原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

日本国民の疲労が極限状態…

2012年04月30日 | 時事論評
 連休初日に飛び込んできた群馬県藤岡市の関越自動車道高速バスツアー事故のニュースには、国民皆が震撼させられたことであろう。

 乗客7人が死亡し運転手も含め39人が重軽傷を負った29日未明の上記事故においては、長距離長旅ツアーであるにもかかわらずバスに運転交代要員は同乗しておらず、一人の運転手に到着までのツアー全行程の運転を任せていたとのことだ。
 「居眠りしていた」と運転手が供述している通り、ブレーキをかけた跡形は無く時速92kmの猛スピードで高速壁に激突し大惨事となったとの報道だ。

 連休前には、集団登校中の児童達に車が飛び込む事故が連日繰り返され、尊い幼い命が犠牲になったばかりである。
 その加害者である車の運転手達も、皆口をそろえて「ボーッとしていた」、あるいは「考え事をしていた」等々運転手にあるまじき心身状態で車を運転しカーブを曲がり切れず登校中の集団に突進してしまったようだ。

 
 近年発生する交通事故大惨事の共通項として、運転手の極度の疲労状態や各種疾患治療薬剤の副作用がその背景要因として挙げられるのが特徴ではなかろうか?
 例えば昨年4月に栃木県鹿沼市で発生した、クレーン車が集団登校の列に突っ込み6名の児童の死者を出した事故においては、運転手がてんかん薬の副作用により睡魔に襲われていたとの事後分析だったと記憶している。
 もちろん、そうであったとしても当然ながら運転手の過失責任は問われよう。

 それにしても、運転手が極度の疲労に襲われたり、副作用がある事を理解していながら持病の治療薬に頼ってでも運転を続ける背景には、自身の心身極限状態を承知の上で、経済不況に伴う過酷労働付加の重圧に耐えねばならない事情があるのも大きいのではなかろうか。

 今回の藤岡市関越道バスツアー事故に関しては、今後バス会社は元よりツアーを手配した旅行代理店にも取調べが及ぶことであろう。
 運転手のみならず、その管理責任者、そしてツアー会社のツアー企画のあり方等々に至るまでその責任が追求されることとなろう。
 ただそれをクリアした段階で事故処理及び責任追及が終結してしまっては、今後も交通大惨事が繰り返されることは想像がつく。 ここはもっと根本部分まで掘り下げて、労働者管理のあり方、適正な労働時間の指導等々、行政が積極的に指導を強化するべきである。 
 交通事故に限らず、建設中のクレーン車や足場が倒れ通行人が犠牲になる事故も後を絶たないが、すべての事故に於いて労働者に対する過酷労働付加の要因があることは否めない現状と捉える。


 話が大きく変わるが、実は原左都子も現在疲労困憊状態なのだ…
 3月から4月末の現在にかけて我が子の卒業進学に伴う環境の大きな転換を筆頭に、各種ビックイベントへの出席や親しい知人の突然死等々、非日常的出来事(本エッセイ集に於いては決して公開したくないプライベート上の事件も含めて)が我が身に怒涛のごとく押し寄せた。
 何分弱音を吐きたくない我が性格である。 その環境の流れに心身がついて行っている振りを強気でしているつもりでいて、実はそうではないことも頭の片隅で理解できていた。

