原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

なでしこジャパンは国民栄誉賞をもらってよい!

2011年07月30日 | 時事論評
 サッカー女子日本代表チーム「なでしこジャパン」がワールドカップ女子サッカー大会で輝ける優勝を飾ったのは、もう既に半月程前の7月17日の事であった。

 私とてこの歴史的出来事を知らなかった訳ではない。
 ただ、長年に渡る「原左都子エッセイ集」のファンの皆さんは既にご存知であろうが、原左都子はサッカーが嫌いだ。 “興味がない”と表現するよりも、ある理由によりもっと積極的に“嫌い”なのである。 それ故にあえて本エッセイ集においては、女子サッカーチームの栄光物語を今まで意識的に素通りしてきた。


 私が何故それ程サッカーが嫌いなのかに関しては、2010年6月の時事論評バックナンバー 「“青服日の丸軍団”の心理とは…」 において詳述している。

 ここで上記バックナンバーの趣旨を簡単に振り返らせていただくことにしよう。
 私がサッカーを好まない理由とは、決してサッカーという競技自体が嫌いな訳ではなく、あのサポーターとやらの団体応援団(日本の場合は原左都子名付けて“青服日の丸軍団”がそれに当てはまる)が、私にとっては目障り極まりないからだ。
 サッカーに限らず他のスポーツ観戦もすべて同様であるが、それはあくまでも個人の趣味の範囲であり私的な事象である。  にもかかわらず過去において所属していた職場に於いて、サッカーファンでない私はごくごく少数派であったが故に周囲の大多数のサッカーファンから露骨に不快感を表明されてしまい、男子ワールドカップ開催中に職場内で身の置き場に困惑した苦い経験がある。 
 サッカー日本チームのサポーター団体である“青服日の丸軍団”の挙動に関しては、原左都子以外にもそれを論評する見解は存在するようだ。 彼らが「日の丸」を振りかざし「君が代」を大声で斉唱するのは、決して「愛国心」に基づいたエネルギーに端を発する訳ではないとの論評も存在するのだが、まさにその通りであろう。 それでは、彼らがサッカー競技場や街頭で一種の新興宗教団体のごとく自ら青服で統一して、日本サッカーチームをあれ程の勢いで応援するのは、一体どういった心理やポリシーに基づいているのか? 極端な話が、あの若者達の青服姿にはかつての「オウム真理教」の白装束を呼び覚ます匂いすら感じてしまう私だ。 その得体の知れない団結心を本気で恐れるとまでは到底言えないが、その軽薄さに辟易とさせられるのだ。
 日本におけるサッカーとは、もしかしたらそれは近年人間関係の希薄化を極めているこの国に生かされている若者にとって、唯一“一致団結”できるべく「同調意識」を煽られる矛先であるのかもしれない。 “Jリーグ”の発足以降、人間関係の希薄化の荒波に放り出され孤立感を強めていた日本の若者が、それに飛びついたという図式が成り立つような気がする。
 多くのアスリート競技が存在するが故にそのファンが分散多様化して入り乱れる五輪よりも、サッカーという一つの競技にファンが一致団結して一筋に応援する方が結束力も強まるという論理なのであろう。
 貴方達が純粋に日本サッカーチームを応援している気持ちは原左都子とて理解できている。 ただ、日本が過去に犯した歴史的過ちを我々は今後まだ抱え続けなければならないという課題も残っている事実をほんの少しは理解した上で、それをわきまえて青服を着て競技場や街頭で「日の丸」を振りかざし「君が代」を斉唱して欲しいものである。
 (以上はワールドカップサッカー男子大会開催中に綴った我がエッセイ集2010年のバックナンバーの引用要約であるが、この記事には“青服サッカーファン”から痛烈な批判や誹謗中傷バッシングが届いたことを、今となっては懐かしく思い出す私である。)


 さて、なでしこジャパンに話を戻そう。
 先だっての女子サッカーワールドカップにおけるなでしこジャパンの活躍に関しては、実はこの私も日々楽しみにしていたのだ。
 「なでしこジャパンが決勝ラウンドに進出した!」 「また勝った!」 「またもや勝った!!」 等々の報道の後、なんと決勝戦にまで進出したと言うではないか!
 ここまで来たのなら、私とて決勝戦を観戦したい思いだ。 残念ながら日本時間にして夜中の放映とのことで、あくる日の結果報道を楽しみにしていた。
 そうしたところ、世界一の実力を誇る強豪米国チームに対し最終PK戦までもつれた込んだ挙句の果て、競り勝ったとの報道だ!!  その勝ち様の素晴らしさに涙して喜んだ原左都子である。
 「あなた達は、本当に世界一だよ!」 とその時心静かにエールを贈ったものだ。


