原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

原左都子の “自主ダンスエクササイズ曲” トップ10 

2023年06月15日 | 音楽
 本日 電話にて知人と話していた際に、冒頭に関する質問が出た。


 我が日々の日課として 自主的に“ダンスエクササイズ”を実施している事実を私の知人の多くの方々がご存じだが。


 今日初めて、「一体どんな曲で踊っているんだ?」との質問を受けた。


 これにはすぐに回答できる私だ。

 と言うのも、ここ10年程はずっと同じ楽曲で踊っている故だ。
 その楽曲を、15年程前に購入した「ウォークマン」に録音してあり。
 いつもそのウォークマンを耳にして、自宅にて自主ダンスエクササイズを実施している。


 主に、70年代ディスコサウンド中心のそれら楽曲トップ10を、以下に列挙しよう。 (スミマセン、カタカナ表記にさせていただきます。)

 順不同です。

 〇 ボニーM 「ラスプーチン」

 〇 ダイアナ・ロス 「アップサイド・ダウン」

 〇 ドナ・サマー 「ホット スタッフ」

 〇 アース・ウィンド・アンド・ファイアー 「レッツ・グルーブ」

 〇 バリー・マニロウ 「コパカバーナ」

 〇 コモドアーズ 「マシンガン」
 
 〇 ホール アンド オーツ  「プライベート アイズ」

 〇 ホット・ブラッド 「ソウル・ドラキュラ」
 
 〇 クール アンド ギャング 「ジャングル・ブギー」

 〇 ジンギスカン 「ジンギスカン」

 
 早くも10曲に達しましたね!!



 引き続き、我がダンスエクササイズ楽曲を紹介しましょう。♪♪

 △ レイフ・ギャレット 「アイ ワズ メイド フォー ダンシング」

 △ ワイルド・チェリー 「プレイ ザット ファンキーミュージック」

 △ アラベスク 「フライデイ ナイト」
 
 △ アベレイジ・ホワイトバンド 「ピックアップ ザ ピーセス」

 △ ビートルズ 「バック イン ザ USSR」


 まだまだあるのですが。

 これらに加えて、「ピンクレディ」「モーニング娘」等もよく踊ります。♪♪



 まあ要するに、70年代ディスコサウンド中心なのですが。
 
 その日の気分次第で、我がウォークマン内に収録してある楽曲を選曲しつつ日々ダンスエクササイズを楽しんでいま~~~~~す!♪♪


 左膝骨折にて、未だ針金を膝内に挿入している身にして。

 それに配慮したダンスを心がけつつ、大好きな音楽とダンスに親しむ日々です! 
 

2023 ウィーンフィルニューイヤーコンサート

2023年01月02日 | 音楽
 (冒頭写真は、原左都子が昨夜NHKテレビより撮影した 2023ウィーンフィルニューイヤーコンサートの一場面。)


 以下に、昨夜NHKテレビより撮影した写真群を列挙しよう。

         

         

         

         

         

         

         

         


 引き続き、ネット情報より引用しよう。

 毎年1月1日に行なわれるウィーン・フィルのニューイヤー・コンサート。 クラシック音楽の中でも最も有名で、ウィーンの誇る黄金のムジークフェラインザールからTVとラジオを通じて世界90カ国以上に放送され、5千万人が視聴するというビッグ・イベント。 1939年に始まる75年以上の歴史を誇るこのコンサートでは、音楽の都ウィーンを象徴するシュトラウス一家のワルツやポルカが演奏され、その高額のチケットは世界一入手困難と言われています。
 2023年は、生粋のオーストリア人、フランツ・ヴェルザー=メストが2011年、2013年以来、10年ぶりに登場。ヴェルザー=メストはいまウィーン・フィルと最も関係の深い指揮者のひとりであり、曾祖父がシュトラウス一家が演奏会を催したカフェの経営者ということもあって、シュトラウスは血肉に入ったレパートリーです。
 演奏曲目は、何と演奏予定曲15曲のうち14曲がニューイヤー・コンサート初登場。ウィーン・フィルの気概が見て取れます。もちろん定番のアンコール『美しく青きドナウ』『ラデツキー行進曲』も演奏予定です。