 そのギャップ感の下、ついに昨夜体が拒絶反応を起こしてしまった。
 私の場合ストレスが胃や腸の消化器系を直撃するタイプで、過去においても「十二指腸潰瘍」や「胃潰瘍」を何度か患っている。 さほどの重症ではないし回復力も強靭なためいつもは時間の経過と共に自然治癒に向かうのであるが、今回は3月よりずっとこの不具合が長引いていた。
 その挙句、昨日夜中に「胃けいれん」症状が突然起こってしまったのだ。 これも何度か経験があるが、これこそが私にとっては(これ以上ストレスを我が身に付加し続ける無理を繰り返すととんでもないことになるぞ!)との体内よりのサインである。  キュイ~ン、キュイ~ンと波打つように繰り返す激痛に布団の中で朝まで耐えつつ、娘の“お抱え家庭教師”稼業が今後まだまだ続行する我が身を思い、知人突然死の後を追ってはいられないなあ、娘のために生き延びねば… などとの思いが脳裏を巡ると キュイ~ン の胃激痛が強まるばかりだ。
 何とか朝まで持ちこたえた後は、本日(休日にもかかわらず)大学の授業がある娘を送り出してやらねばならない。 まだ胃に キュイ~ン の痛みが襲う事は娘には内緒で元気なふりをして、娘の本日の大学のスケジュールと提出課題の確認をする。 そしていつも通りファッションチェックをして「今日も可愛いね!」とニコニコと娘を送り出した後、3度程トイレに駆け込んだ私である。(夜中に「胃けいれん」発作が起こった後は、胃と連携している腸にもダメージを及ぼし激しい下痢状態に襲われるのが常である…)

 原左都子の「胃けいれん」発作の記述が長引いてしまい恐縮だが、現時点においては比較的安静状態であるからこそ現在このようにエッセイを綴る事が可能だ。
 ただし、どうも私の場合この発作は真夜中に来るのが今までの特徴である。 おそらく後2、3晩は夜中にこの キュイ~ン 激痛に耐えねばならないのかもしれない… 


 最後に、原左都子の私論でまとめよう。

 人間とは心身共に健康状態が整っていてこそ、平和で健全な日常を営めるものである。
 私の場合は単に個人的な事情で現在ストレスを溜め込んでいるだけの話だが、社会的な立場で世に貴重な労働力を提供している人達が、極限のストレスを溜め込んでいる事態を決して放置してはならないであろう。

 人が疲れ果てると正常な思考が不能となるものだ。
 それはいわれなき「いじめ」に遭った時と同様の感覚とも想像する。 労働者に対する過酷なまでの労働付加とはまさに「いじめ」でしかない。 たとえ本人より生計を立てるために長時間働いて“奉公”したいの嘆願があったとしても、それに管理者は甘んじてはならないはずだ。
 
 それ以前の問題として行政機関は今後交通事故よる大惨事を繰り返さないためにも、運転を主たる業としている労働者達が人並みに生きていける権利の確保を急いで欲しいものである。

ゴールデンウィーク、何をして過ごしますか?

2012年04月28日 | 時事論評
 世は本日(28日)よりゴールデンウィークに突入したようだ。
 テレビの昼のニュース報道を見聞していてそれに気付かされた。

 長期連休が取得可能な人の場合、5月6日までの9連休を堪能できるのであろうか?
 原左都子にもそういう時代はあったなあ。  年末年始や夏季、そしてゴールデンウィークには比較的長期間の連休を取得しやすい職場に所属していた関係もあって、私もそれに準じていた。
 一体その長期連休に何をして過ごしたかについては、今となってはさほど憶えていない。 年に1度は連休を利用して郷里に帰省したのは確かだが、基本的に人混みを嫌う私である。 何も好き好んで交通網が大混雑のこの時期に国内旅行を企てたり、行楽地に出かけるということは出来得る限り避けて通った部類だ。


 本日の朝日新聞別刷「be」“between”のテーマはさすがこの時期にふさわしく 「GW、出かける予定ありますか?」 だった。
 それによると、出かける予定が「ある」派が27%、「決まっていない」派が30%、「ない」派が43%とのことだ。

 上記「ある」派の回答内容のトップに上がっているのが“日帰りレジャー”とのことである。 その日帰りレジャーの内容の詳細とは“映画、美術館、コンサートなど”と記されているのだが、そうだとすると自身は断然「ない」派だと分析していた原左都子も、ここでは「ある」派に分類されることとなりそうだ。
 ただ私の場合は、たまたま5月5日に娘と共に観賞したいクラシックバレエ公演があっただけの話だ。 決してGW中に出かける予定として予約したものではなく、あくまでもそのバレエ公演が劇場公開される日程のうち5月5日が我々親子にとって一番都合がよかったという事だ。

