原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

“しつけ”と称して山林に置き去りにされた少年の無事を祈る

2016年05月30日 | 時事論評
 親による我が子に対する虐待事件は後を絶たないが、これほどショッキングな手段の虐待を親(しかも両親)が施すのか…、と昨日より驚くと同時に心を傷めている。


 早速、「事件」に関して、ネット情報より以下に引用しよう。
 北海道七飯町で28日に男児(7)が行方不明になり、道警は29日、両親がしつけで山林に置き去りにしたと発表した。
 道警函館中央署や消防など180人態勢で捜索を続けている。 道警によると、両親は当初警察に山菜採り中にはぐれたと通報していた。
 道警によると、行方不明になっているのは北海道北斗市の小学2年、田野岡大和君(7)。 大和君は両親とともに七飯町の大沼公園などにドライブした帰りの28日午後5時ごろ、両親からしつけのため同町駒ケ岳の麓の山林に置き去りにされたという。
 両親は5分ほどたってから、大和君の様子を見に戻ったが既に姿がなかった。
 両親は当初、函館中央署に大和君と山菜採りに28日午後4時ごろ出かけ、約1時間後に父親とはぐれたと説明していた。 同署は両親から詳しい事情を聴いている。
 大和君は身長約120センチで、不明時の服装は胸にアルファベットのロゴが入った黒色のTシャツに紺色のジャージー姿。赤色の運動靴を履いていた。 食料や携帯電話などは持っていなかった。
 (以上、ネット情報より引用したもの。)

 本日(5月30日)昼のNHKニュースによれば、未だ大和君は行方不明状態で発見されていないとの報道だ。
 当該NHKニュース報道によれば、大和君の叔父氏と名乗る人物曰く、「いつも一緒に遊んでいたが、とても元気な子でキャッチボールをする約束もしていた。 是非見つかって欲しい。」


 ここで一旦、原左都子の私事及び私論に入ろう。

 今回の事件の場合、被害者少年の両親共々(更には他の家族も車に同乗していたのか?)が結託して虐待行為をした事実が特徴的ではなかろうか?  しかも両親は、その後の道警による見聞にも「大和君が家族からはぐれた」と虚偽の通報をしている始末だ。
 (山林に一人置き去りにされるとの形で)虐待された側の大和君のわずか7歳の心理を察するに、やり切れない思いがする。 想像を絶する程の失望感を抱いたであろう。 家族に捨て去られた自分はもう家には戻れない、と幼心に直感したかもしれない…。
 大和君に関し、日常的に家庭内で何らかの事情を抱えていた事も考えられよう。 ただ、たとえそうだとしても、両親が結託して大和君を山林に置き去りにする前に打つべき手段は幾らでもあったはずだ。

 私自身に話を移すと、子供時代に両親から「虐待」とまで表現するべき被害には遭っていない。 
 それでも7歳位の頃に、既に私は客観力があった(??)。  そんな私は、例えば自分の行為こそが正当だと確信している事件に対して父から責められ暴力を受けた時、母が私をかばわなかったとの事態に直面した際、両親共々同罪との結論を下した経験がある。 
 その種の経験を何度か繰り返して現在に至っている。 両親2人が揃っているのなら子供に対してどちらかが過ちを犯しても、どちらかが子供を救う立場に回れよ! との感覚は未だにある。

