原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

真央ちゃんの三回転半に賭ける決意が伝わった!

2014年01月29日 | 時事論評
 私は、ソチ冬季五輪フィギュアスケート女子代表 浅田真央選手 にどうしてもお詫びせねばならない事がある。

 それは4年前のバンクーバー冬季五輪 女子フィギュアフリー終了直後に綴り公開した「原左都子エッセイ集」2010年2月26日バックナンバー 「浅田真央選手の五輪敗因を検証する」 と題するエッセイ内容記述に於いて、真央選手に対する大いなる誤解があった点だ。


 とりあえず、以下に4年前に公開したエッセイ内容を要約しながら振り返ってみよう。

 五輪初の女子ショートプログラムにおける“トリプルアクセル”の成功、そしてこれまた五輪初の女子フリーにおける“トリプルアクセル”2度の成功。   未だ19歳にしてこれだけ輝かしいまでの技術力のある浅田真央選手を、何故に「浅田真央プロジェクトチーム」(そんなものが存在するのかどうかは不明だが)は五輪で勝たせてやれなかったのか… との無念の思いで、フィギュア女子フリー後に“悔し涙”で泣きはらしてしまった真央選手ファンの原左都子だった。
 現在のフィギュアスケート競技においては、単に技術力のみならず、芸術力がそれと同等以上に採点評価対象となっている。  この芸術力は現在では“演技構成力”との名称に移り変わっているが、その内容とは選手の音楽性や演目の全体的描写まですべてを含め、広い意味でプログラム全体の芸術総合構成力を評価の対象としているようである。 むしろこの“演技構成力”に重きが置かれるのが、現在のフィギュア競技の採点基準の特徴であろう。
 過去の五輪において、フィギュア女子日本代表の伊藤みどり氏がフリー中失敗を何度も重ねながら、演技終盤で五輪初の“トリプルアクセル”を成功させることにより「銀メダル」を力づくでもぎ取ったごとくの時代は、既に過ぎ去りし遠い昔のノスタルジーと化しているのである。
 まだまだ19歳の浅田真央選手には、おそらく「(仮称)真央プロジェクト」が背後組織として後援しつつ、今回のバンクーバー五輪に挑んだものと推し量る。  その上で(原左都子の推測にしか過ぎないが)、「真央プロジェクト」は、あくまでも真央選手の最大の武器である“トリプルアクセル”を何度も飛ばせることをもって「金メダル」をゲットしようと目論んだとも憶測する。  
 これに対し、韓国のキムヨナ選手の背後組織である「(仮称)キムヨナプロジェクト」の目指す方向は何年も前から異なる方向を見据えていた。  バンクーバー五輪においてのキムヨナ選手の最大の“ライバル”は浅田真央選手であると4年も前から射程を定め、その打倒対策を虎視眈々と採っていたものと原左都子は推測するのだ。
 この戦略とは物凄いものがある。  まずは今期五輪開催地カナダにおいて国民の間でその名を轟かせている男子フィギュア銀メダリストのブライアン・オーサー氏をキムヨナ選手のコーチとし、カナダを練習地とすることで韓国のみならずカナダの地にもキム選手を早くから溶け込ませる作戦であった。
 この戦略がもたらした効果の程も凄まじい。
 ブライアン・オーサー氏の指導力もすばらしかった様子だ。 現在のフィギュア採点基準から判断した場合、五輪に勝つためにはキム選手が苦手な“トリプルアクセル”にこだわる必要は一切ないと言い切り、それを早期に切り捨てたとの報道だ。 本番での失敗の危険性が高く大して点数に繋がらない大技の習得に無駄な時間を費やすよりも、得意な3回転ジャンプの精度を上げることを優先した。 さらにはフィギュア本来のスケーティング技術やスピード力の向上に専念して技術力の強化を図ると同時に、キム選手の天性の持ち味である“芸術力”をさらに研ぎ澄ますことにより本人の自信を最高度のレベルまで導いた様子である。
 片や浅田真央選手側は、あくまでも“トリプルアクセル”にこだわり続けた。それは本人の意思なのか、背後組織の策略なのかは私には計り知れない。
 結果として、キムヨナ選手が真央選手に大差をつけて金メダルに輝いた。
 19歳という若さにして、様々なバックアップ力に後ろ盾されつつ五輪最高得点を獲得して今回世界頂点を完全制覇したキムヨナ選手。  片や、トリプルアクセルという離れ業を大舞台で3度も披露しつつも、戦略面で敗れ去った同年齢の浅田真央選手。
 だが、勝負とはまだまだこれからが面白いというものだ!
 (以上は、「原左都子エッセイ集」4年前のバンクーバー五輪フィギュア女子フリー直後に公開したバックナンバーより一部を要約引用。)


