原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

男って基本、結婚相手の女など誰でもいいんじゃないの??

2018年06月30日 | 恋愛・男女関係
 いや、そうは言っていられない男達も、この世には必ずや存在するようだ。


 その最たるものが、政治家ではなかろうか?
 政治家には「政治資金」がつきものだ。
 それを捻出する資金力ある奥方を迎え入れるのが、政界の常であろう。

 かの安倍晋三氏の奥方の昭恵氏とて、その例外ではない。 
 ここで、安倍昭恵氏の家系を紹介するならば。  曾祖父 森永太一郎(実業家・森永製菓創業者・初代社長)、松崎半三郎(実業家・森永製菓第2代社長)、祖父 森永太平(実業家・森永製菓第3代社長)、松崎一雄(森永製菓相談役)、父 松崎昭雄(実業家・森永製菓第5代社長。 (以上、ウィキペディア情報より引用。)
 この昭恵氏家系の資産力や実家の経済界での地位・権力無くして、安倍晋三氏は一国の首相として君臨出来るすべもなかった事だろう。


 あるいは開業医のご夫人も、大抵の場合資産に恵まれたご家庭出身であることだろう。
 特に大病院経営者の子息医師など、その経営を引き継ぐため、資産家の奥方を探し当てるのに躍起になっているようだ。
 本エッセイ集バックナンバーでも既に述べた内容だが。
 私は医学関連の職種に従事していた関係で、過去に於いてその実例を経験している。 
 某知り合いの大病院経営者の息子医師が私に告げるには、「将来、自分か弟かその両者が父の病院を引き継ぐ予定なのだが、現在大学病院にて勤務中の弟医師が職場の看護婦と恋愛関係に陥ってしまい、父も自分も困惑している。 偶然その看護師女性が資産家出身だとラッキーなのだが、そうでない場合、嫁いでくる相手女性の“持参金”が当てに出来ない。 これは病院経営者にとっては大打撃だ。 早めに別れさせない事には大変な事になるが、どうやって分かれさせたらいいと思う? ……」
 いやはや、それは病院経営者としては確かに切実な課題であろうと実感させられる実話だった。 結果、どうなったのかは聞けず終いだが。
 参考だが、相談者である医師ご自身は既に資産家出身の女性医師と結婚済みであり、その条件はクリアしていた。


 本日、何故このテーマでエッセイを記す気になったのかと言えば、それはNHK連ドラ「半分、青い。」のせいに他ならない。

 何でも、主人公すずめの幼馴染みである律(現在ロボット研究者として大阪の大企業製作所に就職仕立てのようだが)が、突然同じ職場の事務職員女性と結婚してしまったようだ。
 この律だが、ドラマ上の女性遍歴は少ない方だろう。 
 幼馴染のすずめにずっと慕われつつも、大学生時代に他の女性と恋愛し3年後に破局したとの設定だ。 その後、郷里にてすずめに再開した際、当時漫画家としてデビュー後一時仕事に恵まれていたすずめに「結婚しよう」とプロポーズしたものの、すずめの本心とは裏腹に「無理」との言葉で一蹴されてしまう。
 そして律は、職場の事務女性との結婚に至ったとの現在のストーリー展開なのだが。

 ここしばらくこのドラマは、主人公すずめ側の心理描写に躍起になっていた。
 まあそれでも、本日の放送ではやっとすずめが漫画家として立ち直りたい方向性を見い出せた様子でもある。


 ここから私事及び私見に入ろう。

 何分、40歳手前まで結婚願望が希薄だった私だが。
 そんな我が視点からは、現在置かれているすずめの不安定ぶりが痛々しくもある。 要するに、漫画家との自由業に独身の立場で従事せんとする場合、その自由な身と収入源との駆け引きが心中渦巻く状態は分かる気がする。 

 肝心要のすずめと律との関係だが。
 これ、私の目線からは両人の間には決して「恋愛関係」は無かったと結論付ける。 いや、女のすずめ側からは男の律に対し、それ(恋愛心理)はあっただろう。
 ところが、律側からは決してそれは無かった。 そんな律が何故すずめにプロポーズしたのかが、そう理解していた私には分かりにくかった。 要するに、律はその時点で寂しかったのだろう、としか結論付けられないシーンだった。 単なる男のわがまま感情をすずめにぶつけ、救いを求めたかっただけなのだろう。
 それ故に、すずめが「無理」と回答した事に私は大いに賛同した。


