原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

娘のサリバンとして生きた我が平成時代

2019年04月30日 | 人間関係
 10連休2日目の一昨日の事だ。

 某金融機関より娘宛に電話が入った。
 娘は在宅しているか? と問うため、(どうせ営業目的と予想して)「在宅していますが未だ就寝中です。 午後になりましたら起きて来ますので午後にもう一度電話を頂けませんか?」と応える私。
 相手がすかさず、「平日はご自宅にいらっしゃいますか? とにかく今一度娘さん宛にお電話させて頂きたいのですが…」と言うのに対し、再び私が応えて「平日は仕事に出ていますが、土日はお休みです。この10連休も休みですが、先程申しました通り休日の午前中は必ず寝ておりますので悪しからず…」

 この某金融機関営業マンの魂胆を娘のサリバン母である私はお見通しだ。

 娘が子供の頃に親族から貰った「お年玉」「誕生日祝い」「入学卒業祝い」等々のお祝い金を、私が娘名義の貯金通帳を作りそれに貯め込んだのを、娘成人の暁に「今後は自分自身でしっかり管理するように」と指導し娘に手渡したのだ。
 (その総額たるや、おそらく皆様の想像をはるかに超える金額なのだが…??) 
 サリバン指導に従順・素直な我が娘は、20歳を過ぎてもそれを決して浪費することなく、実にしっかりと保管している。 (加えて、新卒就職後は別通帳を給与振込口座として、その通帳も堅実に管理している様子だ。)

 私がため込んだ娘の通帳金額の一部がこの5月に10年満期を迎えるに当たり、既に冬頃から金融機関より満期後の扱いに関して娘宛に幾度も郵送にて通知が届いていた。

 そうしたところ、どうやら娘に専属の営業マンが付いたようだ。 
 営業マンの意図はお見通しだ。 「どうか引き続きその満期金を我が金融機関に預け入れ下さいますように」である事は明白だが、とにかく娘を信じ、今後の対応を娘に任せることにした。



 前置きが長くなったが。
 本日で、30年少し続いた「平成」時代が終焉する。

 この「平成時代」を私なりに振り返るに。
 まさに「娘のサリバンとして精力的に生きた時代」であったと総括出来そうだ。

 何分主体的に長き独身を貫き、“華の独身貴族時代”を謳歌してきた私だ。
 縁があって見合い結婚にて婚姻に至ったものの、亭主共々「子供はいてもいなくてもどちらでもいいね、もしも授かったら産もう」程度に軽く捉えていた身勝手な我々親どもだ。

 ところが天はそんな我々に、婚姻後すぐさま実に可愛い女の子を授けてくれた。
 その可愛い娘がその後の我が人生を180度転換する結末になるとは、妊娠中も予想だにしていなかった…
 
 我が高齢妊娠中の勤務先が新居から(片道2時間半!)と遠方だったことが一番の理由で、私は娘が生まれる1ヶ月半程前に出産退職した。 ただその時の我が脳裏には、当然ながら出産後は近いうちに職場復帰しようとの考えがあったものだ。(実際、娘が6歳時に一旦基礎医学分野へ職場復帰した。)


