原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

「女子会」はめくるめく “潰し合い” の世界なのか??

2016年07月30日 | 人間関係
 私が「女子会」なる言葉を耳にし始めたのは、近年の事だ。

 おそらく、こういう集会が “それ” に該当するのだろうと推測出来る会合に、私が最後に出席したのは十数年前だったと記憶している。

 何分、40近くまで長き華の独身貴族時代を貫いた私の場合、そもそも女性との付き合いが極めて少なかった。 職業環境下に於いて周囲に存在するほとんどが男性だったため、必然的に男性陣との付き合いが圧倒的だった。
 もちろん、女性との付き合いも無きにしもあらずだったが、それは決して「女子会」と言う程女性は数多くなく、1対1、あるいは必ずや男性も入り混じった会合となったものだ。


 そんな私も、晩婚後「女子」連中に誘われる事が無きにしも非ずだった。 
 まず、子どもを介して母親達に誘いを受ける事を経験している。 娘幼稚園時代にPTA役員会主催飲み会への誘いを受け、それに同席した事がある。 PTA会長以外、出席者のほとんどが女性(子どもの母親)だったため、これを「女子会」と表現してよいだろう。

 あるいはサリバンとして娘の指導教育の合間に、某国立研究開発法人研究所にアルバイトの身分で勤務していた頃にも、ほぼ同年代のアルバイト仲間の女性達より「飲み会」の誘いを受けた事がある。 これぞまさに参加者が全員女性ばかりのれっきとした「女子会」だったと言えよう。

 ところが、上記両会合が「飲み会」だったことが、“底なし飲兵衛”の私に参加への後悔を募る事と相成った。
 (この話題は既に当エッセイ集「酒」カテゴリー内にて公開済みだが)、男連中(要するに“オヤジ飲み会”)に慣れ切っている私にとって、女どもが酒を“飲めない”事実に愕然とさせられるばかりだ… 
 ビール一杯で酔い潰れる女史がいれば、私が2杯目を追加注文すると「そんなに飲んだら大変な事になる!」と本気で“指導”し始める女史。  あるいは、「飲む前に食べるべきだから、皆さん料理が来るのを待ちましょう」とまで言われてしまうと、“駆けつけ3杯派”の私としては(もう、帰りたい……)との発想しか出ない。

 そんなこんなで40代半ば頃にして、一般女史(女子)達と(特に酒に関して生育してきた歴史が大幅に異なる)と結論付けた私は、その後断じて「女子会飲み会」に参加する事はなく現在に至っている。


 「女子会」卒業後十数年が経過している原左都子が、つい最近ネット上で「女子会」に関する記載を発見した。
 以下に、ダイヤモンド・オンライン とやらの 植草美幸氏なる、おそらく女性が記したであろう 「なぜ『夫自慢』が女のマウンティング合戦の最終兵器なのか」 と題するネット情報より、一部を要約引用して紹介しよう。

