原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

我が愛すべき港都市 YOKOHAMA ー お土産編 ー

2019年11月30日 | 旅行・グルメ

 (写真は、昨日娘と横浜散策した際に購入したお土産類。)

 

 昨日の東京及び横浜は真冬並みにの寒さだったものの、好天に恵まれる日和だった。

 私が住む東京メトロ沿線より、一直線で横浜みなとみらい地区を目指せるはずが…

 東横線自由が丘にて特急に乗り換えるのはやむを得ない。 ただ、その後は超スピードだ。 目指すべくみなとみらい線「日本大通り」へは瞬く間に到着した。

 そこから、第一目的の「横浜クルーズ』と相成るのだが。  その話題に関しては明日以降に回そう。

 

 本日は、横浜お土産編なのだが。

 いつもながら私が現地で着眼する土産とは、“ガラクタ”ばかりである事をご承知おき願いたい。

 写真中央のマトリョーシカは、赤煉瓦倉庫の通路に所狭しと開店していた「露店」にて発見した。 この「露店」だが、露店にしては軒並み価格が高い。  そんな中発見したのが「マトリョーシカ」のキーホルダーだ。 この店舗で販売されている本物の「マトリョーシカ」は高額なのだが、ことキーホルダーに関しては安価だったため母娘共々1個ずつ買い求めた。

 他のお土産類に関しては、注釈するべき事も無いため省略しよう。

 おっと。  コスモワールドのゲームセンターにて私がゲットした「王女が乗るレーシングカー」が、冒頭写真右寄りに写っている。  これぞ私のとっては一番のお土産だ!

 

 このコスモワールドの観覧車には、過去に何度娘を引き連れて乗車したことだろう。

 そんな娘が昨日の横浜小旅行時に、観覧車に乗りたいと言ってくれた。 

 その遊園地が併設しているゲームセンターに立ち寄った。 当該コスモワールド直営ゲーセンにて500円投資し、このおもちゃをゲット出来たとしても何ら申し分無いでしょ!?!   

 (もしも「ゲーセン」がくだらないと思う方がおられるならば、今後「原左都子エッセイ集」へ近寄らないで頂きたい思いだ。 我が信条として、こんな低俗文化もこよなく愛しつつ生きておりますので。) 


絵むすび ー 朝日新聞2019.11.30編 ー

2019年11月30日 | 自己実現

 (写真は、朝日新聞2019.11.30付パズル「絵むすび」に原左都子が解答したもの。)

 

 とりあえず、解答のみ公開させていただきます。

 

 後程、解説を付け加えます。

 

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 朝日新聞「絵むすび」ファンの皆様、お待たせ致しました。

 それでは、解答解説に入ります。

 

 と言ったところで、既に「絵むすび」解答ベテラン域に達しておられる方々も多いことでしょう。

 四角内のアイテムを一覧して、全体の方向性が見渡せる領域に入られているものと想像します。

 

 あえて解説を加えるならば。

 まず「松ぼっくり」「マフラー」「マイク」の三者に目を付けると、これらが進むべき道筋が自ずと決定するであろう。 

 その際に注意するべきは、「マイク」だ。 これを下に降ろして結ぼうとした場合、「マトリョーシカ」等と交錯してしまうことに気付く。  ならばいっそ単純に真横に結ぼうとの発想が出たら、ほぼ9割解答が出来上がったといえるのではなかろうか?

 「寿司桶(木のお重?)」は下へまっすぐ。  「マフラー」も比較的素直に。  そして、「マスク」もある程度素直に結べば。   その合間を「マトリョーシカ」を結んだら完成だ!

 

 

 奇遇ですが昨日横浜へ小旅に出て、お土産のひとつに「マトリョーシカ」を買ってきました。

 次のエッセイにて それらの写真を公開します。  お楽しみに!  

 


そうだ、横浜へ行こう!