 次に、上記「ない」派の理由のトップを紹介すると、やはり「どこも混んでいる」とのことだ。 重々ガッテンである。

 ところが、原左都子として大いに異議申し立てをしたいのは「ない」派の2位に位置付けられている回答内容である。 
 「リタイヤしていていつでも出かけられる」 ……
 この回答はおそらく定年退職後多額の年金を手にしておられるお年寄り連中から寄せられたものであろうが、これらのお年寄り達は現役をリタイアした後それ程裕福な暮らしを全うされているのであろうか?? 
 いやいや確かに公務員を定年退職した我が実母も、ド田舎の過疎地での独り身ではあるものの金銭的には比較的恵まれていると言える暮らしをしている様子だ。 そんな実態を我が身近に認識しているが故に、突きたくもなるのが定年退職した後多額の“旧年金制度”に与ってのんのんと生きているお年寄り達の実態である。
 年配者を労わるのが後進者の役割である事とて重々認識している私だが、それにしても、大手新聞社のアンケートに応えて曰く 「リタイアしていつでも出かけられる」 との回答とは如何なものか!?   現代の激動大混乱の渦中生きざるを得ない若き世代の困難を鑑みて、少しは発言を自粛して欲しいものでもある。
 現在の朝日新聞の主たる購読層とは多額の年金に安穏と暮らしている年寄り輩が多数であることも想像可能であるが、今後ますます混沌とする時代を生き抜かねばならない若き世代が、その能力努力とは裏腹に四苦八苦しつつこの世を綱渡りしている現状も理解して欲しい…。

 話題が大幅に変わり原左都子の見解も大いに飛躍してしまったが、余談ではあるが、お年寄りがこの世に安穏と暮らすことをそのポリシーの基底に於いて認める国政の政策と同一思想下において、民主党の小沢氏に「無罪」判決が下されたのではないかとも考察するのである……
 
 原左都子が以上のごとくの考察に陥ってしまうのも、今後我が身自体が老後に向けて突進しつつある現状に於いて、年金は減額、消費税は増額等々実に厳しい現実を現政権から突きつけられる現状を認識し、怯えているからに他ならない。


 話をGWに戻して、朝日新聞上記記事によると今の時代の現実とは「おこもり」系と化している様子だ。
 おそらく若い世代の記者が記したと想像できる、その記事の内容を以下に要約して紹介しよう。
 GWは色々な意味で試練の場だ。 もちろん何はともあれ休日はありがたい。 現在「おこもり」などという言葉があるように、最近は自宅でのんびり派も増えているのだろう。 そんな中、お出かけのトップも「日帰りレジャー」だった。 一方「出かける予定がない」と答えた人は4割を超えた。 ハッピーマンデーの導入などで一般的にも休暇の取り方は変わって来ている。 今やお盆を避けて夏休みをとる人は珍しくないし、旅行はGW期など特定期間をはずせば格安ツアーが充実している。 「分散して休めるならGWは不要」と回答した人が4分の1近くいたのも不思議ではない。

 そうは認識しつつも、この欄の執筆を任されたであろう若き朝日新聞記者は以下のごとくにこの記事を締めくくっておられる。
 だが、それでも記者はGWと聞くと胸騒ぎがする守旧派だ。 で、今年こそは家族旅行の実施を等々と思っている訳だが、この原稿を書いている時点でまだ何も決めていない。これってGWの問題ではなく学習能力の欠如?
 
 この朝日新聞コラムの最後の欄に、「見直す時期が来た」 と題する民間経営研究所部長のコメントが掲載されていた。
 「みんなで働きみんなで休む」。 GWとはそんな企業文化の象徴のような存在だったが、有休休暇の取得率は依然5割程度である。 休暇の重要性は以前にも増している。 皆がきっちり自由に休める社会になった方が個人的にも社会的にもメリットが多いはずです」 日本に於いては、GW等の長期休暇が取得可能状態が存在し続ける点で、逆に国民の意識改革が進まないデメリットが大きくなっているという。
 (以上、朝日新聞4月28日付「be」“between”より要約引用)


 最後に原左都子の私論で締めくくろう。

 まったくもって、窮屈な我が国である。
 GWをはじめ年末年始や夏季休暇中等、多くの国民ががまとまって休みを取れる時期に皆が“一斉”にレジャーを楽しまねばならない事を、いつ誰がこの国民に指導したのであろうか?

