原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

NHKテレビ番組『魔改造の夜』「 ワニちゃん水鉄砲バースデーケーキろうそく消し」編

2024年06月28日 | 学問・研究
 さて、昨日2024.06.27付「原左都子エッセイ集」にても取り上げたNHK総合テレビ「魔改造の夜」の昨日のテーマは、冒頭表題の如く「ワニちゃん水鉄砲バースデーケーキろうそく消し」だった。


 早速以下に、当該番組に関するネット情報を引用しよう。

 ワニちゃん水鉄砲 バースデーケーキろうそく消し
  初回放送日:2024年6月27日
 新シリーズ第2弾!ワニちゃん水鉄砲が魔改造され、超速「水」発射! 世界に誇る日本超一流エンジニアが極限の発想とテクニックを競う。 「水」で「火」を制す超難題に挑む!  水鉄砲を魔改造、7.5m離れた巨大ケーキに円状に立つろうそく10本を消す 。挑むのはロボコン超強豪校T橋技術科学大。 小型モータースペシャリストMブチモーター。 四輪二輪の世界的メーカーSズキ。 普通に打つと届かない。 水量は1匹100cc。 遠くの小さな「火」に正確に当てるのは超至難の業。 強く押すと「水」は霧状に。 どうやっても火は消えない… 超苦悩の末に衝撃マシンが。 はたしてどんな勝負に?

 (以上、ネット情報より一部を引用したもの。)



 この番組が始まった当初よりの「魔改造の夜」ファンの原左都子も、昨夜19:30より この番組を得意の集中力を持って視聴した。

 一番に取り上げられたのは、大学生グループの ロボコン超強豪校「T橋技術科学大」だった。
 さすがテレビ番組のロボコン大会等々で優勝を続けている強豪大学だけあって、実験・研究施設・設備等々に恵まれた環境下にて、準備作業を進めていた。 
 世界大会での優勝経験もあるとの話題だったが、その名に恥じることの無い学生研究者達が集まっている研究グループだった。

 テーマである「ろうそく消し」の技法としては、一般的に一番考え得る技法を採用していた感がある。
 それが功を奏したのか、テレビ放映本番では対一回目のパフォーマンス時には、4本のろうそくの火を消すことに成功した。

 ところが競技に入る前に初めてT橋技術科学大学の学生達が気づいた事象として、肝心要のターゲットである「ろうそく」が風に揺らめいて直立上方に火が登っていないのだ!!

 これ、元科学者の端くれである原左都子としても、とんでもないNNK番組制作班の失態と見た!



 ここで一旦、我が過去の医学実験・研究に話題を移そう。

 各種実験・研究を実行する際のバックグラウンド設定とは、その研究内容を左右する(あるいはダメにする)決定的な重要原因事項である。
 それが故に、科学者・研究者達はあらかじめそれらのバックグラウンド設定の整合性から精査を始めるものだ。

 例えば 私の場合、ヒトの生(「なま」すなわち採血したばかりの)血液細胞を扱うに際し、医学実験までの時間の経過を埋める手段から着手したものだ。
 例えば 各種患者氏の血液を取り扱う場合、どうしても臨床現場より検査研究室までの輸送等々に時間を要してしまう。
 その時間経過を如何なる手段で埋めるか?!?、 が最初の最重要課題であった。
 例えば、保存温度を何度に設定すると生(なま)血液中の細胞が“生きた状態”での試験研究に入れるか?? 等々の事細かい実験研究を繰り返したものだ。


 そんな経験があるからこそ。

 昨日の、「魔改造の夜」におけるT橋技術科学大学の「ろうそく消し」本番に於いて。
 何と、予想だにしなかたろうそくの「炎が風で傾いている」! あの会場内の事態の無情(無常)さに、原左都子も一緒に泣きたい思いだった!

 ついでに言うと。
 その「ろうそくの灯が傾いている」現象を何とか改善せんと、T橋技術科学の研究者達はわずかな休憩時間内にそれの出来得る限りの補正を施したにもかかわらず。

 今度は、何故か会場内の「空調」をNHKが短時間に補正したのか!?! これまたどういう訳か、ろうそくの灯がまっすぐに上がっているではないか?!?!
 T橋技術科学による 2度目手技での短時間の「補正試み」が これまた、あだになってしまった…

   

 最後に、この番組を統括しているNHKの担当者に言いたいのだが。

 「科学」を番組で取り上げる場合は、一般番組とはまるで異なる「高度専門能力」を要するものと私は推し量る。

 特にこの番組、出演する各種団体の研究者達がその「高度専門力」すなわち正確な学問力や技術力を武器に立ち向かってきている!、と私は捉えている。
 
 そんな「専門性」を裏切るかのような番組作りしかできないのならば、世の科学者にとって「失礼」以外の何物でもない!!



