原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

英国よ、「EU離脱騒動」をいつまで続ける気か!??

2019年10月31日 | 時事論評

 我が家では早くも、来夏の海外個人母娘旅行の行先を娘と話し合ったりしているのだが。

 実は水面下で「ロンドン案」も浮上していた。 母の私は若かりし頃に既にロンドンを訪れているが、娘は欧州ではフランス・イタリア、オーストリアは訪問したものの、「パクスブリタニカ」として過去に世界規模で繁栄した英国へ未だ行っていない。 そこで浮上した案だったが…

 昨日のニュースによれば、英国はまたまたこの12月にEU離脱騒動を巡って「総選挙」を実施する運びとなった様子だ。

 このニュースを見ながら、「これじゃあ来夏にロンドンへ行くとしても、如何なる通貨を持参すればよいか分からんよ~~」 とふざけながら娘に向かって嘆いたという訳だ。

 結局、来夏の旅行の行先は一旦“振り出し”に戻したのだが。

 

 冗談はさておいて。

 本日2019.10.31付朝日新聞朝刊「社説」より「英国総選挙へ 離脱の焦点を明確に」の記事の一部を以下に要約引用しよう。

 (英国は)欧州や世界の国々と、どんな関係を築きたいのか。  欧州連合(EU)からの離脱問題に揺れる英国で、12月に総選挙が行われる方向になった。 英国と欧州の将来の姿を左右する選挙になるかもしれない。 

 本日31日はジョンソン首相が「何が何でも離脱する」」と宣言した期日だった。 無秩序な離脱を回避し、民意を問う機会が生まれたのは、EUが3度目の離脱延期を認めたからだ。 新たな期日である来年1月末まで3ヶ月ある。 英国は今後こそ、貴重な時間を有効に使わねばならない。 言うまでもなく最も重要な論点は「EU離脱」だ。 ただし、有権者が思い描く選択肢は、離脱か残留かの単純なものではないことを認識しておきたい。

 与党保守党や最大野党の労働党など各党と候補者は、公約集や討論会などで考えを明確に示す必要がある。 それぞれの選択がどこへ導くのか、利点や問題点は何か、国民に誠実に示してもらいたい。  政府も政党も、情報を歪める事無く開示する。 それが民意を問うための必須の前提であることを忘れてはならない。

 今後の行方次第では、連合王国としての英国の一体性が崩れる危険性もある。 先の国民投票では、スコットランドと北アイルランドで残留支持、イングランドとウェールズで離脱私事が多数を占めた。 実際、スコットランドの地域政党はEU残留と英国からの独立を掲げている。 過去に住民対立で3千人を超す犠牲者を出した英領北アイルランドだけが、実質的にEUの関税同盟に残れば、1998年の包括和平合意が揺らぎかねないとも指摘される。

 いくつもの重い懸案を論じるべき選挙である。 英国民も冷静に判断し、票を投じて欲しい。

 (以上、朝日新聞「社説」より一部を要約引用したもの。)

 

 私論に入ろう。

 いやはや、現在の“平和ボケ”日本に暮らす身としては、英国の長きに渡る「EU離脱騒動」の根が深いことを改めて思い知らされる。 英国内や英領も含めた地方間の対立や宗教対立、様々な痕跡を抱えつつの“重い”「EU離脱騒動」である事実を改めて実感させられる。

 それにしても、あのジョンソン首相。 メディアを通じて拝見する限り、何だかパフォーマンスが派手過ぎやしないかと私としても懸念していたら、やはり上記朝日新聞社説内でもそれに関する記載があった。

 ジョンソン氏は今回の騒動を、僅差だった3年前の投票を理由に「離脱を望む国民」と「拒む国民」の闘いだと訴え、議会での熟議を拒む姿勢を続けているようだ。 確かにニュース報道でジョンソン氏を垣間見ると、いつも全身全霊で大袈裟なまでのパフォーマンスを披露しつつ、国民間の対立をさらに煽っているかに見える。

 これでは朝日新聞の記載通り、すでに世間で二分された対立社会で更に分断が進む恐れすらあろう。 ここはどうかジョンソン氏は少しテンションを下げて、冷静な議論に持ち込む事こそが首相としての務めではなかろうか。

 