 国民皆が自分が欲する時期に自由に休みがとれて当たり前であろうに…。
 我が日本に於いては60年代の高度経済成長期にこそ、国民の真の自由化に向けての教育が可能だったと私は捉える。 その貴重な時期に我が国の教育制度は旧態依然として「集団主義」を唱え続けてきた。 これこそが今の世に続く大いなる失策であったと私は模索する。
 おそらく上記朝日新聞記者もそのマイナスの影響を大いに受けておられるのだろう。 報道機関大手の記者たる者が(GWと聞くと胸騒ぎがする守旧派を高らかに掲げる)と全国紙に於いて表現する限り、 我が国の庶民にとってはまだまだ窮屈な日常が続かざるを得ない事と私は懸念する……


 本気で国民の皆が寛げる休日のあり方を、今後我が国を挙げて模索していきませんか。

「集団登校」とは“集団逃避無責任思想”でしかない

2012年04月25日 | 時事論評
 4月23日朝京都府亀岡市の府道を集団登校中の小学生の列に車が突っ込み10名の死傷者を出した事故を受けて、本日(25日)昼、京都府内の公的機関が通学路や子ども達の登校の様子を点検しているニュースが流れた。

 近年、集団登校中の子ども達の団体に車が突っ込み幼き数人の犠牲者を出す大惨事が後を絶たない。 国民の多くが「痛ましい…」と言うよりも、「またか…」との感覚を抱いているのが正直なところではあるまいか。
 この状況下に於いては、もはや公的関連機関が小手先の対策や付け焼刃的改善策を掲げたところで埒が明くべきもないのではなかろうか?


 学校教育現場に於ける「集団登校」の慣習とは、元々「交通安全」対策のために、1960年代以降文部科学省(旧文部省)の指揮の下に各都道府県に於いて実施されるようになったらしい。 2000年以降は、防犯対策の面でも「集団登校」が有効との位置付けとなったとの朝日新聞の報道である。
 
 ところが、当然ながら学校現場よりの異論・反論も存在する。
 例えば、「集団」とは児童一人ひとりの注意が散漫になり易いとのマイナス面もありむしろ交通安全面上危険性が高いとの理由で、実施を見送っている自治体も存在するようだ。
 文部科学省も68年の通知で、集団登校が「(例えば車が高速で走行する場所等)は大事故を起こす危険性があるため、集団登下校を避けることが望ましい」ことを既に指摘しているとのことだ。
 平野文科相相は、「(事故現場が)通学路としてふさわしいのかも含め検証して、改めて全国の通学路の選定の方法が本当に良いのかどうかまで検討すべきかどうかを詰めて行きたい」と(原左都子に言わせれば遅ればせながら)述べているようだが……
 (以上、朝日新聞24日夕刊より要約引用)


 ここで、原左都子の私事を述べさせていただくことにしよう。

 我が娘も小学校低学年(高学年は他校に転校)に通学していた公立小学校に於いて、「集団登校」を経験している。
 様々な事情により、保護者の私は子どもの入学当初より学校が指定する「集団登校」に大いなる抵抗感があった。

 まず、娘は生まれながら若干の事情を抱えていた。 出来る事ならば我が子の事情を一番理解している母の私が日々学校まで送り迎えしてやりたいものだった。 
 集団登校とは近隣の子ども達(我が家の場合は同マンションの住民の子ども達)同士で集団を結成するのが通常である。 学校現場自体は義務教育であるため致し方ないとしても、日々登下校を共にする近隣の子ども達の無理解によりプライベート生活に及んでまで“いじめ”に遭いやしないか、“変な子”と後ろ指をさされ娘の後々の人生にまで傷が付かないか等々、当時の我が心痛の程は尋常ではなかった。 (集団登校さえなければ近隣の児童との付き合いを避けて通れたのに…)と、事情を持つ子の親としてどれ程「集団登校」の存在を鬱陶しく思ったことか……
 
