原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

「終活」は早めに成さねば後世に迷惑を掛けそうだ…

2020年03月31日 | 自己実現
 (冒頭写真は、我が家の書棚に保存してある私が作成した“資料”の一部。 上段は、2度目の大学・大学院時代の講義ノート類、 中段・下段は医学業務に従事していた時代の学会関係やその他の資料類。)


 更に、書棚内の私が保存してある資料類を、以下に列挙しよう。

   

    高校教師時代の授業準備資料・ノート類、 教科書の一部。 (生徒定期試験」を何故こんな所に保存してあるかと言うと、これらは非常勤講師の身分で勤めた高校のものだが、年度内に学校へ行けず生徒に返却不能のまま退職した時のもの。 生徒からの要望があればいつでも返却しようと、未だに保存してある。)


   

    学校や役所・新聞等に意見書提出活動をしていた頃のその控え。 (今読み直しても実に面白い!)  旅行関係資料等々。 娘の大学関連の資料も何故かこんな所に収納しているなあ。 単にこの段に入ったから入れたのだろう。


   

    不動産取引関係の書類(過去に何度も不動産売買をした際の売買契約書等々。 これは一番最初に処分出来そうだ。)  税理申告書類(税務署からの5年間保存せよ、との指示に従いそうしている。 早く捨てたい。)  下段左にある「カリフォルニアの青い空」は我が19歳時のUCバークレー留学写真・資料集。 これは是非ともまだまだ保存したい!)
    

    

     (娘が一時“美大受験”を目指していた際に収拾した美術関係書類等々。 サリバンとして娘を美大合格へ導くべく、専門外のその分野を少しでも打破せんと努力したものだ。
 上段は、領収証類。  我が現役時代と亭主現役時代の「給与明細書」も保存してある。  たまに亭主にこれを見せて「あなたも現役時代はよく稼いでいたね!」と激励すると、まんざらでもなさそうだ…



 本日、このテーマでエッセイを綴るきっかけを得たのは、朝日新聞2020.03.28“悩みのるつぼ”の相談を見たことによる。

 その相談は「亡父の日記を読んでいいか?」だった。 
 その回は、政治学者・姜尚中氏が回答を担当されている。 その回答の題目のみ記すと、 「故人にもプライバシーがあるはず」。

  
 私見に入ろう。

 まさに、姜尚中氏がおっしゃる通りであろう。

 ところが、上記の“悩みのるつぼ”相談の場合は実に“悩ましい”事に、亡父が大事な日記をそのまま残してしまっている事実だ。

 これ、「自分で生前に処分しとけよ!」 と言いたくもなるよねえ、皆さん。
 あなたの娘さんが実によく出来た人物であられるがために、こんなことを新聞投稿してまで悩んでおられる。 困った父親だ…


 私はこの新聞相談を読んで、60代半ばにして我が身を律する事が出来た気がする。
 何分上記写真のごとく、書棚に沢山の資料類を保存している。
 (今パソコンを打っている我が書斎の横にも、実は上記写真内で紹介しなかった、我がプライベート情報に関する書類を保存してあるのが事実だ… ) 
 それ程までに、この私も“資料作成好きな”人種であろう。

 だたまあ、今後の資料作成に関してはパソコン作業中心に移ろいゆくため、パソコンをぶち壊して死に至れば簡単に抹消作業が済みそうでもある。
 故に、書棚内の資料が今後膨大化することは避けらそうにも思うが… 

 後世(私の場合、娘に限られそうだが)に我が死後に及んで迷惑を及ぼさないためには、少しでも早くから「終活」を成すべきと。

 国内コロナウィルス騒動が更に激甚化し、70歳著名コメディアン氏が死に至った現実を直視せざるを得ない今、まさに我が事として思いついた。 😱   


コペンハーゲン旅行は、ますます“見果てぬ夢”となりにけり…

2020年03月30日 | 雑記
 (冒頭写真は、ネットより転載したコペンハーゲン旅行販促写真。)


