原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

郷里の実母が今度は「相続」の話題を私に振って来る…

2023年11月28日 | 人間関係
 これが困惑させられるのは。


 いつも一時の思い付きで、何らの下調べも無いままに次女の私に振って来ることだ。

 と言うのも米国の姉が当の昔から、実母からの「相続」を拒否している故だ。

 いくら相談相手が東京暮らしの次女の私しかいないと言えども。
 その内容のいい加減さには、ほとほと呆れるしかない。

 今回一体、次女の私に何と言ってきたかと言うと。
 
 「私の遺産は、米国のジョージ君(仮名・米国在住実姉の一人息子。現在20代半ば頃だろうか。米国州立大学大学院修了後、NASAに就職し、優秀職員として日々努めているらしい。)と、あなたの娘に半分ずつ分けてあげようと思っている。」

 私の娘への相続に対しては、実母からの電話の際に即刻拒否しておいた。


 さて、ジョージ君だが。

 参考のため、そのジョージ君の年収をここで語ると。 未だ若輩にして年俸3,000万円程らしい。
 とにかくNASA入職後ずっと優秀社員を貫いているようだ。 完全実力主義の米国では、年齢など何ら関係なく報酬がどんどん上がるシステムが採用されているとのことだ。

 そんなジョージ君が、実母の遺産を受け入れるのか否かを、私が知ったことではないが。

 
 とにかく実母の困ったところは、何でもかんでも私に言って来さえすればその処理をすべて私が施してくれると信じて疑っていないところだ。😖 😱 

 この度の地蔵寺生前永代供養挨拶とて、そうだった。
 歩行能力が極度に落ちている実母を伴っての挨拶は。 結局は実母の歩行がままならず実母はタクシー内で待機して、私一人で住職氏にご挨拶する結果と相成った。
 いや、その方が結果としては数段事がスムーズに進み正解だったと結論づけられるのだが。😝 


 ただ、今度の「ジョージ君への遺産相続」は、そんなに簡単な話では無い。

 どうしてもそれを実行したいのならば。
 私の考えとしては、「生前贈与」の形式を採って貰いたい。
 そうすればまたもや私が郷里へ出向いて、実母を取引銀行へ連れて行きその処理を手伝いたいものだ。
 ただ現在の実母の状態を勘案した場合、取引銀行へ連れて行くのもおそらく一苦労だろう。
 あるいは、銀行係員氏に実母の施設へ出向いてもらう手があるかもしれない。 
 ただ如何なる形式であろうが、実母本人がその取引を理解して一人でこなすことは既に100%無理であろう。

 この私がすべての取引を引き受け、それを代行することに間違いないだろう。

 それでも「生前贈与」の形を実母がとってくれるならば。
 またもや郷里へ出向き、その介助をしてもいいのだが…


 一番困るのは 実母亡き後に次女の私に、「米国のジョージ君へ相続遺産を送って」と言われることだ!

 我がエッセイ集読者の方々はご存じの方も多いだろうが、この私は米国在住の実姉と既に20数年前に絶縁をしている。
 その立場で、実姉の息子に当たるジョージ君に実母の遺産を送ったりしたものならば、私の日本での居所がジョージ君を通して実姉にバレてしまうではないか!!
 

 それだけは、何が何でも阻止したいものだ!!! 


郷里の高校生時代に国鉄車庫?の横を通って日々通学しました。

2023年11月26日 | 時事論評
 (冒頭写真は、郷里にて宿泊した駅ビルホテルより撮影したJR車庫??敷地内に停車していた車両。)



 郷里旅の初日に駅ビルホテルに到着した時には、既に日が落ちていた。

 冒頭写真の主要駅に程近い場所に列車の車庫??が存在する事は、50年程前に県内公立高校へ3年間通学する際に既に把握していた。

 駅から降りてこの車庫の隣の道路を通り、左側の歩道橋を上ると“徳島城城跡公園”が存在する。 その敷地内を通り過ぎると県内主要大通りがあり、横断歩道を渡りしばらく歩いて左折すると私が通っていた高校が存在した。
 その距離、片道で約20分。 その往復を高校時代の3年間繰り返した訳だが。

 中学校卒業まではそんなに歩いた経験は無く、駅から随分と遠い高校だと日々感じたものだ。



 今となっては、そんな思い出も懐かしいもので。
 ついつい、ホテルの窓からこの車庫の光景を撮影することと相成った。

          

          

 これらは夜遅い時間帯に撮影したのだが。

 何故か停車中の車両に、赤々と電気をつけっぱなしている。 その理由が不明のまま、何枚か撮影した。(社内点検か清掃作業でも実施していたのだろうか???)