 加えて、私はそもそも“集団主義”を受け入れ難い思想の持ち主である。 子どもを義務教育課程に通わせる事自体すら本当は避けて通りたかったのに、何故学校へ行くのに「集団」で登校させばならないのかと、大いに理不尽な思いでもあった。

 しかも学校が全校生徒に強制するこの「集団登校」制度の内容が、想像以上にいい加減なのである。 その一例を挙げよう。 
 我が子が小学校に入学当初の4月の下校時に、まだ登下校に慣れない1年生児童のために学校教員が「集団登校」班に同行し保護者が道中まで迎えに行くとのシステムがあった。 私など(いっそなら保護者が学校まで迎えに行って教員が保護者に直に子どもを手渡しして欲しい)と思いつつその道中の場に行くと、な、な、なんと、娘の姿がない!!   何分事情を抱えている我が子である。そんな事もあろうかと予想可能な私ではあるが、同行していた見知らぬ若い教員に我が子がいない旨を伝えた。 そうしたところ、返された応えには驚いた。「間違えて別の班で帰ったんじゃないですか~~?」 
 何せ携帯電話などない時代である。 その教員の対応に唖然としつつも未だ6歳の我が子の安否こそを気遣い帰宅を急いだ。 そうしたところその同行教員から我が子がいない連絡を受けたとの、担任先生からの切羽詰った電話があったとの亭主の話だ。(参考のため担任先生には我が子の事情を話していた。) 警察に通報しようかと考えたその後、娘は雨にずぶ濡れになりつつ一人で帰宅してきた。 幸いな事にいつも母子で遊んでいた公園方面へ迷い込んだようだが、その辺の土地勘があったために自宅までの道程が把握できたらしい。
 義務教育に於ける「集団登校」実施の責任とは、最終的には学校が全校生徒一人ひとりに対してそれを負うべきではないのかと、娘の入学当初より抱かされた我が感慨深い出来事である。 それが不能であるならば、最初から児童の登下校時の全責任を保護者に転嫁しておくべきであろう。

 その後、(やはり小学校に於ける娘に対する“いじめ”等の痛手の事情もあり)転校を余儀なくされた後の公立小学校には、実にラッキーな事に「集団登校」制度はなかった。
 ただ我が子の登下校に関して学校より指定されている通学路を親子で実際に歩いてみると、危険な要因が多数存在していた。 その通学路とは文科省が上記に指定している通り車の通行は確かに少ない。 ところが「信号」も「歩道」もない実態だ。 しかも自宅から最短距離で2分で通える目と鼻の先に位置する小学校であるにもかかわらず、学校指定の通学路を通行するとその3倍の時間を費やす程の遠回り路なのだ。 (これは我が娘にとっては3倍の危険性があるということだ。)
 これを転校先の公立小学校長に早速訴えた私である。 そうしたところ学校長は条件付ではあるものの学校が指定する通学路ではなく、原左都子が提案したより危険性が少ない短距離の公道を利用して我が子を通学させる事を認めて下さったのである! (こんな公立小学校長はまたとはいないなあ、 と感心していた矢先、直ぐに私立小学校長として転身されたのだけどね…)
 それにしても我が子が2分の短時間で通える公立小学校への道程を、我がマンションの上階から1日も欠かす事無く卒業まで見守り続けた私である。


 最後に原左都子の結論に入ろう。

 我が国の義務教育が「集団主義」に囚われ続けてきた長年の歴史に於いて、「集団登校」を今さら終焉させろ!と噛み付くこと自体が困難と成り果てている教育現場であろうことは悲しいかな私にも想像がつく。

 ただ義務教育が「集団登校」を「交通安全」「子どもの治安」との名目で深い思慮もなく安直に死守し続け、その歴史的変遷や社会的背景の移り変わりの実態を捉えないまま、近年どれ程の幼い尊い命を犠牲にしてきているかに関しても、そろそろ認識するべき時ではないのか!?