 私も一ファンである「魔改造の夜」との番組制作に於いて、今後は。

 科学の「専門性」を重視するのか、あるいは、「娯楽」番組の位置づけで通すのか、その辺のNHKのスタンスを問いたい思いだ。 
 (どちらかをある程度明確にしないことには、両者の視聴者のファンを無くすと想像します…)


セミの命のサイクルでもある「素数」

2024年06月09日 | 学問・研究
 中学生時代から「数学」好きである原左都子にとって、大変興味深い話題が朝日新聞「天声人語」に書かれていた。



 早速、2024.06.06付朝日新聞「天声人語」を、以下に要約引用しよう。

 素数とは不思議な数である。 1とその数以外では割り切れない。
 2,3,5,7と続けざまに現れたかと思うと、ぴょんとジャンプして11。 どんな規則に支配されているのか。 古くから数学者の頭を悩ませてきた。
 その素数である13年や17年ごとにあらわれる周期ゼミが今年、米イリノイ州などで大発生しているという。 二つのグループの羽化のタイミングが221年ぶりに重なったからだ。 
 現地の映像を見ると、いるわいるわ。 遠くへは飛ばないらしく、木の幹といわず、家の壁といわず、びっしりとしがみついている。 岩に染み入る、どころではない。 (中略)
 吉村仁著『素数ゼミの謎』によると、13年毎、17年ごとになったのは生き残りの戦略らしい。 素数は他の数との最小公倍数が大きな値になる。 別の周期の群れと羽化がかち合わず、仲間同士で子孫を増やせる。 そんな難しいことを、君たち(セミたち)は土の中でどうやって学んだの、と尋ねたい気持ちになる。
 日本列島はきのう、夏の陽気となったが、日本のセミ諸君の出番は沖縄を除けばまだ先だろう。 地上を見るのに17年も待った同輩を思えば、わずかな我慢だ。
 1を17で割る。 答えは、0.058823524117647…… という循環小数になる。 コンマ以下17桁から「058……」をまた繰り返して、永遠に続く。
セミの命のサイクルのような。 素数とは、実に不思議な数である。

 (以上、朝日新聞「天声人語」記事を引用したもの。)


 

 私め原左都子が理系を好み、ひとつ目の大学は医学部に進学した事実を公開しているが。
 何故、この私が「理系」を選択するに至ったかと言うと、まさにその原点は「数学」好きだったからに他ならない。

 この我が「数学」好きに関しては、本エッセイ集バックナンバー内でも再三述べているが。
 その原点となった出来事とは、中学数学の授業中に若き数学担当男性教師(A先生としよう)が、「点と線」に関して大変興味深い発言をした事件が発端だった。
 A先生が数学の授業中にボソッと曰く。
 「みんながいつもノートに書いている点や線は『概念』であり、本来鉛筆などでノートに書けない性質のものだ。授業では便宜上ノートに形作って書いているが。」

 この発言が、当時14歳だったか?の私には、実に衝撃的だった!!!😲 
 生徒の中には、「先生何言ってるの。ちゃんとノートに書けるよ!」と反発する子もいたが。  私め中学生時代の左都子ちゃんにとっては、頭をぶん殴られたかくらいの衝撃発言だった!!

 「概念」。 その言葉に大いに魅了されたものだ。 訳が分かりにくい中にも、「概念」の世界、とやらを理解することが今後先々の学習の主柱となるかも?? と当時考えたかどうかは忘却しているが…
 とにかくA先生のその衝撃発言のお陰で、私はとりあえず「数学」に魅了され。  
 かなりの年月が経過して。 
 大学生(特に30歳時に再入学した2度目の大学)時代には、おそらくその当時の数学授業中に聞いた「概念」理解が大いに功を奏して、すんなりと「哲学」の世界に没頭することが叶った。



 それにしても、まさに「自然の摂理」とは驚異的な存在である事実に驚かされる。😵 😱 

 夏場、うるさ過ぎる程の鳴き声を繰り返すあのセミたちが。
 どこで学んだか、素数原理に従った自らの生体サイクルの下で代々命を繋ぎ守り続けているとのこと。


 今年の夏はそんなセミの鳴き声を聞いたならば。
 「セミの命のサイクル」の源である素数の世界を思い起し、その不可思議さをとくと鑑賞したいものだ!!