 さて冒頭に記した通り、浅田真央選手への「お詫び」行脚に入ろう。

 先だって1月26日(日)夜9時よりNHK総合テレビにて放映されたNHKスペシャル 「浅田真央・金メダルへ ▽ジャンプ復活の秘密密着! 涙の銀メダルから4年 “最後”の五輪に挑む」 を見聞した私は、真央選手に申し訳ない思いで“穴があったら入りたい”心境になった。

 と言うのもNHK報道によると、真央選手は19歳時点、いやそれよりずっと以前から試合では必ずや「三回転半」を飛ぶ! 事を第一義とする強い意志の持ち主だったようなのだ!
 そうとは露知らず、私はてっきり「(仮称)真央プロジェクト」が彼女の背後に控えていて、そのプロジェクトの判断で本人の意思に寄らずに(我が国に金メダルをもたらそうとの“卑劣な魂胆”で)真央選手に「三回転半」を強制していたのかと捉えていたのだ。 
 (余談ではあるが、今現在の国内政権政策とて、まるで子供のごとく安直に他国を打ち負かそうとの魂胆が見え見えで“卑劣”極まりないと捉えている原左都子なのだが…)

 そうではなかった事実に安堵すると同時に、現在24歳になられている真央選手の成長ぶりにも拍手を贈りたい思いの私だ。
 バンクーバー五輪後、母親を亡くすとの決定的試練を乗り越えつつ、真央氏は4年の年月をかけて「三回転半」の改良に積極的に取り組んだ様子だ。
 佐藤コーチの下、助走スピードを上げることにより「三回転半」が技術面及び“出来栄え点”でも完成度を増している事実をNHKスペシャルで確認することが出来た。


 最後に、原左都子の私論結論に入ろう。

 浅田真央選手はご自身のフィギアスケート人生に於いて本人自らが一番こだわり続けた「三回転半ジャンプ」を、バンクーバー敗北の後4年間の年月を賭けて最高度に導いた事実とその並々ならぬ努力過程により、もう既に「金メダル」をゲット出来ていると私は拍手申し上げたい思いだ。

 後は、まさに(真央選手がおっしゃるところの)最後のソチ五輪にご自身が目指す成果を挙げ、それを堪能し楽しむ姿を私も是非とも拝見したい。

 「原左都子エッセイ集」開設直後の2007年9月に、私は「成功の尺度」と題するエッセイを公開している。
 その結論のみを語るならば、「成功」とは“自分自身の達成感”が決めることであり、“他者の評価”など二の次の基準に過ぎない、 との内容だ。

 フィギュアスケートとは、特に演技構成力配点に於いて「他者の評価」にある程度依存せねばならないスポーツ競技であることが否めない事実であろう。
 そんな中、日本代表浅田真央選手がソチ五輪会場で何を優先してでも「三回転半」を成功させる!事を第一義としてフィギュアスケート人生を歩んで来られている確固たる意志に、改めて大いなる拍手を贈りたい原左都子だ! 

 真央ちゃん、ソチオリンピック頑張れ!!
 今度こそ貴女自身の「達成感」に基づくサクセスゲットの笑顔が見たい! 

夢の続きを見た経験ありますか?

2014年01月27日 | 恋愛・男女関係
 (冒頭からお詫び申し上げますが、昨日編集画面上の操作ミスにより本エッセイの未完成原稿(草稿)が一時公開されてしまったようです。 その“未完成版”に早くもアクセスを皆様より頂戴していたことを今朝発見し、驚いている始末です。 不手際をお詫びすると同時に、以下に“完成版”を改めて公開致しますので、何卒お読み直し下さいますようお願い申し上げます。) 


 こんな奇跡が起きるのだろうか!?

