原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

今年の秋は次々と同窓会のお誘いが来るなあ

2023年09月30日 | 人間関係
 それもそのはず、ほぼ3年間に及んだコロナ禍による自粛規制が全国規模で大幅に緩和された影響であろう。

 とは言えども実際には自粛緩和後、コロナ患者は増えていると聞く。😷 
 と同時に何故かインフルエンザが、この暑さの中感染者を増やしているとも見聞するし。
 他の流行り病(麻疹や梅毒等々)も急増しているとなると、医学関係者の身にして空恐ろしくなるのだが… 😱 

 とにかく用心するに越したことは無いのだろうが、久々のせっかくの同窓会のお誘いに乗ることとした。



 まず、1件目。
 これは明日だが、我が郷里出身高校の東京支部同窓会が東京にて開催されるのに申し込みをしておいた。
 明日の午前中から出かける予定だ。
 ただこちらの場合は高校時代(歴史的に元女学校で県内有数の名門家の女子が入学してくることで著名だった高校)の同窓会のため、卒業性が就いた職種はバラバラだし、そもそも女性は就業経験の無い方々も多く 会話の糸口が掴めなかったりもしそうだ。


 そして、2件目。
 こちらは、郷里国立大学医学部臨床検査過程の同窓会なのだが、実はこの私は卒業以来ただの一度も出席していない。 というのも いつもこの時期の郷里での開催のため、上京して仕事に励んでいた私は 休みが取りにくかった故だ。

 バックナンバーにても記したが、この秋に実母が永代供養生前挨拶にお寺へ行きたいと嘆願するのを娘の私が聞き入れてやって、それに同行するために帰省の予定がある。
 その予定を、11月開催の同窓会に時期を合わせてこの医学部同窓会に出席することとしたのだ。
 
 この郷里医学部臨床検査過程に関して少し説明すると。
 私が入学したのは、臨床検査技師制度が立ち上がった3期生時代だった。 それまで「衛生検査技師」と呼ばれていた医療専門職の職務範囲が拡大して「臨床検査技師」制度が誕生したのに合わせての、大学での新設コースだった。

 その当時 この新設コースが大人気で、定員20名に対して何と! 毎年400名の受験者が押し寄せていた。 
 受験当日の事をよく覚えているのだが、(これだけの数の受験生が受験するのだなあ…)と思ったものだ。
 結果として我が学年は19名の女子が入学することと相成ったが、1名(おそらく医師希望だったのだと思われる)が4月にそそくさと退学した記憶がある。
 いやはや基本的に真面目な学生ばかりで、とにかく皆で学業や実験・実習に実に一生懸命に励んだ。
 我が出身大学では、当時「臨床検査技師国家試験」100%合格を誇っていたが、我が学年も18名全員が合格してそれぞれが希望の職場へ巣立っていった。 (東京くんだりに就職したのは私一人だった…)



 上記記載通り、今年の秋は実母の永代供養墓関係の任務があるため、それを同窓会の時期に合わせることで一石二鳥と考え医学部関連の同窓会出席を決意した。 

 私にとっては、初出席の医学部同級生との会合となるが。
 私の感覚としては、皆同職種に就いてずっと頑張ってきて面々であるが故に、時の経過とは関係なく 意外や意外話題のずれが無いか??とも想像している。


 それよりも厄介なのは。
 明日出席する郷里高校時代の同窓会だ。

   うわ~~~~。😖 😅 😶 
 出席者が良家に嫁いだ女子ばかりだと、我が話題だけがズレるかも!?!?!

 とにかく、それも貴重な体験である事には間違いないので、楽しみに行ってきます!!😁😷  😂 
 

緊急性の低い「119通報」が全体の2割を占めるらしい

2023年09月28日 | 医学・医療・介護
 この原左都子も、昨年秋に路上で激しく転んで結果としては「左膝複雑骨折」の大怪我をした際に、救急搬送のお世話になった。


 なるべく緊急搬送を避けたいのは山々だが、とにかく立ち上がれないし歩けない。
 やむを得ず、救急車にて救急病院まで運んでいただいた。

 あの時の記憶を一生忘れることはないが…

 とにかく立ち上がれないため、担架にて救急車に運んでいただいた。
 救急車内では3名の救急隊員の方々が、それぞれの役割を果たしている。
 運転手の方はそれに集中し。
 患者担当の方は、患者につきっきりで各種質問や救急車内に備え付けの装置での医療措置を施している。 
 もう一人の方は、病院との連絡等々を行っておられたと記憶している。
 