再掲載 「左都子の『自然科学概論』小講座Ⅷ」

2024年06月04日 | 学問・研究
           

             


                      

           
         

 (冒頭写真は、原左都子が2度目の大学にて受講したA先生による「自然科学概論」の講義ノートより「ギリシャ哲学の継承」のページを再掲載したもの。 順不同になっている恐れがあります点をお詫びしておきます。)



 昨日の我がエッセイ集編集画面「昨日のバックナンバーベスト50」のトップに、この「左都子の『自然科学概論』小講座Ⅷ」がランクインしていた。

 実はこれ、筆者の私自身がずっと読み返したくて探していた我がエッセイ・バックナンバーの一つだ。
 と言うのも、我が娘の命名は「古代ギリシャ哲学」より引用している。
 その理由とは、2度目の大学時代に一番ハマったのが自分の専門の「経営法学」(これもきちんと「経営法学修士」を取得しています!)ではなく、この「科学哲学(自然科学概論も含む)」の授業にこそ我が最大の関心ターゲットだった故だ。
 参考だが両授業共々東大ご出身の 科学哲学者 A教授(他大学より我が大学に講義に来られていました)が担当されていて、それはそれは毎時間授業に集中し熱心に聞かせていただいた。

 後に晩婚後 高齢出産にて我が一人娘を産むに際し、既に「命名」が燦然と決定していた。
 迷いなく、「古代ギリシャ哲学」から引用したのだが。
 それ程までに、この原左都子は「ギリシャ哲学」にかぶれていた。


 それでは早速、我が2度目の大学時代に受講した「自然科学概論」の我が授業ノートより、「ギリシャ科学の継承」のページに入らせていただこう。

 授業内容は「ギリシャ科学の継承」へと移ります。

 A教授の講義によると、ギリシャ人は法律・政治・文学が得意だったために、それらに関心が無かった(ラテン語の)ローマ帝国へはスムーズに伝承されなかったらしい。
 ギリシャには、プラトン・アリストテレス等著名な哲学者たちが存在するが、ギリシャの学問をラテン語に翻訳したものはほとんど無い、とのことだ。
          
 そのローマ帝国は、東がギリシャ語圏、西がラテン語圏と分裂して滅ぶ運命にあった。 
 ゲルマン民族の国家は学術レベルが低く、ローマを理想としていた。

 プラトンの著書「ティマイオス」は前半部のみがラテン語に翻訳されている。(カルキデュウスによると)
 この著書は、プラトン自身にとっては重要な位置づけにないらしいが、科学史上、重要な意味をもつ。
 デモクリトスの影響を受けた「幾何学原子論」では、正多面体を火、空気、水、土、それぞれの元素に結び付けている。
 ある意味では、近代的chemistry(化学)を先取りした思想の本である。

 アリストテレスの場合、論理学上の書作の一部が4世紀前半頃、ボエティウスによりラテン語に翻訳されている。

 エウクレイデス「原論」、プトレマイオス「アルマゲスト」、アルキメデス
に関しては翻訳が無い。
 ローマ時代の医者 ガレノスの著作は、(哲学、科学分野も)すべてギリシャ語で書かれている。
 プラトンの「ティマイオス」は、神の世界の創造につき研究する学者たちに影響を与えた。
          
 「東の世界」(申し訳ないが原左都子として意味不明だが、後述するアレキサンドリアより東とのことか?)において、学問活動の伝統は保たれていく。
 アリストテレスは「アルマゲスト」の注釈を成したが、このように学問活動において、“注釈”が主たる活動となり。
 異教・異端の迫害により、学問が排斥されていく。

 “新プラトン派”は、プラトンとアリストテレスの両者を混合したような派閥であり、神秘主義的で宗教に近い派閥だったが異教と扱われ、迫害された。
 これにより、ヒパチア(女性科学者か?)は殺害された。