 
          
 こちらは、駅前ホテルやショッピングセンターの写真。
 御覧の通り、県内主要駅の真ん前にもかかわらず 人通りが極めて少ない。


 いや、私が暮らしていた昔(50年以上前に遡るが)は決してそうではなかった。

 駅前から眉山(郷里の名山です)までの通りは人で溢れ、新町川沿いから眉山に程近い元町までは休日など人でごった返していたものだ。

 この私も元町界隈でショッピングを楽しんだり、当時存在した丸新デパートにて買いものをしたりしたものだ。
 当時の元町通りにはお洒落なブティック(そのような呼び方はしていなかったが)が多数存在し、そこで店員さんに洋服を選んで頂き「よくお似合いですよ!」などとおだてられながら買い物をしたなあ。



 その元町・新町界隈がすっかりと廃墟(と表現するのがピッタリ!)のごとくに成り下がってしまい…
 まさに県内主要駅前が “見る影もなく落ちぶれている事実" に愕然とさせられる。😱 


 で、県民の皆さんは何処で買い物をしているのかと言えば。
 郊外に大規模スーパーが展開する商業施設があって、そこに自家用車で出掛け買い物等々の所用を済ませている様子だ。

 これは、おそらく過疎地のみならず。
 今に至っては全国規模で同様の様式が採用されていることであろう。


 利便性の面では、そんな現象も進化と言えるのだろうが。

 遠い昔に郷里を去った人間として身勝手は承知だが、 郷里は郷里のままの姿でいて欲しい…

 などと言ったら、大バッシングを受けるのだろうなあ。😖 😵 😷  


郷里医学部時代の同窓会に卒業後40数年ぶりに出席しました!

2023年11月25日 | 人間関係
 (冒頭写真は、先だって旅行した郷里にて開催された「医学部時代の同窓会会場にて幹事氏が撮影してくれた写真。 右から2人目が原左都子。 その左隣のピンクセーターは同窓生のBちゃん。 Bちゃん、無断公開してごめんなさい。)


 このBちゃん、ご覧の通り美女ですが。 学生時代は更に光輝くばかりに美しかったのが印象深いです。


          
 同窓会場内の一光景。 



 さて、その同窓会ですが。
 何分、40数年ぶりに出席した私に皆の注目が集中するのは自明の理だったことだろう。

 嬉しいのは、当時の愛称だった「〇ちゃん」を皆が忘れておらず、私を見るなりすぐに「〇ちゃんだ!!」と分かってくれるのに感激した。

 そしてBちゃん曰く、「〇ちゃんは体型がまるで学生時代と同じだからすぐ分かる!」と言ってくれるのだが。 
 実は私は学生時代に多少太っていて、今ほどのスリム体型ではなかった。 大学卒業後すぐに上京して医学関係の業務に就いたのだが。 その頃にはすぐに私が目指す“理想体型”に移行し、その後は現在に至るまで体型に変化は無い。


 今回の同窓会の特徴と言えば、やはり出席者の皆が「医学関係者」である事実であろう。
 結婚退職した人物は皆無。 一人だけ、出産退職したのかなあ??
 その他の皆は 定年まで医学職を勤め上げた人材が多く。 70歳が近づいている今現在も現役医学分野で活躍中の同窓生もいて、尊敬ものだった。

 やはり 同種の職業にて長年頑張った同輩とは、話題の共通項が多いものだ。
 何の遠慮も無く医学関係の会話が楽しめたのは、この同窓会以外にあり得ないだろう。
 どなたと会話しても、話がツーカーなのが楽ちんだった。
 我が左膝複雑骨折に関して聞いてくれる同輩もいて、その詳細症状について語れたのは今回が初めてだった。


 加えて、当該エッセイ集の事が話題となった。 
 とは言えども同窓生の現状としては、私がネット上でオピニオンブログを公開していてそれが人気を博している、云々の認識のようだが。
 そうだなあ。 これがブログ開設直後期ならば喜んで「原左都子エッセイ集」を表沙汰にしたであろうが…
 世から誹謗中傷が押し寄せて以降 コメント欄閉鎖措置を採らざるを得なくなっている現状下でその行動はとれず、やむなく同窓生への公開は控えることとした。