 その一人の患者担当の方が、我が記憶が飛んでいるのに気付いた。
 これは重要事項であり、それに集中して色んな質問を投げかけて下さる。
 「今日は何処へ行きましたか? どなたと会いましたか? 」
 それらに必死で応えようとする我が脳に、少しずつその日の記憶が蘇ってくる。 「そう言えば、○○へ行って、△△さんにお会いしました!」
 そうだとしても、一時記憶が飛んでいた事実とは捨ておきならない事実は医学関係者の 私も十分に理解可能だ。

 隊員氏の判断で、「整形外科」中心ではなく「脳神経外科」も併設している救急病院への輸送が車内で決定した。 (ああ、こうやって個々の患者を運ぶ先を救急隊員が決定するのだなあ…)などと私は感心したものだ。
 

 私が救急病院へ運ばれたのは、午後7時頃の事だったが。

 運ばれた先の救急病院が、大混雑の模様だ。
 「しばらく順番待ちです」との救急隊員の説明で、救急車が列をなしている最後尾で順番待ちをすることとなった。
 まあ私の場合は さほどの緊急性も無いことは自己診断にて把握していたため、救急隊員氏達に命を預け、救急車内で30分程の順番待ちをしただろうか?

 そして、やっとこさ運び込まれた救急患者対応室(担架に寝かされた我が印象だと、体育館程の広さがあっただろうか?!!)の入り口間際のベッドへ運ばれた。

 とにかく最初に、やはり強打したと思われる頭部の検査のため(実際には右顎を強打していた)CT検査室へ運ばれ、精密検査が実施された。
 幸いこれが 大したことはなかった(ほぼ正常状態)だった様子で、私はその後ずっと、体育館のような広さの救急患者対応室の隅っこに寝かされたままになった。

 その状態で、結果として最悪だった「左膝複雑骨折」の診断とその場しのぎの治療を深夜をはさんだ午前2時頃に受けたのみで自宅に返されることとなり。 
 その後車椅子を亭主に押してもらいつつタクシー利用で自宅まで一旦帰った。
 (後日、9日間の左膝複雑骨折手術入院と相成ります。)



 ただ、そんな経験をしてきた身にして、曲がりなりにも「救急患者受け入れ病院」のその厳し過ぎる医療現場の実態の程を十分に観察してきたつもりだ!


 
 朝日新聞記事に戻ると。
 
 今現在の実態として。
 実際問題、救急性の無い通報が全体の2割を超えているらしい。

 救急対応医師の現場での対応ぶりの厳しさに関しても、原左都子自身も救急患者の立場にして十分に観察してきた身でもある。

 ここはどうか、ご自身の判断で「救急性」をある程度判断した上で、救急車を呼ぶ習慣を身に付けていただきたい。

 そうそう、それに関しては「#7119」なる便利な救急相談センターが存在しているようだ。

 とりあえず、救急か否かご自身で判断不能な場合は、この「#7119」に電話することで、適切な対応がなされるとのことだ。


 
 それにしても、実際に昨年秋に救急搬送のお世話になった身にして思うのは。

 今時の救急隊員氏達のご対応の程が素晴らしい!!との感嘆と同時に。
 それらの方々の激務の光景がいつまでも我が脳裏に思い浮かぶ。
 
 救急搬送受付病院内での医師をはじめとする医学従事者の皆さんのこの激務の程を、何とか本気で改善せねば。

 今後もそれらの方々の自殺を防げないのだろう… とつくづく考えさせられる…
 

「コメント欄」のみが “過去のアクセス解析 TOP50" 内にランクインしているとは珍しい!!

2023年09月26日 | 自己実現
 今朝、いつものように「原左都子エッセイ集」編集画面における “過去のアクセス解析 TOP50” を閲覧したところ。
 
 表題の如く、ブログ本体ではなく「コメント欄」のみがTOP50内にランクインしていた。

 この現象は、gooブログ歴17年目に入っている原左都子にして初体験だ!
 

