原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

電車人身事故に遭遇する不運と迷惑

2014年11月29日 | 時事論評
 現在では“日常茶飯事”と表現しても過言ではなくなってしまった、首都圏に於ける電車飛び込みによる人身事故発生。
 その情報を目にしない日はないと思える程に、あちこちの首都圏路線で人身事故が発生している有様だ。

 既に現役就業時代を終えている原左都子故に日々電車に乗る訳ではないため、この事態に遭遇するのは稀である。

 それでも一昨年電車人身事故に遭遇した経験があり、その時の“実況”を我がエッセイ集2012年7月11日バックナンバー「大都市交通網振替輸送の連携プレー」に於いて綴っている。
 当該バックナンバーの一部を要約して以下に紹介しよう。

 所用を済ませた帰り道の夕刻、JR上野駅から山手線に乗車した。  田端駅を過ぎた頃からだろうか、いつになく電車が徐行し始める。 山手線の徐行は珍しいなあと感じつつ、やっとこさ次の駒込駅に着いたら今度は電車が発車しない。  しばらく経って車内放送があった。 「巣鴨駅にて人身事故発生のため、山手線“内回り線”は電車運行を休止します。 尚、“外回り線”に関しては現在のところ運転を続行しています。」
 既に40年近く長い期間に及び首都圏電車にお世話になっているにもかかわらず、私が乗った山手線がどっち回りがすら把握出来ないでいると、やっと車内放送が入った。 「この電車は“内回り線”です。 メトロ南北線に振替輸送可能ですので、そちらをご利用下さい。」  (早く言ってよ!)と怒りつつも、「振替輸送」自体が何十年来都心で暮らしている私にとって初体験である。  
 夕刻の帰宅時間帯のためか、物凄い数の人間が怒涛のごとく移動している。 それに私もついて行きながら、(運賃の扱いはどうなるのか? それにしても迷惑な話だ!)などと内心怒り続けつつ、JR駒込駅の改札付近で「振替輸送証」なる白色切符を受け取りメトロ南北線乗り場へと急ぐ。
 南北線乗車後メトロ電車内にも早速車内放送が流れた。  「本日16時何分頃、JR山手線で人身事故が発生しました。現在“内回り”“外回り”共に運転を休止していて振替輸送中です。 そのためメトロ線に於きましても運行時刻が乱れていますことをお詫び致します。 山手線運転再開は現在未定です。…」
 その後多大な時間ロスなる犠牲と共にやっと我が家最寄の東京メトロ駅に到着し、私はJR駒込駅で手渡された「振替輸送証」を駅員氏に提示した。 駅員氏は「そのまま素通りして結構です」と言って下さったのに、私は訳が分からずいつものごとくスイカを改札機に“ピッ”と反応させてしまった。 あわてた駅員氏曰く、「乗車料金が発生してしまいましたので返金致します。」  その返金作業(要するに振替輸送中の運賃は無料のようだ)をしてくれつつ東京メトロ駅員氏は「本日は“振替輸送体制”となりご迷惑をお掛け致しました。」と深々と頭を下げ続けて下さった事に、私は感動した。
 (以上、「原左都子エッセイ集」電車人身事故遭遇に関する2年程前のバックナンバーより一部を引用。)


 話題を、最新の私事に変えよう。

 一昨日の11月27日、私は娘が通う大学の「公開授業」に出席する目的で電車に乗った。
 (参考だが、娘が通う大学とは“大学にして”父兄に授業公開出来る程に徹底した教授内容を誇っているのと同時に、父兄との連携を尊重する主義のようだ。)
 父兄同士のコミュニケーション目的会合の機会も学内で幾度も開催されているようだが、まさか集団嫌いのこの私がそんな席に参加するはずもない。 
 そんな中、大学から届いたのは「公開授業」のお知らせである。 これに元教育者であり、かつ学問好きな原左都子が出席しない訳もなかろう。 早速出席申し込み通知をメールにて大学に届け、27日の本番を楽しみにしていた。
 私が娘が通う大学を訪れるのは、娘入学式以来2年8ヶ月ぶりである。