 大和君の場合、“両親共々”が山林置き去りなる「虐待」との過ちを犯した事実が実にいたたまれない…


 そんな私が 2016.1.7に公開した「『しつけ』という言葉に私は違和感・嫌悪感を抱く」と題するバックナンバーのごく一部を以下に再び紹介しよう。

 私自身、娘を一人育てている。 
 我が娘の場合、出産時のトラブルにより若干の事情を抱えての誕生だったため、その後の教育・指導の道程は母として並大抵のものではなかった。 娘のサリバン先生の立場でこの22年間誠心誠意全力投入し、娘の成長のために我が人生を捧げて来たといっても過言ではない。
 だがそれでも、私は娘に対して「しつけ」をしたとの認識はない。 何をしてきたかと言えば、まさにサリバン先生の立場として、娘がこの世を自力で一生に渡り生き抜くべくの「教育・指導」である。
 そもそも「しつけ」という言葉自体が、権力者から目下の子供に対する強制力を伴った行為を想定させられるし、教育者側の“傲慢さ”の匂いが漂い、嫌悪感すら抱かされるのだ。
 どこの誰が、可愛い子供に対して「独裁者」に成り得るのだ!? 
 悪い例ではあるが、子供を虐待して傷つけ苦しめる親ほど、この「しつけ」なる言葉を使って自己を正当化したがる社会風潮があるように私は捉えている。
 子供の教育・指導とは、決して“上から目線”で独裁的に子供をしつける事ではなく、子供の目線に立ち個性を尊重しつつ、親も努力しながら共に歩む事と捉えて22年間頑張ってきたつもりだ。


 現在未だ行方不明の北海道北斗市の大和君。 
 今に至って、貴方のご両親は、あなたを山林に置き去りにした事実を少しは反省している様子だよ。
 大和君が元気な姿で見つかる事を、心より祈っているよ。 


  
  -  P.S.  -

 明日から、旅に出ます。  
 1週間程ネット世界から一切遠ざかります。  
 その間、「原左都子エッセイ集」バックナンバーをご覧頂けましたならば幸甚です。  

粋な大人になるために20、30代でやるべき事、と言うが…

2016年05月28日 | 自己実現
 上記エッセイ表題は、5月21日付朝日新聞夕刊記事「ぶっちゃけ聞いてみた 粋な大人になるために20~30代でやるべきことは」よりパクらせて頂いた事を最初にお断りしておく。


 今回のエッセイは、前回2016.5.25公開の「50代で後悔しないため……」の別バージョン、20、30代をターゲットとしたような形となろうか。
 偶然だが、ほぼ同時期にネット上及び新聞紙面にて同趣旨のコラム記事を発見した。
 この種の記事が多発する現象の根源を辿るならば、今時は若き世代や熟年域に達しようとする時期に、如何に生きるべきかを悩む人物が増殖しているとの事だろうか?

 確かに私自身が2,30代だった頃と比較して、現世は人の生き様が、良く言えば多様化を遂げ、悪く言えば混とんとして来ている印象を抱く。
 私が20代の頃など、特に女性は皆が皆「売れ残り」と後指を指される事態を恐れ、例えば会社員の場合“寿退社”を虎視眈々と狙い社内結婚・出産を焦っていた印象がある。
 そんな周囲の(特に女性陣の)奇怪な行動を不可思議に思いつつあくまでマイペースを貫いた私は、我が人生で一番輝ける時代だった黄金の30代独身時代を満喫したと言えよう。 あの輝ける時代の諸経験こそがその後の我が生き様に繋がり、現在の私を造り上げているとも言えそうだ。 


 それでは早速、上記朝日新聞5月21日付夕刊記事「粋な大人になるために20~30代でやるべきこと」より要約引用して紹介しよう。

 その前に、一言原左都子から注釈を入れておきたい。
 当該記事に応えているのは、現在49歳の銀座クラブママ氏だ。 何故朝日新聞は、このような“特殊な職業婦人”にインタビューをしたのだろうかと、一瞬首を傾げた。
 ただ、その理由は私なりに理解可能な気もするのだ。 銀座クラブママと言えば、社交界のスーパースターと表現してよい程の人的関係に於けるキャリアの持ち主である事を認める。 そのように結論付けるのは、私なりの過去の実体験に基づいている。
 過去に於いて二度程、私は実際に銀座クラブママのお世話になった事がある。 ご両人に関しては本エッセイ集バックナンバーにて既に紹介済みだが、とにもかくにもその接客態度が完璧な事実にこの天邪鬼の私が脱帽したのだ。 店内全ての客に対して一切の失礼がないのはもちろんの事、一人一人の客の個性を掴みつつの気配りの程に感動したものだ。  
 あるいは、六本木に勤務するクラブママと私的に知り合いだった経験もある。 この女性からクラブママとしての実体験をじっくり伺った私は、その世界で生き抜く厳しさを実感し、私にはその分野の能力が微塵もない事を悟ったものだ。
 故に、朝日新聞が何故銀座クラブママにこのテーマに関してインタビューを施したのかを一応理解可能ではある。