  第1話では、女性たちが医者と結婚したがることを、私は「お医者さま病」と呼んでいると書いた。私の体感では、結婚相談所に来る女性で「医者と結婚したい」と考える人は、全体の4割程度にのぼる。「自慢の夫」「自慢の婿」を欲する、日本女性特有の病だといってもよい。
 この感覚は、もしかしたら男性にはわかりにくいのではないだろうか。「自慢の妻」を得たい、という男性はあまりいないように思うからだ。むしろ、自分の妻の自慢をするのは恥ずかしいと感じる人のほうが多いだろう。妻に求めているのは、他人に自慢できるポイントを持っていることより、「居心地がいい」とか「安心できる」という部分である。
 この違いはなぜか。これは、男は仕事で外に出て、女は家で専業主婦をしてきたという日本の社会背景が関係しているのだろう。  男性の場合、仕事を通じて自分のプライドを満たすことができるが、専業主婦の女性たちは自分のプライドを自分自身で満たすことができなかった。つまり、女性は自分のフィールドで勝負するものを持っていなかったのだ。
 そのため、自分のフィールドとは関係のないものでプライドを満たすのである。 それが、自慢できる職業の伴侶や婿を得ることであったり、子どもをその職業に育てたりすることであったりしたというわけだ。
 その表出として最たるもの、それこそが「お医者さま病」なのではないだろうか。
 つまり、この病は日本社会の影が生み出したものに他ならない。
 「どうして家庭に収まっている主婦が争いあう必要があるのか?」と男性は疑問に思うだろう。しかし、もともと女性たちは、幼少期から男性以上に競争社会にもまれてきているものである。 自分の力ではなくても「他人より上」に見られたい。
 そのときが女性たちの最大の山場だ。そこで「夫はお医者様なんです」といえば歓声が上がり、羨望のまなざしを受けるだろう。その瞬間のために彼女たちは幼いころからがんばってきたのだ。 そこでもし自慢できない職業の夫だったら? 特に注目もされないまま、彼女は表舞台を降りるのである。
 「今まで頑張ってきたのに」――20年近く競争社会にさらされつづけた彼女たちの脳裏には、そんな思いがちらつくのである。
 女性が働き続けるようになった若い世代の場合にもその傾向がみられるのは、ゆとり教育の影響もあると私は感じている。  ゆとり世代の女性たちは、攻撃的な性格であることが多いわりには、過剰な手取り足取りがないと行動できない。 そうすると、「自分の力ではなくとも、人から見られる時には相手よりは上の立場になりたい」という発想になりがちだ。そんな彼女たちもまた、「お医者さま病」になっていくのである。
 このようにして、夫を使ってマウンティングしあう、それが現代の女社会なのである。夫を使ったマウンティングママ会とは夫の自慢大会の実態だ。
 女子会とはめくるめく「つぶし合い」の世界である。
 (以上、ネット情報より一部を要約引用したもの。)


 原左都子の私論に入ろう。

 もしかしたらこのネット情報記者である女性を取り巻いている環境が、今現在女子(ママ友?)で溢れその対応に苦慮する渦中にいるのではなかろうか?

 「お医者さま病」ねえ。
 私自身が国立大学医学部に通っていた経験があり、過去に於いて“医者の卵”男性達と少なからずまみえた事もある。 その後上京して医学関係の職種に就き、更に医師連中と会合する機会が少なくなかった人間だ。
 その経験から言うなら、結論として医師とて人それぞれ個性豊かであることは自明の理であろう。
 医学経験者である私から助言すると、「臨床医」と「基礎研究医」によりその勤務形態が大幅に異なる(あるいは「臨床医」も、「開業医」と「勤務医」ではまったく異質だし。)事実を、もしも未だに「お医者さま病」にかかっている女性がいるとするならその女性陣に伝えておこう。 (更には今時、「開業医」など大規模病院にして経営難で四苦八苦している事業所も多いしねえ…。

 で、女性記者が更に曰く……
 現代女性達も女同士の戦いは幼いころから行われている。 エリートであればあるほど、小学校受験や中学校受験など受験戦争で揉まれてきているし、受験が終われば就職があるがその戦いは男性以上。有名企業の椅子をかけて争ったうえで最後に結婚という戦いに挑むのだ。  女性が寿退社でやめるときに必ず聞かれる質問が、“旦那さまの職業は?”である。
 (再び、ネット情報より引用したもの。)

 それ程までに歪み切った苦労の人生を、記者である植草氏は若くして耐えて来ているのだろうか??


 最後に、原左都子の私論でまとめよう。

 そもそも上記記者女性氏自らが、男尊女卑観点から抜け切れない人生を歩んで来ているよううで残念な思いだ。

 まず、真実の「エリート」とは何かをこの女性は問い直すべきだ。
 私論としては、女性とて一生に渡り各自の得意分野で“男以上”の働きをすればよい話だし、若くしてそれに挫折したからといって、何故問題を「寿退社」にすり替え、挙句の果てに「旦那の職業」を問われる事をそれ程までに重視し議論対象とするのだろう??
 私に言わせてもらうと、まるで40年以上前に生きていた女性の思想と何ら進展がないようにさえ感じる。

 この原左都子も確かに子育て場面で、「ご主人の職業は?」の質問をされたことが何度もある。 その時私が取った対応とは、「主人の職業よりも、私自身の職業・学業経歴を話していいですか!?!」と切り返したものだ。
 あるいは娘の命名の由来(古代ギリシャ哲学より引用しているが)を尋ねられ「ご主人は何をされていますか?」と問われれば、「娘の命名主は母の私です!!」と反論し続けている現在でもある。