 ネット情報より、現在の東京都内の新型コロナウィルス肺炎感染に関する現状を以下に引用しよう。

 新型コロナウイルスの感染者が急増する東京都は、感染経路が不明なケースが増加していることに危機感を募らせる。 都は特に、感染しても無症状である若者がウイルスを拡散させる可能性があるとして、夜間の外出や、クラブなどの密閉・密集空間を回避するよう強く求めている。
 都の感染者は、41人に急増した25日から29日までで計259人。うち、調査中を含め感染経路が判明していない人は104人に上る。
 新型コロナは、感染しても無症状だったり、軽症だったりする若者が多いとされる。都が外出自粛を要請した25日、小池百合子知事は「行動力のある若い人は感染している自覚がないまま活動する(可能性がある)」と警鐘を鳴らし、密閉や密集、近距離で会話が行われる場所には出向かないよう呼び掛けた。
 経路が判明しない感染者の増加は感染爆発につながり、患者を診察し切れない医療崩壊を招く恐れがある。感染拡大を防止するためには、小規模な患者集団を早期に発見し、発生の連鎖を止めることが重要となる。しかし都によると、若者は行動範囲が広く、若年層の患者集団発見は困難という。
 このため都は、当面の間は週末や夜間の外出自粛要請を継続し、ライブハウスなどに対しても個別に営業自粛を求める方針だ。
 (以上、ネット情報より引用したもの。)



 昨年の今頃と言えば、既に夏の「ウィーン旅行」に向けて、空路「直行便」の手配とホテル予約に着手しようとしていたものだ。

 今夏の娘との個人旅行目的地は、既にデンマーク首都コペンハーゲンにほぼ的を絞っていた。
 早めに航空便を手配しないことには「直行便」が予約できず、体力を消耗する「乗継ぎ便」とならざるを得ないため、行き先の決定を急いだのだ。


 4月の新学期を直前に迎え、世は冒頭のごとくの有様だ… 😱 

 この状況下で、海外旅行へ出かけようとする程の愚か者母娘ではない。 (そもそもこの世のほとんどの国家が国境を閉鎖し、入国を禁止している状態。)
 少なくとも今年一杯(あるいはもっと先もか?)、国内も含め旅行自体を断念せざるを得ないだろう。

 もう既にネット旅行サイトにて、コペンハーゲンの風景写真を娘と二人で閲覧して楽しんだりしていた。

 せめてそれらの写真を、以下に掲載させていただこう。

    


    


    


     


子どもの人生は、その子が持つ“パワー”によって決まる!

2020年03月29日 | 教育・学校
 本日朝、元教育者として“首をかしげる”ネット情報に出くわした。

 これは放置しておけない! と朝から苛立っている私だ。 😡 
 本日のエッセイテーマはこれ以外に無い!