 我が「原左都子エッセ集」の場合、2007年の開設当初は当然ながら「コメント欄」をオープンにして、皆様からのコメントを日々受け付けていた。
 ところが残念ながら、2011年頃からこのコメント欄に“歓迎しないコメント”が押し寄せ始めた。
 それでも真面目で律儀(ホントです!?!)な私は、それらの“歓迎しないコメント群”にも必ずやなるべく好意的な返答コメントを書き入れていた。

 ただ、無理とは続かないものだ…
 これを続けていたのでは、肝心要の我が「原左都子エッセイ集」の続行が不能となるのが目に見えている!

 それは是が非でも避けたい!! と決断した私は。
 好意的なコメントを頂けるファンの方々には申し訳ないと考えつつも、「コメント欄閉鎖」の措置を採用する方策を採用した。

 その後年月が流れ、現在の“コメント欄閉鎖”状態の「原左都子エッセイ集」はファン数が激減しつつも、お陰様で続行が叶っている。



 さて、それでは昨日“過去のアクセス解析TOP10 内にランクインしていた、2008.08.27付エッセイ宛に頂戴したコメントを,以下に一部削除して以下に再掲載させていただこう。


12 Comment


文明の副作用 (愛煙家)2008-08-27 17:53:37こんばんは
>無痛化する社会

文明が発達して無痛化という副作用があっても
人間は長所と短所を持っているんですから
長所と短所のある人間が作った文明らしいと楽天的に考えたいですね。
余談
>ご本人から「自分に対するアクセスは今後一切しないように。
書き込んだ文章は即刻削除して欲しい。」という趣旨の抗議文が私の元に届いた。
ブログって
ブログ仲間と楽しみたいだけの人と
ブログで十人十色の個性を楽しみたい人がいますね。
ブログ仲間以外お断り主義はどうにもなりませんよ。
人間の趣味趣向は
ブログもペットも一緒ですよ。
犬派もいれば猫派もいれば
アンチペット派もいれば
気にしない派もいますし
残念なのは
気にしない派のブロガーが少ないような気がします。


愛煙家さん、お気持ちはお察し致します。 (原左都子)2008-08-27 18:15:55

愛煙家さんのような反応は私は好みます。
どうしてかと申しますと、更なる私の意見を書かせていただけるからです。これぞブログの公開性を活かせる場面ですね!
愛煙家さんがおっしゃる事は私も既に理解しております。
ブログはたとえ公開性があるとはいえ、現在のブログのあり方を考察しますと、既に何千万人(?)という万人が綴るブログであるため、見たくなければ見ないで済みます。
そういう風にある程度の自由度があるお陰で、たとえ“仲良し倶楽部”ブログであれ個人が自由に展開すればそれで済むのが現状です。
私もそれは既に心得ておりまして、訪問するブログを選択して楽しんでいます。
今回私が記事内で取り上げましたのは、公開性のある場面(要するに誰でも書き込める場面)での出来事でした。
もちろん、私も十分にブログ生活は楽しんでおります。
元々、閉鎖的なブログにはさほど興味はありませんし、訪問させていただいておりません。
ブログ上で、今後も有意義な意見交換を楽しみたいと考えております!
今後共、よろしくお願いします。


Unknown (編集長)2008-08-28 02:23:10ご無沙汰しております。

にやにやしながら(失礼)読まさせていただきました。
文章ってのはなかなか相手に伝わらない場合がありますよね。また相手の読解力にもよるのでしょうが・・・
私なんか特にPCの前に座るときは片手にグラスを傾けながらですので。誹謗中傷でもサラッと流してしまうんですが???


編集長さん、私も夜はグラス片手です。 (原左都子)2008-08-28 11:29:09

私のブログの場合、コメントを歓迎し必ず返答申し上げることを公約しておりますので、それはそれは様々な反応を寄せていただけますし、基本的に必ず返答申し上げております。
ブログの使命が公開性にあることを考慮しますと、これが本来あるべき姿であり、また、こんな拙いブログを皆さんがお読み下さって、時間を割いてコメントを記入して下さることに感謝感激です。
そして、公約通り、別便でのコメントも含めて必ず返答申し上げておりますが、その実は、歓迎しないコメントも少なからずいただきます。
そういう場合は、私もグラス片手です。適当にあしらった返答コメントを書いた後、私の方から訪問させていただくことはありません。それでも、またその方からコメントを頂いたりもします。すると、意外や的を射たコメントであったりもして、またブログ上のお付き合いが再開したりもします。
ネット関係とは面白いものですね。