 
 それ以前の課題として、このネット記者女性氏は、単に「自分の真の幸せとは何か?」をもっと若き頃より掘り下げ自問するべきだったのかもしれないような気もする…。

 とにもかくにも「女子会」に限らず、全ての会合は本人の意思で “嫌なら行かぬが一番” だよ。

金融機関による身内死後の 「口座凍結」 に対応するには

2016年07月28日 | 時事論評
 今現在、我が国で身障者殺害との歴史的凶悪犯罪が勃発し私も心を痛めているが、これを論評するには私なりに深く掘り下げねばならない課題もあるため、後日の執筆・公開とさせて頂く。


 今回のエッセイでは、身内高齢者が死に至った段階で、金融機関がすぐさま発令する「口座凍結」なる現状を論評しよう。

 私が現在高齢者有料介護施設に住む身内(義母)の身元引受人兼保証人の立場にあることは既に当エッセイ集内で公開している。
 郷里に住む実母に関しても、秋頃同じく有料介護施設への入居を志しているため、近々その身内引受人等になる事が決定している。

 6月初旬に、その準備のために郷里の実母が住む実家を訪れた。
 その時に判明したのは、実母が金融機関による「口座凍結」を一切認識していなかった事実だ。 どうやら母は自分が死んだら、自動的にその財産が子供に相続されるものと信じて疑っていなかった様子なのだ。

 この実母の無知さ加減には参ったが、ここは次女の私が懇切丁寧にそれを実母に説明・指導するしかない。
 今の時代、相続関係が複雑になっている時代背景や、振り込め詐欺等の金融を巡る犯罪が多発している事実、そして高齢者が長寿になるにつれ低下する認知力、あるいは、国家がそれら高齢者の口座残金を狙って国庫に入れようと虎視眈々と狙っている(原左都子の感覚では、これぞ最大の理由かと憶測しているが)、ともかく、金融機関が高齢者の死を知った直後に口座が「凍結」される制度が整ってしまっているのだ。

 そこで、私は実母に告げた。
 「貴方は高齢域に達した今尚、自分は娘達の世話になっていないと平然と私に伝えるが、貴女の死後に残った金銭財産が“凍結”され、ややもすると国庫金として没収されるやも知れない事を承知しているのかな? それに備えて、生前にあらかじめ親族に残せる手段を採るべきだよ」
 実母が応えて曰く、「それは知らなかった。 それならば、私が死にかけたら貴方に手渡しているキャッシュカードで、一日50万円ずつ毎日引き落としたらどうなの?」
 (私としては「今のうちにまとまった資金を貴方に手渡しておく」との理想解答が欲しかったものだが)、何ともショボい実母の解答に辟易としつつも、「口座凍結」の意味合いが多少理解出来たであろう事に一応安堵した。


 本日先程ネット情報にて、表題に掲げた「口座凍結」を取り上げた情報を得たため、以下に要約して引用しよう。

 家族が困ることをわかっていながら、銀行はなぜ口座を凍結してしまうのだろうか?
「預貯金は相続資産の一部。たとえ必要に迫られた場合であっても、本人以外の人が引き出すとトラブルのもとになる。名義人が亡くなったことがわかると、銀行は即座に口座を凍結し、相続手続きが完了するまでは、一切引き出すことができないようにする」
 問題は相続手続きが意外と手間取ることだ。  「遺産分割協議書を作成するには、相続人全員の実印が必要。 中にはどうしても連絡が取れない人もいるかもしれない。また、遺言書を書いていないケースでは、どう分けるかで揉め、なかなか手続き完了に至らないこともある」
 その間、亡くなった親のお金は使えず、周囲が立て替えたお金を清算することもできない。なんと解決までに7年かかったケースもあるという。
 親に万が一のことがあれば、証券口座もまた凍結される。 この場合の「万が一」というのは必ずしも死亡だけをさすのではない。 たとえ身体は健康でも、認知症などで判断能力を失った場合も同様の措置がとられる。 「父の代わりに私が運用しますから」などと主張したところでムダ。 本人以外の人間が売買することは仮名取引、借名取引といって禁止されている。わかれば即、取引停止となることもある。
 もっとも、「成年後見制度」を活用すれば話は別だ。 認知症となった高齢者などのかわりに成年後見人を立て、資産の管理を行える制度だ。 ケースバイケースだが、家族が成年後見人になることもある。 
 では、親の口座が凍結される前に打てる手はあるのだろうか?
 保険金は受取人固有の財産で、預金のように凍結されることはない。また保険金は、請求後、だいたい3日から1週間で振り込まれるから、葬儀費用のほか当座の支払いに充てるにはよいだろう。
 なお、法定相続人以外に受取人を指定することも可能だ。 預金から毎月、保険料を支払えば相続すべき財産が減る。 さらに、生命保険の受取金には相続税の非課税枠が設けられているため、受け取った金額が非課税の範囲なら相続財産には加算されない。
 まだ数はあまり多くないが、最近は信託銀行が受託者となる家族信託商品も登場している。今後増えれば、選択肢の幅も広がるのではないだろうか。  もちろん、銀行が親の死を知らず、口座凍結を免れられることも多い。
 いずれにせよ、後々のトラブルを防ぐためにも、親が元気なうちに対策を立てておきたい。
 (以上、ネット情報より要約引用したもの。)