2019年11月28日 | 雑記

 (写真は、おそらく5年程前に撮影した、横浜マリンタワーより展望した山下公園、山下埠頭近辺の写真。)

 

 表題の「そうだ、横浜へ行こう!」 と昨夜急に言い出したのは、我が娘だ。

 娘から主体的な提案があるのは珍しいのだが、何でも職場の有給休暇が残っているらしい。 昨年頃より有休を残さず取ることが義務化されたのに伴い、それを消化するのだと言う。  何故行き先が横浜かと言えば、私が夏頃に朝日新聞よりもらった「得意様プレゼント」の「横浜クルーズチケット」を未だ利用せずに置いてある事を娘が覚えていたためだ。

 私の方もここのところ重めの風邪をひいたり、実母から電話で失言を吐かれる被害に遭ったりして精神面で冴えない日々が続いている感がある。  それに娘が配慮してくれた訳ではないのだろうが、ちょうど良きチャンスだ。 偶然明日は寒いものの東京・横浜地方は好天に恵まれるのもよきことに、少しリフレッシュしてくることにしよう。

 

 横浜は私が過去に7年間暮らした街だが、郷里を除き我が人生に於いて東京の次に2番目に長い期間住んだ住居地だ。

 29歳時点で2度目の大学そして大学院へ再入学するぞ!と決定した際に、何処の大学にするか迷った。 上京後ずっと東京暮らしの身としては、我が行動パターンに照らし首都圏を離れたくない希望が強靱だった。 しかも6年間の学費は全額自己負担(奨学金無し)にしたい場合、その負担が少しでも少額の国公立大学内で目指していた社会科学(経営・経済・法学)学科のある大学を選択した結果、横浜市立大学に決定し受験し合格した。 (参考だが、結果としては入学後「経営法学」を専攻しその分野で「修士」を取得した。)

 

 30歳時に単身でマンション購入計画を立てたのだが、大学通学を考慮して横浜市内(東急東横線最最寄り駅)にそれを購入したという訳だ。

 結果としては夜間や休日は勤労に励んだため、その7年間はどちらかというと横浜方面よりも中目黒駅から東京方面へ地下鉄乗り継ぎで頻繁に通ったかもしれない。  余暇がほぼ無かった学生だった故に、当時は横浜の観光地を訪れることは稀だった。  あっと、大学院生時代に夜間は神奈川県立定時制高校へ教諭として勤務したため、そちら方面へは日々通い、夜な夜なその帰り道に居酒屋やカラオケへ同僚と繰り出したものだ。  (で、一体いつ大学や大学院の学問に励んだのか、って? 人間とは多忙である程に集中力が増強するものである事を、その頃身を持って証明して見せたと断言しよう。  実際、大学・大学院共に優秀な学生だったのは、恩師もご存じだ。)

 話題がそれたが、私にとっての横浜とは、まさに研ぎ澄まされた集中力でよく学びよく働いた思い出の場所でもある。

 

 せっかく明日横浜へ行くに当たり、過去に写した写真を閲覧しようとして。 

 また、嫌な事を思い出してしまった。  古いパソコンを壊滅的に故障させてしまい、そのパソコン内に保存していた写真群を根こそぎ“パー”にしていたのをすっかり忘れていた。 

 それでは横浜にての学生時代の写真はどうかと考え、フィルム時代の紙にプリントしたアルバム写真を書棚から取り出してみたももの…   やはり超多忙だったせいだろう。 ただの一枚も横浜らしい写真が見当たらない。 大学の卒業式及び大学院修了式の写真のみ見つかったものの…。 

 

 冒頭写真は、5年程前に娘と共に“横浜マリンタワー”や“人形の家博物館”そして中華街方面を訪れた時の写真だ。(当該gooの「画像フォルダ」内で発見した!  gooさん、貴重な写真を保存して頂いてありがとうございます!

 私が横浜に住んでいた頃は、みなとみらい地区が開発途中段階だった。

 かの地域が今や横浜のメインシティとなり、その後私が住む地の東京メトロ線とみなとみらい地区が電車1本で繋がって以降は、娘を引き連れて出かけることも増えた。

 明日はお天気も味方してくれるようだ。 娘の提案通り、久しぶりの横浜観光を楽しみに出かけよう!


心がへこむこんな日には「酒」の話でもしよう。

2019年11月27日 | 

 今年の東京地方の天候は一体どうなっているんだ?