言論関係はピッタリ (愛煙家)2008-08-28 12:53:07こんにちは

大阪は雨の昼休みです。
余談ばかりですみません。
>私の持論ですが、ネット上のバーチャル世界で人間関係を築いていく事はそもそも不可能ではないかと考えています。
>それは人間関係ではなくて“言論関係”でしょうね。
ネットがHNではなくて本名を使って日常生活と同じルールにすれば、人間関係になると思いますが、HNでOKの世界には日常生活とは違う世界の意識がないと楽しめないと思いますが、ブログはオフ会をしたりしますから不思議ですよね。このエディッタの質問でもネットを通じて結ばれたカップルもいますし例外も必要とされるんでしょうね。
言論関係はピッタリです。
言論関係が嫌いな人が利用することもありますね。自己満足がしたいから書き込んで同意されないとキレる。
>無視することによりいずれ必ず時間が解決してくれます。
日常生活でもネットでも無視だけは共通って不思議ですね。


愛煙家さん、自己満足は人に迷惑をかけずにやって欲しいものですね。 (原左都子)2008-08-28 21:48:49

私のブログではコメントを大々的に受け付けておりますが、(コメント欄ですのであえて本音を言わせていただきますと)自己満足コメントが少なくないのが実情です。
私のブログの記事に対するコメントとしての意味があまりないようなコメントも寄せられます。
それでも、一応年長者としての責任もありますし、すべてのコメントに返答を書かせていただいております。
皆さん、ネット上であれ他者とのコミュニケーションを求めていらっしゃるのでしょうね。そのお気持ちも理解できるという意味合いもあり、公約通りどのようなコメントにも私は返答は書かせていただきます。
ただし、好まない相手に関しましてはその後は無視です。日常生活よりもネット上が無視しやすいので助かります。

ハンマーで殴られる (kuisin)2008-08-29 15:43:26ども、kiuisinです。

日々便利になっていく社会の中、私は今年の夏を団扇一本で乗り切りました・・・(たまにクーラーの効いた部屋に逃げ込んだりはしましたが、自分の部屋では一切つけませんでした)
慣れってすごいですねー・・・結局乗り切れました(笑)
クーラーの効いた世界で、この国の名物“風流”を楽しめるとは思えないんですがね~。緑と水に囲まれれば暑さなんてすぐに剥ぎ取られます。
現在は更新を停止しております私のブログにも、いくつか否定的なコメントを頂いたことがあります。我が身を恥じて消してしまったある記事を除き、全て公開状態にしてあります。
もの凄くへこみます・・・。やっぱりその時その時の全力を否定されるのは辛いものがあります・・・。
しかし、励みになるのも確か。最初は「なにくそー!」って気持ちで挑んでても、後々冷静になってから真摯に受け止めれば、これほどこちらの考えを理解した上での意見だったんだなぁと感謝の溜息が漏れます。
ブログの本質は「公開する“日記”」ですから、もちろん身内での近況報告を目的としたブログも存在すると思います。同じ公開でも、私は小説や詩を、原さんは自己のオピニオンと、公開対象が様々ですから、ブログもいずれもっと細分化する必要性があるんじゃないかと思いますが・・・。
衝撃的な経験は、人の中に“バネ”を残す。
そしてその“バネ”で、人はさらに飛躍できる。