フランツ・ヴェルザー=メストは1960年、オーストリアのリンツ生まれ。生地の音楽学校で学び、ヴァイオリニストを目指すも事故のため指揮者志望に転向、ミュンヘン音楽大学で研鑽を積みます。スウェーデンのノールショッピング響を皮切りに、ロンドン・フィル、チューリッヒ歌劇場のポストを歴任し、現在はクリーヴランド管弦楽団音楽監督。(輸入元情報)


【第1部】
1. エドゥアルト・シュトラウス:ポルカ・シュネル『誰が一緒に踊るの?』 Op.251
2. ヨーゼフ・シュトラウス:ワルツ『英雄の詩』 Op.87
3. ヨハン・シュトラウス2世:『ジプシー男爵』のカドリーユ Op.422
4. カール・ミヒャエル・ツィーラー:ワルツ『心地よい夜に』 Op.488
5. ヨハン・シュトラウス2世:ポルカ・シュネル『元気に行こう!』 Op.386

【第2部】
6. フランツ・フォン・スッペ:喜劇的オペレッタ『イザべッラ』序曲
7. ヨーゼフ・シュトラウス:演奏会用ワルツ『愛の真珠』 Op.39
8. ヨーゼフ・シュトラウス:ポルカ・フランセーズ『アンゲリカ・ポルカ』 Op.123
9. エドゥアルト・シュトラウス:ポルカ・シュネル『さあ、逃げろ!』 Op.73
10. ヨーゼフ・シュトラウス:ポルカ・フランセーズ『上機嫌』 Op.281
11. ヨーゼフ・シュトラウス:ポルカ・シュネル『いつまでも永遠に』 Op.193
12. ヨーゼフ・シュトラウス:ワルツ『まひわ』 Op.114
13. ヨーゼフ・ヘルメスベルガー2世:バレエ『エクセルシオール』からグロッケン・ポルカとギャロップ
14. ヨーゼフ・シュトラウス:オーケストラ・ファンタジー『アレグロ・ファンタスティーク』 Anh.26b
15. ヨーゼフ・シュトラウス:ワルツ『水彩画』 Op.258
 他、アンコール曲を収録予定

 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
 ウィーン少年合唱団、ウィーン少女合唱団(10)
 フランツ・ヴェルザー=メスト(指揮 )

 (以上、ネット情報より引用したもの。)



 原左都子は2019夏に一人娘を伴って、ウィーンへ旅に出ている。
 
 そのきっかけこそが、毎年元旦にNHKテレビにて放映される「ニューイヤーコンサート」だった。
 娘幼少期にクラシックバレエに励んでいた影響が大きく、このコンサートを一家3人で鑑賞する習慣がずっと続行してきた。

 そのウィーン旅行の主たる目的が、ニューイヤーコンサートが開催されるウィーン楽友協会にて演奏されるコンサートを鑑賞することだったのだが…
 娘の職場の夏季休暇中にウィーンを訪れたところ、大変残念ながら楽友協会が連日年に一度の休館日…
 こんな不運は無いと嘆きつつ、その代替としてウィーン国立歌劇場にてのモーツアルトオーケストラによるコンサートを楽しんだ。

 娘が小3時に出演したバレエ教室の舞台で「ラデツキー行進曲」(毎年ウィーンフィル・ニューイヤーコンサートの大トリが毎年この楽曲と決まっているのだが)を踊った縁もあり。
 おそらく娘が新年の「ニューイヤーコンサート」を一番楽しみにしている様子だ。


 昨夜も娘と示し合わせて、二人でメール交換しつつ当コンサートを楽しんだ。
 今年30歳を迎える我が一人娘だが、コンサートがすべて終ってから「ラデツキー踊った?」とのメールを発信したら、娘からこのイラストのSMS返信が届いた。

                               

 一人暮らしの部屋で、新年のウィーンフィルニューイヤーコンサートを随分とフィーバー・堪能した様子で、何より!!😁 😶 
 

昨夜の北京五輪開会式入場行進のクラシックメドレーが素晴らしかった!!♪♪

2022年02月05日 | 音楽
 (写真は、2022.02.04に開幕した北京五輪開会式入場行進より最後に入場した中国チームの映像をネットより転載したもの。)