 現在の我が国を振り返ると、歴史的に国家を二分して議論せねばならない重要案件は取り急ぎ無いような気もする。 

 いえいえ忘れちゃならない「憲法論議」こそが、今後その重要案件となるであろう。 その際には是非とも現在の英国のごとく、国民皆がその議論に熱く参加するべき!と、最後に考察しておこう。


今朝の濃霧が我が脳裏にひょんな記憶を蘇らせた

2019年10月30日 | 雑記

 (写真は、本日朝6時50分ごろに我が家の南側ベランダより撮影した東京の空の風景。 晴れていたらくっきり展望できる西新宿超高層ビル群がまったく見えない。)

 

 早速、本日朝発生した「濃霧」に関するネット情報を以下に引用しよう。

 今日30日(水)朝は東京や千葉など関東から東海、近畿にかけては濃霧が発生しています。 東京では最低気温が12.1℃となるなど、関東地方ではこの秋一番の冷え込みになったところが多くなりました。

 昨日は雨が降っていたことによって今朝は地面付近の空気が湿っていました。それが今朝の冷え込みにより空気が冷やされて水蒸気から水滴に変わり、霧となりました。

 6時30分現在では、鉄道で一部に遅延が発生しているなど交通機関に影響が出ているところもあるので、最新の情報を確認してください。

 この霧は日が昇り気温が上昇すると徐々に解消されていく見込みです。

 ただ、朝のうちは車の運転はライトを点灯していつも以上に慎重に運転するなど、視界不良が続くので注意してください。
 
 (以上、ネット情報より引用したもの。)
 
 
 
 今現在の東京地方は、すっかり濃霧が消え去りつつあるようで、我が家のベランダからいつも通り西新宿超高層ビル群が見渡せる。
 
 
 さて、その濃霧が一体全体、我が脳裏に何の記憶を呼び起こしたのかを話そう。
 
 この濃霧とその記憶内容の間に何らの関連性も無いのだが…
 
 我が亭主が、50代半ば頃に「鬱病」を発症した。 その頃の亭主の生活環境と「鬱病」発症の因果関係が今尚不明なのだが、亭主の自己診断によれば飲用している(させられている)「高血圧薬」のせいではないか、との事だったが。  何分、後にも先にも医療・薬剤依存をしない私としてはその実体験が一切無く、亭主理論の信憑性の程の判断が付きかねた。
 当初その亭主の「鬱症状」が重く、特に困惑させられたのが「自殺願望」に囚われていた事実だ。 これ、厄介なのは“目が離せない”事だ。 実際亭主の口から「ベランダから飛び降りたくなる…」との言葉が出てしまった挙句には、1日中亭主に付きっきらねばならない。 実際10分外へ買い物に出るのも難儀したものだ。
 
 当時娘が中学2年生だったと記憶しているが、中3へ進級するに当たり、担任との「進級クラスに関する合意面談」があった。 通常の授業参観ならばパスすればよいが、娘の未来がかかったクラス選択合意面談に親が出席しない訳にいかない。  一体どう対処したかと言うと、郷里の実母が未だ元気だった事を利用した。 「私が娘の面談にどうしても学校へ行かねばならないから、私が帰ってくるまでうちへ頻繁に電話して亭主と会話してやってくれる?」  それを快く引き受けてくれた実母が、私の留守中に亭主に電話して会話してくれたのに助けられた。 元々話好きの母故に話が途切れることなく、私が帰宅した時には比較的元気な亭主だった。
 
 それは良かったのだが…
 実際、「鬱病」を患った亭主を抱える妻とは大変なものだ。 当然職場へは長期休暇を申し出て、結果として4カ月間病欠をした。(その後も定年退職するまで、長期休暇と出勤を繰り返した。) 元々行動派ではない亭主は、私が付き添って病院へ行く以外は家で寝てばかり…  亭主の好きにさせてやるのが一番と思えど、亭主のベッドのシーツも変えられやしないわ、何食べる?と聞いても「いらない」との返答しか来ないわ…
 夜になれば娘が帰って来て、我がサリバン業が開始する。 この合間に亭主のご機嫌取りをしたり、なるべく風呂へ入る事を指南したり…
 
 
 今朝の濃霧の中、私の脳裏に過ったのは、「あの時何故私は、亭主がトイレへ行った時にでもさっさとシーツを換えてやらなかったのだろう!?? との罪の意識だ。 おかしな奴だと思うかもしれないが、とにかく“綺麗好き”の私だ。  必ず家族皆のシーツを雨が降ろうが槍が降ろうが、最低週1回は取り替えている。 そうせねば我が気が済まない。 なのに、何であの時1ヶ月に1回程しか亭主のシーツを換えてやらなかったのか!??
 今朝突然この罪の意識に苛まれてしまい、涙すら出て来る…  冷静に判断して特段それが原因で亭主の「鬱」が悪化した訳ではなく、返って好き放題寝かせてやったことが回復につながったとも言えるのだが。
 
 
 皆さんも、こういう事って無いだろうか?
 
