原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

愚かな民主党が落ちぶれる果ては…

2010年08月31日 | 時事論評
 先週、私は娘と共にソウル旅行に出かけた。

 短期間ではあるがソウルの地を堪能しいよいよ帰国の時が訪れた際、私が搭乗しようとするフライト帰国便入り口に置かれている日本の新聞の一面トップ見出しが、一瞬にして私を“日本の愚かな現実”に引きずり落としたのである。

 その一面トップ見出しは以下のごとくであった。 (記憶のみに頼っておりますため、正確さに欠ける点をお詫び致します。)

 「菅氏・小沢氏 全面対決   民主党内部 真っ二つに分裂」
     

 (まったく、旅の余韻に浸る暇もありゃしない。 一体何を血迷ってんだよ、日本の政権政党たるものが! 一政党の内部分裂を国民に晒している状況ではないだろ、今の日本は!)

 怒り収まらないまま座席に着き、休む間もなく新聞記事に目を通す原左都子である。

 ソウル旅行中も、出国前にあらかじめ両替しておいた韓国ウォンがここ2週間程の急激な円高により大幅下落で大損失を計上したばかりである。 (こんなことならば、日本円のまま持って行き現地で最低必要分のみ両替するべきだった…)
 などと後悔しつつも、たかが一旅行者の損失はともかく日本経済産業界の大損失に思いを馳せる。 (民主党党首選の内輪もめ?? よくもまあ、史上最悪の円高で日本の経済危機に拍車がかかっているこの時期に、今後日本を統制していこうとする政権政党が党首候補者の私利私欲で真っ二つに分裂しているとは一体何事だ!!?)

 しかも機内放送によると帰国日の東京の気温は33℃とのことで、相変わらずの猛暑続きのようだ。 成田に降り立ったとたん、湿気を帯びた熱風が体に鬱陶しくまとわりつく。
 (今夏の記録的猛暑による熱中症死者は、もう既に何百人にも達していると聞く。 誰がこの国を亜熱帯気候に陥れたのだ!? これも国の環境行政の責任が大きいのではないのか? 少なくとも熱中症による死者が大量に発生している現状において、政権政党がそれを放ったらかして党首選で火花を散らすとはどういった神経なのか??)


 自宅に帰り着いて新聞等の報道に接してみると、やはりこの“愚かな”民主党党首選への批判が渦巻いている様子である。

 朝日新聞8月27日の社説においては、原左都子が帰国便フライトの中で抱いた“唖然感”同様の記述があった。 以下にその一部を紹介しよう。
 民主党の小沢前幹事長が党代表選に立候補する意向を表明したが、どうしてここまで民意とかけ離れたことができるのか。多くの国民が唖然としているに違いない。 小沢氏は“政治とカネの問題”でいまだ決着をつけていない。 鳩山氏にもあきれる。この代表選で小沢氏を支持することが「大儀だ」と語った。 この二人の有様は非常識を通り過ぎて“こっけい”ですらある  (中略) もし今回小沢首相が誕生すれば、わずか約1年で3人目の政権政党首相となる。かつて自民党の「政権たらい回し」を責めた民主党にその反撃が跳ね返ってくるであろう。より悪質なのはどちらか。有権者にどう申し開きをするのか。 (中略) ほぼ1年前、新しい政治が始まることを期待して有権者は民主党に一票を投じた。その思いを踏みにじるにもほどがある。所詮、民主党も同じ穴のむじな、古い政治の体現者だったのか。

 
 原左都子は当ブログの時事論評バックナンバーで再三述べているように、1年前より民主党には何らの期待もしていない故に、一票を投じていない国民の一人である。 なぜならばこういう事態になることが既に予測できていたからである。
 
 それにしても結果とは予測よりも数段劣悪なものであることをわずか1年にして実感させられるのが、何とも辛い思いである。

 小沢さん、かつて貴方は類稀に優秀な政治家であったのかもしれない。それ故に今尚貴方を崇拝する支持者は少なからず存在するようだ。 そんな貴方に一番欠けているのは、国政に欠かせない「国民」の存在の認識であり、自分が既に年老いたという事実の認識なのではなかろうか?

 鳩山さん、貴方はわずか8ヶ月間で首相であることを国民から拒否された政治家であることを既にお忘れなのか? この期に及んで小沢氏に迎合しつつ菅氏とのパイプ役を果そうとすることでご自身の存在証明をしたい思いは分からなくもないが、やはり「国民」の存在という国政にとっての一番の認識に欠けた行動であることに今尚気付かない程の“天然セレブボケ”人種なのか?