 なる出来事を一昨日の夜から早朝にかけて、私は実際に経験した。
 (最初にお断りしておくが、今回の物語はあくまでも私が寝ている間に“夢の中”で見た架空のストーリーを再現するに過ぎない。)

 それにしても、私は起きた時に明確に覚えている夢をよく見る。 
 そのほとんどが、その分野に限らずろくでもない悪夢ばかりだ。


 ところが一昨日見た夢は「恋愛もの」だったのだが、今までに経験しないストーリー展開だった。

 と言うのが、夢の途中で一旦私は目覚め現実に戻ったのだ。 (これも日常的に経験しているが、再び寝入った後に夢の続きを見るという経験は今まで皆無だった。)
 

 それでは、一旦目覚めるまでの我が夢の前半部分の内容を振り返ろう。

 夢内に登場した主人公男性が現存する人物なのか否かは特定不能である。 もしかしたら遠い昔に一時付き合った男性の残影だったのかもしれないが、その主人公が童顔の可愛い系男性だったことには間違いない。
 なんせ、私は昔から童顔可愛い系男性を好んでいた事を認める。 (例えば伊丹幸雄や原田真二、はたまた若かりし頃のポール・マッカートニーのファンだった。)

 あるいは、ひょっとすると夢内の男性は俳優の“向井理氏”であったのかもしれない。
 何故に向井理氏に我が夢にご登場頂かねばならないのかに関して説明するなら、私は当「原左都子エッセイ集」に於いて向井理氏に関するエッセイを2本ほど綴り公開しているからに他ならない。 これらバックナンバーに少なからずのPV(閲覧)をコンスタントに頂いている。  夢から離れた現実世界では、決して私は向井氏のファンではないと自覚しているのだが、その検索元を辿ると、どうやら俳優の向井理氏とは「童顔」俳優として名高いらしい事を最近発見した。 その記憶が我が脳裏の片隅に刻まれていたのであろう。
 このように考察すると、童顔で誉れ高い向井理氏が我が夢に登場しても不思議ではないとの結論に達するのかもしれない。


 ここでいよいよ、我が一昨日夜中に見た夢の内容を思い出せる範囲で再現しよう。

 どうやら、私は大学生のようだ。
 そして私はその大学内で過去に付き合っていた男性がいたようだが、その彼氏とは既に別れているとの夢内設定である。 その後元カレの友達関係を通して私は今回の主人公である童顔男性と出会い、大いに気になる存在の様子だ。
 大学内の何某かの集団会合(おそらく“合コン”だったと思う)で私は再び童顔男性と対面するのだが、その会合が“集団”であるばかりに、他の登場人物に邪魔をされ私は彼に近づけない。 そうこうしているうちに夜になり、大学に程近い「童顔男性」の下宿先で酒を飲んで夜を明かすと皆が言い始める。
 ところが、その日はちょうど前期最終日前日だった。 電車を乗継ぎ大学に通っている私は、「最終日には必ず朝早く起きて大学へ行かねばならない」との判断を下し、仲間と別れて自宅に帰る決断をする。 
 要するに彼の下宿で皆と一緒に酒を飲んで夜を明かす事より、明日の大学授業優先との私の判断であるが、これで私は童顔男性に接近する機会を完全に失った。  彼の方も私を引き止めることはなく、「童顔男性」との関係が終焉する……  との夢内ドラマ展開だ。

 落胆の下、涙ながらに私は一旦夢から目覚めた。
 布団の中で朦朧としつつ、私の脳裏に我が堅物で杓子定規な思想・行動規範が反復される。 これだから、私っていつもいつも大事な人を失って来ているんだよなあ…  自業自得だよねえ…  たとえ夢の中と言ったって、失いたくない対象物(人も含め)に突進するより理性を優先する自分がとことん嫌になるってもんだよなあ…

 という訳で、途中で目覚めるまでは、いつもの通り「悪夢」の範疇に入る夢物語だった。
 寝とぼけながら(また、悪夢か……)と嫌気がさしつつ…。 
 それでも一昨日の場合は、(この年齢になって男に心ときめく夢を見れただけでもよかったと思うべきだろう…  ああ、でもやっぱり好みの男とははかなくも我が身を通り過ぎていくものだよなあ…) と布団の中でボヤけた我が脳裏に、少しばかり“現実” がよぎった。


 その後布団の中でどれ程の時間が過ぎたのだろうか…  長かったような短かったような感覚だが、とにかく私は再び眠りについたようだ。

 そうしたところ、私の夢の続きが再開するではないか!

