネリと授業をしている場合ではなかろう。
 その事を、現役学校教員達に是非とも私から今一度伝えたい思いだ。

絵むすび (朝日新聞2015.11.28編)

2015年11月28日 | 自己実現
 (写真は、朝日新聞 2015.11.28 別刷「be」 パズル「絵むすび」に解答したもの。)




 今回の「絵むすび」解答も、今夜、我が娘が一人でしてくれました。




 わずか5分程で解答が叶った様子でしたが、その結果だけを公開させて頂きます。




 しかしまあ、“おたまじゃくしの子はおたまじゃくし”(カエル程には立派に成長出来ていない母娘ですので。)である事を実感させられます。

 母の私がいつも楽しそうに「絵むすび」に取り組んでいる背中を見て来た我が娘が、いつの間にやら「絵むすび」ファンとなっている事実に親の私が驚かされています。



人は何故カルトごときに洗脳されてしまうのか?

2015年11月28日 | 時事論評
 我が娘が小学校低学年の頃、娘が通っていた公立小学校が(個人情報保護を無視して)作成・配布した電話連絡網を通し、娘の隣の学級の保護者母親から私宛に突然電話がかかって来た事がある。

 その母親が電話口で曰く、「○○さんですね。」  私応えて、「はい、そうですが。」
 続けて母親曰く、「私は××と申しますが、実は以前より学校のPTAで〇〇さんを拝見しておりました。とても素敵なお母様でいらっしゃいますね。 お近づきになりたくて、失礼ながらお電話を差し上げました。」
 その電話での態度に何ら失礼はなく、しかも、私と懇親になりたいと申し出る母親は以前から他にも存在していたため、一応電話の会話を続けようと考えた。

 そうしたところ、「今度ご一緒にお茶でもいかがですか?」とその母親は急に切り出してくる。 多少面倒臭い気がし始めた私は、「次回学校でお会いした時にお話でもしませんか?」と切り返すと、急に態度を変え始めるではないか。 
 「一緒に来て欲しい所があるんですよ。 そこに来て頂くと素晴らしさが分かりますからとにかく私と会ってくれませんか。」 
 直感でこれは何だが変だと感じた私は、「一体私を何処に連れて行いたいご意向ですか!? その場所を明確に言って下さい。」
 すると、その母親が正直に語るには、「△△との新興宗教が素晴らしいので、貴女も入信するとよいと考えお誘いしているのです。」
 その回答に呆れた私は、「学校の電話連絡網を何と心得ているのですか! そんな個人的な宗教勧誘目的で連絡網が配布されている訳ではないのですよ!!  だいたい貴方、息子さんが我が娘と同学年との事ですが、母親の立場で何をやっているか認識出来ているのですか?」
 まさか、私が元学校教員だったとは露知らなかったらしい母親は、負けじと私に噛みついてくる。「馬鹿なのは貴方ですよ。 私が信じている宗教がどれだけ素晴らしいか、一度来てみたら分かりますよ!」

 すぐさまその翌日、私は小学校へ電話連絡網が“悪用”されている事実を伝えた。 しかもその悪用の程が、新興宗教への勧誘との悪質性の高さも訴えた。
 その事実は当然の事ながら、学校現場でも即刻撲滅対象となった様子だ。 事情聴取のために私は校長室へ招かれ、その面談に応じる事と相成った。
 学校が調査した結果、その母親は私以外にも電話連絡網を悪用し複数の保護者に電話をかけ、実際に信仰宗教現場へ無理やり連れて行かれた母親も存在したらしい。
 ただ、その後我が家は娘の校内いじめ等に対応するため転校を余儀なくされた故に、その母子が現在如何に暮らしているかに関しては露知らない…。


 他にも、カルトとまで表現しては失礼かもしれないが、日本国民の皆さんなら十二分にご存知の(現在政権の片棒を担いでいる)某宗教団体からの勧誘も何度も受けている。
 あの団体に対して私に言わせてもらうならば、不思議な宗教組織である。 何故か世襲を貫きつつ大規模組織として成り立っている様子だ。  子孫としてそれが嫌ならば辞めればいいのに、と私など思うのだが、どういう訳か一族代々に渡り成り立ち政党まで立ち上げ、それを現政権である自民党に都合よく利用されている有様だ。