 
 それでは、早速そのネット情報の一部を以下に引用しよう。

 子供の人生は「生まれた家庭と地域」で決まる……日本の“教育格差”の厳しすぎるリアル
   早稲田大学准教授の松岡亮二氏が昨年7月に上梓した『 教育格差 』(ちくま新書)が話題だ。 膨大なデータを丁寧に分析し、日本の「教育格差」の実態に迫っている。
   発売中の「文藝春秋」4月号では松岡氏と慶應義塾大学教授の中室牧子氏との対談が実現。 このまま教育格差が広がれば日本はどうなってしまうのか、徹底的に議論した。     
  < 「生まれ」で最終学歴が決まってしまう >  
松岡 日本では、データをしっかり取得・分析して「社会の現状がどうなっているか」を把握しようとする情熱がすごく弱いです。  
中室 確かに、問題の所在がはっきりしないままに、たくさんの対策が打たれている例を見ることが多い 。例えば、不登校やいじめ、暴力が増加している原因がはっきりしないのに、思いつくままに対策が打たれているというようなケースです。  
松岡 教育は結果が出るまで時間がかかるので、政策が的外れでも空が割れるわけでもないし人が大量死するわけでもありません。 しかし、実際には子供たちの可能性という血は毎日流れています。 このままでは「生まれ」によって人生の可能性が大きく制限されている現状が繰り返されてしまう可能性が高いことを多くの人たちに知っていただきたくて、『教育格差』を書きました。    
 詳しくは拙著に様々な視点によるデータをまとめましたが、端的に述べますと、戦後日本社会はいつの時代も、「出身家庭の社会経済的地位(経済的・文化的・社会的要素を統合した地位)」と「出身地域」という、本人が選んだわけではない「生まれ」によって最終学歴が異なる「教育格差社会」です。 日本全体を対象とした大規模社会調査のデータを分析すると、出身家庭の社会経済的な状況に恵まれなかった人や地方・郡部の出身者が非大卒にとどまる傾向が、どの世代・性別でも確認できます。 こうした日本の教育格差を経済協力開発機構(OECD)のデータで国際比較すると、OECD諸国の中では平均的です。 つまり日本は国際的にみて「凡庸な教育格差社会」だといえます。  
  < 日本では教育格差がタブー視される >  
中室 社会学だけではなく、経済学もまた「教育格差」を研究対象にしています。 最近の研究では、住民税の支払い記録と国勢調査を照合し、貧困世帯の子供が、「親よりも所得が高くなる確率」(=貧困の世代間連鎖から脱出できる確率)を推定し、これには大きな地域差があることを発見しています。 つまり、貧困の世代間連鎖が生じやすい地域とそうではない地域があるのです。そして、政府が引っ越しのためのバウチャー券を提供し、貧困の世代間連鎖が生じやすい地域から子供が幼少期のうちに引っ越しをすれば、大人になってからの学歴や経済状況が改善することもわかっています。  
 これはアメリカのデータを用いて行われた研究ですが、日本ではこのように格差のメカニズムそのものに焦点を当てた研究は多くありません。教育現場でも、教育格差の議論はタブー視されているように感じます。    
松岡 教育格差の存在を感じている人は多いと思いますが、日本では「生まれ」による格差が目に見えづらいからこそ社会問題化しにくい状況があると私は考えています。 たとえば高校だと、偏差値60以上の進学校と偏差値40以下の「教育困難校」では、生徒の「生まれ」が平均的には大きく異なりますが、大半の生徒の見た目は同じ日本人です。 でも、進学校と「教育困難校」に通う生徒を比べると、たとえば親の学歴はかなり違います。 高校によって生徒の「生まれ」は全然違うのに、それが「見た目」ではわからない。 そのため、高校受験の結果は個人の能力や選択によるものだと見なされてしまうという解釈です。    
  < データに基づく議論がない >  
松岡 一方、米国では事情が異なります。 私はあちらに10年いましたが、米国社会は肌の色と社会経済的地位が大きく重なっているので、「生まれ」が「可視化」されています。 たとえば、高校でも勉強ができる特進クラスは、白人と東アジア系ばかりだったりする。 一方、基礎クラスは東アジア系を除く有色人種の割合が明らかに高い。 能力で選抜すると「生まれ」で別クラスに振り分けているのとあまり変わらないことが可視化されているわけです。 だから米国では、「生まれ」による格差が社会の問題だという共通認識を得やすいのだと思います。 貧困を含む格差は大統領選でも候補者に問われる重要課題ですし、その対策として真っ先に上がるのは教育です。  
中室 なるほどね。    
松岡 ただ、このような指摘に対して「経済的に恵まれない家庭や地方の出身であっても、刻苦勉励して大学を卒業し、成功した人を知っている」という反論があります。 しかしながら、データが示すのは全体の傾向ですから、それと一致しない例を意図的に探し出すのはそう難しくないんです。 「データが示す社会全体の実態」と「個人の見聞に基づく実感」に乖離があり、萩生田大臣の身の丈発言の背景にもそれがあると思います。

 (以上、今朝見たネット情報より一部を引用したもの。)


 私見に入ろう。

 この対談形式のネット情報を読むと、あくまでも“弱者救済観点”にて記述されているところには一応救われる気もする。
 ただ、子ども達の格差の分類基準が“通り一遍”的であり、どうも著者である論者ご自身に潜在的な「差別意識」が内在しているのではないか?? との疑問も抱く。

 米国の事例が上げられている。
 それを繰り返すと、「米国社会は肌の色と社会経済的地位が大きく重なっているので、『生まれ』が『可視化』されています。 たとえば、高校でも勉強ができる特進クラスは、白人と東アジア系ばかりだったりする。」との文言があるが。 
 我が姉(現在絶縁中)が米国暮らし30余年になり、姉が米国で産んだ息子は白人と東アジアのハーフになる訳だが。  その甥は米国の公立・州立学校・大学にて何の差別環境も不自由も無く勉学に励み、州立大学院修了後はNASAへの就職を早期に決定している。
 「米国では、『生まれ』による格差が社会の問題だという共通認識を得やすい」との記載もあるが。  我が甥などずっと公立学校の環境下に於いて、“人種のるつぼ”の真っ只中との境遇下で、現在も学問に励んでいることだろう。