 さて、それでは朝日新聞記事の銀座クラブママのご解答に、原左都子が( )内にて注釈を加える形で以下に記事の内容を紹介する。

 クラブママ曰く、まずは恐れずにたくさん恋愛してください。 恋愛は命の源だし、人の心をつかむ意味ではビジネスと同じ。 その時、本気であること。 本気で人と向き合う経験を重ねると、自然とコミュニケーション能力はついてくる。
 (このご指摘には一応私も同感する。 当エッセイ集バックナンバーにて度々恋愛ものを綴り公開しているが、何故そんな自己暴露行為をするのかと言えば、全ての恋愛が我が経験値を上げ人生を豊かにしていると同時に我が血となり肉となっている故だ。  しかも私は、集団ではなく1対1の真っ向勝負の人との付き合いを大事にせよ!と若者達にいつも指南して来ている。 恋愛とはまさに1対1の真剣勝負だ。 本当の意味での人とのコミュニケーション能力など、1対1の人間関係経験を積まねばその基本育成は不能と私も捉えている。)

 更にママ氏曰く、相手の心を想像する力、足りていますか?  私は大学時代にクラブでアルバイトを始めたが、接客とは才能ではなく経験です。 人の心を感じる感性をつかむには場数が必要で、叱られても失敗してもお店に出続けた。 そうやって、その人が一番心地よいものは何かが読めるようになった。
 (おっと、そうだったのか! 私も30代以降での再びの大学生時代に接客業を経験しているが、おそらくこの銀座ママ氏よりも私の方が20代から既に人の心を感じる場数を踏んでいたかもしれない。 私見だが、何故このママ氏は若き大学生時代に既にクラブなどとの特殊な場でアルバイトを始めてしまったのだろう? それしか生きる手段がない程の経済難を強いられていたのだろうか?   私の場合は民間企業に於いてだ。 若くして係長を経験し民間企業にて苦難の時代を過ごしつつ、日々上司や部下の心理を読んだものだ。 ただまあ要するに、職種に限らず職場にて人間関係面で苦労を重ねる事により自己のコミュニケーション能力が育成される、との意味合いでは銀座ママのご意見に賛同するが…。)


 最後に、原左都子の私論で締めくくろう。

 朝日新聞が今回わざわざ銀座ママをコラムの解答者として抜擢したことが、成功だったのかどうか?? (どうせ、この銀座ママに夜毎お世話になっている朝日新聞記者が、夕刊ならばいいだろうと安易に採用したのだろうが…)
 バブル崩壊以前の一昔前ならば、確かに私同様に一般人とて銀座クラブに行く事は珍しくもなく、銀座のママにお世話になる人も多かったであろう。

 アベノミクス経済政策失敗の歪み事態に陥った今現在は、ごく一部の高実績を挙げている企業人の面々が銀座のクラブを支えているのであろうか??? 
 そんな事は私の知った事ではないが、こんな時代背景下に何故、朝日新聞があえて銀座のママを解答者として取り上げたのかに関し、その銀座クラブママ氏の解答レベルの低さと共に辟易とさせられるのが事実だ。


 既に還暦過ぎた身の私としては、20代初頭の学生時代よりクラブ界に入ってしまったという、未だ49歳との若き銀座クラブママの行く末をご心配したい思いを抱かされるのみだ。
 学生時代との貴重な時期に学問に励まずして、何故この女性は安易にクラブ界とのアングラ世界になど首を突っ込んだのだろう? 
 
