原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

米トランプ大統領の“にわか外交”にウンザリ…

2019年06月30日 | 時事論評
 (写真は、2019.06.30 16:04 つい先ほどNHK総合テレビ画面を撮影したもの。)



 まったくもって、表題に掲げた通りだ。



 米国トランプ大統領が繰り返す“にわか外交”にはウンザリとの印象しか抱けない…



 続編は明日以降に綴る予定でおります……

Facebookが作成した原左都子の動画

2019年06月30日 | 雑記
 (下の動画は、Facebookが作成した私、原左都子 の動画。)



 私が「原左都子」のペンネームにてFacebook上に自分のページを作り公開して以降、何年が経過しただろう。
 私自身に記憶が無いが、おそらく当該gooがフェイスブックと連携して以降の事だ。
 その連携が終了するまでの数年間、「原左都子エッセイ集」にて公開したエッセイすべてをFacebookにも送信し公開して来た。

 そもそもFacebookに「原左都子」を公開した大元の理由がgooにて公開している「原左都子エッセイ集」の再公開だったが故に、その他の目的でFacebookを利用する機会は元々少ない。

 参考だが、私の場合このgooに於ける「読者登録数」も極めて少ない。(現在、原左都子側から登録させて頂いているのはわずか10名の皆様だが。)
 
 それと並行して、Facebook上でもそもそも「友達付き合い」を目的としていない関係で「友達数」は21名に限っている。 
 それらの方々より、時折「いいね!」やコメントを頂けたりすると、それに応える形で返答を差し上げる程度のFacebook利用頻度だ。


 特にgooからの連携が終了して以降、私にとってFacebookは“形骸化”した存在ともいえよう。
 
 ただ実に嬉しい事に、時折旅行写真等を公開すると未だに「いいね!」反応を頂ける事実に感謝しつつ、必ずやその返答はさせていただく形でFacebookを利用している。



 さて、このFacebookだが、どうやら一SNSとしての存在命題として「(世界を超えた)仲間づくり」をその信条としている様子だ。

 Facebook上の「原左都子」ページは「友達」が極度に少ないものの、外国の方々との交流があるのが理由なのかどうなのか…??   Facebookが過去に於いても冒頭動画類の動画を作成してくれている。


 今回の動画は、その3作目となる。

 おそらくこの動画を作成するのは、Facebookとしてはいとも簡単であろことは想像が付く。
 要するにバックの映像を作成しておいて、その中にFacebook会員の写真をランダムに入れ込めばすぐに制作可能であることぐらいは私もお見通しだ。

 それにしても欲を言わせてもらえれば、掲載写真を自分で選び替えが出来るべく“編集機能”を持たせて欲しいものでもある。



 話題を、Facebookが作成した冒頭動画に移そう。

 何故かランダムに選ばれた我が写真が、少し古い(とは言えどもここ2,3年に撮影した)もの中心だ。 
 なんでこんな私が好んでいない台湾旅行時の写真がトップ映像として掲載されたの??? と動画冒頭を一見してかなり不満だが…

 まあいいか。 友達申請を最小限に絞り込んでいる原左都子の場合、どうせ閲覧してくれるのはいつもの常連さん達のみだし…

 ここは、Facebook利用頻度が極端に少ない私の動画などを制作して下さった事実のみでも、Facebookに感謝するべきだろう。

 こうやってgooブログ上にも“エッセイ一素材”として公開できたのだから。 
 
 

G20サミット出席独メルケル首相の“震え”症状が心配

2019年06月29日 | 医学・医療・介護
 冒頭より、表題に掲げた独メルケル首相に関する“震え”に関するネット情報を引用しよう。

 
 複数のドイツ紙は6月28日、メルケル首相(64)が最近2度も公の場で体を震わせる事態が起きたことを受け、健康状態を不安視する記事を相次いで掲載した。 メルケル氏は2005年の首相就任以来、健康面で目立った問題はなかったが、今回の騒動でさまざまな臆測が飛び交っている。
 メルケル氏は大阪での20カ国・地域首脳会議(G20サミット)の日程を予定通りこなした。 政府報道官はツイッターで各国首脳と会談するメルケル氏の姿を紹介。 「大阪では積極的に活動した」と述べた。
 一方、ドイツ各紙は「首相はどれだけ病気なのか」「(健康問題で)早期退任の見立ても」などと報道。 水分の補給不足や心理面の不安など原因を巡るさまざまな臆測が語られた。
 メルケル氏は今月18日と27日、ベルリンでの式典に出席した際、体を繰り返し震わせ、苦痛の表情を浮かべた。 18日の式典は日差しが照り付ける屋外で行われ、水分補給が不十分だったと説明したが、27日の会場は屋内だった。
 メルケル氏は30日、ブリュッセルで開かれる欧州連合(EU)の臨時首脳会議に出席する。(共同)