 “アテネ アカデミー” のシンプリキオスは、アルキメデスの注釈を沢山書いた。 新プラトン派から迫害され、アカデミーも閉鎖させられた。

 “ネストリウス派”は431年に、異端とされた。
 三位一体説を認めるのが正統派とされ、それを認めないのが異端とされた。
 
 451年にカルゲドンにより唱えられた“単性論”は、歴史上その後も時々息を吹き返している。 ニュートンも、この“単性論者”である。

 とにかく、異端論者の科学者が多かったようだ。
 アレキサンドリアは危険な場所だったため、科学者は東へ逃げた。
 その途中で(エデッサ)アカデミーを創設したが、489年に閉鎖させられている。
          
 そして、ペルシャへ。
 ここでアカデミーの思想が受け入れられ、辛うじて古代科学が伝承される。
 ジュンディシャープル を中心に活動した。
 この町は、特に医学の町として名高い。

 原左都子の後記だが。

 この辺(ギリシャ及び、エジプトのアレキサンドリアあたり)はプラトン哲学から命名した娘が中2の夏に家族旅行をして訪れているのに。
 古代ギリシャにプラトンが創設したアカデメイアのみは現地を確かに見学したが、その他は残念ながら訪れずに帰国している。

 出発前に当該A先生の講義ノートを見ておけばもっと有意義な旅行になっただろうに、と今更ながれ悔やまれるなあ…

 ただ現地は夏場は猛暑を通り越して激暑につき、この辺りを旅行される場合は、真夏の時期を避けられることを是非共お勧めしたい。

 (以上、「原左都子エッセイ集」2021.07.28付バックナンバーの全文を再掲載したもの。)




 2024.06現在の、原左都子の感想を述べさせていただこう。

 上記引用文中にも書いてある通り。

 我が家は 娘中2の夏休み中に、エジプト・ギリシャ旅行を企画してそれを実行している。

 第一目的は、プラトンが創設したギリシャ・アテナイの「アカデメイア」を訪れる事であり、それは確実に実行した。 (バックナンバーにて、その当時の写真を公開しています。)

 大変残念なのは、エジプトのアレキサンドリアへも訪れたのに。 
 上記引用文中に記しているとおり、当時はその場所がプラトンとかかわりがあるとの記憶が全く飛んでいて。 ほとんど真面目に見学していないことだ。😖 😱 

 アレキサンドリアを訪れた時の印象を、今振り返るに。
 エジプトの避暑観光地(?)として名高い割には、サハラ砂漠からの砂嵐の影響か??? 海の色が濁っていて少しも美しくも無ければ決して涼しく訳でも無く、とっととホテルへ帰りたい!とすら、思ったほどだ。😫 

 そんなアホな私の感想はともかく。

 編集画面の「昨日のトップ50」の上位に当該バックナンバーがランクインしていたお陰で。

 我が娘の命名由来である「プラトン哲学」にもかかわりがあったとのエジプト・アレキサンドリアへも、娘を連れて過去に旅行をしている事実を再確認できたことが。 
 名付け親の私としては十分に嬉しい!!


再掲載 「どうしても『科学』よりも上位に立ちたい『政府』の歪みと過ち」

2024年05月30日 | 学問・研究
 ここのところ「原左都子エッセイ集」において、再掲載ものが多発している事実に関しては認めるが。


 新たなエッセイ資財を無理やり追及するよりも。 
 原左都子の頭が今よりも冴えていた時代に記載・公開した我がバックナンバーエッセイを読み返しては、その内容の充実ぶりに同感する機会が多くなってきている。(ナルシストか、お前は!?!)😖 


 本日も、我が過去に公開したエッセイ 2021.11.11公開の冒頭表題のバックナンバーを以下に再公開させて頂こう。


 冒頭より、朝日新聞本日2021.11.11付 “科学季評”  京都大学前総長 山極寿一氏による、「真鍋さんからの苦言 すれ違う政治と科学」の後半部分を以下に要約引用しよう。