 その宗教団体から受けた勧誘も、もちろんすべて即刻お断りするのだが、そうした場合付き合い自体が終焉せざるを得なくなるのが常だ。
 当該宗教に関しては、カルト集団と比して日常的な付き合いに関してはいい人達であるのに、どういう訳かこちらから宗教入信を断固と断ると、掌返したがごとく去っていくのが不可解でもある。 


 話題を大幅に変えよう。

 昨日11月28日、元オウム真理教の信者であり特別手配対象者として指名手配されていた菊池直子被告に対して、無罪判決が下された。

 以下に、ネット情報よりその一部を引用・紹介する。
 東京高裁がオウム真理教元信徒・菊地直子被告(43)に言い渡したのは、逆転無罪だった。 弁護人は判決を評価したが、事件の被害者や一審で有罪を導いた裁判員からは戸惑いの声も聞かれた。
 3年半前の逮捕当時に捜査を担当した警視庁幹部は、無罪判決に「何かの間違いだ、と思った」と驚いた。  菊地元信徒をめぐっては、地下鉄サリン事件や都庁郵便小包爆発事件に関わったとして、警視庁が殺人などの容疑で逮捕状を取り、95年5月に警察庁が特別手配した。
 菊地元信徒は逃亡生活を経て、2012年6月に、地下鉄サリン事件で殺人などの容疑で逮捕。その後、猛毒の化学剤VXを使った事件で殺人などの容疑で再逮捕され、さらに都庁事件で殺人未遂と爆発物取締罰則違反容疑で再逮捕された。起訴されたのは、都庁事件での殺人未遂と爆発物取締罰則違反のそれぞれ幇助罪だけだった。 
 一方、検察幹部は「予想外の判決だ。かなり違和感がある」。東京高検の堺徹次席検事は「控訴審判決は意外であり、誠に遺憾。判決内容を十分に精査・検討し、適切に対処したい」とのコメントを出した。
 高裁判決は、一審の裁判員裁判を覆す内容だった。「市民感覚を反映するための制度なのに、裁判官の経験則で覆していいのか。オウムの恐ろしさが風化してしまったのだろうか」。別の幹部は疑問を呈した。
 元捜査幹部は「菊地元信徒は逃亡したからこそ注目を浴びたが、オウム事件全体でみると果たした役割は小さかった。事件に直結する役割ではなく、元々、立証に難しさはあった」と話す。
 検察は今後、上告するかどうか検討する。     
 郵便小包爆発事件で左手指を失った元東京都職員の内海正彰さん(64)は「(菊地元信徒は)長年逃亡生活を続けており、罪の意識は十分持っていたはずです。 無罪の判決は、その事実を法廷という場でしっかりと立証できなかったということで、誠に残念なことだと思います」との談話を出した。
 (以上、ネット情報より一部を要約引用したもの。)


 最後に、原左都子の私論に入ろう。

 そもそもカルト(狂信的な宗教集団)に入信しようと志す人間には共通項があろう。 おそらくその入信動機とは、様々な理由での「自己喪失」の現状だったという事ではあるまいか??
 そういう意味では、上記の菊池直子被告も入信当時はその状況に瀕していたとの推測も可能なのかもしれない。 それを打破出来る能力が自己になければ、そこから助け出してくれる周囲の助力にも恵まれず、“カルト地獄に落ちる”しか方策が見出せなかったものとも推測出来よう。

 ところが特に菊池直子被告の事例では、逃亡途中で“善意ある一般人”男性と出会いその人との共同生活を営んたとの記載もあるのだ。 ならば何故その時点で「自首」出来なかったのだろうか?  
 昨日のNHKニュースによれば、一旦カルトにはまるとそこから脱出不能な恐怖に苛まれ続ける恐れがあるとの解説だったが…

 原左都子にとっては到底理解不能な、菊池直子被告の何十年に及ぶ逃亡生活としか言いようがない。

 少なくとも私自身は元より、我が娘に対しても、カルト依存などとの“究極他力本願人生”を決して歩まないよう再教育したい思いしか描けない、今回の菊池直子被告に対する空虚な逆転無罪判決である…