 ところがとんでもない「不運」に見舞われたのは、この道中私鉄の人身事故に遭遇した事態だ。

 事の初めは東京メトロ沿線に住んでいる私がメトロに乗った直後に、連結している「〇〇私鉄沿線で人身事故が発生しています」なるアナウンスが入ったのに遡る。
 こういう場合メトロと私鉄との乗換駅に着く前に詳細のアナウンスがあるべきと思いきや、その後乗客が欲しいアナウンスが一切ない。 私の希望的判断として、メトロに乗車している間に私鉄線の人身事故解決がなされていると読んだ。
 ところが、この読みが大幅に外れた。 メトロから私鉄へ乗換して以降も何らの有用なアナウンスがなされない。 ただ単に、私鉄沿線内で「人身事故が発生した」ため当該私鉄運行を某特急停車駅と都心ターミナル駅間の往復運航とする、それのみの車内放送である…

 ここで、私が11月27日に遭遇した私鉄沿線事故に関するメディア及びネット報道で得た情報を以下に紹介しよう。
 11月27日午後1時26分ごろ鶴ケ島~若葉駅間で発生した人身事故は、鶴ケ島市上広谷の東第191号踏切で、40〜50代くらいの女性が急行列車にはねられ助からなかった。 埼玉県警が報道発表した。女性が遮断中の踏切 ……(以下、不明) 
 わずか、これのみである。

 しかも私は、今回の私鉄人身事故に係る「交通費無料」の適用すら一切受けることなく、1時間もの時間ロスの屈辱に耐えたにもかかわらず、交通費実費全額を通常通り支払わされる羽目と相成った。

 その上、娘が通う大学「公開授業」に大幅遅刻せざるを得なかった…。
 こんな場で娘の授業担当教授氏に対し、まさか「人身事故で電車が遅延したため遅刻しました」などと親の立場でみっともなくもホザける訳などない。 公開授業終了後に「遅刻しまして申し訳ございません」と詫びるのがせいぜいだったのが心残りだし、時間に厳しい私としては何とも不本意かつ無念の思いだ……

 
 最後に、今後の電車人身事故発生時の対応に対する私論を述べよう。

 私が11月27日に利用した私鉄とは、(大変失礼ながら)おそらく首都圏にして最大マイナーな路線と認識している。  この路線に於いては人身事故発生率が高い事も承知している。
 だからこそ経営者側の人身事故後乗客への対応が馴れ合いになっている故に、原状回復が遅れたのではあるまいか!?!
 それが証拠に乗客達も電車の遅延にもかかわらず、理不尽な時間ロスに慣れ切っている風景が私には異様に映ったのだ。
 何故、早期の電車運行を乗客それぞれが私鉄経営側に訴えないのか。 
 電車人身事故が今後増々多発すると予測されるとは言え、乗客がそれに慣れ切り免疫力を養っている場合ではない!
 そんな庶民の諦め肝要行動こそが、(極論ではあるが)電車に飛び込めば死ねるとの自殺願望者の選択を煽っているのではなかろうか!??  自殺願望がある人種とは、心理学的にどうやら最後には人に見守って欲しい(他者に迷惑を掛けたい)との深層心理があるとも見聞している。
 
 
 少なくとも電車運転見合わせにより被った“時間的ロスとの多大な被害の程”を、庶民は少しは自分の損失として認識するべきだ!