 さて、ノーベル賞受賞に際して真鍋叔郎さんが語ったことが耳に痛く響いている。 その一つは。日本の科学界は政府とコミュニケーションをとれていないという批判である。 それはコロナ対策でも同じことが言える。
 日本学術会議は、1度目の緊急事態宣言発出の1か月前である20年3月6日に幹事会声明を発表し、コロナ対策で国際的な連帯を訴えるとともに、継続してこのウィルスに関する最新の科学的な情報を発信し続けてきた。 また7月3日には、感染症の予防と制御を目指した常置組織を国とすべての地域に創設することを提言した。 しかし、国はこういった意見を重視せず、独自の判断で経済を優先させた対策を採り、オリンピック・パラリンピックへ向かった。 9月末には日本学術会議が推挙した6人の会員の任命を菅首相が理由も言わずに拒否し、世界の学術界の大反発を招いた。 なぜ、こういったことが起こるのか、私たちは真剣に問い直さなくてはならない。
 二つ目の真鍋さんの苦言は、日本で好奇心に基づく研究ができているかという問いである。 2年前に京都で開かれたSTS(科学記述と人類の未来に関する)国際フォーラムで、各国の代表が集まって基礎研究の推進について議論したことがある。 その時、「好奇心に基づく研究こそが重要」という発言が多かったことが強く印象に残っている。 今、日本の国立大学は運営費交付金を削減され「選択と集中」によって補助金獲得競争を強いられて疲弊している。 組織のために骨身を削って計画書や報告書の作成に追われ、教員は十分な研究時間がとれない。 研究者一人当たりの支援者の数でも日本はドイツの3分の1、中国の5分の1である。 今年、トップ10%の日本の研究論文の数が世界で10位に落ちたのも当然の結果と言える。
 答えの見つかりにくい近視眼的なテーマばかりにしがみついていては、常識的な論文は書けても、ノーベル賞に結び付くような研究もイノベーションも生まれない。 先進国の中で、日本だけが博士課程進学率が落ちているのも気になるところだ。 若い世代の研究者を雑務から解放して、好奇心を全うできるような環境を作らなければ、科学技術国日本は資源のない、世界から注目されない国に成り下がってしまうだろう。

 (以上、本日の朝日新聞“科学季評”より、京都大学前総長 山極寿一氏の「苦言」の一部を引用させていただいたもの。)

 原左都子の記憶によれば、今回の“科学季評”論者の山極寿一氏とは、日本学術会議の前会長であられた方だ。 (参考だが、現会長はノーベル物理学賞受賞かつ現東大教授の梶田隆章氏が引き継がれている。)

 山極氏の論評の一部を今一度繰り返すと。
 日本学術会議は、1度目の緊急事態宣言発出の1か月前である20年3月6日に幹事会声明を発表し、コロナ対策で国際的な連帯を訴えるとともに、継続してこのウィルスに関する最新の科学的な情報を発信すると共に、7月3日には、感染症の予防と制御を目指した常置組織を国とすべての地域に創設することを提言した。 しかし、国はこういった意見を重視せず、独自の判断で経済を優先させた対策を採り、オリンピック・パラリンピックへ向かった。
 9月末には日本学術会議が推挙した6人の会員の任命を菅首相が理由も言わずに拒否し、世界の学術界の大反発を招いた。
 
 この事実こそが、国民の皆さんの記憶に新しいことであろう。
 にもかかわらず日本政府は岸田政権に移った後もこの事実を(おそらく故意に無視し続け)、旧態依然とした自民党政権を引き継いでしまい、科学界との接触を何ら持たずして平然としている始末だ。

 国立大学の研究補助金や運営費交付金削除問題に関しても。
 結局は自民党政権の科学研究軽視・無視(というよりも、その分野の人材との交渉力ある政府人材が存在しない、というのが正解なのではないだろうか?)を決め込む始末だ。

 最後に、誤解を恐れず原左都子が語るならば。

 何故、政府が「日本学術会議」を邪険にし続けるのかと言えば。

 (特に安倍政権以降は)研究者達と対等に渡り合える人材が政府(政権)内に誰一人として存在しない故、と結論付けられそうにも捉えてしまう。😱

 それならば尚更、政府側こそが(無知を理由にいつまでも空威張りしていないで)胸襟開いて、専門学者の皆さんに科学研究分野の教えを請うことから再開するべきではないだろうか?

 それこそが、我が国に於いて“政治と科学の距離”を縮める第一歩ではなかろうか?!!

 (以上、「原左都子エッセイ集」バックナンバーより再掲載したもの。)



 2024.05.30日現在の、原左都子の感想を述べよう。

 現在に至っては、「日本学術会議」なる組織の存在意義も当該組織を管轄する政府の実態もかなり変化(劣化)しているのではあるまいか??