 突然の気象変動が人間の心理を乱し、思いもしない記憶が蘇ったりしても不思議ではないかもしれない…
 
 ただ今朝突然発生した濃霧が、この私に「今後も亭主を大事にせよ」なる今後に渡る訓示をもたらしたとも考えられる。

萩生田さんこそ“身の丈に合わせて”大臣も議員も辞職したら!?

2019年10月29日 | 時事論評

 大臣や議員が発する「失言」は、過去から現在に及んで膨大な数に上るであろうが…。

 これ程、差別意識に基づいた失礼かつ不快な失言も珍しかったのではなかろうか?!

 

 朝日新聞2019.10.28付夕刊記事より、その萩生田文科省大臣が発した“究極不快失言”に関する記事を以下に引用しよう。

 2020年から始まる大学入学共通テストで活用される英語の民間私見について、萩生田文科相がニュース番組で「身の丈に合わせて」と発言したことについて、批判が相次いでいる。 萩生田氏は10月28日報道陣の取材に対し、「受験生に不安や不快な思いを与える説明不足な発言だった」と謝罪した。  発言は24日夜の“BSプライムニュース”でのもの。 英検などの民間試験の利用で、受験生の経済状況や地理的条件によって不公平が生じないかと問われ、 「それを言ったら『あいつ予備校通っていてずるいな』というのと同じ」と反論。  「裕福な家庭の子が回数受けてウォーミングアップできるみたいなことがあるのかもしれない」と述べた。  試験本番では、高3で受けた2回までの成績が大学に提供されることを踏まえ、「自分の身の丈に合わせて、2回をきちんと選んで勝負して頑張ってもらえれば」と答えた。

 萩生田氏は28日、不公平を容認しているとの指摘に対し、「どんなに裕福でも2回しか結果は提出できないので、試験の条件は平等」と強調。  「民間試験なので、全ての人が2回しか受けてはいけないというルールにはなかなかできない」などと述べた。  

 (以上、朝日新聞記事より引用したもの。)

 

 一旦、私見及び私事に入ろう。

 大学入試制度に於いて、民間英語検定試験を導入するとかしないとかの報道に接する機会が増えている現在だ。  私などその報道自体に驚かされる立場なのだが。 大学受験に関して確かに大きく時代が変遷しているのだろうが、既に娘も大学を卒業して社会人として活躍している現在、現役受験生の皆さんにとっては申し訳ないが現時点の私にとっては二の次でよい話題ではある。

 そんな立場からだが、“学問の府”であるべき「大学」の入学試験に民間試験の導入??? かなり不可思議な感覚を抱かされてはいた。 

 いやこの私も受けましたよ、英検を。 ただ私が英検受験したのは30歳を超えてからの事だ。 2度目の大学受験時にせっかく頑張った受験英語を何らかの形に残そうと、2度目の大学入学後に「英検2級」にチャレンジし、きちんと合格している。 それが現在何かに役立っているかというと、まあ履歴書にそれを記載できる程度のことだが。 (海外旅行時の英会話にも役立っていると言いたいが、その英語力は中学生時に英語を頑張ったなごりと私は分析している。 実際、中学生レベルの英会話力しかない…。   片や英文読解力の方は、現役職業人時代や大学・大学院時代等に英語論文等を積極的に読んだことが功を奏していると考察する。)

 この「大学入試英語に民間試験導入」に関してだが、あくまでも我が認識によれば世間では賛否両論で、殆どの大学がそれを取り入れないとも見聞している。  その大学側の思いは十分に理解出来る気もする。 民間英語試験を合格して入学したとて、その後大学の授業を本気で受ける学生が如何程存在するかとの懸念点もあろう。 結局、大学時代にほとんど本格的な英語に触れる事無く卒業してしまう学生が大方との現実ではなかろうか?? 