 そしてその歴史的勝利の酔いが一段落しかかった頃、今となってはもはや“潰れかかっている”菅政権の枝野官房長官より、「なでしこジャパンに国民栄誉賞を贈呈したい」とのニュースが飛び込んで来たのだ。
 これは既に国民に忘れ去られそうな哀れさを漂わせている菅政権としては、タイムリーな提案であると私は感じた。

 国民栄誉賞に関しては、以前より様々な憶測がある。
 この賞は内閣総理大臣表彰であるため政治色が強く、国内偉人の功績を内閣が単に政治利用したいがために贈呈している賞に過ぎないとの批判が存在する事も、当然ながら心得ている。

 つい先だっても、政治色回避の理由からなでしこジャパンは今回の政権による国民栄誉賞贈与を辞退するべきだ、との見解をネット上で発見した。 以下に、その見解を要約して紹介しよう。 
 なでしこジャパンの優勝は確かにうれしいニュースである。 だが果たして手放しで喜んでいいものか。日本人と日本のメディアの飽きっぽさは筋金入りである。何よりこうした機に乗じるのが得意な人々がいることを忘れてはならない。
 7月25日、政府はなでしこジャパンに国民栄誉賞を授与する方針を固めた。枝野幸男官房長官によれば、ドイツでのなでしこたちの活躍は「多くの国民に感動と希望を与えた」ということだという。だが、国民栄誉賞授与にはあまりに政治的な臭いが付きまといすぎている。選手たちの努力とは別に、政府によるスポーツの政治利用はみていてあまり気持ちのよいものではない。
 初代受賞者である王貞治氏の国民栄誉賞受賞に異論を差し挟む者はいないだろう。圧倒的な業績と国民に敬愛された人柄からも王氏は初代の受賞者に相応しい人物だ。
 その後国民栄誉賞は17人の個人が受賞している。仮になでしこジャパンが受賞すれば、団体としては初めての受賞となる。だが、そもそも個人を対象とした賞である。団体受賞が相応しいか疑問はぬぐえない。

 ここで、原左都子がネットにて調査した国民栄誉賞の贈呈基準を以下に示そう。
 国民民栄誉賞贈呈基準とは、「広く国民に敬愛され、社会に明るい希望を与えることに顕著な業績があった方に対して、その栄誉を讃えることを目的とする」とのことである。


 最後に私論で締めくくろう。

 「賞」というもの自体の存在価値が疑われる今の時代であることには間違いない。
 例えば文学賞や音楽賞など日本に名立たる歴史ある賞であれ、昨今は訳の分からん作家やミュージシャンが受賞し、「そんなもん、読みたくも聴きたくもないわ!」と感じる国民の方が数多い実情ではなかろうか。

 おそらく我が国において最高に権威ある賞と言えば「文化勲章」ではないかと私は捉えるのだが、大変失礼ながら、この賞とて既に現役を去って棺桶に足を突っ込みかけている老人に“年金”の形で贈呈しているのが現実ではなかろうか。

 国民栄誉賞に関しては、その贈呈根拠が政治利用であることは否めない事実であろう。そして今までの受賞者一覧を確認したところ、どうも芸能・スポーツ分野に偏向している賞であるのは、単に政権が国民に対する分かり易さをアピールしているだけなのかとの感も否めない。
 それを勘案した場合、今回のなでしこジャパンの受賞は多くの国民に分かり易いのではあるまいか。

 個人的な意見として、国民栄誉賞とは賞金がないというのがよい。
 そして、なでしこジャパンが今回世界一の栄誉に輝いた背景とは、実は貧乏にあえぎハングリー精神がたくましかったという点も私は評価したい。
 こういう国民こそが、今後共国民栄誉賞を受賞するべきではなかろうか。

 なでしこジャパンよ、今後もハングリー精神で頑張れ!!  
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喧嘩売らずに身を引くべきか…?