昭和の大女優 原節子 は永遠不滅だ

2015年11月26日 | 時事論評
 私には、昭和の大女優 原節子氏に亡くなられては 我が身の半分を削がれるかのような大きな精神的痛手となる “とある理由” がある。


 その理由に関して、「原左都子エッセイ集」2008.6.29バックナンバー 「原節子論」 にて記述しているため、以下に要約し今一度紹介させていただこう。
 
 原節子氏が女優として活躍したのは私がこの世に生まれる以前が中心であるため、この私もその名はよく知れども現役時代の氏の活躍ぶりを全く知らない。
 なのになぜ、今回「原節子」を本エッセイ集の記事として取り上げ論評しようとしているのかと言うと、実は私と原節子氏とはある共通点があるからだ。 個人情報保護上の理由によりその共通点が何であるかはここでは申し上げられないが、それのお陰で私は日頃得をすることが多いのである。
 氏との共通点を介して見知らぬ方や初対面の人と会話がはずむ事がよくあるのだ。 まずは皆さん、その共通点を知ると間違いなく驚かれる。「へえ~、そうなんですか!」と。 先だっても歯科で診療中に歯科医先生と原節子談議になり、「私もファンだったのですが、私の恩師が原節子さんの後援会に入っていた程の大ファンで、どうのこうの……」とおっしゃる。 そして皆さん、例外なく異口同音に原節子氏を褒め称える。 絶世の美女であること、“永遠の処女”のキャッチフレーズが物語るように汚れなき清純なイメージであること、今で言う癒し系であること、等々…。
 他にも世間を一斉風靡した女優や歌手は存在しなくはない。 が、それら人物は必ずやマイナスイメージをも伴っている。  それに対し、原節子氏にはマイナスイメージが一切ないのだ。 百人中百人が氏を絶賛するのだ。
 そこで本エッセイにおいてはその存在を知る人が皆絶賛する昭和の大女優「原節子」を取り上げ、その魅力を探り分析してみたいと考える。  ただし、上述の通り何分私は現役時代の原節子氏を存じ上げないため、人からの伝え聞きや資料による分析とならざるを得ない。本文に不足や誤りを発見された方はコメント等で何なりとご指摘いただけたら幸いである。

 それでは、「原節子」氏の魅力のポイントを絞りながら個々に分析していこう。
 まず魅力の第一点。 絶世の美女である。
 好みはあろうが、この女性を「美女ではない」と言う人はいないのではなかろうか。
 原節子氏デビューの背景として、時代劇「河内山宗俊」の監督山中貞雄氏が、そのヒロイン像として“すべての無頼の男達が、この美しい瞳のためなら死んでもいいと思うような清純で可憐な女優”を条件にヒロインを捜し求めた挙句、当時まだ16歳の原節子を大抜擢したといういきさつがあるらしい。
 顔立ちが洋風なのが特徴と私は捉える。もしかしたらハーフか?とも思われるような彫りの深さなのであるが、実際はどうなのであろうか。 1930年代後半の当時、海外との交流がまだまだ少ない時代背景の下、この原節子氏の斬新とも受け取れる洋風の風貌を日本男子がもてはやしたのであろう要素も考察できそうである。
 そして魅力の第2点。 清純なイメージである。
 日独合作映画「新しき土」(1937年)の撮影のために来日したA・ファンク監督は、上記の「河内山宗俊」の原節子を見てその映画のヒロインに抜擢したらしい。
 “神聖にして犯すべからず(永遠の処女)の背光を帯びたまま今日に至っている”と言われるごとく、その後27年間の女優人生の銀幕作品すべてにおいて原節子氏は色褪せることなく初々しいままだそうだ。
 プライベートにおいても、原節子氏にはスキャンダル的要因が一切ないようなのだ。 この頃既に、スキャンダラスな女優は何人か存在している。 原節子氏よりもう少し前の時代になるかもしれないが、岡田嘉子氏などはその最たる存在ではなかろうか。
 やはり時代背景的に清純なイメージの女性が好まれたのであろう。 それにしても、デビューから27年後の引退までそのイメージを一貫して演じ抜いた原節子氏はやはり一種超越した存在であろうと私は捉える。 演技力のみではカバーしきれないご自身の生き様そのものがその役柄に投影され、清純な雰囲気を醸し出していたのであろうか。
 最後に魅力の第3点。 “癒し系”である。
 かなり以前に私の職場の上司から見聞した話であるが、原節子氏には汚れ役、穢れ役が一切なかったらしいのだ。 氏は女優人生27年間を通して潔い“麗人”であり続け、優しく微笑む美しい瞳をファンに投げかけ続けたのである。
 長年に渡り一貫したプロ意識で自分のイメージを持続し通した原節子氏の右に出る女優は、古今東西に類をみないかもしれない。