 10月末まで夏日が続いたと思いきや、11月後半に入ってからは寒い雨天続きだ。  先週あたりから真冬の寒さで昨日は最高気温が10℃に届かず、外出時には既に真冬のコートにマフラースタイルだ。

 どんより曇ったり、大雨だったり…  実母の件等で心がへこむ身に、この天候が我が心の憔悴感に拍車をかける。

 

 そんな折、昨日の編集画面我がエッセイ集閲覧数「トップ50」内に、2017.11.11公開 「もしもこの世に『酒』がなかったら」 がランクインしていた。 早速以下に要約引用させて頂こう。

 原左都子の波乱万丈の人生が成り立たなかったかもしれないと思える程に、「酒」とは私にとって無くてはならない必需品的存在だ。

 (2017.11.11)付朝日新聞別刷「be」“between”のテーマは、「お酒のない人生は損なのか?」だった。
 早速その問いに対する朝日新聞読者の皆さんの回答を紹介すると、「はい」が41%、「いいえ」が59%。

 早速私見だが。

 その結果にとりあえず安堵した私である。  意外や意外、酒を飲んでも“損をしていない”と思っている朝日新聞読者が4割以上を超えている事実に、少し勇気を得た。
 一昔前と異なり現在は “ハラスメント” 概念が幅を利かせ過ぎて、飲兵衛が大手を振って酒を楽しめない時代背景と移ろいでいる。 特に外で飲酒する場合など周囲に心配りをしつつ、酔っ払って周囲にご迷惑を掛けぬよう、醜態を晒さぬようと、自己規制しつつの飲酒が実態だ。 (それが分かっていて何故酒飲む? 嫌なら飲むな!と酒嫌い派からバッシングを受けそうだが、それでも飲みたいのが飲兵衛が飲兵衛である所以とも言えるのだが…)

 ここで、上記記事に「いいえ」と応えた “(要するに)酒のない人生は得”、と回答した読者の理由の程を紹介しよう。   「健康を害さない」 「酒での失敗がない」 「酒がなくても食事は美味しい」 「お金を浪費しない」 「酒に溺れることがない」 「面倒な付き合いが不要」 「酒に頼らずに語り合える」 「酔っ払わなくてすむ」

 今一度私見だが。
 
 元々酒が飲めない体質の方々のご意見は是非とも尊重申し上げたい。 「健康を害さない」 「酒がなくても食事は美味しい」 などはその典型的回答であろう。
 飲兵衛の立場として一番分かりにくいのは、「酔っ払わなくてすむ」とのご意見だ。 何のために酒を飲むのか? それは酔うためだろうと心得ている私としては、理解に苦しむ回答だ。 まあ要するに、限度を超えて酔っ払った経験に基づくご意見なのであろう。
 異論もある。 「健康を害さない」 「お金を浪費しない」 「酒に溺れることがない」 「面倒な付き合いが不要」 がその対象だ。 酒を飲む人間の皆が、決して健康を害したり、金銭浪費したり、酒に溺れたり、面倒な付き合い、を敢えてしている訳ではない。 その種のご経験をされて失敗を経験した方々の個人的なご回答と心得させて頂こう。
 私が一番引っかかるのは、「酒に頼らずに語り合える」との回答だ。 これ、酒好きな人間に対する侮辱とも受け取れる発言との気がする。 誰しも酒飲まずして語り合えて当然だ。  むしろ酒の席では重要案件を持ち出さないのが礼儀だ。 酒に頼っての付き合いとは、そもそも人間関係が成立していてこそ成り立つ場である。 その意味で、酒の席とは「語り合う」場ではない事を弁えて参加・不参加を決定するべきだろう。

 更に、表題に掲げた「もしもこの世に酒がなかったら?」との朝日新聞の問いに対する回答を紹介すると。
 「何も変わらない」 「お金がたまっていた」 「もっと健康だった」 「友人・知人が少なかった」 「ふさいでいた」 とある。
 正直言って、原左都子も「友人・知人が少なかった」に該当するのかと、我が身を多少悲観的に振り返る。
 確かにもしもこの世に酒が無かったかあるいは私が飲兵衛でなかったならば、元々 “生真面目” “理屈っぽい” “融通が利かない” “アウトサイダー” “天邪鬼” 気質の私は、単なる「嫌われ者」として世を渡る運命にあった事も考えられなくはない。
 そんな私も酒が飲めることによって得た人間付き合いは数多い。 我が良き部分を引き出してくれた酒に心から感謝したいものだ。 
 それにしても、「ふさいでいた」なる回答が信じ難い私の場合、酒に寄らずとも“ふさがずに生きる”方策は自身で開拓出来たであろうと心得る。