 更に私事を記そう。

 現在義母の身元引受人兼保証人を代行している我が身として、某損保会社より、「成年後見制度」を利用していますか? なる質問を受けた。
 上記ネット情報内にもあるが、この制度を利用すると後見人の立場の自由度が上がるようだ。
 ただマイナス面もある事を、法律を弁えている私はすぐさま把握した。 この制度を利用する場合、義母の法的能力が大幅に制限され、その権利履行の自由度を失う事実が明らかである。 
 義母の認知力が究極に低下する事態に至るまでこの制度を利用するのは控え、義母の権利能力を保障しようと、身内と今一度話し合った。


 最後に、原左都子の私論でまとめよう。

 それにしても、身内死後直後の金融機関による「口座凍結」とは実に厄介な制度だ。

 誠実に日々高齢者介護に励んでいる何の落ち度もない子孫が、その身内高齢者の「葬儀」は元より日々の「介護費用」すら自費で決済せねばならない事態と相成る事も十分に考えられる。

 身内高齢者側がその事態に理解を示し、あらかじめ子孫にその経費を委ねてくれるならば問題はないが、大抵の場合そうでない程に認知症状に苛まれ、子孫側に多大な損失を計上させる危険性が大だ。

 ここは、国家ももう少し現代の厳しい社会を生き抜きつつ高齢者の面倒を見ている現役世代の保護こそを視野に入れ、金融機関による高齢身内死後直後の「口座凍結」制度を廃止出来ないものか?!? 

給料日は寄り道ショッピングして帰ろ ♪♪

2016年07月25日 | お金
 我が娘が本日25日、新卒にて民間企業入社後3度目の給料日を迎える。

 4月入社で何故7月25日が3度目の給料日なのかを説明するなら、娘の就職先の給与支給日が「月末締・翌月25日払い」の制度を採用しているからに他ならない。

 それ故、5月の給料日までの約2ヶ月間は、経済面で全面的に“親がかり”の日々が続いた。

 これが、大学生時代よりもずっと負担が大きいのだ。 
 例えば大学時代は1,2年時を除き毎日大学に通う訳ではなかったのに、社会人ともなれば日々「昼食代」「交通費」が発生するのは元より、「スーツ等社会人にふさわしい服飾代」等初期投資のまとまった費用をも親が負担せねばならない。
 娘本人より、親こそが「早く娘の給料日が来ないかな~~~」と、どれだけ5月25日を首を長~~くして心待ちにしていたことか。

 それにしても娘が未熟な身にして、よくぞまあ真面目に実直に日々社会人として頑張っている事!
 サリバンの22年間に渡る教育指導の成果とは言えども、親馬鹿ながら心より娘を褒めてやりたい思いだ。
 いや、もちろん娘は職場で失敗も沢山しでかしている様子だし、それにより周囲にご迷惑を掛けている風でもある。
 それを夜遅い夕食時にサリバンに正直に話してくれる。 時にはその対策に、娘よりも母の私が本気で悩み胃を傷めたりもする。(この4か月間、胃薬の減り様がいつもの2倍だったが。) その痛みに一人で耐えつつ、「大丈夫。あなたはいつ何時も自分のやるべき事を真面目に誠実に全うしなさい、それぞ社会人の使命!」と、毎朝発破をかけ娘の出社を見送っている。