 菅さん、貴方は首相になって以降、来たる党首選を意識し過ぎるあまり軟弱路線を突き進み何らの実績も残せていない。 それは年老いた今となっては貴方の実力に過ぎないのか? そうだとすると上記のお二人同様、貴方も既に政治家としての旬を既に通り過ぎていると断言できよう。


 原左都子の推測では、民主党政権の今後の寿命は短いとみる。

 本日(8月31日)、菅・小沢二者会談が行われる(既に行われた?)との報道があるがその結果を待たずして、党首選で私利私欲を争う民主党幹部、そしてそれを阻止できない若手を抱える民主党には、どう考察しても今後国政を任せる訳にはいかない。

 
 今回私が訪れた韓国ソウルは経済発展が目覚ましく一見東京と同じような大都会である反面、北朝鮮問題や若者の徴兵制度の問題を抱え、市民の間には拭い去れない“緊張感”も共存している。
 それと比較して、我が国日本は老いも若きも“平和ボケ”国民と成り下がっているのか? と嘆かわしく思えてしまう。 若い世代はともかく、国政を操る政党の要を握る長老どもが、年老いて尚私利私欲思想から脱出できないとは、まさに(上記朝日新聞社説曰く)“あいた口がふさがらない”思いの原左都子である。
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Invitation for “ASIA TOP GALLERY”

2010年08月24日 | お知らせ
 (写真は、来る8月27日~29日の3日間 韓国ソウルの新羅ホテルに於いて開催される “ASIA TOP GALLERY HOTEL ART FAIR SEOUL” の招待状)


 上記招待状は、原左都子エッセイ集8月15日のバックナンバー「空間と共存する静物」において紹介させていただいた 美術家 長はるこ氏 より私と娘に頂戴したものである。
 年に一度アジアのトップギャラリーがアジア各国のホテルに集結するアートフェアに、今回長はるこ氏は日本を代表して自らが主宰されている「B-gallery」をギャラリーごと出展されることに相成られたのである。


 経済の急激な成長発展と共に芸術市場が大いに活気付くアジアの新興国は、今では経済が低迷を続ける日本とは比較にならない程に芸術分野も活性化していると見聞している。
 アジアにおける芸術家の活躍の中心は今や日本ではなく、中国上海であり、韓国ソウルであり、はたまたシンガポール、台北、香港、そしてインドに既に移り変わっているとの情報も見聞する。
 
 今後芸術家を目指す我が子にとって、今回ソウル新羅ホテルおいて開催されるアートフェアを訪れて今をときめくアジアのトップクラスの芸術に触れておくことは、明るい未来への一つのとっかかりとして貴重な経験となることであろう。
 私自身も今回のような大規模なアートフェアに参加することは初体験であり、このような機会を提供して下さった 長はるこ先生 に大いに感謝申し上げる次第である。
 (参考のため、長はるこ氏のHPへは当ブログのブックマークの最上段「B-gallery」よりアクセスできますので、是非ご訪問いただき氏の現在のご活躍ぶりを実感下さいますように。)


 
 さて、このアートフェアを観賞するため原左都子は明日8月25日より韓国ソウルへ旅立ちます。

 しばらく「原左都子エッセイ集」の執筆はお休みさせていただきます。

 帰国しましたら、上記アートフェアのレポートを含めてソウル旅行の報告をさせていただく予定でおります。


 もし読者の皆様が会期中にソウルへ行かれるご予定がありましたら、是非共新羅ホテルへ足を運ばれアートフェアに立ち寄られることをお勧めします。
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「眠れる森の左都子」

2010年08月22日 | 芸術
 (写真は、我が16歳の娘の自画像 「バレエ“デフィレ”の舞台」 )


 梅雨明けの7月上旬以降何年かぶりに連日厳しい猛暑が続く今年の夏は、誰しも朝は目覚めから不眠症気味の体が必ずやだるく感じられることであろう。
 今日こそは少しは気温が下がってくれることに期待して何とか重い体を引きずりつつ起きてみても、世の中が涼しいミラクル世界に変貌しているはずもなく、老いも若きも来る日も来る日も猛暑との闘いを強いられる。
 挙句の果てには熱中症で救急車で搬送される人が後を絶たない、灼熱地獄の今年の日本の夏模様である。