 とにもかくにも我が持論としては、学生を含め若き世代にはその後の粋で豊かな人生のためにも、是非とも真面目に学問に励むべきと伝えたい。
 その意味で、銀座クラブママが解答したこの朝日新聞記事を2,30代の若者が本気で読むのかどうかも、私の知った事ではない。

50代で後悔しない“出世だけではない生き方”、って何??

2016年05月25日 | 時事論評
 今回のエッセイ表題は、ネット情報内の一文よりそのままパクらせて頂いた事を最初にお詫びしておく。


 一昨日ネット画面を開いたところ、興味深い記事に出くわした。
 早速その記事を、以下に要約して紹介しよう。

 50代で後悔しないための“出世だけではない”生き方:  あなたは人生の後半戦もサラリーマンとして生きますか?それとも別の道を選びますか?  サラリーマン屋として敗者にならずに生きるのは難しい。
 (これは)人生における基本戦略の選択だ。
 戦略の立案において最も大切なことの一つは、ドメイン(事業領域=戦いの場)の設定。「自分は何屋として」人生の後半戦を戦うか、という判断だ。
 多くの人は、「サラリーマン屋」をドメインとしてしまっている。 雇われて生きる生き方だ。人生の前半戦をサラリーマンとして生きたとして、果たして後半戦も同じドメインで生きていくと安易に決めていいのだろうか。
 サラリーマンいうドメインの中で考えるのであれば、勝者はCEOを頂点とする出世の階段を上り詰めた人間である。 そう考えれば、このドメインの中で出世の階段の途中で止まってしまった人は、残念ながら敗者ということになるわけで、不完全燃焼の結果、敗者となった人が嫉妬に苦しむという構図だ。
 サラリーマン屋として戦うということは、あまりに敵の多い、まさにレッドオーシャン戦略を選ぶということなのだ。 しかし、たとえ人生の前半戦でレッドオーシャン戦略を選択したからといって、後半戦も同じ戦略を選択しなければならないということはない。ドメインの設定からやり直し、異なる戦略を選択することもできる。
 レッドオーシャンで戦うことに価値を見出せない人も少なからずいるはずだ。そんな激戦場で、人事を尽くして天命を待つためには、多くの資源を費やす必要がある。 中でも必要とされるのが、会社に対する強いコミットメントだ。 愛社精神というより、むしろ出世に対する執着といってもいいかもしれない。この執着が強いからこそ、前回述べたようなさまざまな努力も苦にならないのだ。 
 40代で「会社にコミットし続けない」という道を選択するのは怖いことかもしれないが、無駄な努力をするよりはいい。 一度真剣に考えてみて、ある程度の出世欲はあっても、とりあえず部長になれば満足、せいぜい執行役員と感じる人であるならば、会社に対するコミットメントはそれほど強くないと見極められる。
 会社の中で“聖域”を作ってみる。  とはいえ、当然ながらレッドオーシャンから、別のレッドオーシャンにドメインを変更するというのはなかなか辛い。 ドメインを変更するのであれば、ブルーオーシャンに切り替えるのが得策だ。 ここで二つの選択の道がある。それは、社内でブルーオーシャンを作ってしまう道と、会社を辞めてまさにブルーオーシャンに船出するという道だ。
 ここで言う、社内のブルーオーシャンとは、何らかの専門家として尊敬されながら、定年まで勤めあげる、そんな働き方を指している。この“尊敬”というのは大切なキーワードだ。
  (  中  略  )
 いきなりブルーオーシャンを求めて会社を辞めるのではなく、さりとて会社の中に聖域を作ってそこに留まるのでもない、中間的なキャリアを描いた人もいる。
 もっともブルーオーシャンは、まだ誰も見たことのない競合のいない海域を言う。 だからこそ、“聖域”なのだ。 そうしたものを自ら見出さなくては、この戦略は使えない。 まだ誰もやったことがなく、自分には可能性があり、しかも自分にとって快適な立ち位置を見つける必要がある。 ハードルは決して低くないが、ぜひトライしてみてほしい。
 幸いなことに、最近はブルーオーシャン戦略に成功する人が徐々に増えてきているように思える。
 ブルーオーシャン戦略への道は、多くの場合、走りながら見えてくるのだろう。 ただし、できれば時には立ち止まり、その道が本当に自分の本質的欲求を満たしてくれる道なのか、いつも言っている『原点のCAN』を確認してみる必要はあると思う。  原点のCANとは、子どもの頃大好きだったり熱中した、その人の原点とも言える指向性のことだ。この指向性と仕事の経験を通じて獲得してきた能力である大人CANを掛け合せたときに、自分独自のユニークな可能性を見つけることができると述べてきた。
 セカンドキャリアを作る上で大切なことは「できるから」という理由だけで道を選んではいけない。 あくまでも「やりたいからやる」のではなければいけない。 そうでないと長続きしないのだ。しかし、だからと言って「能力が全くないこと」を選んでも、効率が悪く、場合によっては能力が身につく前に挫折してしまう。
 原点のCANは、その場合の道しるべともなるべきものだ。 何が自分にとって最適なブルーオーシャンになるかわからないものだが、原点のCANを考えながら探してみるのも効率的な方法だと思う。
 何を得るかより、何を失っても大丈夫かを知る。  自分にとってのブルーオーシャンを作るということは、多くの場合「何かを捨てる」ことが多いという事実を最後に付け加えておきたい。 すべてが手に入る人生などというものはない。何かをやろうとすれば、何かを失う。
   (  中  略  ) 
 こうした分析を、しっかりと自分自身と正対してできるかどうかが重要だ。 自分の本音の欲求として、何が大事で、何は譲れるのかを最初に見極めておく必要がある。 何を失ったらダメなのか。そこをわかった上で、進もうとしている道を再評価することが何より大切なのだ。
 