 上記ネット情報の最後の部分、 「このような指摘に対して『経済的に恵まれない家庭や地方の出身であっても、刻苦勉励して大学を卒業し、成功した人を知っている』という反論があります。 しかしながら、データが示すのは全体の傾向ですから、それと一致しない例を意図的に探し出すのはそう難しくないんです。 「データが示す社会全体の実態」と「個人の見聞に基づく実感」に乖離があり」 との箇所も、大いに気がかりだ。

 加えて、「経済的に恵まれない家庭……  刻苦勉励して大学を卒業した人を知っている…」に関してだが。
 経済的に恵まれずとも生まれ持っての資質に恵まれているため、 “刻苦勉励”とまでの涙ぐましい努力をせずとて、成功している事例もあろう。
 何だかこの辺の記載も実にステレオタイプであり、私など何だか“せせら笑っちゃいそう”だが。 😁 

 その事例がこの私だ、とは言わないが。  ただ、近いものはあろう。
 私の場合、“経済的に恵まれない”と表現するほどの貧困家庭では決してなかった。 むしろ両親共々共働きとの環境下のため、経済面で難儀させられてはいない。
 ただ、親どもに “放ったらかされて育った” のは揺るぎない事実であろう。
 何故私はそんな環境下で2度も大学・大学院へ通い、十分過ぎる程に勉学に励めたのか? 
 その一番の素質として、私が先天的に持って生まれた「勤勉・努力家・律儀さ・負けず嫌い」等の資質が挙げられるであろう。
 加えて、幼稚園児のIQ検査に於いて園創立以来の最高得点である168点を樹立した! との事実を、6歳時点で親から聞かされたことも大きなプラス要因であろうかと考える。(その後も小中とIQ高得点を挙げ続けていたようだが。)
 その事実とは正直言って未だ幼い私が勉学に励むに当たり、大いなる“パワー”の源となったものだ。
 親などいなくても、私は一人で勉学に励める能力に恵まれている! と信じて疑っていなかったと我が子ども時代を振り返る。 


 まとめに入ろう。
 要するに子どもを活気づけ、一生に渡り頑張り抜く“パワー”を与えるきっかけとは。
 “いい家に生まれた” だの、 “親が教育熱心” だのはあくまでも二の次の位置づけに過ぎず。
 子ども本人が何でもよいから“自分は何らかの能力に恵まれている!” との実感を引き出す一番のきっかけを、周囲の大人が与える事ではなかろうか?

 もちろん、そんな子どもの足を引っ張るがごとくのマイナス環境(虐待・いじめ等々)を親や周りの大人が作り出すべきではないのは当然の事だ。

 今の時代、「生まれ」「地域」どうのこうのよりもこれ(虐待・いじめ環境)こそが、子ども生育環境に於いて深刻な社会と移ろいでいる事態を実感させられざるを得ない…… 

「外出自粛令」のこの土日、何だか無性に外部飲み処へ行きたいなあ…

2020年03月28日 | 雑記
 冒頭より、東京都の「28,29土日外出自粛令」に関するネット情報を以下に引用しよう。


 「外出自粛要請」の週末が28日、首都圏一帯で始まった。 不要不急の用事では出歩かないでという知事らの求めに、店の閉まった繁華街や観光地からは人波が消え、駅やバスターミナルでは移動に不安を抱く人たちの姿が。 新型コロナウイルスの感染拡大は防げるのか。 
 ■「まるで雪が降った日のよう」
 東京・渋谷。
 駅前のスクランブル交差点は午前11時を過ぎても、人通りは少なかった。 いつもなら、信号を待つ間も肩が触れあう混雑ぶりだが、西口付近で新聞や雑誌の売店を約30年間営む男性(71)は「まるで雪が降った日のよう」と話した。
 大型スクリーンには時折、感染防止対策を訴える小池百合子都知事の動画が流れる。 若者が集まるSHIBUYA109や渋谷パルコなどの商業施設も臨時休館となった。
 ■「自粛要請?関係ない」
 一方、ビジュアル系のバンド仲間といた男性(21)は「外出自粛要請なんて関係ない」。 前日から夜通し、新宿や渋谷などで遊んでいた。 3人とも黒いマスクをしていたが、感染拡大防止のためではなく「今日はノーメイクだから。メイクしている時はマスクしない」と話した。 
 ■新宿も閑散
 新宿駅南口の「バスタ新宿」。 全国と1日1500本の高速バスで結ばれるターミナルだ。
 従業員によると例年、この時期の午前中は花見客や春休みの学生、外国人観光客などで、すれ違えないほどごった返すという。
 だが待合室は閑散としていた。 椅子も空席が目立つ。 「こんなに人が少ないのは初めて。 いつもの1割以下かも」と従業員。
 