 同じく、ネットより開会式の演出のひとつを転載したもの。
           


 昨夜9時より開幕した北京五輪開会式入場行進を、娘と共にテレビ映像にて視聴した。

 半年程前に開幕した東京五輪も、テレビ映像を少しのみ視聴したが。
 何だかまるで盛り上がりが無くつまらない演出だったため、すぐに視聴を取りやめたものだが。


 今回の北京五輪に関してもこのコロナ禍急拡大時期の開催であり、どうせ盛り上がりに欠けるのだろうと思いつつ画面を眺めていると。

 入場行進時に取り上げられていたのが、クラシックバレエや歌劇等々に使用されている行進曲や舞踏曲等々、普段から聞きなれている楽曲ばかりだ。

 特に娘が幼少時よりクラシックバレエを嗜んでいたり、私自身も過去にブラスバンド部にて活躍していたこともあり、馴染みの楽曲の数々だ。


 以下に、ネット情報を参照しつつ、昨日の北京五輪入場行進にて使用されたクラシック音楽楽曲を列挙してみよう。

  〇 チャイコフスキー「くるみ割り人形」より「あし笛の踊り」「行進曲」  
    参考だが、両曲とも娘小学校5年生時のバレエの舞台にて踊った楽曲だ。

  〇 ビバルディ 「四季」

  〇 エルガー 「威風堂々」

  〇 モーツァルト 「トルコ行進曲」

  〇 ヴェルディ 「椿姫」

  〇 ビゼー 「カルメン」

  〇 ブラームス 「ハンガリー行進曲第5番」

  〇 ワルトトイフェル 「スケーターズワルツ」

  〇 ドボルザーク 「新世界より 第4楽章」

  〇 ロッシーニ 「ウィルアムテル序曲」

  〇 ヴェルディ 「アイーダ凱旋行進曲」

  〇 ヨハン・シュトラウス 「美しく青きドナウ」


 ここまで来たら、大トリはヨハン・シュトラウスの「ラデツキー行進曲」か?
 と、“ウィーンフィルニューイヤーコンサート”ファンの私も娘も期待したのだが。
 残念ながら、そうではなくて。

 冒頭写真の中国選手団入場時には、中国特有の楽曲が使用されたようだ。


 それにしても、私と娘にとっては著名なクラシックメドレーによる素晴らしい入場行進だった。
 最後まで、聞き惚れてしまった。


 我が記憶に残っている1964年東京五輪の入場行進曲に抜擢された、古関裕而氏作曲の行進曲も未だかつて忘れ得ぬ名曲の入場行進曲だったが。

 
 それに勝るとも劣らぬ、2022北京冬季五輪の開会式入場行進曲の採用だった!!😃 😍 


世界規模で長引くコロナ禍に打ち勝てたか、2022ウィーンフィル・ニューイヤーコンサート

2022年01月02日 | 音楽
 (冒頭写真は、昨日ウィーン学友協会大ホールにて開催された「2022ウィーンフィル・ニューイヤーコンサート」のオープニング表題を、NHK・Eテレ映像より転載したもの。)



 我々母娘が、年始の「ウィーンフィル・ニューイヤーコンサート」をテレビ放映にて鑑賞し始めたのは、2001年のことだったと記憶している。

 幼稚園の頃よりクラシックバレエを習っていた娘が、初めての大舞台にて、ヨハンストラウス2世の「ラデツキー行進曲」を踊ったのがきっかけだった。
 その「ラデツキー行進曲」が「ニューイヤーコンサート」のアンコール大トリで毎年演奏される、と聞いて。

 これは必見!と見始めてみると。
 我が幼き頃より聞きなれているヨハンストラウスの名曲揃いで、すぐにファンになった。

 毎年テレビ鑑賞するに、指揮者ごとにコンサート全般の個性が大幅に異なるのに合わせて、大いに演奏会の雰囲気が異なり趣が多様だ。
 
 私の好みとしては、一番最初の2001年に見たニコラウス・アーノンクール氏のユーモラスな指揮が実に印象的だった。
 最後の「ラデツキー行進曲」では客席に向かって指揮をして、静かにする場では「シー!」とのサインを送ったり、派手に応援する場面では全身で指揮をしたりと、大いに盛り上がったものだ。
 客席からの「ブラボー!!」も今までで一番多かったのではなかろうか。