 そして理由を一切明かさず突然スクリーンから姿を消し、公の場にも姿を見せなくなったそうだ。 真実の姿が謎のまま“伝説の女優”として原節子は今なお語り継がれている。
 
 (以上、「原左都子エッセイ集」バックナンバーより、一部を要約引用。)


 今朝の原節子氏の突然の訃報には驚かされ、愕然とさせられた。

 以下に、ネット情報よりその報道に関する記事を紹介しよう。
 清純派の美人スターとして戦前戦後を通じて活躍した伝説の女優、原節子(はら・せつこ、本名・会田昌江=あいだ・まさえ)さんが、9月5日に肺炎のため死去していたことが、11月25日分かった。
 95歳だった。 近親者で密葬を行った。 同居していたおいによると、原さんは8月中旬に入院するまでは、自宅の庭を散歩するなど元気だった。本人の希望で亡くなったことは伏せていたという。
 戦後には、黒沢明監督「わが青春に悔なし」、吉村公三郎監督「安城家の舞踏会」、今井正監督「青い山脈」など名匠の作品に出演、日本人離れした彫りの深い美貌とはつらつとした明るさで人気女優の地位を確立した。 特に小津安二郎監督「晩春」「東京物語」、成瀬巳喜男監督「めし」「山の音」などの名作で、知的で優しい成熟した女性像を演じ、名実ともにトップ女優になった。
 (以上、ネット情報より一部を引用。)


 昭和の大女優 原節子氏と “とある共通点” がある私だが、その美貌や淑女度には到底あやかれない。
 せめて、95歳までの人生をまっとうされたその 長寿 に与りたいものである。 

 原節子は 永遠不滅だ!  

介護施設入居の義母に 「お姉さん」 と慕われて…

2015年11月25日 | 人間関係
 ここ一両日、何て事はないほんのちょっとした出来事なのだが、私にとって嬉しいサプライズが続き、一人で“にんまり”とほくそ笑んでいる。


 昨日の出来事だが、いつも食材を配達してくれる御用聞きの男性が私宛に“とある”プレゼントを持参してやって来た。
 そのプレゼントとは今時流行りのポイント制度上の一サービスに過ぎず、誰しもが点数に達した時点で自動的にその恩恵に与れるシステムだ。 それでも、私としては心ウキウキとその包装紙を開いた。
 そうしたところ入っていたのは、私の「還暦祝い」の粗品だった。

 昨月60歳を迎えた私だが、実は公然と「還暦祝い」を頂戴したのは今回が初めてである。
 さすがに実母からは既に祝い金をもらっているが、その他一切の祝いの品はもちろんのこと、一言の「お祝いの言葉」すら家族を含め何処のどなたからも届いていない身だ。
 そりゃそうだろう。 今の時代、個人情報保護制度が厳格化している影響で、よほど深い付き合いにでも発展しない限り、日頃お付き合いのある人に年齢を明かさないのが一般的であろう。 そういう理由で、まさか付き合いの浅い人物が、私が還暦を迎えたなどとは露知らない事と認識している。
 別の側面観点からだが、実際問題今時の60歳などまだまだ若気の至りの年齢層だ。 「還暦」なる言葉すらが形骸化している時代背景でもあろう。

 そんなこんなで私に限らず誰しもが「還暦」など空気のごとく通り過ぎ、未だそれぞれの青春を謳歌されている事と想像する。
 一方、私自身が自分なりの“節目”としてこの「還暦」を通過したく考えていた。 その一環として、既に自分自身で「還暦祝いフォトブック」を作成し手元に保存している。  おそらく後20年、30年経過して未だこの身が現世に持ちこたえていた場合、(あの頃は未だ青春だったなあ。)と自ら感慨深く振り返る事が叶うと目論んだのだ。

