冒頭表題は、2025.07.26付朝日新聞「書評」ページより引用したもの。
岩本康志氏著の冒頭表題の本の書評であるこの記事の表題は 「科学的助言への事後検証と洞察」と続く。
早速、記事本文を以下に要約引用しよう。
コロナ禍では、未知のウィルスを前に政府も暗中模索で対策を続けた。
だからと言って、それらの対策が事後的に検証されなくてよいわけではない。 本書はコロナ禍の際に行われた多くの施策の中でも要となった感染抑制対策を経済学者が批判的に検討したものだ。
「接触8割削減」の根拠となった西浦博・京大教授により感染症モデルについては、一部には我が国の科学的根拠に基づいた政策実現において画期的だったと評価する向きもあるようだ。 ただ、著者によれば、この数理モデルによる助言に問題があり、接触を8割削減しなくても新規感染者数を目標通りに抑制出来ていた可能性が高い。 一方で、「接触」の定義を曖昧にしたまま中間目標に据えていたために、新規感染者数が想定通りに減少しなければ一般人の努力が足りないことにされかねない危険性もあった。
だが、著者の経済学者としての真骨頂が発揮されるのは、効果と費用の観点から対策の合理性を問う第2部だろう、 その考え方の基本は、コロナ対策はそれによって救える命の数よりも多い場合に正当化されるというものだ。 結論だけを言えば、コロナ対策はその効果にははるかに見合わない程の巨額の費用を投じていた。 感染症の専門家には、対策の費用を軽く見積もる傾向があったようだ。 「費用対効果度外視で対策をすることが科学的とは言えない」という著者の言葉は重い。 当時の対策は、高齢者の命を救う代わりに若者の日常を奪う費用については考慮にいれていなかったという指摘も洞察に富む。
本書によって、我々はコロナ対策に関する最高水準の政策評価を手にした。 次のパンデミックの際には、もはや同じ轍を踏むことは許されない。
(以上、朝日新聞「書評」ページより一部を引用したもの。)
原左都子の私事及び私見に入ろう。
この私は、大都会東京暮らしの身だが。
コロナ禍が発生した直後より、医学関係者としてそれはそれは恐怖に打ちひしがれたものだ。
私自身は既に現役医学職を引退して ある程度の年月が流れている身であり、日々仕事に通う等のノルマからは既に解放されていたのだが。
それでも電車に乗る際等には、人一倍感染を避けるために気を配って行動した人種であると振り返る。
もちろん、観劇や映画館等々人が大勢集まる場所への出入りは一時 一切慎んだものだ。
このコロナ禍が一旦終焉したとの報道があった直後も、私なりの出来る限りの感染対策は心がけて来た。
例えば電車に乗る際など、未だにマスク着用を実行している人種である。 (周囲を観察するに、今となっては既に混雑した電車内や映画館内等々でも、マスク非着用者が大多数である事実に直面する。 まさかそれに対して指導するなどの思い切った行動を取る能力が私には欠けていて、その環境下でなるべく会話を慎む等の自身の対策のみで乗り越えてきている。
その結果としては、どうやらコロナに感染したことは無い様子であり。
その程度の心がけで済む今のコロナ環境に変貌を遂げている社会である事実に、一人で安堵したりもしている。
そう言えば、ここのところ日本国内にての「コロナ感染症患者」数の発表を聞かない事実を勘案するに。
実際的に、国内のコロナ患者は激減していると考えてよいのであろう。
上記引用文中の最後に以下の文章が書かれている。
「我々はコロナ対策に関する最高水準の政策評価を手にした。」
まさにそうであって欲しいものだが。
次なるパンデミックがいつ来るのか、もう来ないのか?
いやそれ以前の問題として、世界の何処かでは未だにコロナ禍に苦しめられている地域があるのだろうか????
そんな報道に触れる機会も遠のいている現在の世界情勢であることを、思い知りつつ。
この原左都子は やはり混雑した都心の電車内や劇場内等々では、せめてマスクを着用せんと欲している。