 最後に、朝日新聞最終章の記述を紹介する事により、この「酒」エッセイの結論としよう。

 立川談志師匠の「酒が人間をダメにするんじゃない。人間はもともとダメだということを(酒が)教えてくれるものだ」という言葉を胸に。 
 まさにその通りだ!
 ダメ人間の私に、酒がどれだけ「お前はダメだ!」と日々教え続けたことか!!(今も少しそうだが…)  自分のダメさ加減をもっと知り探求し続けたくて私は酒を愛好し、今後もその道を欲しているような気もして来た。

 (以上、2017年11月バックナンバーより一部を引用したもの。)


 結びの部分、立川談志師匠の“名言”に唸らされる。 

 実際、もしも私が酒が飲めない人間だったならば、単に“嫌みったらしさ”のみが表出した「嫌われ者」としてのつまらない人生を歩んでしまったようにも想像する。

 特に若い時代程、酒による醜態を晒し失敗を繰り返した。 その都度、内面から湧き出てくる「自己嫌悪」感にどっぷりと苛まれたものだ。 酒のお陰で自分の愚かさ・馬鹿さ加減そして弱さを身をもって知り果たして来た。 そして、そんな自己嫌悪のお陰で、少しは愛される人間にもなれただろうか…


 ここで話題を実母に無理矢理持っていくと、あの人、酒は飲めるのに飲めない(飲んでもつまらない)と信じている人間だ。 何故そうなるのかと言えば、要するに「身体が酒に強すぎる」のだ。

 そのDNAを引き継いでいる我が(HDL満載の)身体も若き時代に酒を初体験した頃、周囲がコップ一杯のビールでほろ酔っているにも関わらず、何杯おかわりをもらっても酔えず(酒ってつまらない…)感覚を抱いたものだ。  その後、周囲の配慮??により日本酒一升瓶を一人で抱え込ませてもらって以降は、やっと酔えるようになった。  その後は、“駆けつけ3杯派”人生をまっしぐらだ!! 

 そんな実母が、自宅で毎年「梅酒」を作っていたのだが、自分で作った梅酒をコップで何杯もガブ飲みだ! それを見た私が「梅酒って、アルコール度が高いの知ってる?」と聞くと。 「ほーかいなあ? 別にこれだけ飲んでもいつもへいっちゃらじゃけんど…」 といいつつ、日々その梅酒を堪能していたものだ。  

 3,4年前に私が帰省した折、自分で買った酎ハイが甘すぎてまずく「これ美味しくないわ」と言うと。 既に80代半ばの実母が「ほな、ちょっと飲んでみるわ」と言った途端、缶酎ハイ一缶を“一気飲み”して曰く、「美味しいなあ!」  しかも酔った風でもなく、会話を続行する。  さすがに、“この母にしてこの娘あり”を実感させられる事件だった。

 このように酒にまつわる実母の思い出を語っていると、“憎むべき相手”でもないとも思えてきた。

 やはり、「酒は妙薬」であるのかもしれない…。


実母の暴言、一種の認知症状だろうか、それとも…??

2019年11月26日 | 人間関係

 血縁関係とは、実に鬱陶しいものだ。 これが他人から発せられた言葉ならば、私がこんなにまで悩まなくて済むだろうに… 

 

 早速、昨日公開のエッセイ「悪人のままではいつまでも幸せになれない」の最終章部分、“実母の暴言”に関して記載した部分を以下に再掲載させて頂こう。

 さて、一昨日郷里の実母より掛かってきた電話の内容だが。

 とりあえず私が母の誕生日祝いに贈った「菓子折」に関するお礼を述べた。 そこまでは問題無いのだが、必ず母が付け加えるのが、「米国の長女からは現金ウン万円が通帳に振り込まれたよ!  あの娘はいつもまとまった現金をくれるんだけど、これが嬉しくて~~ 」   

 この実母の愚かさ加減にいつも辟易とさせられる私だ。  これ、誰が聞いたって「アンタからはいつまでも菓子折しか届かないねえ~~」だろ??