2011年07月27日 | 人間関係
 今回の記事はつまらない私事の内容で恐縮なのだが、昨日(7月26日)私はある相手に対して喧嘩を売りそうになった。

 
 いきなり話題が変わるが、朝日新聞7月25日夕刊「こころ」のページのコラム“生きるレッスン”において、作家あさのあつこ氏による「けんかの仕方」と題する記事が掲載されていた。
 あさの氏は、愛とは高みから低い所へ流れてこそであるが、喧嘩の場合は自分より強いもの、巨大なもの、力あるものへと売ってこそ本物の男であり女である、と述べられている。 現在はそういう喧嘩が出来る者が少なくなり姑息な大人が増えた事例として、例えば、自分より弱い相手を殴って躾も何もあったものではないのに「躾のためならば鉄拳制裁も辞さず」などと平気で口にする大人の存在を嘆かれる。 「今、人間として恥ずかしくないか」の問いかけを常に自分に出来る者だけが、正真正銘の喧嘩ができる器だとされている。

 私見に入るが、原左都子も物心ついた頃からこの感覚、すなわち“喧嘩とは自分より強い者に売るべき感覚”が強い。
 本エッセイ集において国政や国会議員等の“お上”に対して再三痛烈な批判を展開しているのも、この精神に基づくものである。 (いや? “お上”ってほんとに偉いのかに関しては、昨今の国政の大混乱や議員どもの体たらくぶりを見ていると何やら哀れさすら漂い、誰が弱者なのかまったく混沌とした時代であることを実感させられるばかりである…

 我が幼少の頃からの喧嘩履歴を振り返ってみても、年下や目下相手に喧嘩を売った記憶はない。
 社会人となり民間企業に勤務した時にも、上司に対して喧嘩(というよりも反論と言うべきだが)をぶつけた事は数多かれど、部下に対してみみっちいいじめ行為など一度もしていない。
 教員時代にも生徒に対して喧嘩はもちろんのこと、感情的に暴言を吐く等の行為など一度たりとてしたことがない。 これを指導と勘違いする教員が少なくない教育現場をまざまざ見た身としては、まさに自分の心が傷付けられる思いだったものだ。
 母親となった私は、正直なところ我が子を叩いたことがある。 若干の事情を持って産まれた娘が幼少の頃「お抱え家庭教師」としての任務に耐え切れずの衝動行為であったが、今尚自分自身の傷跡として懺悔の形で我が脳裏に刻まれている。
 現在の私が一番喧嘩を売る相手とは、何処の家庭も同様かもしれないが我が亭主である。 これに関しては喧嘩の案件にもよるのだが、私にこてんぱんに論破されて身を小さくしている亭主の姿を見た時など、“弱者虐待”ではなかったのかと反省しきりの時もある。


 前置きが長くなったが、いよいよ冒頭の昨日原左都子が喧嘩を売りかけた事案に移ろう。 (これに関して今後私はどう対応するのがベストなのか、皆さんのご意見を賜りたい思いである。)

 昨日私は週に1、2度のペースで通っているスポーツジムへ出かけた。 
 そもそも私がジムへ通いたいと考えた理由は、我が趣味の一つであるダンス系のエクササイズに励みたいとの思いからであった。 入所当初は「ヒップホップ」や「エアロビクス」等のプログラムに参加してそれなりに楽しんでいた私である。 月日が経過し、スポーツジムが展開するこれらのダンス系プログラムの目的とは、あくまでも健康維持の範疇を抜け出ていないことに気がついた。 周囲を見渡したら会員が頻繁に入れ替わるし、高齢者を含めて年齢層は様々である。 何ヶ月経過しても私も含めてダンスの技術が上達する会員が皆無である。 ただただ皆さん、踊り続けている…。 これが楽しいという会員も存在するのだが…  多少の違和感を抱き続けていた私は、この種の団体ダンスプログラムを辞める決断をした。
 
 その後ジムが「フリースペース」なる空間を設けたことを幸運として、私はその空間でウォークマンにイヤホンという形で自主ダンスを始めた。
 私のジムの滞在時間はほぼ1時間半。 そのうち「フリースペース」で自主ダンスを踊るのはわずか10分程度である。 それもスペースの空き具合を観察しつつ、人がいない時を見計らってそのスペースを使用するべく配慮もしている。
 ところが、2、3か月程前から私が「フリースペース」で個人的にダンスを踊っていることを好意的に捉えていない係員がいることに、いつも物事を客観視している私は気付いていた。 係員の気持ちは分かる。ダンスを踊りたいならば団体プログラムに参加して踊ればいいのに、何で一人で自分勝手に「フリースペース」で踊っているのだろうか、とのことであろう。 
 それならばそうと私に直言すればいいものを、いつもその係員は他の係員を連れてきて「これ、どう思いますか?」なるパフォーマンスを私の目の前で展開するのだ。 と言うのも、私の推測だがこの現象もジム内で見解が分かれる事象なのであろう。 「フリースペース」と名付けた以上、会員がフィットネス(健康増進)目的ならばそこで何をしてもよいはずだ。 おそらく現場に連れて来られた別の係員もそのように諭している様子だ。
 結局誰も私に文句を言うでもなくいつもそのまま10分が経過するのであるが、顧客の私としてはダンスに集中できないし居心地が悪いことこの上ない。 昨日はさすがに堪忍袋の緒が切れそうになり、その係員相手に「何か言いたい事があるのならとっとと直接私に言いなさいよ!!」と喧嘩を売りたい私であった。