 それにしてもたとえポイント還元だったと言えども、昨日某業者が届けてくれた「還暦祝い粗品」に改めて我が「還暦」通過を意識させてもらえた事に、心ウキウキ気分の単細胞の私だ。

 
 以上のように先月「還暦」を迎えたばかりの私を、3年程前より全面的に信頼し慕ってくれている人物が存在する。

 それは娘でも実母ではなく、(まさか亭主でもなく)、義母だ。
 もちろん、我が娘も実母も(亭主も)今後に至って私の支援を期待している事は判断が付いている。

 ところが、義母の私に対する期待ぶりは確かに“最高位”に位置付けていると私自身が評価可能なのである。 
 と言うのも(私が言っても何なのだが)、さすが実業家として一族を支えて来た義母には、人の適性を判断する能力が備わっていると私側も判断する故だ。

 片や(若輩の娘は未だ評価に及ばない存在だが)、公務員を定年まで全うした事を自負し続けている実母など、その“日和見主義”の実態とは甚だしいものがある。 娘であるこちらが少し親切な言葉をかけてやればいい気になるし、そうでない場合娘の私相手に平気で悪態を突いて来る…。 その単純かつ体たらくぶりで、今後の被介護生活を一体どうやって潜り抜けるのか、実娘として実母の“アホさ加減”に辟易とさせられ続けているのだ。  実際問題、たかが一地方の公務員を定年までやり遂げ地元過疎地では周囲からヘーコラしてもらえていると言ったところで、一体全体現役時代にどの程度の実力を身に付けられたのだ?と、電話で実母と話す都度、娘としていつも問いたくなるのだ…


 元実業家かつ人を見る目に於いて“目利き”の義母こそが、亭主との見合い晩婚相手として私を推薦してくれた張本人だ。
 当時流行りの、4高(高学歴・高身長・高収入・高地位)との見合い晩婚に私があり付けたのは、義母こそが「この女性こそが自分の“行き遅れ”息子のお相手に一番相応しい!」と頑張ってくれたからに他ならない。
 要するに、当時女性に対してさほどのポリシーがなかった亭主としては、結婚相手の女など誰でもよかったとの事であろう。 その総合判断を義母に任せた挙句の果てに巡り合ったのがこの私である。
 まあそうだとしても、見合いにて知り合った亭主と、確かに学問分野に於ける会話が何とも活気付いた事か!  私のたっての願いで、後に娘の名前を古代ギリシャ哲学から引用するに至っているが、それに真っ先に同意してくれたのも我が見合い結婚相手の亭主だったとのいきさつだ。


 さてさて、そんな義母が現在要介護の身に陥り、高齢者有料介護施設にて暮らす立場にある。

 義母が度々、嫁である私に電話を掛けて来ては様々な要求をして来る。
 それに日々応えつつその要求に応えているのだが、昨日の電話で義母が私に告げた言葉に、何故かプラスの意味合いで引き込まれ嬉しい感覚に陥った。
 「○子さん(私の事)って確か私より年下だったと思うのだけど、時折どういう訳か私の“お姉さん”のような気がする事があるの。 やっぱり自分がボケたせいかと考え直したりもしながら、今の私にとって○子さんはどうしても私の“お姉さん”なのよ。」

 まさに、「お義母さん、ありがとうございます!」と御礼を申し上げるしかない程の私に対する最高の“褒め言葉”と受け取った!

 海千山千の雑多な人生を歩んで来た私だが、確かに過去に於ける民間企業の係長経験や、高校現場の教員経験、更には一番長く厳しい道程だった娘のサリバン先生経験が、今になって大いに生きていると私自身も分析するのだ!
 それらの経験なくしては、私は今現在、恥ずかしながらも義母や実母の介護支援に難儀し、周囲に不平不満ばかりをぶちまけていたのではなかろうかと振り返る。

 お義母さん、これからも一生私を「お姉さん」として慕って下さいね。 必ずやその使命を喜んで果たし続けます!