 ここで我が私事を繰り返すのも何だが、私は結果として「見合い結婚」を選択し晩婚にてそれを叶えている。
 これが大正解だったと、今尚実感する。

 男女関係の有り様など、それはそれは人それぞれ多様な事だろう。
 ところがこと法的責任を伴う結婚ともなれば、両人間での責任論が発生して当然だ。 それを恋愛関係ですったもんだした相手と実行などしたものならば、如何なる結果となるのかが目に見える思いだ。

 話題を律に戻すならば、律は同じ職場の女性事務職員との結婚を実行したとのことのようだ。
 その律の判断は大正解ではなかろうか、と私は感じる。 一応恋愛結婚のようだが、要するに同じ職場での社内結婚とは「見合い結婚」に近い様式なのではなかろうか? 環境が似た者同士の家庭とはまさに条件を釣り合わせての見合いと同等の結論が導かれるようにも考察する。


 表題に戻そう。

 結局、ドラマの律に限らず、男とは結婚相手の女など誰でもいいのではなかろうか?と、私は昔から思っていたような気がする。
 それは、私自身が傍観者の立場で数々の職場結婚(女にとっては“寿退社”との表現が使用されていたが)を“他人事として”見守って来た歴史にもよるかもしれない。
 
 私自身は自らの意思で晩婚を選択し、その後は適齢期に“寿退社”を遂げた女性達との付き合いが希薄なため、現在それら女性達が幸せに暮らしているのかどうかに関する情報に関しても縁が薄い。

 まあ、少なくともドラマの主人公であるすずめにとっては、所詮縁が無かったロボット研究者として成長した律なのであろう。

 律が職場結婚相手の事務職員女性と今後如何なる人生を歩もうが、すずめはすずめなりに恋愛経験を重ねつつ、今後漫画家として精進出来ればそれに越したことは無かろう。

ASIMOくん、君の歩みはもう止まるのか?

2018年06月28日 | 学問・研究
 (写真は、我が家に保管してあったロボットASIMOのデフォルメ人形。)


 先程、ネット上で以下の情報を入手した。
 早速、引用しよう。

 ホンダが2足歩行の人型ロボット「アシモ」について、開発の中止を検討していることが28日、明らかになった。 アシモは2000年に発表された2足歩行ロボの先駆けで、段階的に改良が加えられてきた。 今後はアシモで培った技術を活用し、福祉・介護分野などで使う実用的なロボットの開発に注力する方向だ。 
 ホンダは1986年に2足歩行ロボットの開発に着手。 現在のアシモは走ったり、ジャンプしたりといった高い運動性能を持つ。 手を使って簡単な作業もすることができる。
 ホンダは、人型ロボットの開発自体は継続する。 アシモも一般の知名度が高く、ホンダの技術力の象徴でもあることから、イベントなどで活用を続ける方針だ。 


 ここからは私事で恐縮だが。

 6年前に現役引退した理学博士・物理学研究者の我が亭主が勤務していたのが、まさにこの「アシモ」の研究開発に着手した民間企業技術研究所だった。
 亭主自身はこの「アシモ」の研究開発には直接かかわっておらず、その発展系である「歩行アシストロボット」(アシモの制御技術を応用し足腰が弱った人の歩行を助ける装置)の研究に定年前の何年間か携わっていた。

 当時としてはホンダが世界に先駆けて研究に着手した“2足歩行ロボット”「アシモ」は、まさにロボット界に於いて花形だったようだ。
 2000年初頭の頃、我が家でも亭主が私と未だ幼き娘を捕まえて「アシモ」について自慢げによく語っていた記憶がある。
 そして、冒頭写真の「アシモ」デフォルメ人形を2個も買って来て、娘と私にプレゼントしてくれたりもした。 (先程その保管場所を探したのだが、残念ながら1個は行方不明。 もう1個は娘の部屋にて埃にまみれた状態で発見し、その写真を撮影した。
 
 本物の「アシモ」を見に行った事もある。
 あれほど亭主が自慢する「アシモ」を娘に見せてやろうと企てた私は、東京お台場に位置する科学博物館へ娘を誘い「アシモ」とご対面した。 予想よりはるかに小さい「アシモ」だった事に、私は何だかいじらしく痛々しい幼気(いたいけ)な姿を見る思いだった。
 ただ、やはりこれ程小さく設計せずして、二足歩行や一瞬宙に身体を浮かせるランニング機能をロボットに持たせるのは無理なのかと判断した。