 だが、思い留まった。
 この若者に喧嘩売っても仕方がないとの感覚が強かったためだ。 と言うのも、おそらくその若者はアルバイト等の身分の若年層であることは間違いない。 その係員にとって目障りでしょうがない私の「フリースペース」における単独ダンスに関して自分自身で処置を判断できる立場にない故に、正社員の係員を連れてきているのであろう。
 結果として、私の単独ダンスはジムにおける規範内の行為と判定されているのであろう。


 それでは原左都子がこの件に関して如何に対処するべきかに関しても、当然ながらその答えは既に導いている。 
 どうしてもこのジムに通い続けたいのであれば、組織の上部に「フリースペース」の使用法に関して再度確認し、そのスペースの今後のあり方に関して話し合う機会を持つとの方策もあろう。
 ただ私が推測するにこの手のスポーツジムとはチェーン展開であり、大変失礼ながら店長氏とて雇われの身分でしかなくコロコロ入れ替わっていることは想像がつく。 
 原左都子とて弱者の一員であるとの認識の下日々暮らしているのだが、結局はジムの店長とて誰とて皆弱者なのではなかろうか???

 そうこう考えていると、今の時代は誰にも喧嘩は売れないとの結論に達するのだ。
 私自身、アルバイト店員に嫌われて尚このジムにうだうだとこだわるよりも、新たなダンススタジオで思う存分ダンスレッスンをするべく次の手段を既に計画している。


 あさのあつこさん、皆が弱者化している今の時代においては、強者も弱者も喧嘩を売らない手立てを模索するのが一番ではないでしょうか?!!  
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ソクラテスは醜男だった…

2011年07月24日 | 芸術
 (写真は、現在東京上野の国立西洋美術館に於いて開催中の 「大英博物館 古代ギリシャ展」 のチラシを転写したもの)


 「原左都子エッセイ集」久々の芸術カテゴリーの記事として、今回は「古代ギリシャ展」を取り上げよう。

 上記チラシの写真は今回の古代ギリシャ展のハイライト、本邦初公開の ミュロン作「円盤投げ」である。
 解説書によると、今回展示されているのは彫刻家ミュロンがブロンズで制作したオリジナル作品ではなく、2世紀の古代ローマ時代に作られた貴重な大理石コピーであるとのことだ。
 会場順路を半ば程まで進むとこのハイライト作品のための円形特設ステージ部屋が設置されていて、360度の角度から作品を凝視することが可能である。
 今回の「古代ギリシャ展」は “THA BODY 究極の身体、完全なる美” とのサブタイトルが物語るように、そのテーマは人体の美である。 古代ギリシャ人が“人体こそが究極の美”と捉えて制作した彫刻や陶器に描かれた絵が数多く展示されている。

 中でもこの「円盤投げ」は、円盤投げ選手が円盤を投げる直前の動きの一瞬のポーズを切り取った作品であり、その流れるような身体ラインの構図が完璧に美しいとの揺ぎない評価を得ているようだ。

 間近で360度この作品を眺めてきた原左都子は、ひょんなことが気になった。
 それは、この作品のモデルの青年であるスポーツ選手は腕(特に円盤を持っている右手)が少し短くはないか?? とのことである。 (上記写真は肝心のその右腕部分が切れていて分かりにくく恐縮なのだが、実際にこのモデルが腕を下に下げたならばお尻までしか届かないのではなかろうか? 手長の原左都子が腕を下げたら膝上10cm位まで届くのに比べて、このモデルは有意に腕が短い気がする。) こんな馬鹿げた事を言い出して、世紀を超越する大傑作芸術作品にいちゃもんをつけたのはおそらく世界で私が初めてであろうが、事実そういう感想を抱いたのだ。
 実際問題として、古代人は現代人ほど手足が長くなかったのかもしれない。 
 そうではなくて、彫刻家ミュロンは作品の全体構図を完璧なものとするため、あえて腕の長さを短めに表現したのかもしれない。
 いやはや、私のような素人が芸術作品を鑑賞すると妙なところが気になるものだ。