“バネなし”若者世代の若造が偉そうに語りまして、すみません・・・。
同感です。そして・・・。. (ガイア)2008-08-29 17:58:08

まず最初に、森岡氏の評論とそれに対する原さんの私論に私が同感である事を表明します。
次に、森岡氏の評論が中学生の国語の宿題の一つである「評論文解読」に採り上げられている事を評価したいと思います。読んで考える力を養うには中学生のみならず、大人にとってもこの森岡氏の評論は適切であり、深い示唆を与えている様に思われるからです。
更には、コメンテイターのコメントと原さんの回答に関連して記します。
論議の主軸がブログですが、これらを拝読し、私も様々な事を考えさせられました。ここでは、ブログでの私の体験を綴ってみます。
私のブログのみならず、私がブログを通して存じ上げた友人が酷いコメントの書き込みを幾度となくされました。それは、他人を誹謗・中傷もしくは屈辱するような内容、または他人の名誉や信用を傷つける内容であり、決して許されるものではありませんでした。
大人気ないからと最初は無視をしましたが、悪質なコメントの書き込みが続きましたから、私は相手に幾度も論理的な反撃のコメントで回答しました。
その内、良識ある方々から応援のコメントが寄せられる様になり、酷い書き込みをした相手は諦めたようです。それ以後、私や友人へのコメントはありません。
言論の自由が保証されているとは言え、公共性を伴ったブログサイトでこの様な言葉の暴力に因るコメントの書き込みが許される筈がありません。大人の常識のレベルも落ちたものです。これも無痛化する社会の現象だと捉えます。
さて、最初の森岡氏の評論とそれに対する原さんの私論に関連させて、私の雑感を記します。
文明とは何か、文明の進歩とは何を以って言うのか。本当のところ、この辺の議論が現代社会に於いては不明瞭になっていると思われます。
そもそも文明の進歩と言う概念は、近代ヨーロッパの所産であり、わが国は近代国家を目指してヨーロッパの文化を受け入れた頃からこの概念を正義として来たのではないでしょうか。
文明の進歩という概念から程遠い沢山の民族との出会いが、寧ろ文明や文化の本質を浮き彫りにさせるのだと思います。
プりミティブな民族は、無痛化する社会ではありません。人間が本来持っている恐怖や戦き、見えないものへの畏敬の念、研ぎ澄まされた五感、そのようなものを持ち合わせていると考えます。
文明から程遠いと思われる民族やその社会から学ぶ事の方が、今の私たちには多いのではないでしょうか。


kuisinさん、バネのある人間でありたいですね。 (原左都子)2008-08-30
 09:13:57さすがに小説家のkuisinさん、表現がすばらしいですね!

そうなんです、バネのある人間でありたいものです。たとえ、へこむような経験をしても、また元に戻ったりさらに飛躍していくためには心にバネが必要ですね。
無痛化してしまった心の中はバネではなく“棒”なのでしょう。一度ポキンッと折れたらそれでおしまいですね。痛みを味わいそれをプラスの方向に転換していく強さを育んでいくことで“棒”をバネに変えていけるのでしょうね。
私も結構へこみます。平気そうに振舞っていますが、マイナスイメージのコメントなどをいただくと実は夜も眠れない程悩み考えてしまいます。
でも、何とか立ち直って必ず返答を書いているのは、私の心にも一応バネがあるからだと思います。
お若いkuisinさんが、そこまで悟っていらっしゃることを私はいつも尊敬の念で見させていただいています。
kuisinさん、新人賞頑張って下さいよ!


ガイアさん、たかがネット、されどネット… (原左都子)2008-08-30 11:08:02

この記事は“無痛化”を取り上げたのですが、私が中で綴ったブログ仲間批判関連の無痛化に関する一例の話がインパクトがあった模様で、皆さんからネット関連のコメントを多くいただきました。
ネット生活においてご苦労をされている方々が多く存在するようで、コメント欄においてネット談議が展開されました。
この現象はやはり“無痛化”と大きく交錯するものと思われます。
なぜ、誹謗中傷を行なう人がいるのか。それは、本人自身が心に傷を負っているためでしょう。たとえどのような傷を負おうが、(上のコメントの)kuisinさんのおっしゃるように心にバネがあれば、それをはずみにしてプラスに転化していくことができるはずです。
ところが無痛化社会にどっぷり漬かって、少しの傷にも免疫力がなくなっている人が多いのでしょうね。自分の傷を自分の中で処理できずに、他者を痛めつけることで発散するという貧弱な行動をとってしまうのでしょう。
ブログ生活が1年になろうとしている私ですが、ネット社会の明暗を私なりに観察してきました。
当初のように、無邪気にブログ生活を楽しめなくなっております。無痛化に慣れきった人々があまりにも多く、同類の仲間作りをして我が身のみを守ろうとしていたり、上記のごとく誹謗中傷言動を企てる人種が増殖しているためです。
それでも、綴り続けます。無痛化集団に迎合することなく、あくまでも私自身のスタンスを貫きつつ…。
学校の評論文課題に関してですが、私もそもそも長文読解問題というのは答が定めにくく採点に苦慮するものであると捉えています。
評論文を生徒に読ませることに関しては有意義なことですので、課題の出し方として、今回私がエッセイを綴ったように、読後に生徒それぞれに自由にエッセイを綴らせるのか最善の方法かと思います。
私も娘に対しては、文章をよく読むようにのみ指導しています。
科学技術の発展自体はすばらしいことですが、文明や歴史の伝承が疎かになっているために大きなアンバランスが生じているのでしょう。
便利さのみを享受して後は何に対しても興味を持たないような人種ばかりを排出している背景には、やはり公教育の責任は否めないように思います。
痛みを感じ、それをバネにできる心豊かな人生を送りたいものです。