 つい最近の事だが、いつも昼の時間帯に視聴しているNHK連続ドラマ内で「ロボット」の話題が出た。
 何でも主人公の幼馴染みの律が、大学にてロボット研究に携わりたいとの夢を描いたシーンだった。
 そのシーンを亭主もたまたま見ていたのだが、「確かにドラマの時代背景がロボット研究さきがけの頃だ。 そして、ドラマの律が所属している西北大学(おそらく早稲田大学)がホンダに先駆けてロボット研究を実施していたのも事実だ。 今となってはロボット研究も多岐に及び、その目指す方向が多様化している。 今後のロボット研究の未来は多様だ。」等々と私相手に持論を展開したものだ。
 (そうか、今では家でうだうだしている印象しかない亭主も、意外や意外、ロボット開発研究に関しては熱い思いを持っていたんだねえ~~。)


 ここで、ウィキペディア情報より「二足歩行ロボット」に関する記載の一部を以下に引用しよう。

 二足歩行ロボットは、主に人間の活動を前提とした空間で、ロボットが支障なく移動し作業することを目的に研究されている。 また、自動車のペダル、自転車のペダル、足踏み式空気入れなど、ユーザーインタフェースとしての人間の足を前提とした機械をロボットに動作させることを目的としているケースもある。 初期の二足歩行ロボットにおいては、人間の二足歩行というメカニズムを工学的な視点より研究・解明する目的で製作されたものもある。  二足歩行以外には、産業用の組立てロボットのように移動手段を持たないものや、地上(車輪、キャタピラ、蛇のような多関節構造、4脚、6脚)、水中(無人潜水艇)、空中(無人飛行機)、宇宙(無人探査機)などの移動手段がある。
 ロボットの語源はチェコの作家カレル・チャペックの『RUR』という1921年に出版されたSF小説に出てきたロボットという名の人造人間である。 この小説ではロボットは奴隷として描かれており、ある日人間に反抗し人間の殺戮を開始する、というストーリーである。 原典での描写に従えば、ロボットとは人間に危害を加える人造人間の奴隷ということになる。 ハリウッド映画に出てくるロボットの多くが、この原典でのイメージを引き継いでいるのは理解できるだろう。 日本におけるロボット研究においては、からくりとの文化的なつながりが複数の識者により指摘がされている。 また、『鉄腕アトム』や『ドラえもん』といった漫画・アニメ作品で描かれたような、人間と共に、また人間と同じように活動するロボットへのあこがれが、日本でヒューマノイドや二足歩行ロボットの研究が盛んである理由の一つとの指摘する人も多い。 実際、そのような意見を述べるロボット研究者は少なくない。
 二足歩行ロボットは、以前から日本の技術の高さと独自性が内外から評価されつつも、未だ産業化とは程遠い状況である。 二歩行ロボットのような新技術の実用化には、天才による画期的な発想ではなく、失敗を繰り返しそれに学ぶ地道な改良が必要で、大規模な資本投下と足の長い開発が欠かせない。  最も実用化が有望なのは、人間が入れない作業空間ということで、原子力産業への適用は以前から提案がされていた。 しかし、事故の想定を嫌う原子力サイドの対応は極めて消極的であった。 
 (以上、ウィキペディア情報より一部を要約引用したもの。)


 その後のホンダの対応だが。
 再び亭主の談話によれば、民間企業の「社会的責任」観点から「歩行アシスト」の研究開発は続行しているとの事のようだ。 
 要するに民間企業に於いても(組織存続の収支を度外視してでも)「社会的責任論」を重視せずして今現在の企業経営が成り立たないとの事実が歴然としているのは明白なのであろう。

 そんな中、米国ではこの“2足歩行ロボット”を軍用利用目的で研究開発中であるらしい。
 要するに「スーパー兵士」の登場だ。

 まったくもって、ロボット人工知能開発研究が今後の世の平和に於いて吉と出るのか凶と出るのか!??
 それは研究開発者達の良識の程に依存されているのが現実なのであろう。

副作用が強い割に効果が低い認知症薬の現実

2018年06月26日 | 医学・医療・介護
 ここのところ本エッセイ集に於いて、高齢者有料介護施設に暮らす我が義母に関するエッセイが激減している事にお気付きだろうか?