 
 原左都子など今に至って尚、去る11月27日に被った電車人身事故による“時間損失”を許し難き事実として怒っているからこそ、本日このエッセイを公開した次第だ。

障害児の我が子支援に兄弟を巻き込まないで

2014年11月26日 | 時事論評
 「兄弟は他人の始まり」との格言が昔から存在する。

 原左都子など、これを地で行っている人間かもしれない。


 冒頭から私事だが、私には年子(学年は2年違い)の姉がいる。 
 姉は今から30年程前に国際結婚にて米国に渡り、永住権を取得している。 元々徹底した“日本嫌い”であり今後一切日本の地を踏む意志が頑ななまでに無く、米国に骨を埋める覚悟だ。
 我が30代半ば頃(国際恋愛相手と会う目的で)米国に渡った際に姉に会ったのが最後で、その後20数年間姉とは面会していないし、今後一生に渡って会う意思もない。

 何故実姉とそのような“冷めた関係”に陥ったのかに関しては、姉が持って生まれた性質や人格によるところが大きいと(あくまでも私側は)分析している。
 多少「異常」とも表現可能な突出した“歪み”を抱えている我が姉である。
 一例を挙げれば、「自己顕示欲」が病的に強い事実が挙げられる。 (最近の「原左都子エッセイ集」に於いて、若き頃の姉がミスコン出場に病みつきになった事実や、自分史を2冊発刊して400万円に上る損失を計上した失策を公開したが…) とにもかくにも、「自己顕示欲」実現のためには家族を犠牲にしても厭わない凄味が昔からあった。
 加えて、(これは「自己顕示欲」と連動して発する心理状態であろうが)他者に対する「嫉妬心」がこれまた異常なまでに強烈なのだ。 子供時代からそれを理性でコントロール出来ずに苦しんだ挙句、嫉妬心を抱く対象相手を攻撃する行動に出るのが困りものだった。 妹の私に対しても容赦はなく、私も幾度か姉から嫉妬心を抱かれ暴力を受けた経験がある。
 我が両親も姉の「異常行動」に気付いていながら、精神医学が今ほどに発展していない時代背景下に於いて手立てが打てず、妹の私が姉から暴力を受ける事態を放置し続けた。 (それこそが未だに我がトラウマとなっているとも言えよう。 それも一つの大きな理由で、私は親を捨てて単身上京するとの行動を取ったとも言える。) 

 そんな私は子供時代から、「一人っ子」として生まれていたらどんなに幸せだったかとよく思ったものだ。
 我が両親も姉が生来的に持って生まれたと考察できる性格的“異常さ”に困り果てていたのを、私は幼い頃よりずっと見て育っている。 もしも我が親どもが産んだ娘が私一人だったならば、おそらく両親とてもっと穏やかな暮らしが叶ったことであろう。 
 それが証拠に現在高齢者である母が私の帰省時に口癖のようにいつも言うには、「あの子(姉)は米国に行ってくれてよかった…」そればかりである。  ところが親心とは実に複雑だ。 米国の姉よりしばらく音信不通が続くと、私の所へ電話を寄越してその心配を私に伝えるのが困りものだ…


 私事が長引き恐縮だが、話題を表題のテーマに戻そう。

 原左都子が産んだ娘が若干の不具合を抱えて誕生した事実に関しては幾度も記しているため、読者の皆様はご承知の事であろう。
 私の場合高齢出産だったが故に“年の功”で、我が子が生まれた直後からこの子の未来像にまで想像が発展したものだ。 計算高い私としては、自分の寿命と我が子の寿命に焦点を置いて今後の未来に渡る親(私自身)の経済力の行く末を試算せねばならないのは当然だ。  それと同時進行で、この子の教育・医療支援を慮り日々実行し続けた。
 
 そんな折、我が身近な人物やメディア報道に於いて、障害児を産んだ親が「下の兄弟(姉妹)を今のうちに産んで、障害児である我が子の支援をしてもらおう」 なる場面に少なからず出くわした。
 これには、反論を唱えざるを得ない。
 その思想で産んだ次の子が、(我が姉のごとく)異常性格の持ち主だったなら親としてどう対応するの?! 家庭内がもっと大変な事態となろう。 
 たとえそうでなくとも、次に生まれ来る子にも必ずや「人権」はある。 それを親として如何に捉えた上で、自分が産んだ障害児の将来の支援を次なる子に委ねようとしているのか?!?
 これぞ極めて危険な発想と、私は指摘したいのだ!