 この実母と姉との関係に関しては以前にも幾度が述べているが、姉の歪んだ性質のために幾つになろうが何処で暮らそうがただ一人として信頼出来る友に恵まれずにいる。 それを不憫に思っている実母が90歳近い年齢に至って尚、嫌々ながらも電話にて米国の姉の話の聞き役を務めている。  

 時にはその内容が気に入らないと「また姉が無理難題を吹きかけてきた!」等々とすぐに私に泣きつく。  一昨年など「姉がこの施設まで来ると言ってきた。 あんな非常識な奴にここに来られては私の恥だ! 妹のアンタが何とかしてくれ!!」と何の関係も無い私を巻き込む。

 そのくせ、こと姉が「おカネ」を送ってきたとなると手のひら返して「あの子はいい子だ~」などとヘラヘラし始め、上記失言を私に平然とほざく始末だ。

 決して実母がおカネに困っている訳ではない。 (子育てをずっと祖母に任せ)定年まで公務員を続けた関係で十分な年金を受け取っているし、資産も蓄積している。 その年金から現在の住まいである「高齢者自立支援施設」入居料を毎月支払ってお釣りがある身にして、何でこうも強突く張りなのか?! 

  心豊かな余生を暮らせばよいものを、カネが届くとこの様だ。 母がこんなだから、私は若くして郷里を捨て親を捨てて上京し独立するとの選択を強行した。 (父にも問題があったが、既に60代の若さで他界しているため父に関しては時効が成立している。)

 下の娘(私の事だが)を捕まえては、いつまでも失言を繰り返す我が実母。

 今後、私はこの愚かな実母との関係を如何に続けるべきなのか?  悪人のままではいつまでも幸せになれないよ。 と言ってやりたいものだが… 

 (以上、昨日公開のエッセイより最終章部分を再掲載したもの。)

 

 実母がこの暴言、「米国の長女からは現金ウン万円が通帳に振り込まれたよ! これが嬉しくて~~ 」 を私に向かって吐いたのは今回が初めてではない。 

 ある時は、わざわざこれを言いたいがためだけの目的で私に電話を寄越した事もある。  ただその時はそれを聞かされるのが初めてだったのに加えて。

  我が家の恥を晒すと。  米国の姉という人間は今も現役職業人であり、離婚により産んだ息子の養育義務も無い(姉側に落ち度のある離婚だったため養育費支払い義務はあった)ため、とにかくよく言えば“身軽”な身だ。 実母に尽くすしかカネの使い道も自身の心の呵責の矛先も無いのであろう。 それを今実母に実行しているのだろう、と私は捉える。

 実母はどう考えているのかは知らない。 そんな姉が不憫と思う気持ちもあるのかもしれない。 

 子供の頃から心理的不安定要因の強い姉に比していろんな意味で実質「優位」な立場にいた妹の私だが、特に成人して以降はその差が歴然となったのは事実だろう。  大人になって以降は、度重なる姉の“結婚の失敗”(私に言わせてもらうとそもそも姉は共同生活能力の無い人間であり、結婚形態をとること自体に無理があったと判断するが。)、それに比して妹の私側は晩婚そして産んだ子供に多少の不具合があったものの、母の私のサリバン力で、ある程度立派に娘を育て上げている。

 私の晩婚直後、母と姉が結託して私に言い放った“戯言”がある。 「アンタは“玉の輿に乗った後 ”図に乗って”いる。」  実にアホらし過ぎるし、言うほどの“玉の輿”ではなく私自身は本人同士に関しては“似たもの同士”の婚姻と評価している。 両人の能力が釣り合っていたからこそ成就した晩婚だったと、今でも思っている。  何と言っても我が壮絶なまでの日々の“サリバン業”の欠片も、実母と姉は知るよしもない。 結果のみ見て勝手に羨ましがられても、こっちこそが迷惑だ。

 

 そろそろまとめに入ろう。

 要するに、実母としては米国の姉が妹の私よりも“勝っている”事実を、高齢域に達して一つでも見つけたかったのではなかろうか?

 それが「姉からある程度まとまった金銭を定期的にもらっている」事なのではないだろうか??

 一人で喜んでいればよいものを、いちいち妹の私に電話を寄越してそれを告げ、あの子はいい子だ! と敢えて私に吹聴して来る実母の心理の裏側に、米国の姉が愛おしいとの思いが隠されているような気もして来た。

 この現象も少し認知症じみている気もするが。

 私に失言を吐くことにより、死ぬ前に実母の米国の姉に対する“愛情”の整合性がとれるのならば、多少鬱陶しくはあるがそれに付き合っても良さそうにも思えてくる。