 これには、明確な理由がある。
 義母の認知症状と耳の聞こえの悪さに拍車がかかっている結果として、どうやら本人自身が“電話をかける”との行為がとことん重荷になっている様子なのだ。
 これまでならば、施設内で何らかのトラブルが発生したり、自身が不快と感じる出来事が起こるとすぐさま私宛に電話を寄越し、その現状を力の限り訴えたものだが…

 こちらとしては義母相手に電話相談に乗る事とはとてつもなく難儀かつストレスフルな生業であり、正直言うなら、その業から解放されて“命拾い”している現状だ。

 義母には今年5月半ばに施設でのケアマネージャー氏との介護に関する懇談の際に会ったのが最後で、それ以来面会していない。


 介護施設から公式に義母の“認知症状”に関する報告があったのは、既に3,4年前の事だっただろうか。
 実はそれよりずっと以前から、私は義母に関して“認知症状”を疑っていた(と言うよりも確信していた)のだが、まさか義理関係の私の立場から、義母の認知症状に関し、身内相手に大っぴらに指摘出来る訳も無い。
 そんな私はケアマネ氏よりその報告を頂いた時に、すぐさま「承知していました!」と応えた。

 さて、義母の施設では認知症診察を外部の担当医師が行い義母本人に告げるようだが、若き医師が診察結果を義母に公表すると同時に、すぐさま「薬がありますか飲みますか?」と投薬を勧めたらしい。
 それに、医者好き・薬好きの義母が喜んで「お願いします!」と応えたとの事だ。

 この話題を私はケアマネ氏より聞き、困惑というよりも仰天させられた。
 認知症状を抱え自身では何らの判断能力も無い義母相手に、医師の立場で投薬の是非を問うとは何事かと!
 その思いをケアマネ氏に伝えたところ、すぐさまケアマネ氏も同意下さった。 義母の施設では、保証人の判断を最優先しているとのことで、即刻それを取り止めるように医師に伝えるとの回答だった。
 ただ、私も迷った。
 何せ義母本人が望んで選択した投薬だ。 “信じる者は救われる”との格言もあるし、もしも義母本人が「せっかく私が医者先生にお願いしたのに、何で他人の貴女がそれを断るのよ!」と反撃に出る事も考えられる。
 更には、既に物凄い数の“劇薬”を処方されそれを数十年来日々飲み続けている義母にとって、たかが一種の認知症薬追加による副作用の詳細など分かったものでもないし……。

 結果としては、私とケアマネ氏の判断が優先され、義母は認知症薬を投与されずに済んでいるのだが。


 さて、話題を変えよう。

 2018.06.24付朝日新聞内に、「認知症薬 仏が保険適用除外」 と題する報道記事があった。

 早速以下に要約して紹介しよう。
 認知症の治療に日本でも使われている4種類の薬が、フランスでは8月から医療保険の適用対象から外されることになった。 副作用の割に効果が高くなく、薬の有用性が不十分と当局が判断した。 日本でそれらの薬が適用対象から外される動きはないが、効果の限界を指摘する声は国内でもあり、論議を呼びそうだ。
 フランス関係筋の話によると、アルツハイマー型認知症の治療薬として、これまで薬剤費の15%保険で支払われていたが、8月から全額自己負担になる。
 東大准教授によると、フランスは薬の有効性に応じて価格や保険で支払われる割合を随時見直している。 今回の薬は有用性が低いとの評価を受け、保険で支払われる割合が引き下げられた。 
 上記4種類の抗認知症薬は病気の症状が進むのを抑えるが、病気自体は食い止められない。 反面、下痢や吐き気、めまいといった副作用がある。
 (国内医学研究機関に於いても同様の研究が成された結果)、国内某認知症医療センター長は、「欧米はケアやリハビリをより重視する。 日本では安易に抗認知症薬が使われている印象」と話す。 
 (以下略すが、以上朝日新聞記事より引用したもの。)


 最後に私論に入ろう。

 まったくもって上記朝日新聞記事に記されている通り、我が国日本の医療・医学とは、いつまで経っても“臨床医”中心の「投薬・検査」に依存した医療が大手を振っている事実に愕然とさせられる。

 その現実を顧みるに、“基礎医学”が果たす役割が今尚不完全である事実を物語っているとも言えよう。
 あるいは、国民に対する「予防医学」観点の教育も未だ手薄なのであろう。