 朝日新聞11月15日付記事に、「こんな医者になって 心臓病の13歳 弟に贈る8箇条」なる記載を発見した。

 この記事の場合は、心臓病を患っている13歳のお兄ちゃんが“しっかり”しておられる様子だ。 それ故に4歳の弟に対して、患者本人であるお兄ちゃん自身から「もしも将来医者になりたいなら理想の医者8箇条」を届けられたことは賞賛するべきであろう。
 片や、それをお兄ちゃんから“届けられてしまった”現在わずか4歳の弟ちゃんの未来こそが、私は気にかかるのだ…


 最後に、原左都子の私論で締めくくろう。

 生物発生遺伝基礎医学に於いて「DNA」こそが最大最高にして、生命体すべてがそれに支配されているとの医学常識の下、現在の遺伝子基礎医学がめくら滅法に大手を振り始めて既に数十年の月日が経過したのではなかろうか? 
 その欠陥部分が今に至って表沙汰になりつつ、臨床面では実質成果の程こそが未だままならないのが現実と私は理解しているのだが、どうだろう!?

 障害児を産んだ(一部恵まれた)親が、次なる子供は自分の優秀さを引き継いだDNAを持って健全に生まれて来るはずだと信じるのは自由だろう。
 そして生まれ出た兄弟が優秀であれば尚よかろう。

 ところがこの世に生まれ出た子供達が目指す方向とは“優秀”であろうがそうでなかろうが、皆千差万別であるのが人間の“性(さが)である。
 わずか4歳児にして障害を抱えた兄の今後の生涯を支援せんとして医師を志そうとて、それももちろん自由だ。
 ただし親こそが4歳児弟の適性を含めた行く先を、長期的視野をもって観察・注視するキャパシティを備えているべきである。 両親にその力量が備わっていて現在4歳児である弟に医師を目指させているのであれば、私からは何も言うことはないのだが…

絵むすび (朝日新聞2014.11.22編)

2014年11月23日 | 自己実現
 (写真は、朝日新聞1014年11月22日 「絵むすび」に原左都子が解答したもの。)


 現在の時間多忙につき、取り急ぎ回答のみを公開させていただきます。

 本日(11月23日)後ほど、上記写真「絵むすび」回答に関する解説等の記事を下欄に追加しますので、ご了承下さいますように。
 (以上、11月23日午前9時頃公開。)

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 「絵むすび」回答に関する記載を中断しまして、大変失礼申し上げました。
 以下に、解説等を含めたエッセイ本文を公開させていただきます。


 後半戦冒頭より、表題とは大幅に話題がズレる事をお詫びしておこう。

 昨日娘の誕生日前祝いを自宅にて実施した関係で、親族である義母が我が家を訪れた。
 普段ケアマンション(介護付有料高齢者施設)に暮らす義母が訪問した際には、いつも義母所有の賃貸不動産物件に関する現状確認や今後の運用に関する方策及び展望の話題とならざるを得ない。
 そんな折、現在当該賃貸物件に於いて某トラブル(個人情報のためこの場での公開を控えさせて頂くが)が発生している。 
 こういった場合、自ずと娘の誕生祝よりも、その懸案解決に時間が取られるのはいつもの事だ。


 ここから、上記「絵むすび」解答を参照しつつ話を進めよう。

 まず、義母と血縁ではあるが未だ大学生の娘は、現時点では当該論議に於いては「第三者」の立場だ。 
 と言うのも、将来的には義母の遺産を間接的に引き継ぐ権利を有しているものの、それは父(我が亭主)の死後の話であり遠い未来の事である。 本人が未熟である事も勘案して今回は議論の外に回ってもらおう。
 上記「絵むすび」に於いて我が娘の立場にあるのが、1番の「きのこ」だ。 
 第三者「きのこ」をとりあえず直角に結ぶことにして、後は残された親族の議論結果を見守ろう。