 今回の「古代ギリシャ展」に我が娘と共に足を運んだのは、この機会に本邦初公開の「円盤投げ」を一目観ておきたい思いがあったという理由ももちろんある。 
 それもそうなのだが、第一の理由は我が子の名前をギリシャ哲学から引用しているためだ。 その命名由来の地である古代ギリシャのアテナイ(現在のアテネ)を娘と共に一目見ようとの目的で、我が一家は4年前の盛夏にギリシャを訪れている。

 現在のギリシャは経済財政危機に陥り、巨額の債務を抱え国家破綻に追い込まれている。 これを受けて全土で国民のデモ隊と警官隊が衝突し、死者を出す惨事を繰り返す国難の現状だ。
 我が一家が4年前にギリシャを訪れた頃にも、その前兆が少しあったような気がする。
 一部を除き人の表情が暗く、皆に笑顔がない。 そして、相当の物価高だった記憶がある。たかがファーストフード店でハンバーガー類のものを購入した代金が日本円に換算して500円近かったことを記憶している。 アテネ市街地に大型犬の野良犬が出没して食べ物を漁っている姿も恐怖だった。

 一方、アテネオリンピック開催が決行された波及効果か、我々が訪れた4年前には例えばアテネの地下鉄など綺麗に整備されていて使い勝手がよかった。
 その地下鉄を利用して我々はアテネ市街を巡ったのだが、パルテノン神殿をはじめあちこちに古代ギリシャ時代の遺産の神殿や彫刻が多く、アテネの街並みとは古代と現代が融合した素晴らしい都だと感嘆させられたものだ。

 その地下鉄で訪れたパネピスティミウ駅の階段を上がって地上に出ると、古代ギリシャの哲学者プラトンが紀元前4世紀に創設した“アカデメイア”がそびえていた。
 アカデメイア入口付近には、右にソクラテス、左にプラトンの彫刻像が立派にそびえ立っていたのだが、我々の関心は我が娘の命名の主であるプラトンの方にあった。
 残念ながらソクラテスに関しては二の次扱いで、現地で撮影した写真もプラトンの横についでに小さく写っているのみである。


 今回の国立西洋美術館における「古代ギリシャ展」では、そのソクラテスの小像が一体のみ展示されていた。 (残念ながら、プラトンの彫刻像は展示されていなかった。)
 これが失礼ながら、とにかく醜男なのである。 作品の解説文を読んでも、ソクラテスが醜男であったことをことさら強調しているのみだ。
 そう言えば、ソクラテスに関しての明言がある。 「太ったブタであるよりも痩せたソクラテスであれ」。  実際のソクラテスの風貌は背が低く、頭髪は禿げ上がり、丸々と太ったブタのようであったようだ…
 
 今回の「古代ギリシャ展の」テーマは“究極の身体、完全なる美”であるにもかかわらず、醜男ソクラテスの小像が展示されていたのは単にそれが大英博物館から今回展示許可を得られたとの理由であるのかもしれない。

 いえいえそうではなく、やはり古代ギリシャを語る時に欠かせないのが「ギリシャ哲学」ではなかろうか?
 世界に名立たる哲学者の巨匠の一人であるプラトンの師匠であるソクラテスの存在が今尚輝いているからこそ、その小像の展示がなされていたのであろう。


 何分芸術素人の原左都子故に、歪んだ視線での観賞報告である点をお詫び申し上げます。
 「古代ギリシャ展」は9月25日まで開催されているようですので、ご興味があられる方は是非東京上野の国立西洋美術館まで足を運ばれますように。
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主体的に生き続けられるなら、「老いる」ことは素晴らしい!