 萩生田氏の失言に話題を戻そう。 

 これ、実にとんでもない差別発言であり、また論理破綻発言でもあると私は感じる。 何ですって? 「それを言ったら『あいつ予備校通っていてずるいよな』というのと同じ」ですって?!?  文科省大臣にして、何だか受験生18歳レベルの発言とせせら笑いたくなるのだけど…

 そもそも今時、大学受験に際し“予備校”へ行かせることが“経済力優位家庭”であるとは私は到底思わない。  我が娘などただの一度も“予備校”になど通わせていない(美大受験予備校へは通わせ我が専門ではないデッサン等に励ませたが、後に理系方面へ大幅に方向転換した)。  このサリバンの腕一本で娘の大学受験学力(とは言っても「公募制推薦」合格能力だったが、これを勝ち取るために高校までの学習能力を常に鍛錬させねばならなかった)を叩き上げ、無事合格に導いている。 

 もしかしたら萩生田さんご自身が、過去に貴方の御親殿が貴方を当時の明治大学商学部に入学させるのにムダ金叩いて予備校へ通った経歴をお持ちなのかもしれないが…??  教育力が得体の知れない予備校にそれ程のカネを投入せずして、親力一本で可愛い我が子を大学合格に繋げられる家庭もあるのですよ。 その点でも、萩生田さん見解は大いなる論理破綻と結論付けたい。

 

 最後に、萩生田氏の本日の発言を引用しておこう。

 萩生田光一文部科学相29日の閣議後記者会見で、大学入学共通テストの英語で導入される民間検定試験を巡り「自分の身の丈に合わせて頑張ってもらえれば」とテレビ番組で発言したことについて「撤回し、謝罪する」と述べた。  萩生田文科相は28日に報道陣の取材に応じ「国民、特に受験生に不安を与えかねない説明不足の発言だった。おわびしたい」と述べたが、野党から「発言自体を撤回すべきだ」との批判が上がっていた。  29日の会見で萩生田文科相は「受験生を見下したり切り捨てたりすることを念頭に発言したわけではない」と強調。 その上で、2020年4月を予定している民間試験の導入時期について「さまざまな課題があるのは承知の上で取り組んできた。さらに足らざる点を補いながら、予定通り実施したい」と話した。   (以下略すが、ネット情報より引用したもの。)

 私見だが、2020年4月といえば、もうすぐではないか!

 様々な難題を抱えつつ、辞任して当然の不届き文科省大臣の下に実施される来春の大学受験に挑まざるを得ない受験生の混乱の程が目に見えて、実に不憫だ……


可愛い我が子への正しい「遺産」の残し方

2019年10月28日 | お金

 昨日の「原左都子エッセイ集」“popular entries top 10” に、2013.07.17公開の「子どもに財産を残す前に自立して生きる教育を」と題するバックナンバーがエントリーしていた。

 このエッセイの内容とは、63歳との若さにして膵臓癌にて壮絶死した義理姉の遺産をめぐり、それを受け継ぐ(私に取っては義理甥にあたる)一人息子の「相続関係の無知度」等に関して綴ったものである。 

 早いものであれから既に6年以上の年月が経過している。 あの時は、我が人生が63歳で突如と幕を閉じる事態に対する恐怖心に苛まれたものだ。 幸いな事にその年齢を既に過ぎ去り、比較的元気にこの世を渡っている我が身に安堵させられる。

 あの時真夏の猛暑の中、認知症のある義母を引き連れて公証役場へ出向き、義母の相続内容の書換え処理を依頼したものである。

 

 さて本日は、当該バックナンバーの後半部分を以下に紹介しよう。 

 折りしも朝日新聞6月29日付別刷「be」“between”のテーマが、「子どもに財産を残したいですか?」 だった。  早速読者の回答を紹介すると、「はい」が57%、 「いいえ」が43% と、やや「はい」が優勢といったところだ。  「はい」派の言い分を紹介すると、「子どもの幸せに役立つ」「親としての義務」「自分も受け継いだ」「他人には渡したくない」「家名や家業を守る」 と続く…   片や、「いいえ」派の言い分は、 「残す財産がない」「子や相続させたい者がいない」「子どものためにならない」「相続問題を起こしたくない」… 