 (以上、一部割愛したが、「原左都子エッセイ集」遠い過去のバックナンバーに頂戴したコメントを再掲載したもの。)



 「原左都子エッセイ集」公開歴17年目に突入している我が身にして。
 過去に愛読者から頂戴した貴重なコメント群とそれに対する我が返答のごく一部を公開させていただいた。

 これ程までにコメント欄が充実(きちんと両者の意見交換が成立しているとの意味合いで)したブログを見ることは、後にも先にも無い。

 gooブロガーである現在の原左都子にとっての一番の失策は、過去に於いて類まれに繫栄していたこの「コメント欄」を閉鎖したことと言ってよいだろう。

 ただブログ界自体もブロガー達も、現在では大きく変遷を遂げている。
 時代の流れに逆らっては、この世を渡れない事実も重々把握している私だ。

 「コメント欄」を廃止せねば、この原左都子自身の日常生活が成り立たなかったことに鑑みて。
 2011年の「原左都子エッセイ集」に於けるコメント欄閉鎖措置は、“正解だった” との結論で締めくくろう。


すっかり「母」の時代を通り過ぎた私が、離れて一人暮らす娘に思う事

2023年09月24日 | 自己実現
 今朝、「原左都子エッセイ集」バックナンバー内に、今読むと自分でもついつい笑える😁 エッセイを発見した。



 2017.07.13付「子の『親』ではなく『母』であらん事を強要された苦悩の時代」と題するバックナンバーが、昨日のPupular entries内にランクインしていた。

 早速、そのバックナンバーの一部を以下に再掲載させていただこう。

  5月の事だっただろうか。 我が家も電力自由化の流れに乗り、東京電力からガス会社への電力とガスの一本化を図った。
 (参考のため、その理由とは福島第一原発事故の後処理もままならまいまま、反省も無く責任逃れを続けている東電の企業姿勢・体質に対する反発以外の何物でもない。)
 その契約の際に我が家にやって来たのは、私と年齢がさほど変わらない風の女性担当者だったのだが。
 女性担当者曰く、「電力を我が社に切り替えて頂くと、様々なメリットがあります。 (中略) 契約してweb会員に登録して頂くと、例えば、無料で料理レシピが閲覧できる等のメリットもあります。これが奥様方に人気で、どうのこうの……」
 すぐさまその会話を遮って私が曰く、「根っからの料理嫌いなもので、私の場合はそのサイトを見る事は一生ありません!」と少しイラつきつつ不機嫌に即答した。 (いやはや、女を掴まえると何で営業マンとはこういう風に料理の話題を出したがるのか?!? )と不快感を露わにしている私に気付いた女性担当者が応えて、「そんなもの見なくても、台所に立てば手と頭が直ぐに動く方もいらっしゃいますよね…」
 私がやや怒りつつ応えて、「いや私の場合はけっしてそうではなくて、元々我が生き甲斐の中の料理の優先順位が極めて低いということです。 料理をする時間がもったいなくてしょうがないというのが正直なところです! 料理をする時間があるのならば、その時間を自分が欲する有意義な事柄に裂きたい、との話です!!!」
 こんなところでやたらに“熱弁”せずして気が済まない程の、「真正料理嫌い」の私だが。
 担当者氏は最初は驚いていたようだが、さすがに契約をまとめねば! との方針に切り替えた様子で、その後は料理の話題を一切出さずして契約締結に持ち込み、我が家を去って行かれた。

 ついつい前置きが長引いたが、今回のテーマを綴るきっかけを得たのは2、3日程前に見たNHKテレビ番組による。
 その番組内で、エッセイスト・小説家 山崎ナオコーラ氏著作の「母ではなくて、親になる」と題する今年6月に出版されたばかりのエッセイ集が話題に取り上げられていた。 
 山崎ナオコーラ氏とえいば、朝日新聞コラムにエッセイを連載していた時期があったため、我が記憶にある。
 それを毎週読んでいた我が感想とは、「人間とはほんの少しでも名が売れると、このようにエッセイを新聞連載出来ていいよなあ。 無名人が如何にあがいてもそんなチャンスは皆無なのに…」