一体誰と争ってる?

2012年04月23日 | 時事論評
 「一体誰と争ってる?」

 今回本エッセイの表題に掲げたこの一文は、朝日新聞4月18日付夕刊「素粒子」欄より引用させていただいたものである。 

 「素粒子」欄とは時事問題をわずか4行程度の短文で日々痛烈に批判論評するコラムであるが、朝日新聞ファンである原左都子にして、夕刊一面トップ「朝日新聞」の商号真下という目立つ位置にあるこの「素粒子」欄を以前より好んでいない。
 同じく毒舌辛口オピニオンを売りとしている「原左都子エッセイ集」の著者としては、ここはあくまでも自分を棚に上げての発言だが、 内容が言いたい放題過ぎて“無責任”、かつ大手新聞社たる者が自暴自棄に陥っている感すら抱いてしまう故である。 
 (お前こそが自暴自棄だろう!とのご指摘も受けそうだが、「原左都子エッセイ集」の場合、原左都子個人があくまでも非営利で執筆公開している媒体であるため何卒お許し願いたい。)


 その「素粒子」18日付一論評の何とも絶妙な表現には唸った。
 早速、以下にその全文を紹介しよう。
    そろそろ黄門様の役回りのお年だろうに。 自ら物議を醸す石原氏。
    「政治に吠え面かかす」と。 一体誰と争ってる?

 原左都子が補足説明をしよう。
 石原氏とはもちろん、4期という長きに渡り東京都知事に当選し続けている 石原慎太郎氏 の事であろう。
 そして今回の「素粒子」の文面は、4月17日に東京都知事である石原氏が突如として沖縄県石垣市の尖閣諸島を買い取るとの「奇策」を示した事を受けての論評であろう。 
 (今回の我がエッセイは尖閣諸島問題を取り上げる事を意図して綴っている訳ではないため、当該時事の詳細に関しては割愛させていただく。)

 それにしても、とにかく石原氏とは実によく“吠えて”いる人物であられる。
 例えば東京にオリンピックを誘致する計画を公開するに当たっても、何年来に渡り日本に世界に“吠え”まくっている感覚がある。 (原左都子個人的にはあくまでも誘致反対の立場であるが)何もそんなに吠えずとて、都知事として政治的経済的側面から誘致の正当性を冷静沈着に市民に語った方が効力が大きいのではないのか?とも感じている。

 ただ、この人物が今尚吠え続けねばならない背景として、東京都知事を引き継ぐ後継者が一人として存在しない現実が辛いとの事情もあろう。 しかしそれは黄門様の年齢に至るまで石原氏本人がその地位を死守せんとしたがために、本気で後継者を育て上げなかった責任も大きいはずだ。 
 多くの都民が4期にも渡り、自ら物議を醸す手法を政治のスローガンとしている石原氏に一票を投じるしか手立てがなかったのが東京都民の現状である事には間違いない。

 石原氏の“吠え”の対象とは、朝日新聞「素粒子」が「政治に吠え面かかす」との文面で指摘している通り、それは「国政」でしかあり得ない。 
 石原慎太郎氏とは、1968年 (昭和43年) に参議院議員選挙に全国区から出馬し初当選している人物である。 その後、1972年 (昭和47年) には衆議院に鞍替え出馬し当選、以後当選8回。 1975年 (昭和50年)に現職の美濃部亮吉に挑戦する形で東京都知事選挙に自民党推薦で出馬するも落選。 その後衆議院議員に復帰し、1976年 (昭和51年) に福田赳夫内閣で環境庁長官を、1987年 (昭和62年) に竹下内閣で運輸大臣を歴任、1989年 (平成元年) には自民党総裁選に立候補し、海部俊樹に敗れる。 1995年 (平成7年) 、議員勤続25年を祝う永年勤続表彰の場で突如議員辞職を表明した。 
 1999年東京都知事選挙に出馬。 有力候補を抑え初当選し、現在4選を誇っているとの実績である。
 (以上、ウィキペディアより引用)