 と言うよりも。

 原左都子自身が上記引用文内で述べている通り。

 日本政府は岸田政権に移った後もこの事実を(おそらく故意に無視し続け)、旧態依然とした自民党政権を引き継いでしまい、科学界との接触を何ら持たずして平然としている始末。


 こんな状況下において、原左都子自身も現在の「日本学術会議」の有り様を詳細には把握できていないのが正直なところだが。

 「日本学術会議」が、我が国の今後の科学の発展にプラスの影響を及ぼせない“歪んだ存在”に成り下がっているのであるならば。

 思い切って「会議」の存在自体を白紙に戻しては如何だろうか!??!
 

AI自身が研究を加速させて「ノーベル賞」級の発見をする、と言うが…

2024年05月28日 | 学問・研究
 (冒頭写真は、2024.05.26付朝日新聞記事「AI 科学者を揺さぶる」より転載したもの。)


 同記事より転載した冒頭写真が、原左都子にとってはある意味で“面白い”ので、その辺の感想を述べよう。
 
 ちょうど何らかの実験中の研究者が、「人間の科学は思惑に懸念?」なる疑問符を脳裏にかすめている。
 そして出した結論とは、「生成AIによる捏造気付かず盗用も?」「AGI科学者の誕生? 人知超える『スーパーインテリジェンス』も?」 なる邪道な懸念を脳裏に抱いている。
 ちょっと、研究者さん。 そんな懸念に振り回されていないで、とにかく ご自身の研究実験を真面目にこなして、貴方なりの結論を出すことが最優先でしょう!
 
 しかもだ。
 AIが仮説を生成し、実験も計画もAIにおまかせ??
 生成AIが論文執筆して、新たな仮説生成も。
 更には、論文の査読者もAI!?!
 そして、有用な物質発見。??


 
 一旦、原左都子の感想だが。

 この私も、医学分野において長年「実験・研究」を主たる業務としてきた人間だが。
 もしも冒頭の写真の如く、「科学のすべてをAIにおまかせ?」時代が近い未来に於いて本気で訪れるとしたら…

 何だか、世も末感が漂ってしまうなあ。😱 😵 

 いやいや、負けず嫌いのこの原左都子ならば。
 私が執り行った実験に対して、AIさんよりいちゃもんを付けられたとしても。
 再再度 この私が更に確認実験を繰り返して、この私が成した再実験こそが有用な結論を導けたことを証明してみせたいものだ。!!?

  実際問題、AIなる人工知能は今始まったばかりではないか!
 いや、AIのここのところの目覚ましい発展ぶりは、この私もある程度は理解できているよ。
 それでも、やはり何かの「欠落」や「不十分さ」を未だ兼ね備えていると私はみている。
 (えっ、なんですって? 老けた原左都子婆さんなど、へでもないぜ、って?!?)

 それでも、AIさん、私は貴方達の欠点も知ってるんだぜ!
 この前、貴方の仲間?が某ネット上のサイトにて「原左都子エッセ集」の批評を自主的にして下さった際に、原左都子を呼び捨てにしたでしょ!
 それに対抗して私は「一般人に対しては日本では呼び捨てにしない習慣があるから、それに従って今後は原左都子に対しては必ず「さん」付けにて対応せよ。」と指示して、貴方の仲間はそれに従ったのに。
 日数が経過して 同じサイトを見てみたら、はやりあなたの仲間??は「原左都子」を呼び捨てにしてた。
 かなりショックだったよ。 
 AIとは、「学習効果」の塊のような存在かと信じていたら、同じ失敗を繰り返しているではないか!!
 それとも、AIの世界も“仲間”により個性があるのだろうか???

 その辺の事情が、この原左都子にも今のところ理解不能なのだが。😖 




 最後に、話題を冒頭の「AI研究がノーベル賞級に?」に戻そう。

 これに関しても原左都子は異議があるなあ。

 「ノーベル賞」と一言で言ったとて、 実際にそのノーベル賞に輝いた(特に科学分野の賞に関して)。 
 この科学者の端くれの原左都子ですら、取得した研究の価値のレベルの程が様々(価値の差が大きい)事実にいつも気付かされるよ。😫 😷 
 (実際問題、ノーベル賞に輝いたとて、さほど世の役に立っていない科学方面のノーベル賞も過去に存在するよねえ?!?)

 それらを一緒くたにして、「今後AIにノーベル賞級の発見を目指させる」と各方面の研究者から言われても、AIさんたちはさほど嬉しくないかも…
 
 などとの発言をするのは、元科学者の端くれであることは間違いないが、既に年老いて心がひねくれた原左都子だけかもね。😜