 不動産所有者である義母は、さしずめ2番の「湯たんぽ」と言ったところか?
 現在自己物件に関して最大の権限を有しているものの、所詮近い将来他界して財産を相続人に譲る立場であり、さほどの主張はないことであろう。 ここは残された親族達が下手な争いをしないように少し配慮する事で、穏便に事を済ませたいと望んでいるのではなかろうか。 
 まさに2番「湯たんぽ」もそんな道を歩んでいると解釈可能だ。

 主たる相続人である我が亭主は、5番の「さかな」と位置付けられるであろう。
 そうであるとして、親族内で義母の財産を狙っているのが3番「柿」と4番「はさみ」であるかもしれない。 とりあえず相続権限が低い両人の相続権を合法的に保障しておかねば、主たる相続人である「魚」の権利実行がままならない。
 ここはあくまでも冷静に法制度に基づいて事を運ばないと、「柿」と「はさみ」より義母の死後、理不尽な要求を受けないとは限らない。 「さかな」よりも先に両者の道筋を考慮して結んでおこう。

 親族ではあるがあくまでも義母とは「血縁」ではない原左都子が、4番「さかな」を支援・保護する立場に回らねば事が済まないであろう。
 要するに、私自身は6番の「バトミントン・シャトル」だ。 主たる相続人である「さかな」を擁護するべく最後に「さかな」の周囲にバリアを張れば、我が任務が遂行できるとの事だ。

 (恐らく社会の高位置に付けていると自負されている???)朝日新聞「絵むすび」ファンの皆様が、上記の我が解説で今回の「絵むすび」解答方法の糸口を見出して頂けた事と察する。


 最後に原左都子の私論だが、現実社会に於いて人生経験を重ねる程に、冗談ではなく「絵むすび」の解答も容易になるとの実感が得られる思いだ。
 人々との摩擦が多い現世だが自分の立場をわきまえつつ、たとえ狭い四角四面の環境下にあろうと、他者に“道を譲る”行為を選択する事で、皆が他者との交錯を避けつつそれぞれの道をスムーズに歩んでいけそうな気もする。

 要するに「絵むすび」回答の最大の秘訣とは、狭い世界(平面四角内)に生きざるを得ない人間ども(対象物)が、如何に客観性をもって道を譲り合いつつも自分のポリシーを貫き通せるかが命題となろう。
 
 そんな人生哲学を束の間ではあるが再認識させてもらえる「絵むすび」を、今後も我が一趣味として貫きたい思いだ!

再婚夫を妙齢の娘と同居させる母の無神経さ

2014年11月20日 | 恋愛・男女関係
 我が家にも“妙齢の娘”がいる。
 この娘と二人で外出すると、巷の男の視線が私ではなく、必ずや娘を標的にする風景をよく経験する。

 そりゃ当然だ。
 誰だって、“おばさん”見る程暇じゃなかろう。 妙齢の娘を見てこそ“目の保養”になるに決まっている事など重々承知だ。

 先だって出場したロードレース会場でも、高齢男性ランナーが娘の方へ近づいてくる風だ。 そして、娘に手を差し伸べながら「ヤングパワーをもらいたいから握手して」などと言いつつ、ちゃっかりと娘の手を握るではないか。 まさか隣に鬼母がいるとは露知らなかったようだ。 
 まあ、このシチュエーションの場合、まさか痴漢目的で娘の手を握ったのではなかろうが、母の私が娘の方を振り向いた際、当該男性が急いで私にも握手を求めて来たのが可笑しかった。   握手しつつ「お互いに頑張りましょうね!」と声をかけると、男性ランナー氏は喜んでいた。 この一声がかけられるのは、妙齢の娘ではなく年季が入った“おばさん”の私に決まっている。