 原左都子の私論に入ろう。

 上記のごとく、若き時代にそれ程までに政治家として国政にこだわり続けた石原氏にとっては、東京都知事として4選を達成しているとはいえ、結果として現在の立場は「敗北」でしかなかったのではあるまいか?
 だからこそ石原氏は「政治に吠え面かかす」と宣言し、今尚闘い続けておられるのであろう。
 故に(氏が歳老われた現在に至って尚)、国政が掲げた施策に真っ向面より抵抗する事とならざるを得なくなる。 尖閣諸島問題とてそうだ。国が買い取ると言えば、自分こそが買い取る!と言い出して抵抗する。 都民の迷惑を考慮する余裕も無く……

 
 原左都子の立場として、表題に戻ろう。

 石原慎太郎氏が「誰と争ってる?」のかに関して、上記のごとく私論を展開してきた。

 読者の皆様の応援に支えられつつ、この私がたとえ非営利であろうが数年来“辛口毒舌論評集”とも表現可能な「原左都子エッセイ集」を日々綴り自己のオピニオンをネット上に公開できている事に感謝申し上げたい思いだ。
 その根底には、 「一体誰と争ってる?」 との課題が我が脳裏に常々横たわっている事も重々認識し続けている。
 それを再認識させてもらえたのが、今回の朝日新聞「素粒子」の論評であった。

 既に人の上の立場におられる石原慎太郎氏はともかく、人間とは心理面で何かの対象と争いつつその生命を全うする存在であり続けることを余儀なくされている感覚が私にもある。
 それはこの世で成功を修めたか否かの如何にかかわらず、人それぞれの人生の経験則に基づく一種の“コンプレックス”に端を発ているのであろう事も想像がつく。

 決して人の上に立つ存在ではない原左都子のごとくの一庶民であれ、その社会心理学的側面を視野に入れつつも、今後も我が心の内面で誰か(何らかの対象物)との “争い” を全うし続けるのが、人生に於ける一つの美学なのかもしれない……

高齢者の方々、自分の意思で派手な服を着ましょうよ!

2012年04月21日 | 時事論評
 原左都子のミニスカスタイル写真を、恥ずかし気もなく本エッセイ集のバックナンバーに於いて再三再四公開してきている。(ご興味がありましたら、左欄のフォトチャンネルをご参照下さい。)


 ファッションとは時代の変遷と共に目まぐるしく移り行くものである。

 第二次成長期である小学校高学年に差し掛かった頃お洒落心に芽生えた私であるが、当時女性の間で世界的に流行していたのが、ロンドンのファッションモデル ツイッギーに代表される「ミニスカスタイル」だった。  
 先だって放送が終了したNHK連続ドラマ「カーネーション」に於いても、当時の「ミニスカ大流行」の様子がコシノ三姉妹の末っ子ミチコ氏(役名聡子)のご活躍を通して再現されていたが、私にとっては60年代頃のファッションを懐古しつつ大いに楽しめた場面であった。

 子どもの頃より長身スリム体型だった私は、(手前味噌ながら)この「ミニスカスタイル」がよく似合った。   中学生にして既に160cmを超えていた私がミニスカスタイルで街中を闊歩すると、世の若き男性どもにはその後ろ姿は一端(イッパシ)の女性に映ったようだ。 早くも「喫茶店でお茶しよう!」、車道からは「一緒にドライブしない?」等々“ナンパ”が相次ぎ、子ども心に面白おかしい思いをさせてもらえたものである。 (いえいえ、決して誘いには乗らず「まだ中学生ですから…」とすべて心細い小声でお断りしましたよ…。)

 上記のごとくファッションとは変遷を繰り返す事によりこの世の文化を創造しつつ、裏側ではアパレル業界に潤いをもたらし続ける存在である。  その後女性のスカート丈に関して言えば、短くなったり長くなったりの歴史を繰り返しながら現在に至っている。
 その流行を取り入れる事も一つの我が趣味として堪能しつつ、現在のファッション生活に繋げている原左都子でもある。