 一旦、私事及び私見に入ろう。

 上記ネット情報に記載されている通り、メルケル首相は今回参加した大阪にてのG20サミット会場にては特段目立った体調不良は起こさず、無事にご自身の任務を終えられた模様だ。

 2,3日前の事だっただだろうか。
 ニュース報道にて、メルケル氏が首相としての大勢の人々が集まる公の主要な任務の場で、立ったまま身体をブルブル振るわせる映像を私も見た! 
 その震え様が、尋常では無い。 ご本人の説明によれば上記のごとく“暑い環境下で水分補給不十分だった”ことが震えを起こした、との事だが…

 あの映像を見せられて、ちょうど1年程前に突如私自身に襲い掛かった震え(と言うより“しびれ”)症状を思い起こした。
 それは、米国西海岸旅行を終えて帰国した日の真夜中の事だ。
 夕方帰宅した時点では疲労感はもちろんあるものの目立った病的症状は何ら無く、いつものように夕食をとり早めに就寝した。
 その夜中の事だ。 何とも体調が悪い。 際立った症状としては左半身に“しびれ”を感じていた。 「左半身」のみとの事態に“嫌な予感”を抱きつつ、トイレに行った。 その途中から、どうしようもない不快感・不安定感を全身に感じつつ、トイレから出て自室に戻ろうとしたものの…。 
 体が動かない。 やむを得ずそのまま廊下に寝込み、安静を保った。 元医学関係者の身の自己診断として最悪の場合“脳梗塞”を疑ったものの、その割には意識はしっかりしている。 とにかく真夜中だし家族を起こしても大騒ぎになるだけだし(と言うよりも、こういう場合に役に立たない家族ばかりとの認識は常に我が脳裏にある。)、何分程だっただろうか、そのまま廊下で安静を心掛けつつ更なる自己診断を続けた。
 少し動けるようになり廊下を這いずりつつ自室の布団に戻った。 そして思い直したのが、まさにメルケル首相発想と同様の“水分不足”要するに「脱水症状」だ。 いつも就寝時には枕元に「お茶」を置いてあるが、それを十分に摂取した後、再び就寝した。
 その後は特段の体調不良はなく朝を迎えることが叶った。(何故、左半身のみに“しびれ”感覚が出たのかに関しては未だ不明なものの…) 


 ここでウィキペディアより、“物理学者”としても著名なメルケル独首相に関する情報の一部を引用しよう。

 アンゲラ・ドロテア・メルケル(ドイツ語: Angela Dorothea Merkel、1954年7月17日 - )は、ドイツの政治家。 2000年から2018年までキリスト教民主同盟 (CDU) 党首を務め、2005年から第8代ドイツ連邦共和国首相を務める。ドイツの歴史上初めてとなる女性首相である。
 学校時代は付き合いは良いが、目立たない生徒であったという。 成績は非常に優秀で、中学校時代の全科目の平均評価は1.0(最高)であり、特にロシア語[5]と数学に優れていた。 家が宗教家のため加入義務はなかったが、ドイツ社会主義統一党 (SED) の下部組織である自由ドイツ青年団 (FDJ) に属していた。1973年にカールマルクス・ライプツィヒ大学(現ライプツィヒ大学)に入学、物理学を専攻する。
 在学中の1977年に同じ学部の学生だったウルリッヒ・メルケルと結婚。 現在の姓は彼に由来するものである。しかしこの結婚生活は4年で終わった。 1978年、優良の成績で学士号を取得、東ベルリンにある科学アカデミーに就職し、理論物理学を研究する。 ここで現在の夫ヨアヒム・ザウアーと出会うが、2人が結婚するのはずっと後の1998年である。1986年、博士論文を提出して博士号 (Dr. rer. nat.) を取得。物理学者として分析化学に配置転換となる。 同年初めて西ドイツを旅行。これは審査で国家に忠実とみなされた者にのみ許される権利だった。 この頃の彼女に政治活動は見られず、SED党員でもなく反政府活動もしていなかった。 (途中大幅略。)
 2000年2月にヤミ献金問題によりショイブレCDU党首が辞任すると、4月の党大会で承認されCDU党首に就任した。  旧東独出身のプロテスタント、女性であり、しかも離婚歴のあるメルケルは、CDUでは「リベラル派」とみなされ、保守本流からは、懐疑の目で見られていた。 トップのヤミ献金疑惑にショックを受けたCDUの地方党員・一般党員が、保守本流からは外れるメルケルを党首に押し上げた。 
 (以下略すが、以上、独首相メルケル氏に関するウィキペディア情報のごく一部を引用したもの。)