 そのエッセイのタイトルだけNHKテレビで聴いた私だが、まさに我が親としての時代も“母であれ!” と強制される事態に苦悩させられた出来事の記憶が蘇ったのだ。
 現在我が娘は社会人2年目に突入し、日々真面目に誠実に自らの仕事をまっとうしてくれているため、今となっては “親である前に母であれ!” と私に向かって意味不明に強要する人物も皆無となり、そんな馬鹿げた発言から解放されていると言えよう。
 それでも、「ウェブで料理のレシピを見よ!」と強制されるだけでも、我が五臓六腑からメラメラと反発心が湧き出すほどの抵抗感が内存している体質の私だ!

 自己弁護になるが、それも自然の成り行きと診断する。 何分、高齢にて我が子出産直前まで独身の立場で、自らの生き甲斐を追及し続けていた身だ。
 子どもを産んだからと言って突然周囲から「母」である事を強要されようと、私はそれまで通りの私でしかなかったという話だ。
 幸いな事に、娘誕生直後時期には周囲の誰からも私が「母」である事を強要された記憶が無い。
 と言うよりもっと厳しい課題に苛まれた我が家に於いて、私は「サリバン」業を全うするべく運命にあった。

 そんな私が「親であるよりも母であること」を強要され始めたのは、我が子を集団生活現場に入れた後からだ。
 今となっては “笑い話” の範疇かもしれないが。 
 我が娘を入園させた幼稚園で「餅つき大会」との行事があった。 その役割分担として「PTA役員の男どもが表舞台で餅をつくから、役員母親連中は皆、裏で餅を丸め、後片付けをせよ!」との指令だ。 
 過疎地出身の私だが、餅を丸めた経験が皆無なれば、餅をついた器具の洗浄経験も無い。 
 そんな中、娘と同級生の母親達が物凄い勢いで餅を丸めているではないか!! 初体験の私としてはそれに追随するしかない。 訳が分からないまま男がついた餅を必死で丸めつつ思ったのは、(もしかしたら、世の女性陣とはこういう作業に自分のやりがいや業績を見出しているのかもしれないのか!??)
 それが証拠に、その作業をすべて終えた後に母親達を統括していたPTA役員女性曰く、「本日は我々母親の業務を貫徹出来ました。 皆さんの働きのお陰で子ども達も父親たちも満足出来ました!」 との喝采の言葉だった記憶がある。

 「親であるよりも母であること」を強要される経験は、娘が小学校入学以降もずっと続く。

 「原左都子エッセイ集」に於いて、学校のPTA活動に於ける 「父親の会」 の存在をバッシングしたエッセイを何本か綴り公開している。
 その主旨とて、この表題の一課題だ。

 娘を私立中学へ通わせた後も、どういう訳か学校側は「父親の会」なる不透明な会合の酒の席で在校生の父親の意見を聞きたいのだと言う。 それに反発した私が、「母親とて意見がある故に同席させて欲しい」旨申し出たものの、返答はなしのつぶてだ…。
 おそらく学校側の論理とは、「母からなど何も得るものはない。 母親は学校のために下働きしてくれさえすれば十分。」に行きつくのだろう。

  (途中大幅略)  
 何はともあれ、現在(2017年)還暦を過ぎている高齢出産母である私にも、「親であるよりも母であること」を強要された時代が長く辛い(と言うより違和感を抱かされる)事態だった感覚があるのだ。 
 それでも子どもの成長と共に、そんな意味不明の苦悩から解放される事実を現在堪能しつつある。
 そんな今、「母」でも「親」でもなく、「私」であらん歴史を取り返せる未来が再来するのか!?! なる期待感すらある。
 その期待感を実現するもしないのも「私」次第であろう現実を、見つめねばならない時が迫っている感覚もある。

 (以上、「原左都子エッセイ集」2017.07バックナンバーより一部を引用したもの。)



 今現在の原左都子の私見に入ろう。

 2017年と言えば、高齢出産にてこの世に生れ出た一人娘が24歳の頃だ。
 当時は未だ我が家に同居してはいたものの、既に大卒にて就職しIT技術者正社員として真面目に日々勤務していた頃だ。