 (以上、長くなったがネット情報より中身を大幅に縮小しつつ要約引用したもの。)


 ここで一旦、原左都子の私事に入ろう。

 偶然だが、先だって我が晩婚亭主との会話内で、私が30歳にて企業を退職し大幅に方向転換した話題が出た。
 何分、お互いに40歳前後の時期に知り合っている。 それ以前のお互いの生き様に関しては会話の内容から推測するのみで、実際にそれを目の当たりにしていない間柄だ。

 亭主曰く、「何で○子(私の事)は〇〇会社を30歳で退職したのか? あの会社は知る人ぞ知ろうが、医学方面では国内最高レベルの企業(東証一部上場)として現在も発展を続けている。 退職せずそのまま居座っていたら、今や○子も取締役に君臨出来ているかもしれなかったのに。」

 応えて私曰く、「実際、当時若くして係長(主任)にまで出世を遂げていた私は、酒の席で副社長から退社を止められたよ。 副社長曰く、『何? 大学へ行って再び社会科学を勉強したいんだと? そんなの僕が教えてやるから会社に残れ!』と。 それでも私は退職して再び学問の世界に突入する事を優先した。 どうしてもそうするべきとの我が身から湧き出す未来志向に当時溢れていた。 あの時もしも私が退職しなかったとしても、近い将来に是が非でも企業から去ったと思う。 それ程、私は企業なる存在物体の体質を嫌っていたし、こんな狭い世界で『井の中の蛙』をしている場合ではない!、私には輝ける未来がある!、と信じていた。 早い決断こそがその後の我が人生に繋がったと私は自分を高評価している。 人生の喜びとは、決して地位やカネじゃないよ! 」


 我が紆余曲折した60歳までの人生を振り返りつつ、上記ネット情報を論評しよう。

 「サラリーマン屋として敗者にならずに生きるのは難しい。(これは)人生における基本戦略の選択だ。」  とネット筆者は記されているが、本当にそうだろうか??
 私自身が30歳で企業人間を一旦リタイアした身故に、偉そうな発言を控えるべきだろう。
 それにしても、個々人のサラリーマンとして目指す方向性が確固と定まっているのならば、素晴らしいサラリーマン人生を歩めるに違いない。 要するに、自分がサラリーマンとして「勝者」なのか「敗者」なのかはこのネット筆者が決めることでなく、サラリーマン個々の自分の心が決めることだ!
 当該「原左都子エッセイ集」にも、尊敬するべき現役サラリーマン氏皆様よりの訪問を頂いている事実に日々感動、感謝申し上げている。