 こんな猛暑の夏には涼しい森林の木陰で「眠れる森の美女」にでも変身して、100年とは言わずともひと夏「冬眠」ならぬ「夏眠」してみたくもなるよねえ… 


 さて昨日(8月21日)、上記の写真のごとく幼い頃より中2までクラシックバレエを嗜んだ娘を引き連れて、東京日比谷の日生劇場へ松山バレエ団による「眠れる森の美女」を観賞に出かけた。 
 (ここで手前味噌ながら上記の娘の絵の解説をさせていただくことにしよう。 我が娘が小学生時代に出演した東京芝メルパルクホールに於けるバレエの舞台オープニング「デフィレ」の場面のプロ撮影写真を元に、美大予備校課題として平面画に描いたものである。)

 今回の松山バレエ団による「眠れる森の美女」は全幕ではなく“ハイライト”であった。 これには理由がある。 そもそもこの日生劇場のバレエ公演は、日生劇場が毎年子どもの夏休み期間中に開催している「国際ファミリーフェスティヴァル」の一環として企画した、あくまでも“ファミリー向け”の舞台なのである。 対象観客層を(推奨)4歳以上に設定し、ファミリーで楽しめるようにプログラムが組まれているのが特徴である。
 それ故に、小さい子どもや素人にも分かりやすく古典バレエを再構成し、2時間の短時間の“ハイライト”としてまとめ上げられているのだ。  しかも舞台本番に先立ち主要登場人物と解説役のダンサーが登場し、親切にも物語のストーリーやバレエの“マイム”の意味などを簡単に説明してくれる場面も設定されている、とのごとくサービス満点である。
 クラシックバレエの舞台とは本来ならば「全幕」を通して観賞してこそ、その全体像の趣を堪能できるものではあろう。 ただ、幼少の子ども達が長時間客席に座って舞台を観賞することの苦痛を考慮した場合、このような“ハイライト”は粋な計らいとも言える。

 バレエ観賞趣味の歴史が長い我が一家が何故に今回“ファミリー向け”バレエ公演を鑑賞することに相成ったのかをここで説明しよう。
 やはり我が家も子どもが幼少の頃は周囲の迷惑を考慮し一般向けの舞台観賞を避け、この種の“ファミリー対象”ものを観賞していたのだ。 
 実は我が子が3歳の頃、私個人の趣味で果敢にも一般向けの“マリンバ演奏会”に連れて行ったことがある。その演奏会では3歳以上の入場は「可」であったものの、いつもは静かな我が子が観客席でお喋りをし始めてしまったのだ。案の定周囲の観客に迷惑を掛けてしまい前方席の観客から睨み付けられた私は、即座に劇場外へ出ることになったごとくの失敗を経験している。
 その種の苦い経験のある私は、子どもが幼少の頃には子供向けに設定された舞台を観賞させるべきと考えた。 そうしたところ、この日生劇場の夏休みのフェスティバルの存在を知り、子どもが小学生低学年頃までほぼ毎年このフェスティバルのバレエやオーケストラやミュージカルを観賞してきたという訳である。
 そうしたいきさつがあり今尚日生劇場から毎年子ども宛にダイレクトメールが届き、先行予約で“いい席”をゲットできるため、今回その特権を有効利用したという訳である。
 しかも幼少の子どもを持つファミリーが観客対象のため、(近隣の席で子どもが騒いだり泣いたりする事態を耐えられるならば)“激安”料金で、例えばの話、日本に名立たる「松山バレエ団」のバレエが楽しめるのもこの“日生劇場フェステヴァル”の特徴でもあろう。


 松山バレエ団のバレエ公演をもう既に何本も鑑賞している我々親子の感想としては、いつもの舞台に比して全体的にまとまりが欠けた印象もあるが、それは致し方ないことであると捉える。(何分、観客は幼児やそのファミリーが大勢であるし、観覧料が低額なのだから…)
 
 それにしても素晴らしいのは、この子どもと素人相手の舞台に森下洋子氏と清水哲太郎氏が登場されることである。
 今回「眠れる森の美女」の主役であるオーロラ姫を演じられた森下洋子氏であるが、もう既に62歳の高齢であるにもかかわらず、日々ダンサーとしての練習を積み重ね今尚舞台に立たれる意欲とは凄まじいものがある。
 さすがに全舞台におけるオーロラ姫の演技は避けられて、後進の女性ダンサーに道を委ねつつ最終場面の見せ所での森下洋子氏の登場ではあるのだが、62歳にしてこの最後の場面に全力を尽くす森下氏の威厳と精神力は観客席にも十二分に伝わる思いであった。