 直後に、アーノンクール氏指揮「ニューイヤーコンサート」のCDを購入して、一家で何度も聴いたものだ。


 さて、2022年昨日の「ニューイヤーコンサート」指揮者は、ダニエル・バレンボイム氏だった。
 Wikipediaより、氏の略歴を引用しておこう。
 ダニエル・バレンボイム(Daniel Barenboim, 1942年11月15日 - )は、アルゼンチン出身の、ユダヤ人ピアニスト・指揮者。現在の国籍はイスラエル。ベートーヴェンのピアノソナタ全32曲の録音を2020年現在までに5回残している唯一の現役ピアニストである 。


 以下は、昨夜NHK・Eテレにて放映された「ニューイヤーコンサート」を、私が撮影した写真の数々だが。
 50枚程撮影したのだが、その中から選りすぐりの写真を掲載させて頂こう。

           
 指揮者のダニエル・バレンボイム氏。 なかなかのイケメンです。


           

           

           

 これらは、「ニューイヤーコンサート」毎年の舞台である、ウィーン学友協会大ホール内の写真。

 このウィーン学友協会を一目見たくて、2019年に娘を引き連れてウィーンへ出掛けたものの。

 時は娘の休暇が取れる夏であったため、元よりコンサートを見ることは諦めていたのだが。
 どこまで不運かと思い知らされたのは、我々がウィーンに滞在する4日間が。 あまりにも偶然過ぎるのだが、学友協会の年に一度の4日間の休館日とピタリと重なってしまったことだ!!
 コンサートを見ずとて、休館日でなければ「館内案内ツアー」を毎日実施しているのに…
 こんな不運は無い、と娘と嘆きつつ。😭  それでも館外は十分に見てきましたよ。


           

           

           

           
 これらは、昨夜テレビにて見た演奏中の写真です。
 私の目に留まったのは、コントラバスの演奏風景です。

 高校時代にオーケストラ部に所属した私は身長が高いこともあって、このコントラバス担当を志望しました。
 ところがどっこい、弦が予想以上に太いのです。 我が細指では到底弦を抑えられないと悟り、早々にチェロ担当に鞍替えしたものです。
 (バリバリ受験高校だったため、音大志望者以外は1年秋の文化祭出場を最後に強制退部となり、今に至っては弦楽器を触ることすらありません…)😰  


           

           

           
 昨夜の「ウィンフィル・ニューイヤーコンサート」の一番の特徴は、写真の通り、シェーンブルン宮殿内がバレエの舞台となったことです。

 2019年夏に娘と共にウィーン個人旅行を決行した身ですが。
 ウィーン到着が早朝と相成り。
 シェーンブルン宮殿直ぐ近くのホテルを予約していた私は、(ウィーンでの日程4日間と余裕が無かったのが理由で)、「早速当宮殿見学をしよう!」 と娘を誘ったものの…
 夏だというのに寒く、大雨…  しかも時間が早過ぎて館内は閉鎖されていいるし、踏んだり蹴ったりの事態…
 (まあ、厳しい旅行程思い出に残るものでもあるのですが。)


 そんな我々母娘は、昨夜の「ニューイヤーコンサート」にて初めて館内を生放送で見ることが叶いました!

           
 ついでに、館外でもバレエが放映されました。

 この辺は十分に見学してきました!
 シェーンブルン宮殿のこの前面に広大に広がる前庭や横庭が、芸術的で素晴らしいのですが。


 その辺の写真は、我がエッセイ集2019年夏頃の「旅行」カテゴリー、バックナンバーにて公開していますので、そちらをお楽しみ下さいますように!