 夢の映像場面とは、あくる日の大学構内である。
 私は女子友人と共に、前期最終日のゼミ講義に出席している。 ゼミ生は少数であるはずなのに、何故か座席が階段状態の大講義室の中程の席に着席していて、周囲は空席だらけだ。
 ゼミが終わりに近づいた頃だろうか、後部座席に人が座る気配がした。 その後部座席をそっと振り返ったみたところ、なんとその人物とは私が密かに思いを寄せていた「童顔男性」だったのだ! 

 この瞬間で、私は再度夢から目覚めた。  おそらく本当に目覚めたのだと思うが、またもや我が意識が朦朧としている。
 朦朧としつつも私は布団内で考察した。 この会場は我がゼミの授業会場であり決して「童顔男性」のゼミ会場ではない。 加えて“合コン”の飲み会を自宅下宿内で行って疲れているであろうにもかかわらず、後部座席に来てくれた! これって今後に繋がる話ではないかと! (と言うのも、大学の休み期間とは2,3か月の長きに渡るのが常だ。) 前期終了日直前に会合を持てたのが何かの縁かもしれない。 (メールなどない時代背景に於いて)若き二人がその縁を繋ぎ止めるためには、前期最終日に勝負を賭けるしか手立てがないのだ。 「童顔男性」がその勝負を賭けに来てくれた!と私は我が身息災に解釈するとの結論に至った。

 その判断を下した時点で、我が脳内に心身を安定させる神経伝達物質が分泌されたようだ。
 後に朝になり目覚めた私は、いつになく爽やかな気分だった。


 最後に、原左都子の私論でまとめよう。

 どうせ見るなら、いい夢をみたいものだ。 その観点に立った場合、“いい夢”を見る秘訣が何だか少し分かったような気もする。 
 今回の我が夢が続編“いい夢”を誘ったのは、一旦目覚めた時点で、「この年にして“恋愛もの”の夢を見て心ときめいただけでも幸せなのかもしれない」と脳裏によぎった事実こそが、その後の続編に繋がったのであろうと分析する。

 正直に話すと、今尚恋愛ものの夢をよくみる私だ。 そのバリエーションは豊富であるが、たとえ夢内と言えども恋が叶った夢を見た暁には、その日から数日間は何だか心ウキウキと現実世界を生き延びられそうな活力をもらえる感覚だ。

 NHK連続ドラマ「ごちそうさん」の主人公の夫役である「ゆうたろう」さんも言っていた。 夢の中でうわごとに叫んだ女性に対する正直な思いを、現実世界で責められる事には我慢ならないと!

 私の場合は決して夢内物語を「寝言」で公開したりはしないが、まさか夢に見た男性との関係を法的に責められることはないと信じて、今後もよき夢を見続けたいものだ。

国政の暴走を2/9都知事選で食い止めよう!

2014年01月25日 | 時事論評
 今回の「原左都子エッセイ集」テーマは表題の通り、来る2月9日に実施される東京都知事選挙に関連した私論を展開するのが趣旨である。


 それに先立ち、先だって2月19日に投開票された名護市長選挙に関する雑感を記させていただこう。

 任期満了に伴う名護市長選挙は19日投開票され、米軍普天間飛行場の辺野古移設に反対する現職の稲嶺進氏(無所属、社民、共産、社大、生活推薦)が1万9839票を獲得し、移設推進を掲げた新人の末松文信氏(無所属、自民推薦)に4155票の大差をつけ再選を果たした。 仲井真弘多知事の辺野古埋め立て承認後初めての市長選は辺野古移設問題が最大の争点となり、稲嶺氏が当選したことで地元市民が辺野古移設に「反対」の明確な意思を突き付けた。  (以上、ネット情報より引用)

 この辺野古移設反対派稲峰氏の圧勝に対し、当初“敗北感”及び“ひるみ”を見せていた安倍政権が、翌日になるや否や、早くも手のひらを返したかのような強気対応を披露するではないか!
 政権側は20日の会見で「名護市長の権限は限定されている。」云々と述べ、辺野古への移設に伴う準備を早くも開始した。