 当エッセイ集バックナンバーにて何度も取り上げているが、娘の出産が超難産であったが故に、その後の私には娘のサリバンとして生きる道筋が決定してようなものだ。

 そのバックナンバーのひとつである2008.08.02公開の「医師の過失責任」と題するエッセイを以下に要約引用させていただこう。

 私のお産も壮絶だった。
 高齢出産に加えて逆子だったため元々帝王切開の予定だったが、手術予定日より2週間も早く産気付いてしまった。 しかも運が悪い事にその日がたまたま祝日で通っていた産院が休診日のため、主治医の電話での指示でひとりで自宅待機することになった。 ところが主治医の判断より早い時間に自宅で破水してしまったのだ。 既に体が硬直して動けない私は、それでも余力を振り絞り産院へ向かった。
 私と胎児を診察した主治医は直ぐに救急車を手配し、私は大きな病院へ搬送され緊急手術となった。 もう自分の命はないものと覚悟を決め、生まれてくる赤ん坊の無事を祈った。手術室は始終緊迫状態だった。赤ちゃんが私のお腹から引っ張り出される時に、お腹が陰圧になってペッちゃんこになるのを実感した。その後、お腹が一針一針縫われるのもすべて手に取るようにわかった。
 緊急手術が終了し、私は憔悴し切っているもののまだ生き長らえていた。
 命が危ういのは私ではなく、赤ん坊の方だったのだ。
 娘は息をせずに産まれてきた。すなわち仮死状態での誕生だった。 手術室が緊迫していたのは、娘が生死の境目をさまよっていたためである。
 娘のその後に関してはプライバシー保護観点より詳細の記述は避けるが、医学的、教育学的ケアとサポートをしつつ親子で二人三脚で歩み続けている。 生命力の強い子のようで2008年現在元気に生きていることに関しては、当ブログのバックナンバーで時々姿を見せている通りである。
 この出産に関し、私は医師や病院の過失責任を問う事を検討したことがある。 産気づいた日の主治医の自宅待機の判断は正しかったのか、帝王切開手術日の日程の設定が遅すぎたのではないか、また、緊急手術は適切に行なわれたのか。 等々、医師や病院に対する不信感は拭い去れず、子どもの将来に対する不安感と共にやるせなく重い気持ちを私は脳裏に引きずっていた。
 だが専門家よりのアドバイスもあり、医師や病院の過失責任を問う事は断念した。そんなことでエネルギーを消耗し疲れ果てたところで、娘が仮死状態で生まれてきたという事実はどうしても消し去ることはできない。 私が母として親としてエネルギーを注ぐべきなのは、今後この子と共に歩んでいくことである。
 そして私はきっぱりと気持ちを切り替え、子どものケア、サポートに専念し今日に至っている。 幸い、私には医学と教育、両方の職業経験があるため、それらの知識を十分に活かしつつ日頃子どものケア、サポートに当たっている。 これが功を奏しているのか、子どもは中学生になっている今、予想をはるかに上回る成長を遂げてくれている。
 (以上、2008年公開のバックナンバーより引用したもの。)


 平成最後のこの日に、娘のサリバンである我が心境を語らせていただこう。

 もしも我が娘が出産時のトラブル無くしてこの世に生誕していたならば……

 いやいや、もうこの話はやめるべきだろう。

 娘は十二分に立派に成長している。
 金融機関の担当者が付く程に自己管理力にて金力を増強している事実こそが素晴らしい! この子は将来的に高齢親亡き後にも“食いっぱぐれ”無くして生命を保てることと期待できそうだ。

 おそらく神は、我が長き独身時代にあまりにも自由奔放に生きる我が姿を天から見ていたものとも想像する。
 こいつには少しノルマを与えよう、との目的で、私にこの娘を授けてくれたのではなかろうか??

 娘のサリバンとして日々全力で闘う我が平成時代の道程を、必ずや天は見てくれていたと信じたい。


 明日から始まる新たな元号の時代に幸あれ!!
 

未だスマホ通話着信に出るキャパ無きダメなワタシ…

2019年04月28日 | 雑記
 (写真は、昨日自宅に宅配にて到着したユーロ紙幣。)


 昨日、上記写真のユーロ紙幣を宅配にて受け取ることにどれだけ苦労したことか… 

 日本円からユーロ紙幣への交換に関しては、今回は比較的上手くいったと言えるだろう。
 
 何分、外国為替レートは日々時間の経過と共に刻々と変化する。
 日本円から外国紙幣へ交換する場合、円高であることに越したことは無い。 そのため、その為替レートをニュース報道やネット検索にて注視しつつの様子見が必要だ。


 さて、4月上旬にウィーン旅行の申し込みをして以降、我が旅行準備作業の一つにこのユーロ為替レート様子見があった。
 日々テレビニュースをまめに見ている私の場合、大抵その報道の最後に放送される為替レートの確認はお手の物だ。 それに加えて、ネットにても暇があればユーロ交換レートを確認していた。