 うれしい話題も、沢山母に語ってくれる。 「社長が『新人の原(娘の事)を大事にしてやってくれ。』と周囲の先輩社員達に言ってくれた」だとか、「初めてまとまった仕事を時間がかかったけれどやり遂げられて、達成感があった!」等々…。 
 あるいは、先日は職場のリーダー氏より「原さんも今夜遅くまで仕事出来る?」なるお言葉を頂戴したようだ。 これなど娘が“足手まとい”の時期を脱出して、“猫の手”程度の働きが出来るようになった証拠であり、サリバンとしては涙が出る程嬉しい。


 そんな未熟者新入社員の娘の一番の楽しみは、やはり「給料日」だ!

 先月6月の娘の給料日の風景を鮮明に覚えているため、それを披露させてもらおう。
 6月の場合、25日が休日の土曜日に当たったため、その前日の24日が給料日だった。 いつも退社後まめにCメールをくれる娘が寄越したメールは、絵文字付で「今日はターミナル駅のショッピングセンターで買物して帰ります。 ナンタラカンタラ♪♪」
 その後いつもより足取り軽く帰宅した娘は、沢山の買い物袋を抱えていた。 「何買ったの?🎵」と問う私に、娘はいかにも嬉しそうにその中身を見せてくれる。 その後もいつもは口数少ない娘が、夕食時に無邪気にはしゃぐ。
 その娘の嬉しそうな情景は土日も続き、何やらニコニコ上機嫌だ。 料理や洗濯を手伝ってくれつつ笑顔を絶やさない娘に、私が「働いて給料を貰うのって、ホント最高に嬉しいよね!」と声を掛けると、それを否定するでもなく、まんざらでもない様子だ。 


 ここで、我が娘に対するサリバンによる22年に及ぶ 「金銭教育」の歴史を語ることとしよう。

 我が娘は、亭主の実家が当時比較的(あくまでも比較的の範疇だが)経済力に恵まれていた事もあり、おそらく幼少の頃は世間一般と比較して “2桁多額” のお祝い金やらお年玉を承る幸運に恵まれて来たと推測する。 (本エッセイ集バックナンバーにて、娘幼少の頃に周囲のママ達から「お年玉いくらもらった?」と尋ねられ、その単位が2桁違っていた事実に困惑した出来事も披露しているが…。)
 その金額が娘本人が管理可能な額を大幅に超過していたため、サリバンの私が娘に替わり通帳管理・保管を代行して来た。(参考だが、子どもの教育費・学費は100%親が負担するべき事を信条としている私の場合、娘の通帳にはただの一銭も手出ししていない。)   娘が20歳に達した時、私は娘にその通帳を手渡し、娘に関する預貯金管理の一切合切を娘本人に任せる事とした。
 その時点で、サリバンの娘に対する財産管理指導が厳し過ぎたていたためかどうなのか、娘は自分の通帳残高に何らの興味も示さない事実に困惑させられた。  いえ、もちろん国内外経済情勢の教育も欠かしていなければ、娘のために支払った(多額の)教育費等の金額もすべて娘に伝えている。
 
 それでも、サリバンが伝えた 「お金は有意義に大事に使おう」 なる言葉に娘も一応反応してくれている様子には安堵している。 
 それにしても、その「お金を有意義に大事に使う」なる言葉の主軸の意味の “塩梅加減” が娘と多少食い違うのは、娘が生育した歴史と、サリバン母が60年に渡って培って来た金銭面での歴史が大幅に異なる故であろうと、理解出来る気もする。

 何よりも、我が娘が本日3度目の給料日を迎えることがサリバンとして無条件に嬉しい。

 私が手渡した娘名義通帳内に幼少の頃より貯め込んだ金額総額よりも、2桁少ない給与額であろうと、我が娘がその金額に月々満足出来る事実こそが、今後の娘の社会人としての歴史を有意義に刻む事に通じると信じる。

 きっと今夜も、自分で働いてゲットした給料を手にした娘はターミナル駅にてショッピングセンターに立ち寄り、いつもより遅い時間に帰宅し、我々家族に満面の笑みを振り撒いてくれることだろう。

あなたは今までの人生で何を一番後悔しますか?