 医学後進国家である我が国に生まれ育った我々は、いつまで経っても「臨床医学」に依存し続けねばならない現状でもある。
 医師が「検査するよ、薬を出すよ」と言えばそれに100%同意する習慣が特に弱者国民に身につき過ぎて、老後に至ってまでもその指導を疑いもしない。

 認知症者などその極限に存在する立場だ。
 「薬出すよ~」と医師から言われ従う我が日本弱者国民達の実態…

 若き頃から主体性を持って生きて来れたならば、ご自身の専門分野にかかわらず、そう易々と医師(臨床医)の指導に従うべくもなかっただろうに…。

 少なくとも我が国家政権がフランス等々医療先進国家に追随するべきだろうが、政府と医療と製薬業界との癒着歴史が長いこの国に於いて、願うべくもない事態なのだろう… 

パズル 「推理」 ー 朝日新聞 2018.06.23編 ー

2018年06月24日 | 自己実現
 (写真は、朝日新聞2018.06.24 付パズル「推理」に原左都子が解答したもの。)



 朝日新聞 パズル「推理」ファンの皆様、お待たせ致しました。


 今回の「推理」課題は “難易度3”にしては、多少解答に手こずりませんでしたか?

 問題文を単純に読んだだけでは、課題欄に入れられる〇✖が少数に限定され、空欄が多く残ってしまいましたよね?

 この私も問題を何度も読み返しながら、登場人物の更なる相互関係を探ってみました。


 例えば、高松さんの正解数が「佐藤さんより2問多い」との発言や、原田さんの「自分の正解数は社会の問題が得意な人と2問差」などを総合的に交錯させつつ整合性を取る作業を今一度繰り返しました。

 あるいは、小林さんの「僕の正解数は、スポーツの問題が得意な人より多かった」も交えて、最初に全員の解答数を探り当てることに成功しました。


 その後も「得意な問題」欄に於ける 〇✖ の付け間違いのポカミスを発見する始末… 
 この“根性ある”原左都子にして「途中棄権」で解答を断念しようかと弱気になりつつも、気持ちを切り替え、最終的に解答を完成させました。

 それでも、15分程で解答を“投了”できました! 



 最後に、表題とはまったく無関係の余談をこんな場所で披露させて頂いて恐縮だが。

 少し前に現実世界の知り合いの方から、「『原左都子エッセイ集』の執筆にどれ程の時間を要しているか?」なる質問を頂戴した。

 それに応えて、「短い時で約1時間。 長い時は3時間程を要する」旨の返答をした。

 それをお聞き下さった知り合いの方が、「やはり、それ程の“長い時間”を要するのですね」と応えられたのが私にとってはプラスマイナス両面で印象的だった。


 その回答の追加をこの場で記載させて頂くならば。

 本記事のごとく、「絵むすび」や「推理」解答記事の場合、もっと短時間にて公開可能だ。
 もちろん、パズル解答時間も所要時間に含めると多少のバラ付きがある。 それでも、時間的観点から言うならば、この種の記事公開は私にとっては “楽(ラク)”な作業であることには間違いない。

 特に「絵むすび」の場合、難易度が高い程にアクセス数が多大となるのだが、そもそも“オピニオンエッセイ公開”を主軸としている我がエッセイ集に於いて、「こんな手段で楽(ラク)してアクセスを稼いで何らかの意味があるのだろうか??」 なる、自己矛盾感覚に襲われたりもする。


 話題を原点に戻させていただくならば、繰り返すが我がエッセイ集はテンプレート表題冒頭にも掲げている通り 「自己のオピニオン公開」を主軸として公開することをスローガンとして掲げている。
 その基本趣旨に関しては、我が心中に於いて今尚何らの変化も無い。

 ただ2007年のブログ開設後11年近くが経過しようとしている今現在、この我が“ラクしてアクセスを集める事態”に関し、今後如何に対処するべきか迷ったりもするのだ。

 “軟弱化”の一途など何が何でも辿りたくない!! との我がポリシーとの逆行現象に、今後私は如何に立ち向かっていけばよいのか??

 なる、課題を突き付けられている思いを抱かされるのが、この種の「パズル解答」エッセイを綴り公開する一瞬である事実を、少し語らせて頂いたのだが……

「成功者」と「普通の人」との間に境界線はあるか?

2018年06月23日 | 自己実現
 人間、長年生きていると、誰が「成功者」で誰が「普通の人」かなる “線引き” 感覚が希薄になるものではなかろうか? 
 