 このメルケル首相の“震え”事件に関して、巷では様々な憶測が飛び交っている様子だ。
 
 例えば、昨日昼間に少しだけ視聴した民放テレビにて、某無名(失礼!)大学講師と名乗る女性コメンテイター氏が、「パーキンソン病かもしれない…」等の無責任発言をしていた。 単に過去に書いた本が偶然売れたとの情報以外、この女性講師のバックグランドをまったく心得ずに批判するのも失礼かもしれないが。
 それは絶対に、あり得ないだろう。
 相手は一国家の首相だ。 当然ながらお抱え名医師がバックに付いているに決まっているじゃないか!しかもドイツは医学先進国! そんな難病を首相たる者が発症しているならば当の昔にそれが表面化しているはずだ。 
 (たとえ民放テレビ局と言えども、突拍子もない発言を深い考察なく平然と公開する人物をコメンテイターとして出演させるとは、どうしたことか!?? 即刻“首”にするべきだ!


 原左都子の感覚では、「元物理学者」の経歴がある独メルケル首相の自己判断を尊重したくも思う。
 実際問題あの“震え”事件を除けば、メルケル首相は比較的お元気そうでもある。(メタボ気味なのが多少気にかかるが…。)

 メルケル首相とほぼ同年代の私としても、何はともあれ決して若い年代ではない事実を重々認識しつつ、今後この世を無事に渡っていきたいものだ。 

Guten Tag !   Wie geht es Ihnen ?

2019年06月27日 | 自己実現
 (写真は、上から“2度目の大学1年時に学んだ「独語Ⅰ」講義ノートの一ページ、 中央は同じく2年時に一冊全文独語和訳した日本語名「アルト・ハイデルベルク物語」の本の一ページ、 下左は一度目の大学医学部にて必修だった「独語」テキスト、 下右は、おそらく2度目の大学にて学んだ「独語ⅠB」にて使用したテキスト。)


 まずは、表題のドイツ語挨拶文を翻訳しておくと。
   「こんにちは!  ごきげんいかが?」   といったところだ。


 何故突如としてドイツ語の復習に入ったかといえば、7月に娘と共に出かける“ウィーン”で使用されている言語が「ドイツ語」である故だ。 もっと正確に言うと、“少しなまりのあるドイツ語”らしい。 それは日本でいうところの“方言”のようなもので、正当ドイツ語で十分に通じるとの事だ。
 (もちろん英語も通じるようだが、せっかく現地へ行くのに、せめても挨拶ぐらいは現地語で出来るようになっておくのが旅行の礼儀というものだろう。)


 さて、冒頭にて公開した写真の説明をさせていただこう。

 一番上の“2度目の大学1年時に学んだ「独語Ⅰ」講義ノート”から説明しよう。
 K先生とおっしゃるとても優しい男性講師先生による「独語文法」」の授業だったが、授業内容は大変厳しく、たとえば“動詞の活用形”など、何百語もの独語動詞活用形を全部覚えさせられたものだ。
 ただ元々英語文法が中学生時点から超得意だった私は、(2度目の大学は30歳過ぎての入学だったものの)比較的習得力があり、おそらく100点近い点数を取り「優」評価をゲットした。
 写真はたまたま開いたページを撮影したものだが、どうやら「形容詞の語尾変化」の授業内容のようだ。 形容詞は“冠詞がつなかい場合”と“定冠詞がつく場合”と“不定冠詞がつく場合”により、それぞれ語尾変化が異なるが、写真はそのうち“不定冠詞がつく場合”の形容詞語尾変化の図だ。