2016年07月23日 | 自己実現
 本日昼過ぎ、テレビのチャンネル替えをしていたところ、某民放局にて 100歳以上生きているお年寄り数名相手に、「人生に於いて一番後悔した事」 をインタビューした番組が流れていた。

 現在私自身が既に還暦越えをしている身にして、親族の後期高齢者2名(義母及び実母)の身元引受人兼保証人(今後の担当も含め)を実施している立場として大いに興味深い内容であり、番組の途中まで視聴した。

 今回の番組では、全国から選りすぐった(?)4,5名の100歳越えお年寄りにインタビューを実施していた。
 その全員に共通した特徴として、とにかく“見た目”が驚くほど若ければ、実際に画面に映し出される“所作の様子”もお若い。 しかも、皆さんがそれぞれに現役で自営業に励んでいたり、はたまた熱心な趣味をお持ちだったりと、100歳に至って尚 “打ち込む事柄がある” 人物達との共通項があった。


 さてそれでは「人生に於いて一番後悔している事は何か?」なる質問に対する100歳超の皆様のご回答の一部を、我が記憶に頼って紹介しよう。

 まずは、101歳にして自営の「カステラ屋」(だったと思うが)の店頭販売係を任されている女性の返答だが。
 歯並びが美しく、歩行困難でもなく、耳の聞こえも良く、レジを打つ等々きちんと接客をこなしている女性曰く、「お金を貸した相手に先に死なれた事が悔しい」。
 これに対し、番組に出演しているタレントが「もし天国でその相手に会ったなら何と言う?」と尋ねたら、すかさず「貸したお金を返して!と言う」ときっぱり返答したのに、私も同感だ!

 次に、カボチャ農家を経営し、夫亡き後一人でその栽培を行っているとの100歳の女性の返答。
 「一番後悔しているのは、過去に同じ敷地内に住む娘の夫から、カボチャのつるが自宅まで伸びた事を非難され関係が悪化したこと」。 この女性の口からは、「私はカボチャ生産により得た資金で、孫の代までの家を3件建ててやった。」との発言もあった。
 (ここで原左都子の私論だが)、それならば当然ながらその恩義に子孫は感謝するべきであるのに、親に建ててもらった自宅にカボチャのつるが伸びた事を、お婆ちゃん相手に娘の夫が非難するとは何事か! 恩知らずも甚だしい。 こういう場合、その娘の夫こそが自らがつるの後始末をすれば済むはずだ。
 まあ要するにそんな事態を容認出来て、その後孫の家まで建てるとの金力とキャパシティがこのお婆ちゃんにあるからこそ、長生き出来るのであろう。

 更に、例を挙げると…。
 いかにも育ちが良さそうで、100歳越えをしている身にして “美人度” と “お嬢様度”が高い女性曰く。
 「私は主人の介護をしなかったことが、自分にとって一番の後悔」。
 この上品なご夫人は、遠い過去に見合いにて夫氏と出会ったらしい。 映像に映し出される自宅の風景から察するにおそらく夫氏の家柄もよろしい様子だし、今は亡き夫氏とのツーショット写真が、二人の幸せな夫婦生活を醸し出してもいた。
 それでも、ご婦人曰く「主人は丈夫だったにもかかわらず、74歳にて膵臓癌で亡くなった。 主人は医者嫌いで病院へ行かない人だったが、私が受診を勧めたら主人が長生きしたかもしれないと悔やむ。」
 (元医学関係者の原左都子の私論というよりも意見だが)、いやそうではないですよ、ご夫人。 「膵臓癌」なる病気とは最新医学が進展した未だに初期発見が困難な病です。 もしも夫氏が医療依存主義だったなら、夫氏の命はもっと短かったかもしれない。 貴女の夫氏は亡くなる直前まで貴女と一緒にいつも通り暮らせた事こそが、最高に幸せだったと私は思いますよ……。


 この番組を少しだけ視聴して、私なりに自分の人生を大まかに振り返ってみた。

 今までの我が人生に於いて 「一番後悔している事」 とは何かと。

 未だ60年(そろそろ61年に達する)年月しか人生を歩んでいない未熟者の私としては、“絶対的に後悔せねばならない出来事” がとりあえず思い出せないことにひとまず安堵だ。