2011年07月20日 | 自己実現
 前々回の「原左都子エッセイ集」に於いては、大震災被災地の仮設住宅で孤独死するお年寄りが多発する現状に触れ、年齢を重ねた人間が今後如何に生きるべきかに関する私論を展開した。
 今回の記事はその続編とも言える内容である。


 朝日新聞7月16日別刷「be」“悩みのるつぼ”では、16歳女子高校生による 「“老いる”素晴らしさはある?」 との表題の相談が掲載されていた。

 この表題を見たのみの原左都子の感想とは、まだ思春期とも言えるうら若き世代の女の子が、人間が「老いる」現象を我が身として捉えられるだけでも何と素晴らしい想像力かと感嘆させられる思いであった。
 何故ならば私が16歳の頃などその種の発想はまったくなく、ただただ大学受験を2年後に控え、空虚に流されるばかりのつまらない日々だったからである。

 それでは早速、上記16歳女子高校生の相談を以下に要約して紹介しよう。
 私は16歳だが、「老い」が怖く本当に悩んでいる。 高校生になってはたと考えた。高校そして大学を卒業したら社会人として働き、クラス替えも卒業式も入学式もない変わらない環境の中で一生のうちの半分以上を過ごすのかと。 よく見ると、祖父母や両親や近所の人も老いている。 自分もこうなるのかと考えると、長生きするより早く死にたいとまで考える。 将来結婚すると言っても相手は所詮他人、うまくいく訳がないような気がする。 でも、孤独死は嫌だ。  ある時、年配の方が「(老後は)暇つぶし」と言っていたが、いつまでの暇つぶしかと真剣に考える。 体もいうことをきかない、お金も使う楽しみがない、と考えていると悲しくなるので、どうか「老いる」ことの素晴らしさを教えて下さい。

 相談内容を読んだ直後の原左都子の感想は以下のごとくである。 
 なるほど。  この女子高校生の周囲には確かに「老人」が多そうであるなあ。 そのお年寄り連中とは、おそらくお金には困っていない比較的恵まれた立場のようだが、どうも暇を持て余していてその愚痴を若い世代に漏らして日々暮らしているのだろうか…  
 核家族化した今の時代、老人の実態など露知らず育つ子どもが多い現状であろう。 そんな時代背景において、この女子高生のごとく世代を超えて“年寄り”を観察できる環境にあることはある種恵まれているとも言える。
 それにしても年寄り達よ、若い世代を落胆させるような言動は控えて、少し無理をしてでも若年層の模範となるべく言動を取ってはどうなのか??


 原左都子はおそらくこの相談女子高校生が指摘する「老いた」人種の範疇にはまだ入らない年代であると信じたいが、この16歳の健気(けなげ)な相談に対し、人生の先輩として少しアドバイスさせてもらうこととしよう。

 まず女子高校生が指摘する、社会人になるとその後一生環境が変わらないとの件について。
 これは、まったく逆だなあ。
 もしも貴方が今後一生取るに足りない集団に迎合して狭い世界で生きて行きたいというのなら話は別だが、学校という強制的に所属させられる集団生活を抜け出し社会人となったその日から、人間とは人生の選択肢が無限に広がるというものだよ。
                          
 社会には学校で経験した“クラス替え”などというせせこましい概念をはるかに超える数多くの人との出会いが待ち構えているし、その人間関係を開拓していくのも自分の能力次第だ。
 もしかしたら貴方は学校の「卒業式」や「入学式」のようなしつらえられた式典で、大人が自分をお祝いしてくれることを好んでいるのかな?  それも一つの素晴らしい経験ではあるが、社会に出て自由に羽ばたけたならば、今度は受身ではない自らが主体的に感動し合いお祝いし合える同士や仲間といくらでも出会えるよ。 これぞ、人生の醍醐味だよ! 

 次に懸念するのは女子高校生の相談内容によると、祖父母は元より自分の両親でさえ「老いて」いるとの観察がなされている点である。
 私事になるが、高齢出産で生んだ我が娘も現在妙齢の17歳。 その我が子から「お母さんは年寄り臭い!」なる指摘を受けた経験がいまだかつて皆無の原左都子である。 (いえいえ、外見的な要素に関して娘が私をどう捉えているかは計り知れませんよ。)  我が娘が私に対してその種の指摘をしないのは、おそらく幼少の頃より主体的に生き続けている母の姿を身近で実感し続けているが故と信じたい!?!