 4月25日夜の事だっただろうか。
 ネット情報によれば、日本円からユーロの買い注文が殺到しているとのことだ。 為替交換業者の中には、その殺到により業務を中断しているところすらあるではないか。
 「これは買い時!」と咄嗟に読んだ私は、早速円ユーロ為替取引をしている某業者にユーロ買い注文を入れた。  すぐさま取引が完結し、ユーロ紙幣は4月27(土)中に某宅配業者より「代金引換」にて届けられるとの連絡だ。
 次の日の金曜日にもネットにて再度ユーロ為替レートを確認したところ、確かにここ1ヶ月間内で最ユーロ安時期のようだ。
 その点に於いては、我が円ユーロ為替取引は“good job!!" と自分を褒めても良かろう。


 ところが……

 いざ「代引取引」日の昨日土曜日になり、朝方メール着信にて某業者の発送状況を確認すると。
 私が発注したユーロは発送店まで到着済みで、既に担当者が宅配に出ているとの情報だ。
 これは、午前中にも手元に届くぞ! と心を躍らせて待っていたのだが…
 
 午後3時を過ぎても届かない……。

 あっと、そう言えば、我がスマホに同じ電話番号から3度程通話着信が入っていた。 それに出ようとしたのだが、何処をいじってもスマホが反応してくれず、焦ってあちこちいじっているうちに3度共切れてしまった。
 もしかしたら、その電話連絡こそがユーロ宅配業者ではなかろうか!?? と午後3時過ぎになってやっとひらめいた私は、その電話番号宛に返信してみた。
 それが図星で、電話に出た担当者氏が必要事項をあれこれ問うて下さる。 私が正直に「スマホを買ったばかりで、通話の出方が分からなくて……」どうのこうのと言い訳を始めると、「分かりました! 私から配達担当者に電話を再度入れます。」との親切ぶり。 すかさず私が「もしももう一度電話を頂く場合、スマホ宛ではなく固定電話へお願いできますか?」と“恥を忍んで”確認したところ、これも快く引き受けて下さった。
 その後“固定電話”に着信が入り、私はやっと無事に「ユーロ」を入手できたとのいきさつだ。


 それにしても、どうしたと言うんだ?!?  このスマホの扱いにくさ! 
 “フツー”にガラケーのように、ボタン一つ押して電話に出られる形式に何故作れないんだ!?? 
 まあ、そもそもスマホ通話には郷里の実母からの着信しか出る必要のない私であり、今回の「ユーロ代引取引」などとの重要連絡は1年に1度あるか無いかだが…

 それでも努力家(?)の私は、昨夜一人ひっそりと自宅固定電話から我がスマホへ何度も電話を掛けて、スマホ通話着信にすばやく出る練習をした。
 きっと次なる重要取引時には、必ずやすぐにスマホ通話に出られるぞ!


 本エッセイの最後に、冒頭写真にて紹介した「ユーロ紙幣」に関する解説のほんの一部をウィキペディア情報より引用して紹介しておこう。
 (参考だが、冒頭写真の昨日手元に届けられたユーロ紙幣は、おそらく2015年以降発行の新紙幣なのだろう。 私が過去にユーロ圏へ数回旅行した際に持参したユーロとは、大きさもデザインも大幅に異なるようだ。)

 ユーロ紙幣に描かれているすべての建造物は欧州連合域内の名所旧跡を連想させるように描かれており、ヨーロッパ中にある無数の歴史的な橋や門に普遍的な要素を合成した、各時代の建築様式を表現した架空のものである。  
 たとえば5ユーロ紙幣は古典古代を表現したもので、10ユーロ紙幣はロマネスク、20ユーロ紙幣はゴシック、50ユーロ紙幣はルネサンス、100ユーロ紙幣はバロックとロココ、200ユーロ紙幣はアール・ヌーヴォー(鉄とガラスの時代)、500ユーロ紙幣は近代の様式を表現している。 ところがオランダ銀行による調査では、5ユーロ紙幣の主題がわかったのは 2%、50ユーロ紙幣にいたっては 1% しかわからなかったという結果が出されている。 ユーロ紙幣には特定の建築物の特徴を描いてはならないということになっていたが、ロベルト・カリーナによる原案では、ヴェネツィアのリアルト橋やパリのヌイイ橋といった実際の橋を描いたものとなっていたため、のちに一般的な建築様式の特徴に改められた。 ところが決定稿では試作のデザインにきわめて似たものとなったため、完全に一般的な表現とはいえないものとなっている。
 (以上、ウィキペディア情報より一部を引用したもの。)


 最後に一言あくまでも私見だが、我が国が5年後に発行するという新紙幣よりも、ずっと洗練された新ユーロ札のデザインじゃないですかねえ?? 