 私の事例の場合は、おそらく上記ネット筆者氏が言われるところの「ブルーオーシャン」に漕ぎ付けた、との人種に分類されるのであろうか。
 それにしても、ネット筆者が記されている「ブルーオーシャン」事例に、原左都子としては申し訳ないがいたたまれない貧弱さを感じてしまうのだ。
 えっ?? 原点のCANとは、子どもの頃大好きだったり熱中した、その人の原点とも言える指向性のことだ、だと???
 それは、恐らく幼少時代に幸せな時代を過ごしたであろうネット筆者の単なる勘違いではなかろうか?
 ネット筆者の場合はそうだったのかもしれない。 が、私に言わせてもらうならば原点のCANとは、むしろ社会人として自立した後に獲得した自分なりの「発展力・生きる力」と表現したいものだ。

 確かに、その更なる原点は子供の頃に熱中した事象に辿れる人もいるのかもしれない。
 ただ、それを企業人として成長した暁にまで振り返る人間とは少数派ではないだろうか?? 


 今回我がエッセイ集にて紹介したネット情報は、ある意味でよくまとまっていると判断したため取り上げさせて頂いた。
 ただ、このネット情報発信者とは、結局 「企業人雇われ気質」が一生抜け切らない様子だ。 
 と言うことは、あくまでもくだらない現世に迎合せんとする「敗者」人物なのかと、少し軽蔑したりもする私を何卒お許し下さいますように… 

サミット直前テロ警戒態勢の中、皇居ラン大会完走しました!

2016年05月22日 | 自己実現
 (写真は、昨日5月21日に皇居周回コースにて開催された皇居ランニング大会スタート前の様子。 桜田門時計塔広場スタート地点近辺にて撮影したもの。 今回は単身出場のため、原左都子自身の写真は自撮りするしかなくドアップ画像ばかりになってしまい、公開を控えさせていただいた。)


 今年の5月の皇居ランニング大会は、あいにくの夏日激暑に苛まれた。
 午前中は高温ながら湿度が低かったため比較的走り易い日和かと期待しつつ、自宅から東京メトロ有楽町線に揺られ桜田門駅を下車してみると、予想以上にギラギラ太陽が照り付けて暑い。

 今回の皇居ランニング大会は「暑さ」との勝負!と覚悟を決め、スタートラインに着く。
 我が年に2回のランニング大会出場履歴も既に5年目ともなると、さすがにスタート時に緊張するとの心理状態は薄れている。 それでも気を引き締め、スタート地点の桜田門時計塔を後にして内堀通り歩道へと出る。
 やはり暑い。 太陽からの直射日光と内堀通りのコンクリート反射が暑さを倍増させている。 (いやはや、これは大変!) しかもUV対策も一切せずして大会に出場してしまっている。 特に顔面に太陽の反射を受け、古びた皮膚が紫外線に崩壊される恐怖を直に感じつつ走らざるを得ない。


 今回の我がランニング大会でのトピックスとは、初めて「給水所」で給水をした事だ!

 何分、私の場合たかが5㎞レース出場のため、特に晩秋の大会出場時などレース中に喉が渇くとの経験すらない。  そんな私も今回は早めに水分補給をしておかねば、高齢故に熱中症で倒れたものならば主催者側に迷惑を掛けると走りながら考えた。 

 そして、私は給水所にて一旦立ち止まった。
 マラソン大会をご覧になっている皆さんはご存知だろうが、走り慣れているランナー達は走りながら給水所で水が入ったコップを取り、それを同じく走りながら飲み道路にコップを捨て去ってランニングを続けるものだ。
 ところがそんな“荒業”が可能なのは、やはりベテランランナーのみだ。
 私のような素人ランナーは、一旦立ち止まるしか方策が取れない。 そしてそれをその場で飲んで、給水所担当者氏に「ありがとうございました」なる御礼を言って後に再度ランニングに戻るのだ。
 そのロスタイムは概ね20秒程だっただろうか?  それでも、その給水のお陰でゴールまで老体の身を持たせることが叶ったと判断する。 