 なるほど、なるほど。

 ここで原左都子の私事に入ろう。

 私自身は条件付で「はい」派である。
 何故「条件付」かについて説明すると、何分我が子は多少の事情を抱えてこの世に誕生している。 特に我が子幼少の頃は、私の死後にこの子がこの世で命を繋げるべく財産を残す事も親である自分の責任範囲と深刻に考えていた。  それにしても大した財産もない庶民の身で如何なる手段で我が子に財産を残すのか、途方に暮れた時期もある。 とにかく若い頃より「貯蓄」が趣味の私は、我が子のためにちまちまとお金を貯える手段しか思い浮かばなかった。 何分「お抱え家庭教師」の立場の私は、まとまった労働収入を得るべく時間すらない。(我が単独所有不動産物件の賃貸収入は子育て中もずっとあったが。)
 両方の親族より毎年賜る我が子への(少なからずの)「お年玉」や各種お祝い金等を陰で貯蓄しつつ、我が子に対する金銭経済感覚教育も日々欠かさない私だ。
 「人間が生活するためには『お金』が必要。 それは天から降って沸いてくるものではなく、自分で努力して稼ぐものだ。 あなたも将来大人になったら、自立して自分で生活するお金は自分で稼ぐ事になるんだよ。 そのために今から勉強を頑張っておこうね。」
 この言葉を言い聞かせてきた鬼母の私である。 
 「持って生まれた美人度を有効活用して“いい男”をゲットしろ!」などとは口が裂けても教育していないぞ! アホな男に騙されて、せっかく私が貯めた微々たる預貯金をせびられてどうする?!? 
 (母親として少しばかりその教育が過ぎたところがあることを反省材料としつつも)、我が子は「お抱え家庭教師」である私の指導通り、着実に自立への道を歩んでくれている。 大学2年生の現在、資格試験合格をターゲットしとして大学の学問に真面目に励む日々だ。 

 上記朝日新聞記事の最後に、「相続」に関する専門家氏よりのアドバイスが記されている。 それを紹介しよう。
 相続に関するトラブル回避の最善策は「遺言を残す」事だ。 その際に、何故そういう分け方をするのか、その理由や自分の気持ちをなるべく詳細に書き残す事に加え、親である自分が残りの人生を如何に生きたいのかに関する自分の「取り分」も含めて考えるべき、とアドバイスされている。  おそらくこの専門家氏とは、相続元の親自体がある程度若い世代である事を想定しておられると推測する。 ところが、その後一族の相続関係が変化する事も多いにあり得るのは冒頭で示した通りだ。 
 結局「相続」問題とは各家庭により様々であり、実に困難な課題である事には間違いない。
 今回義理姉の死去によりそれを実感させられている現状の私である。

 そうだとしても、私は今後も引き続き我が娘に「自立」こそが今後の生きる道である旨を教育し続ける意向である。
 先祖の残した財産を巡って親族間でくだらない争いバトルを繰り広げるよりも、自分がこの世で生き抜くべく財産は自らの能力と実力で培わねばならない事を学んで欲しいものだ。
 人の財産の“おこぼれ”を狭い親族間で争うより、自らが稼いだ少しばかりのカネで自由にこの世を生き延びる方がよほど面白い事間違いない。

 (以上、2013年7月バックナンバーより後半部分を引用したもの。)


 このエッセイを記して6年余りが経過した訳だが。

 我が娘はその後もずっと我が“教え”に従って、着実に自己資金を蓄積し続けている。

 決してサリバンの私が成人した娘をひっ掴まえて、しつこく“金銭教育”を継続している訳ではない。 娘が主体的に成している業だが、これがサリバンの私としても唸りそうな実績だ。

 今となっては、私に「ちゃっかり娘」の称号を授けられている娘だが、とにかくそのちゃっかりぶりが大迫力だ。  何せ海外旅行にせよ何れの娯楽にせよ、サリバンに可愛くちゃっかりくっついて来ては、それらを堪能している。 (参考だが、亭主には旅行や娯楽の趣味がまったくないため、夫婦間公的年金独立採算制を貫いている我が家の場合、その娘の費用は全額サリバン負担だ。)  「たまには外食して来たら?」と娘に勧めても、遅くなっても必ずや家に帰って来て、私が用意したまずい夕飯を食べてくれる。