 (以上、ネット情報より一部を引用したもの。) 


 飲兵衛の私にして、新型コロナウィルス騒動があろうが無かろうが “ふつーに”自宅にて自主飲み会はこなしているが…😛 
 家でばかり飲んでもストレスが溜まるものだとつくづく実感させられる今日この頃である。

 直近でいつ外部の飲み処へ行っただろう? と思い起こしてみるに。

 2月中旬頃、高齢者介護施設に暮らす義母を訪ね何らかの用件をこなした帰り道に回転寿司屋に一人立ち寄った後、途絶えてしまっている。
 以下はその時撮した写真の一部だが。


    
    

    

    


    

 写真は、当該回転寿司屋にて。 

 この回転寿司屋が周囲の街の様子が見渡せる広い開放的な空間にして、何とも “一人で悠々と寛げる” のを良き事とし、義母の施設帰り道に第一候補飲み処として活用している。
 大抵飲み食いを楽しんでいる途中から、外部の光景がネオンイルミネーションへと移りゆく。

 その後義母の施設が 「新型コロナウィルス肺炎に伴う外部よりの面談禁止」措置を執ったのを良きこととして、義母の施設を訪れていない。

 その前に外部飲み処へ行ったのは、確か2月上旬だ。 
 ブエノスアイレスの美術家氏モニカさんの東京での個展観賞の帰り道に、娘とイタリアン系のレストランへ立ち寄った。


 とにかく外部飲み処へは2月中旬頃に行ったきり、新型コロナウィルス騒動のせいで自宅に“幽閉”されてしまっている感覚すらある…😷 

 かと言って都心の飲み処とは、上記回転寿司屋のようにゆったりと店舗を構えているなど珍しい存在だ。 (この店舗とて混雑する時間に訪れると隣客と袖を摺り合わせねばならない。)


 ここは安倍氏や小池氏の “ご指導” を仰がずとて、 外部飲み処での酒宴を慎むべきなのは当然の理だ。

 これ、一体いつまでの我慢なのだろう??  

新型コロナウィルス肺炎対応、日本のやり方は“ばくち”との海外メディア指摘に同感!

2020年03月27日 | 時事論評
 冒頭から、海外メディア情報を以下に引用しよう。


 【ニューヨーク共同】米紙ニューヨーク・タイムズ電子版は26日、新型コロナウイルスの日本での感染状況について「厳しい外出制限をしていないのに、イタリアやニューヨークのようなひどい状況を回避している」と指摘、世界中の疫学者は理由が分からず「当惑している」と伝えた。 
 日本が医療崩壊を避けるため、意図的に検査を制限しているとの見方を紹介。 米コロンビア大の専門家は、日本のやり方は「ばくち」であり「事態が水面下で悪化し、手遅れになるまで気付かない恐れがある」と警鐘を鳴らした。


 その通りであろう。

 本日東京に関する新たな情報を私は見聞した。

 何でも、本日都知事小池氏より発表されたニュース情報によれば。

 私が週2ペースでランニング練習を行っている自宅近くの都立公園を含め、都内すべての都立公園にての“桜花見”を自粛するべく発表だったようだ。
 この小池氏の発表を受けて、各所都内公園では係員が出て花見に訪れた都民を追い払っているとの情報だ。

 そう言われてしまうと、それに従うしかないとしても。

 合点がいかない私だ。

 2本前の我がエッセイにても述べたが。
 どうも、この国(特に東京都に於いて)2020東京五輪を来年以降に延期の発表をしたと同時に、突然都内の新型コロナウィルス肺炎感染者が激増したとの報道と共に。
 どうしてこうも国家政権や都知事の態度までもが、180度豹変せねばならないのか!??


 まさに、原左都子に言わせてもらっても。
 
 この日本(安倍政権と特に東京都に関して)首長が“ばくち”を打っているとしか表現しようが無い。


 本日、食料品を購入するため近くの店舗2店を訪れたところ。
 またもや、特に保存食品を中心に品薄状態だ。
 何でこれ程までに、我が国の国民は主体性が欠落しているのか実に嘆かわしい…

 こんな時にこそ、自治体首長が“正しい”リーダーシップ力を発揮するべきとの時に。 

 その首長どもが国民の混乱を率先して煽っている事態に接し、これもやむを得ない事態と諦めざるを得ないのか……