 
 原左都子の私見だが、まさに“演技派”そして国民に対する“心理操作”がお得意の安倍政権の見え透いた強引なやり方の例外措置ではないとすぐさま悟り、嫌気がさした。
 敗北を認めるどころか、一地方自治体市長より国政の方がよほど強い権限を持っているんだぞ! との、まるで稲峰市長及び氏に投票した市民に対する“脅迫”めいた手法には、恐怖感すら抱かされるのは私のみだろうか??
 確かに国政が地方自治より上位に位置する現在の法制度である事は否めない事実であろう。  それはそうとして、安倍政権は「民意」を如何に捉えているのであろうか?  普天間基地辺野古への移設を主に争われた今回の名護市民選挙による回答とは 「普天間基地の辺野古移転反対!」 である事は揺るぎない事実なのだ。 それを何もなかったようなふりをする(と言うより、むしろ名護市民に喧嘩を売りつけたと表現した方が正確であろう)安倍政権の手口とは、力づくで弱者に暴力をふるうガキ大将同様に短絡的であり、始末に負えない存在である。
 要するに、安倍政権が目指す方向とはあくまでも「国際政治力・経済力」に於ける優位性であり、国内福祉や弱者対応に関しては二の次、三の次の位置づけとの事であろう。 国内貧困格差拡大を重々承知の上で国際上位を目指す安倍政権戦略なのだ。 
 (何でそんなつまらない政策によって嬉しさを享受できるのかの、安倍政権の哲学の程がどうしても理解不能な原左都子なのだが…。  もしかしたら、安倍氏ご夫婦には子供がいないことが元凶なのか…?!?)

 安倍政権の暴走ぶりは政権脱却以来1年以上に及び各政策方面に於いて留まることを知らないようだが、こんな理不尽な手口を国民は決して許してはならない。  国政選挙がこの先3年ないからと安心し切り、「民意」をとことん蔑んで勝手気ままにふるまう政権の実態を放置しておいたならば、この国は近い将来確実に滅びると私は見ている。
 原左都子はあくまでも、普天間の辺野古移設反対派だ。 (沖縄県内で米軍基地を擦り合わせる政策など今すぐ終焉するべきだ。) 再選された名護市稲峰市長を筆頭として、名護市市民の皆さんを今後共応援申し上げる。

 (ここで余談だが、何故安倍さんは夫人を伴い外遊ばかりしているの? それって“空威張り”演技ばかりを強いられるお国のトップの立場として国内(政権内)に自分の居場所がないがための、せめてもの逃避行動かと私など勘ぐっているのだが…


 話題を表題に掲げた「都知事選」に移そう。

 実は今回の都知事選挙が、我が娘20歳になって初めて選挙権を与えられた選挙となる。
 そこで、娘の“お抱え家庭教師サリバン”としての我が“選挙投票に関する心得”教育が勃発するのは必然の成り行きだった。 基本的に20歳に達した国民には皆「選挙権」が与えられるため、その権利行使を積極的に行使するべきことから我が教育が始まる。
 その際に留意するべき事とは、「(世論や親の考えも含め)人の意見に左右されない」 「メディア情報を鵜呑みにせず、自分自身で情報収集する」 ことが鉄則であることはもちろんであろう。
 だがそれに先立つ課題として、自分で「(今回の場合は都政)がどうあってほしいかを我が身に照らして考えるべき」とも付け加えた。
 更には娘には困難な課題であろうことは承知の上で、自分の考えに似た候補者が存在するとしても、その候補者の“実行力”判断こそが肝心である事も伝えた。
 (実際問題そこまで考慮していると、投票に値する候補者が皆無であることも事実なのを重々承知しつつ…)  


 最後に原左都子の私論で締めくくろう。

 今回の東京都知事選の場合、候補者選択に於いてある程度絞り込めるのではないかと考察している。
 
 というのも今までの都知事選のごとく、「(各政党推薦による)何でこんな馬鹿候補者を政党は立候補させたの??」と落胆させられるべく元タレント等の立候補者が存在しない。
 加えて、「原発」「五輪」「福祉」等々に関する候補者間での争点もある程度明確であろうかとも分析している。
 私としては鬱陶しい元タレント候補がいないだけでも、今回の都知事選結果には多少期待出来そうにも思う。