 せっかく写真撮影したため、この中から練習問題を転載してみよう。

 〇 Der Alte lachte. 老人が笑った。
 〇 Die Deutschen sind ein reisulustiges Volk. ドイツ人は旅行好きの国民です。
 〇 Seine positive kritik wirkte befruchtend auf die Arbeit seiner Kollegen. 彼の積極的な批判は彼の同僚たちの仕事に実りある効果を及ぼした。
 〇 Der Bau moderner Hochhauser erfordert viel Geld. 近代的な高層ビル建築は多額の資金を必要とする。
 
 参考だが独語と英語が異なる一点は、独語の場合“名詞”のすべての頭文字を大文字にて表記することだろう。 これが当初、一般名詞か固有名詞かの区別が付きにくかった私は、固有名詞を一般名詞として訳すとの失敗を幾度がやらかしたものだ。


 写真中央は、同じく2度目の大学2年時に一冊全文独語和訳した日本語名「アルト・ハイデルベルク物語」本の一ページだが。

 我が2度目の大学は“世界の港”を抱える地に位置していた事もあるためか??、 やたら“語学”が厳しい大学だったように振り返る。
 この「独語読解」授業に於いては「独語物語」本丸々一冊を受講生全員に和訳させるとの厳しき課題が課せられた。 (参考だが「英語」及び専門科目に於いても、英文本一冊を全文和訳する事を必修課題とする授業に大学・大学院を通して複数回出くわしている。)
 写真に話を戻すと、日本語訳で「アルト・ハイデルベルク物語」と訳されているこの本の総ページ数は65ページ。 この全文和訳に悪戦苦闘した当時の様子が、本内全ページに我が自筆で所狭しと書きこまれているのをお見せ出来なくて残念だ…


 写真左下は、1970年代後半期に一度目の大学医学部にて必修だった「独語」テキストだが。
 正直言って今となっては、“Guten Tag.”と“Danke shone."(ありがとう。)と “Bitte."(お願します。)程度の記憶しかない…  
 ただ、医学専門用語(独語が数多く使用されている)に関しては真面目に憶えた記憶はある。


 写真の右下は、2度めの大学に於ける「独語ⅠB」にて使用したテキストだが。
 今見直してみるに会話文中心のテキストであるため、おそらく「独語会話」の授業だったのかもしれない。 この授業も高得点を挙げた記憶があり、かつ本内に多数の自筆書き込みがあるものの、一番思い出せない授業でもある。 
 この授業こそに入魂していれば、今回のウィーン旅行でも役に立っただろうにと残念でもあるなあ。


 何はともあれ、何事も過去に一生懸命学習した事実を思い起こすことにより、また頑張れそうだ!なる勇気が湧いてくるというものだ!

 ウィーン出発まで、我が過去に学んだ「独語」関連上記資料類を読み直すとの手段で、少しでも独語力をプレイバックしたいものである。

 (そう言えば我が家の娘、某私立大学にての第二外国語は一体何語を選択したのだろう?? サリバンとしてそれを指導した記憶が一切無いのに加えて、過去に2人で出掛けた海外旅行にて一度足りとてその分野で娘の助けになった事も無いような気がするのだが…  まっ、いいか。 娘が無事に大学卒業出来ている事を今は幸いとしよう。
 

シリア文化遺産の危機

2019年06月25日 | 時事論評
 (写真は、昨日私が訪れた「古代オリエント博物館」にて入手した現在開催中の“危機にあるシリア文化遺産の記録”のパンフレット。)

 
 冒頭より、古代オリエント博物館のHPより、現在開催中の“特別展示・危機にあるシリア文化遺産の記録”に関する記載内容を以下にコピーして紹介しよう。

 8年以上続く内戦によって多くの文化遺産が破壊、盗掘、略奪などの被害にあったシリアにおいて、内戦前まで長期にわたって同地で考古学調査を継続してきた筑波大学が、文化庁文化遺産保護国際貢献事業の委託を受けて実施したシリア文化遺産の記録事業や文化遺産の重要性に関する啓蒙活動について紹介し、その成果を広く公開します。 主に「北シリアの古代村落群」(世界危機遺産指定)でおこなっているデジタルデータ収集とそれに基づいた3Dイメージ制作について報告します。 併せて、アレッポ、パルミラ、イドリブ博物館などの被災映像や写真を通じて、シリア国内の被災状況や文化遺産の保護に懸命に取り組む人々の姿も紹介します。
 会期  2019年6月8日(土)~2019年6月30日(日)
 ※休館日なし
 入館料  一般 600円、大高生 500円、中小生 200円
(20名以上の団体割引、障害者割引あり)