 ここで再び我が20代後半頃からの人生を振り返ると、当時より原左都子は「老いる」ことの苦悩など皆無だった事が懐かしく思い出される。

 20代後半に未だ独身だった私は、むしろ早く30代になりたい願望が強かった。 その我が心理を今分析してみるに、当時はまだ「適齢期」なる言語が世に蔓延っている時代背景であり、20代後半で独身を貫いていると周囲がそれを放っておいてくれないような、考え様によっては古き良き時代だったのだ。 
 ところが私にとってはこれが鬱陶しい。 30代になって尚独身を貫いておれば、周囲ももはや「この娘は独身で生き抜くのであろう」と見放してくれて、私はもっと自由に羽ばたけそうな気がしたものだ。

 その後高齢で授かった我が子がそろそろ小学校卒業の我が50歳直前の頃にも同様の感覚があった。 早く50代に突入したい思いが私にはあった。
 
 そして今、四捨五入すると還暦に達しようとする現在も何故か私は早く還暦を迎えたい気分である。
 そこには、今後に及んで尚我が豊かな「老後」を主体的に展開していけそうな自信があるからに他ならない。

 そんな我が感覚を後押ししているエネルギー源とは、若き頃に学校なる存在の“集団主義思想”に基づいた居心地の悪い場に所属させられた事に対する大いなる抵抗感であり、その後の我が人生においてその種の“集団主義思想”から脱出して自由を奪い返すべく長年能動的に行動をまっとうし続けている故だと自己分析している。


 最後に、今回の“悩みのるつぼ”の回答者であられる車谷長吉氏の回答を一部紹介して締めくくろう。
 あなた様はまだ若いのですから、日々より苦しい道を選んで生きていくのがよいと思います。 少なくとも私はそうして来ました。 ところが今は楽になり過ぎてかえって困っている老人が多いのです。 
 時の流れを止める方法はありません。とにかく自分から買ってでも苦労をすることが何よりです。

 16歳の女子高校生さん、思春期のあなたが今現在「老いる」という事に対する嫌悪感に直面できていることだけでも素晴らしいと原左都子は捉える。
 早くもその感覚が持てたあなたは、車谷氏が指摘するまでもなく、おそらく今後も主体的に「老いる」事を見つめつつ、それを避けるために今後何を考え、何を志向して生き抜いていくべきかの回答をいずれ実行に移すことができるであろう。
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さあ我が娘よ、志望大学目指して頑張ろう!

2011年07月17日 | 教育・学校
 昨日(7月16日)うだるような猛暑の中、私は大学受験を間近に控えている高3の我が娘のオープンキャンパスに付き合った。

 昨日訪れたのは娘の第三志望校であるため、親としては6月に第一志望大学を訪れた時程の気合もなく、失礼ではあるが、一種“物見遊山”的なお気軽感覚で大学の門をくぐった。

 ところが、たとえ第三志望校と言えどもオープンキャンパスへは行ってみるものだ。
 昨日は娘第三志望大学学長の話に大いに感銘を受けた原左都子である。


 娘が高1になった直後から、私は娘に同行してオープンキャンパスへ足繁く通っている。 
 何故ならば(我が娘は私学志望であるが、国公立大学及び大学院にしか通っていない原左都子にとっては)、特に私学の場合は大学毎の特質差が著しいと感じるからである。 国公立も大学法人化した現在に至っては、大学毎に特質を演出するべく各校がそれぞれ知恵を絞っている様子ではある。 ただ、やはり創立の歴史等を紐解いた場合、国公立と私立とは現在に至って尚大学の存在意義が大きく異なって当然であろう。 その私学の特質を捉えるためには、やはり直接大学現地へ出向き、大学毎の経営及び学問に対する理念や学風の程を肌で直に感じることが不可欠と私は考えるのだ。


 さて、我が娘の第三志望校(以下、K女子大学と略すことにする)の学長の話に戻そう。

 幾度となく娘と共に様々な大学のオープンキャンパスに訪れている私であるが、昨日訪れたK女子大学のオープンキャンパスのプログラムは特異的であった。
 まず受付で手渡される書類が簡略化されている。 通常は「大学案内」をはじめ大学を多面的に紹介した数々のパンフレットがぎっしり詰まった重いバッグを受付でいきなり手渡されてしまう。 今時「大学案内」など既にネットで発注していて重複する場合も多いのだが、これは資源の無駄にもならず軽くていい! しかも、この費用が娘の入学後に学費という形で徴収される心配もないというものだ。 (参考のため、K女子大学には資料室が設置されていて、受験生毎に必要な資料を自由に持ち帰ったり閲覧できるシステムとなっていて我が娘も必要な資料のみを持ち帰った。)

 そして通常の大学オープンキャンパスに於いては、必ずや「全体説明会」と「学部学科説明会」が開催されるものだ。 その会場では入試担当者と名乗る人物が舞台に現れて自大学や学部学科の特徴のPRをした後、受験に関する変更点等の解説をして、「皆さん、どうか受験して下さい」と締めくくるのが大抵の説明会の成り行きである。