 今年の夏は猛暑の連日だからと言って、本気で「眠れる森の左都子」に成り下がって「夏眠」することを志向する原左都子では決してないのだ。 
 世に活躍する年配の女性達の現役バリバリの姿を見聞するにつけ、その内面に秘めた大いなる理想に照らし我が人生を充実させたい思いを増幅させてもらえるのである。
 おそらく睡眠時間を削ってでもクラシックバレエに人生を賭けていらっしゃるであろう森下洋子氏を心より尊敬申し上げると共に、今後の更なるご活躍を娘と共に楽しみにさせたいただきたい思いである。 
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職業選択と「成功観」とは相関するべきか?

2010年08月18日 | 自己実現
 少し古い新聞記事になるが、朝日新聞7月31日朝刊別刷「be」の“RANKING”のテーマは「生まれ変わったら就きたい職業」だった。

 それよりさらに古い記事になるが、朝日新聞7月17日朝刊別刷「be」の“悩みのるつぼ”の相談は40代主婦による「人生の成功が遠のいています」であった。

 今回の「原左都子エッセイ集」においては朝日新聞の上記2記事を参照しつつ、ややもすると人生の「成功観」を職業選択を基準として測ろうとするこの世の習性の是非について論評することにしよう。


 前回の記事において、我が娘が“芸術家”を目指して拙いなりりも現在精進中であることを取り上げた。
 これをご覧になった方々の多くは恐らく次のような感想を持たれたのではあるまいか。
 「この就職難のご時勢に“芸術家”になって食っていけるはずもなかろうに、現実を見ずして夢物語を描いている馬鹿親子だなあ。」
 おっしゃる通りの世の中であることは百も千も承知の上である。 それでも尚、敢えて未だ16歳の我が子にはとりあえずは自分の夢に向かって突進して欲しいのである。 そこには親である原左都子なりの“譲れないポリシー”が存在するのだ。 そのポリシーとは、この記事の表題のごとくである。

 職業選択と「成功観」とは相関するべきなのか?

 人間には職業と直結しない「成功観」が存在していてよいはずなのだ。 個人の「成功観」を何に見出そうが、人それぞれであって当然なのである。
 そもそも“食っていけるかどうか”などという話題は極めてプライベートな分野の話である。 他人様にそこまでご心配いただくのはありがたいと思う反面、要らぬ“お節介”の範疇であるとも言える。

 それ以前の問題として、子どもの将来の夢は職業と直結せねばならぬのかという根本的課題がある。
 今や、どこの大学でも高就職率をたたき出すために学生に早い時期から「就活」に邁進させる指導をしているらしいが、これには大いに違和感を抱く原左都子である。
 本ブログのバックナンバーで主張し続けているが、大学の本来の存在命題とは「学問」を4年間に渡り学生に教授する学府であるべきなのだ。 たとえ政府からの要請があろうと、大学とは「学問」よりも学生の「就活」を優先することにより、自らの学問教授力の無さを学生の就職率の成果に置き換えるごとくの“就職斡旋機関”に成り下がっては決してならないのである。

 話が記事のテーマからはずれて申し訳ないが、何故にここでこの話題を取り上げているのかを説明させていただこう。
 本ブログの7月25日の記事に於いて、教員養成を主眼とする国立大学のオープンキャンパスを訪れた際、その大学の准教授より「娘さんは芸術家になって将来どうやって食っていくつもりなのか?」云々の指摘を受けたことに対して、今尚不可解感を抱いている原左都子であるからだ。
 その大学が如何なる学生の養成を主眼としていようが、わざわざオープンキャンパスに訪れた見知らぬ受験生親子を相手にこの准教授の指摘はやはり“お粗末”としか言いようがない。