 さて同窓会も終盤に近付いた頃に、幹事氏が発言し始める。
 「我々も今後は、LINEにて連絡を取り合いたい。」
 
 内心、(やっぱりそれが出るなあ…)と多少の抵抗感を感じた私だ。
 と言うのも、この私は前回の郷里高校東京支部同窓会時にも幹事氏にそれに加わるように指南された際に、断固として拒否を通したのだ。

 いや、実際にそれに加わったとしても大した弊害は無いのかもしれないが。
 とにかく、人と“つるむ”ことに大いなる抵抗感を抱く性分だ。


 それに加わらないと幹事氏には負担が多くなって迷惑を掛けるようだが。
 本日も、医学部同窓会の幹事氏より私にわざわざ郵送にて写真が届けられた。
 申し訳ないと思いつつ。
 その幹事氏よりの郵送物の宛名等々がすべて直筆だったことに興味を持った。
 この原左都子、ずっと以前より文字はパソコン入力を愛好し、氏名のみ直筆としているのだが。

 何と言うのか、LINEを好む人物が必ずしもパソコン等々の機器に精通している訳ではないのか???? なる、歪んだ感想を抱かされたものだ。


 話題が大幅にズレたが。

 今回の郷里医学部同窓会、なかなか参加し甲斐がある内容でした!
 また、是非参加させて頂きたく思っています!!! 


郷里医学部卒業後 40数年ぶりに初めて出席した同窓会 ー vol.1 ー

2023年11月23日 | 人間関係
 (冒頭写真は、11月に開催された郷里医学部同窓会会場にて撮影した室内風景。)


 郷里滞在最終日に、この同窓会に出席するスケジュールを組んでいた。

 駅前ホテルよりタクシーを拾い、行き先を述べると。
 タクシー運転手氏がおっしゃるには。 「その料亭は高級で、一般人が易々と行ける場ではないですよ。」😵 

 郷里を離れて長年が経過している私としては、今となっては郷里の料理処など一切知らない。 
 それにしても今回の同窓会の会費が割安のため、私としてはまさかそんな高級料亭ではないと思っていたのだが。


 さて、私が通った医学部に程近い場所に、その「料亭」??はあった。
 高級料亭??の割には、玄関に到着しても誰一人としてのお迎えも無い。 どうやら開店前で職員たちのミーティングを実施している最中だったようだ。しばらく待って、それが終ってから私は声を掛けた。 「〇〇大学医学部の同窓会が本日ここで開催されるので、参りました。」
 通された部屋にトップバッターで入って、部屋の写真を映したりしていた。

          

          

 椅子の数を数えながら、(本日の出席者は12名だなあ…)などと把握していたところ、同級生が一人訪れた。

 はやり、40数年の年月とは侮れない。
 一体その方が誰なのやら、一切分からない。
 と私が困惑していると、私を一見したその女性が言う。「〇ちゃんでしょ!!」 大当たりだ!

 その後も、次々と同窓生が部屋に入って来る。
 「えっ!! 誰!?!?」この言葉を繰り返す私に対し、相手はほぼ私を判別できる様子だ。
 そんな同窓生の一人の見解によれば、「〇ちゃんは、体型ですぐわかる!」

 有難い話だが。
 実は私は大学時代は今よりも太っていた。
 上京後はずっとスリム体形を維持し続けて現在に至っているが、まあ確かに脚の長さは昔から変わらないなあ、などと内心納得しつつ。😜 


 肝心の同窓会だが。
 何処の同窓会も同様だろうが、12人規模の椅子席同窓会の場合、どうしても近隣の参加者との会合にならざるを得ないだろう。


 もう一点気付いたのだが。

  今時の同窓会(特に高齢域の)では、酒を1杯しか飲まないのが礼儀だと悟った。
 この私の場合、同窓会の後は空港まで向かって帰宅の路に就かねばならないため、元より酒は控えようと考えていたのだが。
 
 それにしても、10月に出席した高校時代の同窓会もほぼ“酒無し”だった。
 
 やはり 年老いた人間にはそれなりの道理や礼儀があるものと悟った同窓会でもあった。



 続編を、次回以降に綴る予定です。

  (予告として この同窓会ほど、出席同窓者からの “〇ちゃん(私の事だが)コール” が多かった会合を私は今まで経験していない程に、それはそれは感激的だった!!) 😱 😝 


実母に言いたいことがある。遺産は一切残さなくていいから自分の経費は自己負担して欲しい!