 引き続き、上記パンフレット「危機にあるシリア文化遺産の記録」より、本日は最初のページに記載されている、原左都子でも理解しやすい「シリア文化遺産の重要性を伝える教育活動」項目のみを以下に引用しよう。
 (と言うのも文化遺産の調査・研究・記録とは、例えば「3次元計測」等々の手段を用いたりと専門度が高く、素人の私が一読したのみでは理解し難い部分もある故だ。 時間が取れる時にこれら専門部分も是非読解したいものだが、とりあえず今回は手を抜かせて頂こう。)

 〇 シリア文化遺産の重要性を伝える教育活動
 
 シリアの歴史は、農耕の始まりや都市文明の開始、文字の始まり、冶金術やガラス工芸技術の発達、アルファベットの発明、ヘレニズム文化の波及、ローマとパルチアの工房、初期キリスト教会の発達、イスラーム初期王朝の発展など、人類史上極めて重要な役割を果たしてきた。 そしてそのような歴史を伝える証人として、遺産や文化財が残された。 しかし残念ながら、人類史上に果たして来たシリアの歴史の重要性を、シリア人自身が十分に理解していると言い難い現状がある。 もし、シリアの人々がその重要性を十分に認識出来れば、それを失ってしまうことが取り返しのつかない、いかに大きな損失なのかを理解できる。 それは何も歴史学者や考古学者のためばかりではない。 貴重な文化遺産は、時として世界遺産として、あるいは歴史的景観や観光資源として、シリアの人々の将来を、精神的にも社会的にも、そして経済的にも潤すのだ。 シリアの人々に、そして世界の人々、そうしたシリア文化遺産の重要性を伝えるための書籍や冊子を、シリアで活動していた多くの考古学者たちの協力を得て、英語やアラビア語で作り、シリア内外の教育施設で配っている。 また、トルコやレバノンにあるシリア難民学校の先生たちを集めて、これらの書籍を使ってワークショップを開催し、シリアの歴史と文化遺産の重要性について伝えてきた。
 

 原左都子の私論に入ろう。

 シリア内戦は、シリアで2011年3月15日に起きた一連の騒乱から続く、シリア政府軍とシリアの反体制派及びそれらの同盟組織などによる内戦である。(ウィキペディア情報より引用。) 
 このシリア内戦が2011年に勃発して以降この戦禍は難民を量産し、世界規模に波及し、これに関するニュース報道を世界中で視聴しない日は無いとも言えよう。

 博物館関連に関して上記パンフレットより引用すると、2016年9月の爆撃によりシリア北部のイドリブ博物館が破壊され、貴重な文化財が激しく被災している、とのことだ。 この博物館の復元作業も、研究・支援団体により実施されているようだが。

 何故、このような無意味かつ愚かな戦禍を人類は繰り返すのか?
 これぞ、上記に紹介した「シリア文化遺産の重要性を伝える教育活動」内に記載されている通り。
 << 残念ながら、人類史上に果たして来たシリアの歴史の重要性を、シリア人自身が十分に理解していると言い難い現状がある。 もし、シリアの人々がその重要性を十分に認識出来れば、それを失ってしまうことが取り返しのつかない、いかに大きな損失なのかを理解できる。 >> という事に尽きるだろう。
 要するに悲しいかな、人間の無知や愚かさが成した負の所産である事に間違いない。


 何故私は昨日この博物館を訪れ、現在開催中の「危機にあるシリア文化遺産の記録」を垣間見たかったのか?
 
 おそらくそれは、7月出発を控えている「ウィーン個人旅行」直前準備中の身にして、一旦“旅行の原点”に立ち戻りたかった故かもしれない。
 我々母娘が訪問するのは、決して激しい戦禍が勃発している国ではない。 その真逆とも言える、文化が素晴らしいまでに発展した美しき先進国だ。 
 その地で、まさに貴重な文化遺産の数々に旅行中触れるに際し、初心に戻り心掛けておかねばならない重要点を再確認したかった故のような気がする。 

 実際、昨日この博物館へ足を運んだことにより、ウィーン旅行出発に向けて心がリフレッシュ出来た感覚があるのは幸いだ。