 “人間道”60何年かを歩んで来ているこの原左都子だが、この分野やあの分野では「成功感」を勝ち取れた!、と実感出来るような成功体験を刻めた自負がある。
 それは私のみならず、ある程度人生経験を積んだ人皆に共通する感覚ではなかろうか?


 さて、本日2018.066.23 付朝日新聞 別刷「be」の“悩みのるつぼ”は、「成功者の不幸を願ってしまう」と題する50代女性からの相談だった。

 早速、以下に要約して引用しよう。
 50代女性だが、うまくいっている人を見ると「彼らが失敗して不幸になったところをみたい」と考えてしまう傾向がある。 幼いころからそうだった。 自分が幸福な時ですら、そういう気持ちが沸き上がってくる。 性根が腐っているのだと思う。 ここ3年程は(周囲に)不幸な出来事が次々と起こり、余計に人の不幸をみたいという気持ちが加速したような気がする。
 たとえば、将棋の藤井聡太七段や、大リーグの大谷翔平選手らの華々しい活躍に触れたりすると、ただただ気分が悪くなる。 彼らだって努力して苦しいことだってあっただろう、それは頭では理解できている。 しかし、理屈ではなく本能的に「落ちぶれてしまえばいいのに!」との気持ちを抑えることができない。
 こんなふうに思っていたら自分だって不幸になるだろうし、得することはないからやめたい。 人の幸せを一緒に喜べる人間になるには、どうすればよいか。
 (以上、朝日新聞“悩みのるつぼ”より相談内容を要約引用したもの。)


 一旦、原左都子の私見に入ろう。

 この相談女性が現在50代との事以外のバックグラウンドが相談内容からは読み取れないため、如何なる回答をなすべきかとの判断が困難なのだが… 

 ここで極論を言わせていただくならば、少し“異常性”すら感じてしまう相談内容と捉えられるのではあるまいか?
 と言うのは、“嫉妬心”(おそらく相談女性が抱える苦悩の根源はそういう事であろう)の吐き出し相手が、将棋の藤井氏や大リーグの大谷氏にまで及んでいる事実に驚かされる故だ。

 いや~~。 この原左都子など藤井聡太くん(などと呼ばせて頂く失礼をお許し下さいませ)も大リーグの大谷翔平くん(同上)も可愛くてしょうがない存在だ。
 日々メディア上で彼らの活躍に触れる都度、こんな可愛い男子達が世紀の活躍を続けている事態が嬉しくて嬉しくて、テレビ画面を通して勝手に応援し続けている。

 えっ、朝日新聞相談者50代女性は、これらの可愛らしい天才男子達にまで“嫉妬心”が燃えたぎるのですって!?!
 そんな歪んだ嫉妬心を若輩の彼らに抱いてしまうとの、貴方が50年培ってきた「異常性」こそが怖い思いだ。


 今回の“悩みのるつぼ”回答者は、評論家の岡田斗司夫氏であるのだが…


 その回答内容を完全無視させて頂き、我がアドバイスを最後に述べよう。

 おそらく、現在50代相談女性に決定的に欠落しているのは、人生に於ける「経験値」であろうと結論付ける。
 それでも、現在50代との若さであるとのこと。 少しでも若い50代に自分の精神面のメンテナンスを実行しておいた方が良いのではないかと私は考える。
 彼女が現在抱えている周辺環境が分かりにくいのがネックだが、少なくとも朝日新聞“悩みのるつぼ”に相談を持ち掛けるとの行動を起こしたのならば、その朝日新聞を日々熟読する事から人生を再開するのも良き手段だろう。

 この私も、20代半ばに当時“売れ残り”と後指を指され始めた頃より、職場の昼休み時間帯には、そそくさと一人昼食を終えた後の昼食時間を、朝日新聞熟読タイムに充てたのだ。

 これぞ、その後の我が人生を支えたとも表現出来る!
 たとえ女であろうが、一旦 “社会性”を獲得したならば、その後の人生が面白いこと間違いない。
 まさに思考・行動範囲や人的出会い範囲が急激に拡大するし、自分がその後進むべく道程の幅が増大することを保障する。
  

 もしも朝日新聞相談者である50代女性に現在その余裕があるのならば、是非ともお勧めしたいのが新聞熟読である。

 ご自身の実力次第で自らの世間や社会が大幅に増大すると同時に、今後の自身の「成功体験」も拡大する事を私が確約して差し上げたいものだ。