 東京都が抱える現在の人口は1330万人に上るらしい。 この人口とは日本国内人口の1割強を占めている。
 もしも今回、安倍政権が欲しない候補者が東京都知事に選出された場合、政権は次の日から(名護市同様に)その都知事行政を潰すことを企てるのだろうか!? 
 名護市には申し訳ない話だが、“数の力”とは多大であると私は信じている。  安倍政権に東京都政を潰されかかっても、都民「民意」の数の総力でそれを打破可能とも信じている。

 だからこそ候補者の方々に申し上げたい事がある。
 今回の候補者皆さんは、一応「無所属」であるらしい。 その中でも政党よりの推薦力が強力な立候補者も何人か存在するようだが、「無所属」として立候補している以上、都政の独自性こそを優先して欲しい思いだ。

 先だっての猪瀬氏退陣後、長年続いた石原都政を刷新できるまたとなき機会でもある。
 候補者も選挙都民も、このよき機会に東京都政が真なる躍進を遂げるべく行動したいものだ。

「無断転載」 は固くお断りします。

2014年01月23日 | 時事論評
 今朝方、当該「原左都子エッセイ集」からの“無断転載”現行犯現場をネット上でたまたま発見した。


 それは「Yahoo!知恵袋」に於いてなのだが、なんと! 我がエッセイ集文面から“丸ごと”転載した記述が「ベストアンサー」に選ばれているではないか!

 ここまで“丸ごと”転載したからには、文末に「『原左都子エッセイ集』より引用・転載」の文言が必ずあると思いきや、いくら探してもその記述がない“非常識”ぶりに改めて仰天させられたものだ。
 (大手企業たる Yahoo! も何故深い思慮や調査なくして、無断転載の回答をベストアンサーに採用するのか!?!) と私の怒りは収まらない。


 それでは早速、「「Yahoo!知恵袋」の質問およびベストアンサーに位置付けられている回答を、以下にコピーして紹介しよう。 (質問者名 及び 回答者名 に関しては、私の判断によりここでは匿名とします。)

 まずは「質問」内容から紹介する。

 法学のレポートについて。近代市民法の原理について述べた上で、それがその後どのように修正されたかについて論じなさい(1800~2000文字以内)   
 どのように書いたらいいのか困ってます。  知恵をお貸しください。
 小論文などを書いた経験がないのでどうしたらいいか分からないんです。

 次に「ベストアンサー」回答内容を紹介しよう。

近代市民法とは何か?
近代市民社会において施行されている法のこと
近代っていつ? → 市民革命以降の時代
市民社会って何? → 資本主義社会が市民社会
(社会主義社会は市民社会とは言わない。
生産手段の社会的所有により横並び社会では
あるが、反面、自由が制約されているため。)
我が国における近代市民法とは?
私権を確立するために制定された私法の基本法である「民法」のこと
これに対し、「憲法」とは、国家統治のあり方を定めた根本規範
政治指針であり、具体的な権利義務は表れない
近代市民法の根本理念 = “自由と平等”
ここから、次の3つの基本原理が導き出される。

近代市民法の基本原理
○所有権絶対の原則
○契約自由の原則
○過失責任の原則

○所有権絶対の原則とその修正
所有権絶対の原則とは
近代市民法の根本理念 = “自由と平等” であるならば、
個人が自由な意思で、平等な地位において手に入れた財産権、特に
その代表的な所有権は何人によっても侵害されない、という原則

この財産権をどのように行使しようが、これまた自由
= “権利行使自由の原則”
権利を行使する過程において他人に損害を与えようと、法に触れない
範囲内でならば責任は問われない。
資本主義経済の高度発展は、この原則に負うところが大きい。
しかし…
資本主義の発展 → 貧富の格差の拡大
一握りの独占企業がみずからの財産権を行使することにより
他人に損害を与えてもよいのか?多くの人が不幸になってもよいのか?
例: 公害問題、現在多発中の賞味期限偽造問題、etc…
20世紀に入ってから、この基本原理に歯止めがかかった。
「公共の福祉」 = 社会全体の共同の幸福 の思想の導入
この枠を超える権利の行使は 「権利の濫用」となる。
ワイマール憲法153条3項「所有権は義務を伴う」
(「公共の福祉」を世界に先駆けて明文化した。)
このように、「所有権絶対の原則」に制限を設けた。
ところが、この「公共の福祉」概念は抽象的かつ曖昧であり、
“諸刃の剣”の側面もあるという弱点を抱えている。
個人の自由が制限される。
権力者がこのような尺度を利用して、私権を恣意的に侵害する
危険性もある。
両者の整合性を取ることは、今なお困難な課題である…
 (回答日時:2010/8/1 20:57:00)

 驚く事には、上記「ベストアンサー」とは、「原左都子エッセイ集」2007年バックナンバーにて公開したエッセイ内容をほぼ“丸写し”したものである!