 この辺で、冒頭の朝日新聞記事に戻ろう。
 7月31日の朝日新聞記事「生まれ変わったら就きたい職業」は“人生経験を積んだ40歳以上の読者”を対象としたアンケート結果をまとめているのだが、この結果が今時の子どもが将来なりたいと思う職業とダブっているのが、原左都子にとっては興味深いものがあった。
 そのアンケート結果の上位の一例を挙げると、「大学教授・研究者」「医師」「弁護士」「パイロット」……
 結局、親がなりたくてなれなかった職業を我が子に託す親の思いが実証されたがごとくのアンケート結果である。
 う~~ん。  このアンケート結果が原左都子にとって大いに辛いのは、自らが憧れるこの種の職業にたどり着くまでの「厳しさ」や「道程の長さ」をまったく心得ず、熟年層になって未だにその職業を羨望している背景がアンケート結果から想像できる点である。 そのくせこの世代とは、自分自身は努力及び能力不足が理由で成し遂げられなかった夢を我が子に託すことに関しては至って無神経な様子である。 このギャップこそが我が子を苦しめる最大要因である事に、いい歳をした親が何で気付かないのであろうか??? 
 一方、これと同類のアンケートに応える次世代の子ども達の方は至って冷静であるようだ。「親には金銭的な負担をかけないよう自立したい」…  自分の力無き親の「限界」を十分に見抜きつつ、地に足がついた将来の職業選択を目指すのが現代の健気な子ども達の傾向である様子がちょっと辛いかも……


 冒頭二つ目の朝日新聞7月17日“悩みのるつぼ”の回答者であられる社会学者の上野千鶴子氏の回答には、原左都子の私論と重複する部分もある。

 人生の「成功」について20年来悩み続けていると言う“悩みのるつぼ”の40代女性の相談者は、どうやら大学を中退したことが今尚人生最大の痛手となっている様子である。 この女性は若気の至りの時期の取るに足りない事象に今尚がんじがらめになっているがために、後々の人生を歪んだ価値観で歩み続け自分には「成功観」がないと嘆いている様子である。

 この相談の回答者である上野氏曰く、40代になってまだ「成功観」が抱けないあなたはこの先も「成功観」を得ることは無理かもしれない。 あなたにとっての「成功観」とは何でしょう? もしかしたらそれはずい分と分かり易いものなのかもしれませんね。 と応えつつ…
 その上で上野氏は「成功観」(イコール「幸福」)とは「自己満足」と結論付けられている。 この上野氏の結論は、当ブログ2008年のバックナンバー「自己満足の効用」において展開した私論と一致する回答であられる。

 上記朝日新聞の2記事の共通点は、共に40代以上の読者を対象として記事を構成していることであろう。

 
 40近くまで独身を貫き多方面に渡り自らの夢の実現に単身で奔放し現在も続行中である原左都子の実感として言わせていただくと、40代(50代、60代も)なんてまだまだ現役バリバリ世代であって、まかり間違っても過去の郷愁に浸る時期ではないとの感覚が大いにあるのだ。
 「自分が生まれ変わったらどうのこうの…」。 このテーマに取り組むのは80歳過ぎてからでも遅くないと言いたくもなる。
 一方40代にして既に「成功観」が遠のいていると嘆く人相手には、上野氏のごとく「自己満足」を享受するのは“さしあたって”正解であるとも言えよう。


 話を我が16歳の娘に強引に戻させていただくことにしよう。
 年端もいかない子どもを捉まえて、近い将来の職業選択こそが個々の未来の「成功観」に繋がると大の大人が伝授することだけは避けて欲しい思いである。
 これ位の年齢とは子ども自身の未来の夢を紡ぐ大事な時期なのではなかろうか?
 家庭個々の経済力等々の背景的事情があることは原左都子も重々理解できているが、年端もいかない子どもに「親に金銭的負担をかけぬよう…」と潜在的に圧力をかける保護者はじめ周囲の存在とは如何なるものだろう?
 現在の日本の経済不況の実情を捉えると家庭内でのこの種の対応は致し方ないとしても、政府や大学までもが、子どもの夢を打ち砕き大学生活の早い時期から「学問」を追究するよりも「就活」に励め!とは一体どうしたことか?? 
(民主党政権は9月の党首選に向けて軟弱化している場合ではない! 一刻も早く経済の建て直しと現役世代の雇用回復に着手して、子どもが夢を実現できる世の中にするべきであるぞ。)
 
 我が子には時代の趨勢にかかわりなく、あくまでも自分の「夢」こそを人生の「成功観」に繋げていくことを親として伝授し続けたいものである。 それこそが子どもの将来の職業を含めた明るい未来の自立につながり真の「成功観」をもたらすものと、我が身に照らしつつ信じる原左都子なのである。 
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空間と共存する静物

2010年08月15日 | 芸術
 (写真は、原左都子の16歳愛娘の最新油絵作品 「空間と共存する静物」 )


 お盆休みの連休中に手前味噌な記事で大いに恐縮なのだが、芸術家を志している我が16歳の娘の油絵作品を、ここら辺りで「原左都子エッセイ集」に於いて初公開させていただくことにしよう。