“男がピカピカのキザでいられた” 時代

2021年05月30日 | 音楽
 (冒頭写真は、ユーチューブより録画した歌手・沢田研二氏が歌う「カサブランカダンディ」の映像。  上の写真は曲名最初の「カ」が抜けましたこと、お詫びします。)


         
 今回のエッセイ執筆のきっかけを得たのは、上記写真の朝日新聞昨日付け記事「自分を貫く無二の表現者」と題する、沢田研二氏のランキング特集である。

 私自身は特段、沢田研二(ジュリー)ファンではなかった。

 中高生時代にミーハーだった私も、当時男子アイドルに躍起になったものだが。 私の好みとしては、一貫して“可愛い系”男子アイドルに心が傾いた。
 具体例を挙げると、フォーリーブス、伊丹幸雄…  
 (フォーリーブスは皆さんもご存じだろうが、伊丹幸雄に関しては「青い麦」一発屋で消え去ったため、ご記憶にない方が多いことと想像する。)
 両者の共通項としては、とにかく“お顔”が実に可愛らしかった😍 のが特徴だ。

 それに比しジュリーはその対局をいくがごとく、とにかく美男子だった。
 
 今回の朝日新聞ジュリーランキング10曲は、もちろんすべて十分に知っているしよく聞いて歌った。
 その朝日新聞のランキング10内楽曲の中で、我が印象に一番鮮烈に残っているのが、表題の「カサブランカダンディ」である。
 この楽曲は、ジュリーがザ・タイガースから独り立ちして年数が経って後のシングル曲でなかっただろうか?
 
 ♪  ボギー、ボギー、あんたの時代はよかった
   男がピカピカのキザでいられた
   ボギー、ボギー、あんたの時代はよかった
   男がピカピカのキザでいられた~~~~    ♪

 歌もよかったし、ジュリーの振り付け演技力の完成度も高く、実にエンターテイメント性の高いヒット曲だった。
 この曲が当時ディスコで流れると必ずステージへ行って、皆で両手を挙げて踊りつつ歌ったものだ。


 昨夜ユーチューブにて当該曲を聴くついでに、画像撮影したものを以下に紹介しよう。
         

         

         

         

         

         


                               