 さらにご丁寧なことには、質問した人からのお礼まで「知恵袋」内に書かれているのだが…

 素晴らしい回答ありがとうございました。これを参考にレポート作成を頑張ります。
本当にありがとうございました。 (コメント日時:2010/8/1 21:57:30)
  
 ちょっと法学部学生と推測可能な質問者さん、そのお礼は原左都子にするべきだろうが!!
 と怒りつつ、 当該「原左都子エッセイ集」バックナンバーの“原著”情報を以下に記述しておこう。(エッセイ全文をコピーすると膨大な字数になりますので、以下を参考にして原著を検索下さいますように。)

 「原左都子エッセイ集」“左都子の市民講座”カテゴリー 2007年12月16日公開 「近代市民法の基本原理とその修正(その1)」 に於いて、私は上記「ベストアンサー」にコピーされているのとほぼ同様内容の文章を綴り公開している。
 
 上記エッセイの公開時期をご覧いただければ一目瞭然だが、私が当該文書を公開したのが2007年、 「Yahoo!知恵袋」ベストアンサーとして取り上げられている回答の日付は2010年となっている。  誰がどう考察しても、この原著の「著作権」は原左都子にあるとお分かりいただけることであろう。
 しかも私が公開した“原著”とは、実はかつて高校教員時代に「商業法規」の授業内で高校生にも理解し易いように 「近代とはいつか?」 「市民社会とは何か?」 までの「現代社会」授業低レベルに引き下げ、苦労して私なりの簡単な注釈を施したことが今に至って懐かしい思いだ。 
 (要するに、決して大学生相手の学問内容ではないのに、法学部学生がこのエッセイになびいてくれる実態を喜んでいいのやら、悲しむべきなのやら…)


 などと、過去を振り返って懐かしんでいる場合ではないのは歴然だ。 
 「経営法学修士」を取得している原左都子として、 天下の Yahoo! に著作権侵害され黙っていられる場合ではない!

 ここで、「著作権」に関して万人に分かる範囲で紹介しておこう。
 著作権とは、言語、音楽、絵画、建築、図形、映画、写真、コンピュータプログラム等々、表現形式により自らの思想、感情を創作的に表現した者に認められる、それらの創作物の利用を支配することを目的とする権利をいう。 
 更に「引用」に関してもその一部を説明しよう。
 著作権法に基づいた一定の引用ならば問題はないが、著作権法において正当な「引用」と認められるには、公正な慣行に従う必要がある。 また、「引用」を行うに際しては引用部分を明確にして引用した著作物の明示が必要となる。

 要するに、「Yahoo!知恵袋」のベストアンサーとして選択された回答者の一番の法的過ちとは、回答文書が「原左都子エッセイ集」よりの「引用」であることを明記していない事にある。 
 それを確認するでもなく、「ベストアンサー」として2010年以来長い期間においてネット上に公開し続けている Yahoo! にも大いなる過失責任があることも間違いない事実だ。


 そうだとして、ネット大手業者ももう少し法的観点に基づいて営業活動してもらえないものなのか!?!
 今後のネット世界とは確かに若者層を中心に経緯していくであろうから、若者の動向に沿った方が営業利益に繋がり易いのであろうとしても…。

 それにしても、原左都子が2007年に綴った“左都子の市民講座”には日々多数のPVを頂戴している現状を認識している。 それは喜ばしい反面、繰り返すが、あのシリーズとは高校生相手に「商業法規」の授業内で分かり易く展開した当時の我が授業内容に基づいている内容に過ぎない。

 もしも現在法学を専門としている大学生が“左都子の市民講座”を日々ネットを通じて見聞してくれているとしたら、それはそれで嬉しい現実ではあるが…
 どうか学生の皆さん、我がエッセイを踏み台として今後益々学業に励み、大学で学んだ法学知識を活かしご自身なりの将来あるべき人生を築かれますように。

絵むすび(朝日新聞1月18日編)

2014年01月20日 | 自己実現
 (写真は、朝日新聞1月18日別刷「be」に掲載されたパズル「絵むすび」に原左都子が解答したもの。 いつもながら、応募期間締切日に先立ち解答を公開しまして申し訳ございません。)


 朝日新聞「絵むすび」ファンの皆様、お待たせ致しました!