 昨年5月に、そんな一人娘が親元から離れて独り立ちしていった。
 今となっては たまに親元に顔をみせるものの、いつも決して宿泊はせず、自分の住居地へそそくさと帰っていく。

 娘が一人立ちした当初は、正直言って多少の寂しさがあったが。


 原左都子の本性(一人で生きていくことを基本姿勢とするポリシー)が現在はすっかり戻っていて。
 もしも 今娘が再び家に戻りたいと言い出したならば、多少の鬱陶しさすら感じる今日この頃だ。😵 

   いや、“この母にしてあの子あり” と言うことだろう。

 あちらからも、ただの一言も「(家に)戻りたい」との言葉が出ない。 
 それどころか、結婚願望に関してこそっと問おうとすると、全部を言う前から「一切無し!!」の明白な返答が戻って来るのみだ。😱 

 ただ、そこまで自己のポリシーが一貫しているならば、親としても安心だ。
 この種の問題とは、中途半端が一番困る。
 そのポリシーを誰が育成したのか???
 どう考察してみても、「母の背中を見た」としか思えないのだが。

 まあそれにしても、我が子の幼稚園で“男がついた餅”を丸める作業を不本意にさせられるよりも。 (未だに、根に持っています!!)


 娘よ。
 あなた自身が育成してきたのであろう その“確固としたポリシー”があるうちは、あなたらしくこの世を生き抜けることだろう。
 スリム体形にして健康体にも恵まれ(しかも母よりも美人!?!)のあなたに、母はなんの不服も無い。

 今後共 その健康体を維持しつつ、自己のポリシーの下にこの世を渡っていくことを母は望んでいる。
 

昨日、11カ月ぶりにランニングらしい走り方が叶いました!!

2023年09月23日 | 自己実現
 (冒頭写真は、昨日原左都子がほぼ11か月ぶりにランニングらしい走り方が叶った 自宅近くの城北中央公園。)


          

  
          

          

 同じく、城北中央公園にて撮影した写真。




 9月ももう終わりが近づいているというのに、ずっと真夏の猛暑が続いていた東京地方だが。

 昨日、やっと秋の気配が少し感じられる程の涼しい日が訪れた。
 

 こんな日を待ちわびていたがごとくの我が脳裏にひらめいたのは。
 何はともあれ、城北中央公園へ「ランニングに出かけよう!!」とのテーマだった。

 それにしても未だ我が左膝の腫れが引かない。
 手で触れた感覚も、右膝とは大違いで未だに固くまるで柔軟性が無い。

 それでも、私は決意した!
 やっと涼しさが訪れたこんな日に、ランニングせずしてどうする!?!

 とにかく、チャレンジしてみよう。 ダメもとだ!
 走れなければ、いつものように歩いてくればいい。


 そして城北公園に到着した私は、軽い準備運動の後、両足をランニングをするかのように前へ運んでみた。

 あっ、走れそうだ!!
 スピードこそ出せないが、このランニングステップを出来る限り続けてみよう!!!

 そうこうしているうちに、上記写真の陸上競技場周辺のいつもの我がランニングコースの1周目(3周とちょっとで5㎞になります)の完走が叶った!
 とは言えども、そのタイムの程は嘆かわしい… 😩 
 去年までのランニングタイムの3倍程の時間がかかっている。

 それでもまだ走れそうだ。
 2周目に入ったところで、既に疲れが出て来た。 (やっぱりランニングは11か月ぶりだからなあ。 これ、今無理をすると左膝が取り返しがつかないことになる恐れもある。 本日はあと半周程でランニングを終えるべきだろう。)


 その判断が正解だったようだ。

 あれ以上無理していると、未だに腫れが引かない左膝の負担が大きかったと想像する。
 (左膝の腫れに関しては いつ引くのかは不明だが。 とにかく主治医だった医師先生の退院許可もランニング許可も下りているため、今後も私は安心してランニング練習を続行する予定でいる。)

 帰り道にスーパーへ立ち寄って買い物をする余裕もあった。


 さて、今後は以前のペースに戻して、最低週2(多い時で週3)ペースでランニング練習を続行する予定でいる!

 
 「左膝複雑骨折」との我が人生に於ける最大かつ最悪の難関を、もうすぐ乗り越えて 原左都子らしい日常と精神状態が取り戻せそうな予感が今。

 確実にある!!!