 他方、今回の皇居ランニング大会に出場するにあたり、もう一つの懸念材料があった。

 それは伊勢志摩サミットを来週中頃に控えている我が国が、現在特に都内にてテロ警戒態勢に入っている事実だ。 
 レース前日にもその報道を見聞した。 何でも、首都圏空港や都内鉄道路線、そして皇居内外の警戒態勢を強化し、機動隊まで出動させているとのことだ。 確かにラン大会コース内にも、いる、いる、機動隊員らしき制服を来た男性達が!
 ただ意外や意外、我々の皇居ランニング大会を温かく見守るがごとくの彼らの視線に安堵すらした。 我が憶測だが、(この暑さの中ランニング大会に出場する奴らとは、走るのが精一杯で邪心など描く余裕がないだろう。)と、感じてくれたであろう事に期待したい。 まさに私など、たかが5㎞のランニング中は我が身を持たせる事のみに必死で、邪念を抱く暇もないとも表現出来よう。 


 しかも皇居内堀周回コースとはその高低差が30m程あるとの情報を、既に私は5年前に皇居ランニング大会に出場する以前より得ていた。

 その「高低差対策」が私にとって初めて活きたのは、今回の皇居大会だったかもしれない。
 30mの高低差とは、10階建のビルを走りながら登って降りる感覚と私は理解している。
 激暑の中皇居内堀を走りつつ、特に私は平川門から乾門を通り過ぎ、半蔵門を通過する辺りまで(今は上りだから耐える段階だ。 千鳥ヶ淵を過ぎた頃から徐々に下り坂となり、半蔵門を過ぎれば後は桜田濠を左手に見つつゴール手前まではずっと下り坂の連続だから、そこで休みつつスピードを上げよう!)と、素人ながら虎視眈々と狙っていた。

 今回の皇居ランニング大会にては、上記の我が戦略が初めて功を奏したと言えるかもしれない。
 その戦略通りの走りをした私は、無事に桜田門時計塔広場のゴール地点へ辿り着く事が叶った。


 無事ゴール到着後周囲を見渡せば、今回の激暑皇居ランニング大会に際し、(DNF : Do not finish 要するに「中途棄権」との意味合いだが)出場者が多かった模様だ。 参考のため、(DNS : Do not start はエントリーしたがスタートラインに立たずして棄権、との意味だ。)
 今回、中途棄権者が相次いだ理由とは、やはり激暑故であろう。
 それでも、ゴール後小耳に挟んだ若き女性出場者の“DNF結果への嘆き”の声が我が耳に突き刺さって来た。 「10㎞レースを目指して出場したが、5㎞時点で途中棄権せざるを得なかったことが悔しい、云々…」 
 私見だが、たとえ素人の身とて、レース出場した立場で途中棄権する事態とは一番の打撃かつ無念さを伴うものであろう…  高齢の私としても、それだけは回避するべく日々ランニング練習を重ねつつ素人ながらレース対策に励んでいる。
 ただ、まだまだ若い貴方には今後幾らでも完走のチャンスはあるよ。


 何分“50の手習い”にて始めた我がランニング趣味だが、今まで一度足りとて「DNF」との失策をせず完走を遂げている事実を我が誇りとしたい思いもある。

 今後も年に2度の「5㎞レース」出場を目指し、ランニング趣味に精進し続けたい私だ!

朝日新聞 「絵むすび」 ( 2016.5.21編)

2016年05月21日 | 自己実現
 (写真は、朝日新聞2016年5月21日付 パズル「絵むすび」に原左都子母娘合作にて解答したもの。)




 とりあえず、本日の「原左都子エッセイ集」にて、解答のみを公開させていただきます。