 それにしても、ファッションとはやはり“自己の体型及び雰囲気”こそが揺ぎない基本であると現在結論付けている私だ。  たとえ今の流行とはいえ自分に似合わないものは身につけたくもなければ、その種の衣類は着用していて不快感すら漂い居心地が悪い。

 その結果、原左都子は現在に至っても日々「ミニスカスタイル」を貫くことと相成っている。 幸いな事に現在若者の間でミニや短パンなどが流行中である。この流行を利用して我がファッションの正当化を志している私だ。
 さらにラッキーなことには、この私のファッションに対して「いい年をして何を考えているの!」「少しは恥を知れば?」などとのマイナス評価をしてくる人物も皆無である。(内心そう思っているかどうかは不明だよ……


 今回、原左都子がこの記事を綴ろうとしたきっかけとは、4月6日付朝日新聞「声」欄に掲載されていた61歳主婦女性の投書を読んだ事による。

 「中高年も鮮やかな服を着たい」と題する上記投書を、以下に要約して紹介しよう。
 先日外出ついでに東京渋谷池袋のデパートをのぞいてみた。気に入った服があったら買いたいと思ったのだ。 ところがサイズや値段の問題ではなく、どのデパートにも気に入る服が一着もなかった。自分にとってこの状況はもう10年以上続いている。 以前、作家の宮尾登美子さんが「年をとったら鮮やかな綺麗な色の服を着たい」とテレビで発言していた。同年代となった今、その言葉がよく理解できる。 年齢を重ねる毎に老化するのは世の常だが、中高年向けの店には灰色や茶系の服しか並んでいない。 洋服のメーカーはこんな旧来の考えに囚われず、鮮やかで綺麗な洋服を作っていただけないか?
 (以上、朝日新聞「声」欄より、61歳女性の投書を引用)


 原左都子の私論に入ろう。

 いやはや、びっくり仰天である。
 この投書女性はまだまだ高齢者の範疇ではない61歳にして、何故、灰色や茶色の洋服しか並べていない洋装店を訪ねるしか方策が見出せないのであろう??

 この私など現在50代後半にして、我が娘の年代である20歳前後の乙女が好むブティックにも足繁く入っている。 そこはミラクル世界であり、色とりどり、そしてデザインも多様等バラエティ豊かな洋服が安価で沢山展示されているのだ。 
 ひと昔前の経済バブル期の一時は、確かにブティックの店員氏の中には高飛車に決め込む輩も存在した。  時が大幅に過ぎ去り経済危機的不況下においては、定員の教育も徹底しているようだ。 まさか原左都子は20代に見えやしないだろうが「よろしければ試着して下さい!」と若き店員氏が快く勧めてくれる。 その誘いに乗って自分が気に入れば購入し、娘とその服を共有している私である。

 
 そんな私から、朝日新聞「声」欄投書者であられる61歳女性に提案申し上げたいことがある。
 もしかしたら、この女性は若き頃よりさほどファッションを楽しんで来られなかったのではあるまいか?  その矛先を今現在“デパート”に頼っておられるとのことは、ある程度の富裕層でもあられる事だろう。 もしかしたらお子様は息子さんだったのだろうか? そのためご自身で娘相手にファッション教育を施す機会もなかったのであろうか?

 アパレル業界に“鮮やかで綺麗な服”を造り提供することを要請する以前の問題として、ご自分自身でお時間が許す限り街を闊歩されてみては如何か?
 この世は今まさにファッションで埋め尽くされていることに気が付かれることであろう。

 ある程度の富裕層の高齢者が今時尚「デパート」にしか購買活路を見出せないでいる現実を、原左都子の周囲を見渡して少しは認識してはいる。 一方、現在61歳の女性が何故その種の“狭い世間の人生”を歩まなければならなかったのかの事情は私には計りしれない。 

 今の時代60歳代などまだまだ若年層だ。
 どうかこの相談女性が今後の人生を心底楽しむためにも、ご自身の足と行動力でこの世の活路を見出すきっかけを摑んで欲しいものである。

 年齢になどかかわらず、煌びやかな派手な服を着て街を闊歩しようではありませんか!!