2023年11月21日 | 人間関係
 (冒頭写真は、徳島空港にて撮影した光景。)


 実にわだかまりが残る旅行だった。

 今回の主たる目的の一つだった、実母を連れての生前永代供養挨拶へ四国霊場・地蔵寺へ行った際の交通費に関してだが。

 実母の歩行力が極端に落ちている故に、その全行程をタクシー依存するしかないのは事前に承知していた。
 まずは、私が宿泊していたホテルを出て、駅前にてタクシーを拾った。
 次に実母が暮らす高齢者施設へ立ち寄り、タクシーに乗せて。
 その次は、今回同行してくれた実母の妹の家までタクシーにて走り。
 3名揃った後に、目的地の地蔵寺までタクシー乗車で行った。
 (そのタクシー代の計算値を公開して恐縮だが、既に約2万5千円ほどのタクシー代が発生した。) 
 実母が支払おうとしないため、私がすべて支払った。

 ここでタクシーには私が地蔵寺にて住職氏と対面している間は、お待ちいただかねばならない。 ところが実に親切な運転手氏で、待ち時間は無料で良いとおっしゃって下さる。

 さて住職氏との面会だが、実母が「脚が痛くて歩けないから、タクシーで待っている」と言う。 私の判断としても、今この母を連れて行ったとて住職氏にも「脚が痛い」と訴えるのみと判断し、さっちゃんにもタクシーに残って貰って私一人で住職氏と面談することとした。


 結果としては、これが大正解だった。

 住職氏がご多忙の身で、面会時間は20分のみとおっしゃる。
 その間の二者面談の内容が充実していたこと!!
 永代供養の挨拶のみならず、来る実母の葬儀の際にもお経を唱えにお越しいただきたい旨を話すと、喜んでお引き受け下さった。
 話がまとまって私が帰ろうとすると、住職氏が母や私に関する個人的な話題を振って下さるので それを受けて楽しい会話をした際に、私の年齢の話題になった。「娘さんは40歳程ですか?」とおっしゃるので、「とんでもないです!既に〇代が近づいています!」と応えると、それはそれはビックリなさったものだ。
 後日談だが私が東京帰宅後に、地蔵寺住職さんより我家に電話が入った。 私が出発前に贈った菓子折りの御礼目的の電話だったのだが。 この電話の話が弾むこと! 元々話題豊富な住職さんの様子だが、帰宅後も楽しい時間を過ごさせていただいた。😃 


 話題を、タクシーに戻そう。
 
 地蔵寺にての待ち時間が長かったため、私の配慮でタクシー運転手氏にその心付のお礼をした。

 帰り道も、当然ながら行きと同じタクシー利用となるのだが。

 やはり、実母は一銭もタクシー代を支払おうとしない。
 それどころか、実母が帰り道の途中で銀行に立ち寄ってお金をおろしてきて欲しいと言う。
 地元の銀行の位置を心得ない私に代わり、親切な運転手氏が目的銀行前で停車して下さる。 お陰で、私が代行(実母は未だにATMが扱えない…😨 )して、実母が指定した金額を降ろしてきたところ。
 
 私としては、その金額から当日のタクシー代を実母が私に支払う、と言うのかと思ったら!?! そのすべてを自分の鞄の中に入れた…😖 

 その後、実母が暮らす施設へタクシーが到着するまで、実母は身勝手な愚痴や自身の自慢をし続けた挙句。
 施設へ到着すると、一応タクシーの運転手氏には挨拶をして。
 脚の不自由な実母を私が施設内へ送り届けた際にも、タクシー代に関する話題は何ら切り出さないままに。
 私は、タクシーに乗ってホテルへ帰ることとなった。
 

 この実母の行動が未だに理解できないでいる私だ。

 脚腰は不自由だが、自己資金はかなりの金額を貯めていて金銭的には何ら不自由はしていない実母のはずだ。

 それなのに、その日のタクシー代(全額で5万円超の出費でした)のお礼を言うでもなく、まるで娘の私がそれを負担して当然のごとくのあの態度はどうしたものなのか??? 
 (あれから4日が経過した今尚電話にての御礼の一言もありません…)

 いえ、もちろん娘の私が負担してもいいのですけど。
 親子関係でも それを負担してあげた娘に対する、一言「今日は多額のタクシー代を負担してくれてありがとう」等々のお礼が欲しかった…
 と感じて。

 実の母親の心身の退化具合に、心が痛むものがあります…