 そうこうして娘が貯めた預貯金総額が(娘の誕生祝やお年玉、合格・卒入学祝い等々で親族から貰った祝い金等に私が決して手を出さず、娘名義で預金していたものも含まれてはいるが)、今や私が30歳独身時に単独でマンション購入した時の金額に匹敵する額になっているのは、娘の快挙と言えよう。

 我が娘の場合は、今後も末永く親と同居してくれることであろう。 この勢いで娘本人が預貯金増額に励んでくれれば、親としても安心して先にあの世へ旅立てそうだ。

 「遺産」資金管理に関しても、今現在親の私が義母の資金管理に励んでいるのを日々間近で観察しているが故に、何らの知識無く悪党どもに騙されるという事も無いだろう。

 義母所有の不動産賃貸物件管理も親亡き後は娘が全面的に引き継ぐ訳で、それに関しても今後の課題として早い時期からサリバンが教育する予定でいる。

 せっかくの「遺産」を活かすも殺すも、それを引き継ぐ子の親の生前教育力に左右される事であろう。 

 

 (このボロパソコンめ! 私としては正確に打ち込んでいるのに、途中で文字が抜けるのどうにかしてくれ! 何分超高速ブラインドタッチ入力のため、途中で文字が飛んだのが実に分かりにくい……  えっ?、お前こそボロだろう、って!?


「2019.07 ウィーン」フォトアルバムを作成しました!

2019年10月27日 | 旅行・グルメ

 (写真は、昨日完成した「2019.07 ウィーン」フォトアルバム。)

 

 このフォトアルバムの「中身」こそお見せしたい思いが山々なれど… 

 そもそも当該gooに複数枚の写真を掲載する能力が無ければ、我がエッセイ集は基本的に“オピニオンエッセイ集”であることに鑑み、その必要も無し! と割り切っている。

 そんな私だが複数枚の写真をお見せする手段を努力し、我がFacebookページにあらかじめ掲載した写真群を当該gooにコピーするとの手段をこれまで利用してきた。

 ところがどうした訳か、その手段が利用不能措置をgooが採用した様子だ。 編集画面に一文「『貼り付け』等のボタンはInternet Explorer以外では対応していない」、との記述が平然と記載されている。  

 これは一体どうしたことか? ネット企業間の癒着によるものだろうか?? 何故、gooは「貼り付け」許可を特定企業に特化したいのだろう!?


 まあ、致し方無い。

 それならばと、冒頭写真として私が昨日完成させた「2019.07 ウィーン」の外見のみを掲載させて頂いた。

 実は、今回も過去の例に倣って「フォトブック」作成を試みて、ネット通販が展開しているフォトブックサイトにて、それにチャレンジした。 

 ところがどうしたことか、過去に何冊も原左都子が自力で作成してきたフォトブックなのに… (娘の成人式・娘の大学卒業式・我が還暦祝いフォトブック・イタリア旅行・米国旅行、等々と、すべて我が独力で仕上げて来た。) 何分、我が亭主が写真には欠片の興味も無い故に、私が頑張るしかない……

 おそらく我がパソコン不具合の理由が大きいと思われるが、ここのところフォトブックの作成に難儀を強いられる日々だった。

 実際、疲れ果てた……  もういいや! と思い直し、作成したのが上記の「フォトアルバム」だ。

 完成させて思うに、結構いけてる!  写真総数200枚ほどの写真アルバムだが、なんせその写真選択が冴えているし、また外ぶちケースとして購入した「アルバム」も外していない。

 「フォトブック」を作成する3分の1程度の出費で済んだ事実もあり、今回の我が「2019.07 ウィーン」フォトアルバム作成は大成功だったと、一人で褒めていよう。 

 

 (参考だが、冒頭のアルバム表紙写真に採用したのは、我々母娘がウィーンにて宿泊したホテルに程近い場所にある地下鉄路線「シェーンブルン駅」構内で写したものだ。 何故この写真を私がアルバム表紙に採用したのかと言えば、何と言っても我々ウィーン個人旅行に際し地下鉄等の公共交通網に大いにお世話になった故だ。 このシェーンブルン駅の静かな風情が、今尚我が脳裏に焼き付いている。 これぞ、我々母娘のウィーン旅行の「原点」と判断した。  それにしても、冒頭写真には我が指も映ってしまい恐縮だが…… )