 話題を変えよう。
 たとえ将来的に今一度独り身に戻ろうとて、私には再婚の意思など断じてない!
 いや、恋愛の意思はあると言えよう。 それでも、婚姻との形を取ってパートナーと同居しようとの意思は皆無との意味だ。 
 元々結婚願望が希薄だった私である。 今後娘も独り立ちして女独り身になった暁には、今一度青春を謳歌したい意思はあるものの、恋愛相手との「同居」は勘弁して欲しい思いが強い。 心身面や金銭面等すべてに於いてお互いに対等な立場で双方共々相手を尊重し合いつつ、余生を楽しみたいものだ。  
 (などと夢物語を語ったって、一家内で私自身が一番先に死ぬかもしれないしね…。  人の寿命など所詮死んでみなきゃ分からないものよ…)

 それ程に結婚願望に乏しい私にとって理解し難いのは、老いも若きも離婚後「再婚」を選択する人種が世に溢れている事実である。
 特に分かりにくいのは思春期の子ども、特に妙齢の娘を引き連れ再婚し、相手男と平気で同居する母親の心理状態である。
 誰が考えたとて、男の関心が妙齢の娘に向くに決まっているではないか! (表現が悪いが)娘こそが再婚夫の格好の“獲物”となるのは歴然の事実だろう。

 つい最近の私事だが、私が管理している義母所有賃貸物件に再婚直後夫婦が入居した。
 入居申込書を見ると、この再婚夫婦の妻側に高校生の娘さんがいる。 他人事及び老婆心ながら、想像力豊かな私の脳裏に浮かんだのは上記の懸念、すなわち“再婚夫が高校生の娘に性的興味を持つかもしれない事態”である。  と言うのも、再婚親子が入居する部屋の配置がその危険性を煽りそうなのだ。 2LDKの間取りの個室二つが横に接している室内レイアウトだ。  希望的観測として再婚夫が高校生娘に興味を持たないとしても、夜な夜な実母が新たな再婚夫とまみえる音声が隣室に響く事実を、高校生の娘が如何に捉えるのだろう……


 そんな経験をしたばかりの私に、とあるネット情報が我が懸念に追い打ちをかけた。

 事の始まりは「原左都子エッセイ集」の編集画面である。 同じ検索キーワードで引っかかった他画面(“ヤフー知恵袋”だが)を検索して、実に仰天させられるはめと相成った!
 その原文をそのまま引用するには刺激が強過ぎるため、私の判断で多少の“ぼかし”を入れつつ以下に紹介しよう。
 今年再婚した夫と娘が性交渉をしている現場を見てしまった。 パートに出かけたのだが、自分のシフト確認が間違いだったため帰りに焼き鳥を買って自宅に帰った時の事だ。 いつものように娘の部屋からは音楽がガンガンに流れていた。 焼き鳥があるよ~っ!、と呼んだが返答がなかったため娘の部屋を開けた途端、夫と娘が裸状態で性交渉中だった。
 もう何も言葉が出ず、すぐに家を飛び出し、今はマンガ喫茶にいる。  夫にも子供にも裏切られ、騙され、どうすればよいか分からない。
 補足だが、無理やりではないと思う。 私の目に最初に飛び込んできたのは腰を振ってる娘の背中だった。 夫から誘惑したのは確実だと思うが。 しかも夫は黙って見てるだけ。 娘はその場で“ゴメン”って謝ってきたが。  離婚をするが、親権も要らないと思ってしまう。
 (以上、ヤフー知恵袋より校正を加えつつ引用したもの。)

 この“ヤフー知恵袋”には、庶民より少なからずの返答意見が押し寄せていた。
 その中でも一番多かったのが、原左都子冒頭私論同様、「再婚夫」は元々再婚者である相談者よりも高校生娘にこそ関心があったのではないか、との意見だ。

 同時に、これは作り話ではないか? との考察意見も複数あった。
 これに関して原左都子の見解を述べるならば、相談投稿者の娘さんがその場面で「ゴメン」と述べたとの一言を尊重したい。 この性交渉は、まさに再婚夫と実娘の「合意」で執り行われたと結論付ける。


 さてそうした場合、娘の実母である相談者の責任の程が如何なるものかとの議論となろう。
 相談者女性自身は、「(再婚相手と)離婚をするが、(実の娘の)親権も要らないと思ってしまう。」とのたまっているが、それは娘の親権者としてとんでもない勘違いだ。