 さて次に、ネット上で当該「カサブランカ・ダンディ」に関する‘優れた”論評を発見したため、その一部を以下に紹介させていただこう。

 こんにちは。平成生まれの昭和好き、さにーと申します。
斜めにかぶったハット、耳には花を差し、ウイスキーの瓶を片手に、それを口に運び天に噴き出す姿。こんなキザでスカした演出がサマになるアーティストは、昨今とおして一体どれだけいるでしょうか。
リリースされてから40年の時を経て、私もその姿に魅せられた一人です。初めて沢田研二さんがこの曲を歌う映像を見たときの衝撃・・・あれを一生忘れることはできないでしょう。(できることなら、もう一度ジュリーを知らない頃に戻って、あの衝撃をもう一度味わいたい)
『カサブランカ・ダンディ』は、そんなジュリーの曲の中で、私の大好きな一曲です。
暴力的にも感じる歌詞のインパクトやパフォーマンスにつられて、よく歌詞の意味を考えたことがなかったという方もいると思いますので、あらためてここで考えていきたいと思います。 (中略)
まず、歌の入りが強烈。「女の頬をはりたおして」なんて今の時代に歌ったら、世間様からなんと言われるか。でも、世間から見ても沢田研二自身がこの歌詞がサマになる存在だったのかもしれません。たしかに、ジュリーにだったらひっぱたかれてもいい。むしろひっぱたいてくれ。
『パントマイムを演じていたよ』のパントマイムとは、「身ぶりや表情で表現する無言劇で、まるでないものがあるかのように見えるように見せる芸」のこと。2人にとって幸せな頃を思い出すあのフレーズが流れて来ても、ことばも交わさず、まるで聞こえていないかのようにやり過ごそうとしている様子です。
歌詞の「ボギー」って誰?
そして、サビであるこのフレーズを聴いて「ボギーって誰だろう?」と思った方もいるでしょう。ボギーというのは、1940〜1950年代を象徴する名優、ハンフリー・ボガートのニックネーム。曲名の由来にもなっている『カサブランカ』という映画の主演を務めました。「君の瞳に乾杯」というフレーズが、この映画によって有名になっています。ハンフリー・ボガートは映画の中で数々の名言を残しているのですが、そのどれもが非常にキザ!今の時代からすれば「クッサ〜」とも言われそうなレベル。歯が浮くセリフってやつです。
しかし当時はそれが「クサい」とは言われることはなく、人々の心を熱中させた時代でした。キザなことを言ってもカッコよくいられた時代、ということです。
主人公の男は、まず女との関係がうまくいっていない。今でいうDVもしちゃってる。でも、女め!ざまあねえな!と思ってるわけではなく、むしろなんか傷ついている気がします。そして、『ボギーの時代なら良かったなあ』とすこし自嘲気味になっているように感じます。ボギーの時代の、いったいなにに憧れているというのか。
2番に続きます。
カサブランカ・ダンディの歌詞(2番)
本当に注目したいのは歌詞の真意。
男と女は、もう修復不可能な関係
その次の歌詞で、1番の『苦しい顔できかないふりして』に続き、『辛い芝居を続けていたよ』と出てきます。
だって、「もう身体を重ねることしかすることはない」って言ってんですよ。それなのに辛いとか、もうそれ、男と女は破綻しているってことじゃないのか。
もう、話し合いを重ねたって、あの頃は良かったなあと懐古したところで、どうにもならない。だけど離れられないってことなんじゃないのか。。
そして、そんな恋人芝居だって本当は、したくなかった。でも離れられないから、破綻していることは承知の上でそうしつづけるしかない。マジかよ。悲しいけど、そういうことなんじゃないかと思います。
ようは……男のもっともおそれている「別れ」から目をそらし続けるには、もう、そんなことくらいしかできないのです。他の方法が男にはわからないし、女が何を訴えてこようと(『しゃべり過ぎる女の口を』)、もうこの不器用すぎる男にはどうしようもできないのです。
だから『さめたキスでふさぎながら』という歌詞も、「男がもう女に冷めている」という意味ではなく、破綻しかけている関係を修復することもできない中ではそうするしかなかったんじゃないかな。
お互いの愛を確かめるのがキスだとすれば、この二人は今にも消えそうな細い糸をたぐりよせることでかろうじて繋がっているだけの関係を続けるための「キスするしか方法がわからなかった」のキス。お互いに求めあっていても交わらない、一方通行どうしの愛を守るためのもの。それがさめたキスなんではないかと。。
もう何も言うんじゃねえというか、頼むからやめてくれってのに近い感情なんではないでしょうか。
男は、女をまだ愛してるけど、幸せになるための愛し方がわからない。今やっていることも恋人芝居でありパントマイムだとわかっていて、続けることしかできないのです。
だから、彼が本当に恐れていることが起こるのを遠ざけるかのように、あるいは来るとわかっている上で先のばしにするために、いまは聴かないふり、見ないふりをする。
もうさ、あほだよね。苦しいわ。。どこで歯車が狂ってしまったんでしょうか。取り返しがつかなくなる前に、何かできなかったんでしょうか。もうね。。
やっぱりこの不器用な男にはそれしかできないのですね。
そして、ここで出てくるのがボギー
ボギーの時代は「やせがまん」をすること自体もサマになる、男がキザでいられた時代。ひとつの恋が終わってしまっても、意地を張って女の前では涙も見せずに別れていくような姿とか、ボギーならサマになったんじゃないかな。
男もそんな粋でありたいと思う一方、そうはなれない自分がいる。
せめてボギーの時代だったら、俺のこのしんどい芝居も絵になったのかなあ。今じゃただただかっこ悪いだけの男だ。サビの歌詞は、そういう意味だと思っています。
それに本当は「時代のせいではない」と男は気づいてたんじゃないでしょうか。男は純粋に、ボギーのようにカッコつけながらもまっすぐに人を愛せる人になりたかったのかもしれません。
もしそうなら、こんなやり方じゃない方法で女を愛していけたかもしれないのに、と。

 (以上、ネット上で発見した ‘’平成生まれの昭和好き、さにー” さんの記述を引用させていただいたもの。)


 さにーさんの分析の程が素晴らしいため、あえて原左都子が付け加えることもないのだが。(さにーさん、もしも著作権法に触れるようでしたら対処致しますのでご連絡下さい。)


 既に述べた通り、私は特にジュリーファンではなかったものの。
 
 やはりジュリー(沢田研二氏)の“エンターテインメント力”の素晴らしさは、今後世紀を超えて生き残るであろうと。

 今再び「カサブランカ・ダンディ」映像を拝見して、感動と共に実感する。