 その背景を探ってみると、私の場合郷里の親元を離れて上京後独身時代が長かった故に、それに応じ一人で考え一人で計画して、単身独力でその諸計画を実行・成就して来れた人生経験時代が長期に渡った故と振り返る。
 更には晩婚後子どもを産んだ後も、我が子の“サリバン業”こそが自分に課せられた一番の使命と承知し、それに全身全霊精進している歴史も、私に “後悔の念” を呼び起こさない原因とも考えられ、これぞ我が人生の幸運とも判断している。


 最後に、原左都子の私論で締めくくろう。

 結局、100歳を超越してある程度お元気に長生き出来る人達とは、それぞれが一生に渡り自らの課題を抱え、それにチャレンジする(させられる)運命を背負っている故であるのかもしれない。
 それでも、その100年人生の「後悔」の程が千差万別に異なり、多様性があるのが興味深い。
 万人の生活実態が異なろうと、自らが使命とする課題をこなす意思が強靭な人種ほど、その課題にチャレンジし続けられ、長寿を全う出来るのではあるまいか?

 要するに、若くして自分にとって「何が後悔だったか」を中途半端に振り返るよりも‥‥。
 「何が自分の課題か」を心に留めつつ、一生に渡りそれにチャレンジし続ける気力・体力ある人物こそが長寿を全う出来るのであろうと結論付けられよう。

男って基本的に皆 “マザコン” なのか!??

2016年07月21日 | その他オピニオン
 皆さんは、「後期高齢者医療被保険者証」、「介護保険被保険者証」 及び 「介護保険負担割合証」の違いをご存じだろうか?

 おそらく、身内に要介護高齢者を抱えている人ならばその違いの程を認識されている事であろう。

 現在、それらのうち、「後期高齢者‥…」と「介護保険負担割合証」が更新の時期を迎えており、新しい保険証が自治体より郵送される段取りとなっているのだが……
 これに翻弄される日々だ。 
 何故ならば、我が家の場合高齢者有料介護施設に入居中の義母の身元引受人(保証人)を担当している身だが、義母の住民登録地、義母の現在の住まいである高齢者施設、そして身元引受人である我が家の住所がすべて食い違っているがためだ。

 昨日も義母の住民登録地である自治体役所へ出向き、それら保険証の発送状況を確認して来たのだが、未だ肝心の「後期高齢者被保険者証」が何処の手元にも届かない始末だ。


 話題を変えよう。

 私が義母の保証人を引き受けて以来既に3年半程の年月が経過したが、日々比較的献身的にその業務を遂行していると自己評価している。
 我が家の場合、義母が要支援1段階との早期から自主的に介護施設に入居してくれている。 そのお陰で、その「介護」の内容とは、まさに義母の財産運用管理や上記のごとくの重要書類管理に限られていて、実際義母の“しもの世話”等々実生活にかかわる介護を一切回避出来ている事実は、恵まれていることであろう。

 それでも昨日のように「書類管理」に猛暑の中奔走させられたりすると、(罰当たりは重々承知だが、正直に言って) 「早めに死んでくれないかなあ…」 なる感情が脳裏をもたげるものだ。
 独身が長かった私の場合、今時の60代など“青春時代”なる感覚があるのもその思いを増強させているかもしれない。
 これ、真面目に義母(郷里の実母も含め)の介護担当を一身に引き受けている間に、私は老いぼれてしまうではないか?!? なる “焦り感” すら抱いたりもする。 
 実際、義母・実母に後20年も生きられたならば、我が青春時代が終焉するばかりか、私の方が介護に翻弄され早期に犬死にせんとも限らない。