 娘さんは未だ高校生の未成年者である。 実母である貴方が再婚を選択した時点で、娘さんは若き人生に於けるどれ程の迷惑を被った事であろう。 今後自分が目指す未来に向けて娘さんは大きく羽ばたけるはずだった。
 それを深い思慮なく単純に再婚を選んだ母親こそが責められるべきだ。
 娘さんに手をつけた再婚男性ももちろん責められるべきだが、それ以前の問題として、このような事態が勃発する危険を何故実母である相談者が想像できなかったのであろうか??

 相談者が再婚相手男性と離婚するのは自由だが、実の娘さんが今後未来に向かって負った“傷痕”を実母である貴方こそが償うべきであろうに、娘の親権も要らない程血迷っているとは何事か!!
   
 産んだ子供を無事に成長させる自覚無くして、親とは決して再婚などするべきでない!

イデオロギーよりアイデンティティで沖縄辺野古を守ろう!

2014年11月17日 | 時事論評
 先週、安倍政権が年内に衆議院解散総選挙に踏み切るとの方針を固めた速報ニュースを見聞した時には、実に驚かされた。

 今頃何故??

 早速原左都子の私論だが、そんなの政権の“護身策略”に決まっていようが、それにしてもとてつもなく身勝手な許し難き話だ。

 私の希望的観測では、これは自民党内での“安倍潰し”かとも一時考えた。
 「アベノミクス」経済政策の失敗、国民の民意を無視した「集団的自衛権」強行採決、及び原発再稼働政策、中韓敵対視戦略、女性閣僚登用における早期失敗との汚点、等々……   安倍首相が犯した失策は数知れない。
 国民民意を反映したもう少しマシな自民政権を作り直そうとの意思で、末端自民党員達が新たな政権マニフェスト作りに目覚めたのであれば、今後に向けてかすかな期待が抱けるとほんの少しだけ私は期待した。

 ところがどっこい、自民党(公明党も含めて)現政権の“我が身息災ぶり”は底を知らない様子だ。
 今回の解散総選挙の言い出しっぺは、安倍首相本人であるらしい。  要するに、今後自民公明政権が急激に国民よりの支持率を失うであろう未来を予見して、今現在「消費税増税先送り」を主たる論戦テーマとして解散総選挙に持ち込んだ方が、末端国民からの票が取り易いと姑息にも考えたのだ。
 
 何とも許し難い来る12月の衆院解散総選挙ではあるが、国民の皆さん、この機会を有効利用して是非とも安倍政権をぶっ潰そうではありませんか!!
 短い選挙戦ではあるが、ここを何とか野党連中に頑張ってもらって、民意を持って少なくとも小選挙区では自民公明を叩きのめしたいものだ!
 現在の諸野党に何の力も無い事など重々承知の上だが、ここで国民が野党と結束して自民安倍政権を一旦潰す行動に出なければ、今後「戦争が出来る国作り」「原発再稼働」を本気で実行されてしまう末恐ろしさを抱えている事実を、この機会に国民皆が我が身として認識し直そうではないか!


 そんな折、昨夜私は一筋の明るい光をみた。

 昨日(11月16日)投開票された沖縄県知事選挙で、日本共産党・社会民主党・生活の党・沖縄社会大衆党・県民ネット・那覇市議会新風会の支援を受けた翁長雄志氏が初当選を果たした。
 翁長雄志氏の略歴をウィキペディアより引用して紹介すると、1950年、沖縄県真和志村(現那覇市)生まれ。法政大学法学部法律学科卒業。那覇市議会議員、沖縄県議会議員を経て、2000年、那覇市長選に出馬し当選。以後4回連続当選。 との事である。

 沖縄知事選結果の詳細、及び翁長雄志氏が沖縄県知事選挙戦前にメディアを通して述べた知事候補として立候補するに際する信条の程等々を、以下にネット情報を参照しつつその一部を紹介しよう。