 上記油絵作品は、先だって8月6日~8日の3日間に渡り東京芸術劇場地下展示室で開催された「第12回造形スタジオ・バル作品展」において展示していただいた我が娘の最新油絵作品である。

 “造形スタジオ・バル”を主宰されている 長はるこ先生 についてここで少し紹介させていただくと、東京芸大ご出身の世界的に活躍されている美術家氏であられる。 我が家の娘が小学生の頃より 長はるこ先生のスタジオで造形絵画をご指導いただいて早くも7年以上の年月が経過している。 
 (参考のため、美術家 長はるこ氏 のブログ及びスタジオ、そして氏が主宰するギャラリーのホームページへは 当ブログの左側「ブックマーク」欄トップの “B-gallery” より訪問できますので、よろしければ氏の現在の活躍ぶりをとくとご覧下さいますように。)


 長はるこ先生が主宰される“造形スタジオ・バル”に於いては、先生の開設以来のご方針により子ども達の普段の力作の数々を“その出来の良し悪しにかかわらず”、上記東京芸術劇場展示室にて毎年毎年(本人及び保護者が希望しさえすれば)全作品を展示して下さるのだ。
 (しかも、その作品展の出品料が超格安なのが特徴でもあります!)


 我が娘の愚作の数々も、小学校4年生時より“造形スタジオ・バル”作品展で毎年展示していただいている。
 その展示を垣間見る親の私の感想とは、毎年複雑なものがあったのが正直なところである。 素人目ではあるが、どうひいき目に見ても我が子の作品は他の子が創り描いた作品より数段見劣りがしてるよなあ……。 でもこの作品だけは、我が娘としてはちょっといけてるかもね!!
 まあ、素人親としては誰しもその程度のものなのかもしれない……。 そんな時、普段より生徒一人ひとりの個性とその“作風”を十分把握されている長はるこ先生は、展示室を訪れるすべての生徒と保護者に暖かい言葉をかけて下さるのだ。
 「○○ちゃんの今年のこの作品はこの辺が素晴らしいですよ!!」

 上記のごとくの 長はるこ先生 の暖かい評価に“勘違い”し続けた我が子の将来の志望が「芸術分野」に向かないはずもなかったと、親としても既に認識は出来ている原左都子であった。


 それにしても美術分野において“ド素人”の私にとっても、我が子が希望する美術に関する能力があまりにも低すぎるのではないのかとの懸念がずっと脳裏をかすめていた。
 反面、子どもが志望する分野を応援したい思いにも強靭なものがあったのも事実である。
 (我が娘には生まれ持っての特殊な事情が存在していたことは、本ブログの常連読者の方々にはある程度お分かりいただけることと思い、ここでは割愛することにしよう。)

 そんな娘が高校生になっていよいよ志望大学を美術系に絞り込んだ暁には、親としてももう一切迷いはなかった。 娘の実技力が乏しいと判断した私は高1春にして早くも娘を美大予備校に放り込んだと言ういきさつである。


 美大予備校では、当然ながら美大受験に対応するべく「デッサン力」や生徒の進路に応じた実技受験の専門分野の実技指導を日々教授してくれている。
 我が家ではそれと平行して(と言えども、受験生徒としてはどうしても予備校優先とならざるを得ないのだが)上記の 長はるこ先生 が主宰されている“造形絵画教室”へも時間が許す限り娘を通わせている現状である。 なぜならば、受験とはかかわりなく子どもの個性を尊重しつつ美術を指導して下さる 長はるこ先生 のご指導力こそが、我が子にとっては必要不可欠の前進力となっていると私が信じるからに他ならない。


 我が娘が昨年春より美大予備校に通いはじめて以降、娘の作品数が大幅に増えつつある。
 娘の作品一つひとつに親馬鹿ながら十分に思い入れがあり大事に保存してやってはいるものの、何分、美大予備校の作品は課題や時間の制限の下で書かれた作品ばかりである。

 その点、長はるこ先生のスタジオで描かせていただいた油絵作品とは、娘本人のペースで取り組んでいることで我が拙い娘なりにもより完成度が高い作品に仕上がっていることを、親としても実感させていただけるのである。

 長はるこ先生の普段よりのご指導方針にここで再度感謝申し上げると共に、今後も娘の美術分野の進路にかかわりなく、一年に一作品程度のスローペースでいいから、我が娘には長はるこ先生のスタジオでずっと油絵を描き続けて欲しく思う原左都子である。 
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