 一方、K女子大学に於いてはこの種の説明会は一切なく、全体会合といえば「学長挨拶」のみという簡略プログラムだった。
 この原左都子でさえ、(わざわざ娘の第三志望校まで足労したのに、学長のつまらない話を聞かされるだけか??)と一瞬落胆させられたものである。


 ところが冒頭のごとく、この学長の話が充実していたのだ。 以下に私の記憶に頼ってその概略を記載させていただくこととしよう。  

 K女子大学の学長氏は戦時中のお産まれであるらしい。 生まれた当時は食糧もなくご苦労されたとのことだが、それがこの3月に発生した大震災の現状とダブるとの話である。(そうか、“もはや戦後ではない”とのスローガンの時代に産まれた原左都子より10年程人生の先輩だな。)などと計算しつつ、その食糧難時代が想像できる私だ。
 3月11日の大震災当日の夜、首都圏は“帰宅難民”であふれたのだが、大都会のど真ん中に位置するK女子大学にも押し寄せる帰宅難民が後を絶たなかったと学長は話す。 学内に残っていた学生と共に、それら外部の見ず知らずの帰宅難民を受け入れた一夜の大学内の様子の談話が私にとっては興味深かった。

 このK女子大学学長氏の話の特徴とは、ご自身の大学の建学精神や日頃の学業伝達の実態を一切述べないことにあった。(と言うのも、K女子大学とは歴史が古い大学であるため、学長自らがこの場で時間を割いてわざわざ述べずとも、今時個々の志望者がネットで調べれば済むと考えておられるのであろう。)
 その代わりに何を話したのかと言うと、学長氏が大学生であった時代と現代の大学との「大学の存在意義の大きな変遷」についてである。 
 若者の就職が困難な現在の大学の第一の使命とは ”就職率の高さ”を保つ事であるといっても過言ではないであろう。 それ故に“実学志向”の大学の人気が高まったり、あるいは大学内部で組織改編をして“実学志向”を匂わせる学部学科への改称をする等の切実なる変革努力をしている現実だ。

 ただ原左都子の私論としては、大学の存在意義とはあくまでも「学問の府」であるべきことに関しては、バックナンバーで再三公開している通りである。
 「学問の府」であるべき大学の存在命題を貫いて尚、“実学志向”を展開する余裕が大学にあるのならば、今の時代それも兼ね備えていてもよいのかもしれない。 だが、大学が大学と銘打つ存在である以上は、本来は学生の就職対策など二の次であるべき思いが私は今尚強い。

 K女子大学学長氏がおっしゃるには、昔の大学生は「考える」ために大学へ入学したとのことであるが、私も同感である。 そして、社会へ出る前の若者にとって「考える」機会と期間を持つ意義の深さについて自らの学生時代の実体験に触れつつ、昔は大学こそがその場であった趣旨のお話をされた。  それはすなわち、原左都子の「大学とは学問の府であるべき」との私論に通じる論理なのだ。 
 学長氏の見解として、「考える」機会を子どもや学生達から奪ったのは「塾」が乱立して後の事だとのご意見だが、まったく同種の懸念を抱き続けている原左都子でもある。「塾」とは受験で点数を取るべく“繰り返し学習”を子どもに強いるのみで「考える」という習慣を奪い去った、と明言したK女子大学学長氏と同見解の私である。  大学入学後も受身で安直な学習習慣を引きずり、学問の神髄である自らが能動的に「考える」事に抵抗がある学生が量産されている現状を、原左都子も以前より懸念している。


 我が娘にとってK女子大学の位置付けはあくまでも第三志望校であるため、母の立場としては娘の第一志望大学合格を祈って今後共バックアップしていくのが役割であることは心得ている。 
 だがもしもそれに失敗した場合も、第三志望校とて素晴らしいポリシーを持った学長が君臨されていることに安堵した私である。 保証もない4年後の就職の確約よりも、「考える」ことこそが大学生の本分である旨を伝えられる学長の存在は貴重である。 
 (参考のため、娘の第二志望大学のオープンキャンパスにも既に訪れているのだが、ここも母としてプラスの感覚を得ている。)

 3月の歴史的大震災の発生、その復興を一向に進められないリスク高き政権を抱える我が国、その現状を受けて若者にとっては超就職難の時代背景を余儀なくされてはいるが、とにかく我が娘よ、志望大学合格目指して今こそ頑張ろうではないか!!                    
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