 米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古への県内移設が最大の争点となった沖縄県知事選は16日投開票された。 移設に反対する無所属新人の前那覇市長翁長雄志氏が、移設推進を訴えた無所属現職の仲井真弘多氏ら3氏を破り、初当選した。次点の仲井真氏に約10万票の大差をつけた。 政府方針を支持する仲井真氏の敗北は、衆院選を前に政権に打撃となる。 政府は移設を予定通り進める方針だが、移設反対の民意が明確に示されたことで、計画への影響は避けられない。

 初当選を決めた翁長氏は「私が当選したことで基地を造らせないという県民の民意がはっきり出た。それを日米両政府に伝え、辺野古の埋め立て承認の撤回に向けて県民の心に寄り添ってやっていく」と述べた。
 翁長氏は戦後69年たっても変わらない基地負担の中での辺野古移設を「沖縄への構造的差別」と位置付け、「基地は経済発展の最大の阻害要因」と主張。 前回知事選で「県外移設」を訴えながら、昨年末に辺野古移設に向けた政府の埋め立て申請を承認した仲井真氏に対する県民の反発を追い風に保革を問わず支持を得た。
 
 今度の選挙は仲井真知事の埋め立て承認に対し、民意を問うものになると思っています。 工事を強行している安倍政権に対して、沖縄の民意をぶつけるということです。 私たちは、仲井真さんの普天間県外移設の公約破棄を容認していません。 今度の知事選は、公約破棄である埋め立て承認に対する県民の初めての判断になります。だからこそ結果をしっかりと出す必要があるのです。 私たちは「オール沖縄」とよく言っていますが、「イデオロギーよりもアイデンティティーが大切」ということです。「心を結集して闘っていこう」と呼びかけています。
 ただし、日本政府、アメリカ政府の権力は大変強大でありますから、私たちがこういう集会を20万人規模で開いても、いまの状況で進めていくと思います。 ただ時代背景が変わってきた。アジアのダイナミズムを沖縄で体現することができるようになりました。 別の言い方をすると、日本という国が疲弊してきている。アジアを見つめてみると、沖縄がこの地域のゲートウエー(玄関口)になり、フロントランナーにならないといけない。そういう中で、辺野古基地反対の大きなうねりが沸き起こります。「新基地建設を中止して日本国民全体で安全保障を考え直す」ということにつながっていくのではないか。沖縄県知事選によって日本の安全保障政策を変えていくのです。
 私からすれば、日本全体で0・6%しかない沖縄に米軍基地を押し付けておいて、抑止力も何もないと思いますよ。 日本国民全体で守って初めて抑止力が働くのであって、「日本国全体で守る」という素地をつくっておかないと、抑止力にならないと思いますし、日本国の決意は見えません。このままでは沖縄戦の70年前と同じです。
 (以上、ネット情報より翁長雄志氏のポリシーの程を紹介したもの。)


 最後に、原左都子の私論でまとめよう。

 これ程までに沖縄が過去に於いて国内外から虐げられてきた歴史を勘案した上で、沖縄県民の未来を示唆する力量を備えられている翁長雄志氏に、私とて一票を投じたい思いだ。

 最後になるが、学問好きな原左都子より「イデオロギー」と「アイデンティティ」の言葉の説明をしておこう。
 翁長雄志氏がおっしゃるところの「イデオロギー」とはおそらく、思想傾向、政治や社会に対する考え方の意味合いであろう。  「アイデンティティ」に関してもこの場合は、他者や共同体から認められる自己の存在証明との意味合いでよいだろう。
 
 まさにその意味合いで、今回の沖縄県民知事選に於ける闘いとは「アイデンティティ」の確立であったと私も捉える。

 国家(及び米国)の歪んだイデオロギーに長年翻弄され続けて来た沖縄県民皆さんが、今回選んだ知事の下、県民としてのアイデンティティを取り戻せる事に私も期待し応援し続けたい思いだ!!