(冒頭写真は、「原左都子エッセイ集」バックナンバー「左都子の『科学哲学』小講座V」より転載した、我が2度目の大学での授業中に講義内容を聞き取り筆記したノートの一部。 講師の板書をノートに写したものでは無く、あくまで口述授業を聞き取り書きしたものであるため、速記にての筆記で字が大いに乱れている。 参考だが、我が筆記文字は丁寧に書くとこれ程汚くは無い。 さらに参考だが、28歳時に英文タイピスト検定2級を取得した後は、普段の筆記には昔はワープロ、その後はずっとパソコンを用いているため、今現在に至っては筆記を手書きに頼ることは皆無とも言えよう。)
原左都子の、「文字筆記歴」を簡単に語るならば。
幼・小中高・大学・2度目の大学、大学院と合計20数年間に渡って、手書き筆記に依存して来た。
2度目の大学時代には、他の大学では筆記をパソコン持参でそれに打ち込む学生もいると見聞していたが。 我が所属大学ではそんな学生は皆無で、皆がノートに鉛筆で書きこんでいた。
一つ、エピソードを語ろう。
私が2度目に進学した大学・大学院は、首都圏に位置している比較的偏差値の高い公立大学だった。 にもかかわらず若き学生の中には、講師の口述授業を自身のノートに「聞き取り筆記できないから、ノートを写させて欲しい」と私に嘆願してくる学生が何とも多かったこと!!
それを聞いて驚いた(と言うより呆れた😨 )私が、「どうして聞き取り書きが出来ないのかな?」 と問うと、「高校までずっと先生が黒板に書いたのを写してきた習慣が身についていて、それしか出来ない」との回答だ。
少し私がアドバイスして、「とにかく講師の授業をよく聞くことが肝心、そして、特にこれは大事!と自分が捉えたことからノートに書くように努力してはどうかな?」
そうアドバイスしつつも、ノートを貸してあげたものだが…
話題を変えて、2025.07.02付朝日新聞記事 編集者・ライターの新保信長氏による「手書きがレアな時代 下手な字でも輝く」より、一部を以下に引用しよう。
私(新保氏)自身、自分の字がずっと嫌だった。 大学時代にワープロが売り出されると、「これぞ神道具!」と、当時20万円以上もしたのをローンで買った。
その後、50歳で一念発起。 ペン字教室に通い、ハウツー本も読んで分かったのは、美文字でなくとも、自分なりにそれなりに「いい感じ」と思える字でよいということだ。 (途中大幅略)
手書きの便りをもらって不快に思う人はいないでしょう。 手書きだとその都度、表現の仕方に思いを巡らす「間」がある。 手を動かすことで、思考が整理される面もある。
(以下略すが、以上朝日新聞記事より一部を引用したもの。)
原左都子の私事及び私見でまとめよう。
おそらく今時の大学では自身の小型パソコンを学内に持ち込んで、それに講義内容を筆記する学生達が多数派となっているであろうと想像する。??
この私の2度目大学・大学院が後10年遅かったならば、私も絶対的に授業に小型パソコンを持ち込んで筆記したであろうと振り返る。
(私の場合、27歳時に「英文タイピング検定2級」を取得しているため、どう考えても手書きよりもキーボードタイピングの方が格段にスピードが速い故だ!)
まあそうだとして。
今現在に至って尚、 時折見直す我が2度目の大学・大学院にての「筆記ノート」の内容が実に充実していること!! (本エッセイ集バックナンバー「左都子の市民講座」等々にそれらの一部を紹介しておりますので、よろしければ閲覧下さい。)
そのノートを自身が書いて以降、既に30年以上の年月が経過しているにもかかわらず。
幾度見返しても、授業の学問ごとに。
「そうだった! そうだった!」と再び感激出来る、私自身の学問に対する郷愁の実態が実に嬉しいものでもある。
それ程までに我が2度目の学問への挑戦とは、当時既に30歳~30代半ばの年齢であったにもかかわらず。
全力で取り組めた事実を振り返れる身であることを、今尚誇りに思えたりもする。