 「原左都子エッセイ集」に於いて、朝日新聞「絵むすび」解答を公開するのは今回で5度目となる。

 実にありがたい事に、朝日新聞がパズル「絵むすび」を紙面で公開する都度、本エッセイ集“絵むすびバックナンバー”の閲覧数が大幅に増加する現象が起きる。  この現象とは、ネット各社検索画面「絵むすび」検索上位に我が「原左都子エッセイ集」がランクアップされていることを物語るものであろう。
 (と同時に「絵むすび」に関して理屈をこねてないで、とっとと正解を公表しろよ! との朝日新聞読者の本心なのか?!?)


 一昨日の土曜日から「絵むすび」検索にて我がエッセイ集をご訪問下さる方々が激増している様子だ。  「ははあ、今週の朝日新聞パズル欄に『絵むすび』が取り上げられているな」と直感するのはいつものことだ。 ところが、我がブログの編集ページを覗いて驚かされたのは、今回の場合その閲覧数(PV)がおびただしい数に上っていたことだ。
 元々大した閲覧数のない我がエッセイ集の今週土・日の「絵むすび」関連閲覧数だけで、400PV近くに上っているではないか!

 私の場合、土日の新聞に目を通すのが大抵は週明けの月曜日となるのだが、このPVの多さに応えようと昨夜早速18日土曜日の朝日新聞パズル欄を開いたところ、案の定「絵むすび」が取り上げられていた。

 ところがあいにく(と言うよりラッキーにも)昨日夜の時間帯になって、自己所有不動産賃貸物件への入居申し込みが舞い込んで来た!  不動産会社担当者と電話にて何度か賃料を主とした賃貸借契約条件に関し最終折衝及び最終確認を重ねる合間に、私は果敢にも「絵むすび」回答に励んだのだが、どうも集中力に欠けているようで、どうしても回答不能だ。
 夜9時になり、不動産会社担当者との賃貸借契約合意が成立した時には私は疲れ果てていた。

 本日になって、改めて不動産会社より賃貸借契約事項及びその締結手続きに関する最終確認の電話が入った。 一仕事を終えた気分で心底肩の荷が降りたものだ。
 (参考のため申し上げると、不動産賃貸とは仲介会社に任せ切りではなくオーナーが頭を振り絞り積極的に動いてこそ入居者ゲットに繋がることを実感させられる。 特に現在は不動産賃貸に関して法的にも国家政策的にも「借り手市場」の時代である。 まさか「貸し手」側オーナーとしてふんぞり返っている人など今時皆無であろうが、安定賃料を得るためにはオーナーとて実に厳しい冬の現実だ。

 話題が今回のエッセイとは無関係の分野である(今朝公開した不動産賃貸借関連)エッセイに大幅にズレました事を、お詫び申し上げます。

 
 さて気持ちを入れ替えて、1月18日「朝日新聞「絵むすび」版は 「レベル4」との事だ。
 いつもならば何かの合間にチョチョっと解答して終了できたのに、さすがに昨夜のうちには解答不能だった。
 それでも、午前中の自己不動産物件賃貸借契約締結に関するすべての段取りに目星がついた私は、大いに肩の荷が降りた思いだ。

 
 ゆったりとした気分で改めて上記「レベル4 絵むすび」課題を眺めていて、私は気が付いた。
 いくら「レベル4」とは言えども、無駄にくねくねと曲がる回線を出題者が要求していることはあるまいと。
 あくまでも「無駄にくねくねと線を回さない!」との“我が哲学”に徹して全体像を見渡して、私が一番に気付いたのは「だるま」を下から回すことである。
 その後は簡単だった。 
 
 出来上がった上記写真の正方形内全体図の構図をご覧下さればご承知いただけるものと心得るが、「正解」とは図柄としても美しい“完成型”なのであろう。


 それにしても娯楽分野のパズル「絵むすび」など、人それぞれが個々に楽しめば済む範疇の話題と位置付けるのがいつもながらの原左都子私論結論である。