 そんな私なりの身内高齢者介護の日々を過ごす中、朝日新聞7月16日別刷「be」 “悩みのるつぼ” にて、60歳男性よりの “希少な” 相談を発見した。

 「亡き母の介護で悔いが残ります」 なる題名のその相談を、以下に要約して紹介しよう。
 60代半ばの男性だが、2年前に母を84歳で亡くした。 病院で、これでもかというほどの延命治療を続けた末、母は最期の一言も発せられず、自分も今までの母への感謝の言葉さえも伝えられず、亡くなってしまった。 
 思えばまだ母が九州の田舎で何とか生活していた頃、腰の曲がった様子を見ていながら、2ヶ月に1度っ数日の帰省だけで母の面倒を見てきたつもりだった。 それが、母にとって本当の介護になってなかった。 「離職してでも、何をさて置いても母のそばにいてやるべきだった」などと、2年経っても自責の念に苛まれている。 母は本当は「帰ってきてくれんね!」と言いたかったのだろう。 それを東京で生活している息子に言い出せなかった。  法事で実家に帰る度に無性に悔しさ、無念さが募り、母の遺影に向かい「母さん!ごめんな!」と謝り続けている。 
 月1回心理カウンセリングを受けると気が楽になるが、その翌日から後悔の日々だ。 こんな母への後悔の念はいつまで続くのか。 どんなきっかけがあれば立ち直れるのか? この愚かなバカ息子に生きるためのアドバイスが欲しい。
 (以上、朝日新聞 “悩みのるつぼ” 相談より要約引用したもの。)


 一旦、原左都子の私事及び私論に入ろう。

 確かに自分の親が高齢にて亡くなった直後の子どもの立場から、この相談と似たような言葉を聞く事はある。 例えば「生前は空気のような存在だったが、実際親に死なれてみると結構損失感なる痛手はある」等々…

 ただ私自身の経験・記憶によれば、それは概して「死亡直後ないし半年程」の感想なのではあるまいか?
 この私とて、その経験をしている。
 我が父親が60代の若さで突然死を迎えた当初、確かに一時は喪失感を抱いたものだ。 ところが、後で思えばその「喪失感」は一過性だった事に自らすぐさま気付いた。 その後は、むしろ「葬儀など簡略化してもらわないと、遠方から駆けつけねばならない親族は大きな迷惑だ!」と実母に指導を繰り返している程の親不孝者だ。
 (参考だが、これには私なりの理由がある。 父が突然死したのがちょうど我が娘のサリバンとして一番厳しい時期だった。 当時幼稚園児だった娘を1週間程休ませ郷里へ同伴し父の葬儀と相成ったのだが、母の意向で盛大な葬儀を執り行ったがため、私は親戚一同や地域住民対応に一人で苦慮させられた。 ホテルへ泊まると言っている弔問客を母の意向で自宅へ招いたがため、その世話のすべてが私に任せられた。 娘がサリバンの私にべったりくっついている状態で娘の(発達遅れの)醜態を弔問客に晒す訳にもいかず、私は1週間一睡も出来ないまま疲労困憊して東京へ戻らざるを得なかった。 その後私は体調を大幅に崩し帯状疱疹を患い、元の健康体に戻るまで時間を要したものだ。 その後、実母に対し「葬儀は簡素に。 生きている者の安泰こそが守られるべき!」と指導し続けている。)


 その観点より、私論のまとめをしよう。

 もしかしたら朝日新聞相談男性とは、東京にて“寂しい人生”を余儀なくされているのではあるまいか?
 それ故に当男性の人生に於いて、いつまでもいつまでも「実母」の存在が絶大であるように想像してしまう。
  男性が母上生前に成した「親孝行ぶり」は十分過ぎる程評価に値しよう。
 「これ程までかと思う程の延命治療」を施したり、2ヶ月に一度のペースで実母の介護のために東京から九州の実家に戻ったり…。

 我が家など、義母は当の昔から「延命治療拒否」団体の証明書を自主的に有料で取得していて、私に会う度、「何があっても延命治療を拒否する!と医師に伝えて」と言ってくれる。
 実母に関して言えば、「今度は私が高齢者施設に入居する時点で帰省してくれたら十分」とのことだ。


 高齢者介護とは、相談男性が言うような介護者・被介護者間の関係が “濃厚” であれば事が済むというよりも、双方が話し合いを持ちつつ、お互いに気持ちのよい関係を紡げる事が第一義ではなかろうか。
 それでも、どうしても被介護人本人が高齢に至る程その意思表明力が極度に低下するのも困りものであるのは、私も日々実感しているが…。

 ただ、それでも被介護者及び介護者双方の人権が当然ながら尊重されつつ、介護論理が成立するべきだろう。

 その観点より考察するに朝日新聞相談者男性は、厳しい指摘をするなら60代に至るまで “マザコン” 人生を歩んでしまったのではなかろうか?

 更に議論を発展させるなら、この世の男どもとは基本的に “マザコン” から派生・脱出出来ない状態で世を彷徨いつつ一生を渡っているのだろうか???