貴方はこの「10連休」うれしいですか??

2019年04月27日 | 時事論評
 表題の問いに対する原左都子の解答から述べよう。

 端的に応えると、私は「うれしくない派」だ。


 そうしたところ、本日2019.04.27付 朝日新聞「be」“between”のテーマが「10連休、遠出しますか?」だったのだが、その記事の解答内でも「うれしくない派」が8割を超えているようだ。

 その「うれしくない」理由に関して、当該朝日新聞記事より以下に引用しよう。

 「労働者の4割が非正規雇用で、7人に1人が貧困層という今の日本で10連休を楽しめるのは恵まれた人達だけでは?」
 「10連休を享受できるのは、学生と、ほとんどの公務員と、半分くらいの企業人では? サービス業の人々は普段よりも激務だろう。 そんな連休を作っておいて、何が働き方改革なのか。」
 「連休→旅行→経済効果という考えはもう古臭いと政治家は思わないのか。」
 「休日が収入減に直結する非正規雇用者を殺す気か!」
 「10連休は迷惑以外の何物でもない。 休みを増やせば消費が増えると思うのは、食うに困らない政治家や役人の浅知恵だ」

 別視野からの「うれしくない」ご意見を続けるが。
 「新入生は学校に慣れた頃に10連休。 例年、連休明けに不登校が増えるのに、例年以上の休みが不安。」
 「医師だが、休みは5月1日だけ。結局、多くの病院が本来の歴通りに診療するようだ。」
 「本来は誰もが休みたい時に休めるのが本当の働き方改革だ。」
 「全員で一度に休む慣習を変え、各自が休暇をバラバラに長く取れるようにしないと、海外の人を呼び込めなくなる。」

 (以上、朝日新聞記事より一部を引用紹介したもの。)


 一旦、原左都子の私見だが。

 「10連休がうれしくない」とおっしゃる朝日新聞読者皆さんのご意見の程、ごもっとも!である。
 私があえて付け加える必要がない程に、各分野より的確な「うれしくない」解答がなされている。


 そこで今回エッセイのまとめとして、本エッセイ集2010.05.06公開の「連休分散化政策より個人連休取得制度の充実を」と題するバックナンバーを、以下に要約引用させて頂く事としよう。

 盆暮れと5月の連休程、主婦にとって憂鬱な期間はない。(2010年当時は未だ亭主が現役勤め人だった。)
 昨日をもってやっとこさゴールデンウィークが終了し肩の荷が下り、本日久しぶりにある程度まとまった自分の時間が確保でき我に返ることが可能となった私である。
 とにかく、我が家の場合“混雑ほど鬱陶しいものはない”という観点では家族全員(とは言っても3人だが)の認識が一致しているため、よほどの差し迫った事情でもない限り連休中の“ビッグバカンス”は避けることにしている。  そうなると連休中は必然的に皆が家でうだうだと過ごす時間が多くなり、結果として「料理嫌いな女」(バックナンバーを参照下さい)として世に“名高い”原左都子にずっしりと“飯炊き女”等のストレスフルな負荷がかかる定めとなるのだ。
 先だってより「連休分散化」政策案が新政権より提出されているようだ。 既に観光庁は “春と秋に5連休を設け地域ごとに西から順に休む” などとする「連休分散化」政策に対する具体案を提示し、その実現に向けて9自治体で実証事業を始めているとの報道である。
 この案には、“休日を分散すれば混雑が減る → 観光しやすくなる → ワーク・ライフ・バランス や経済活性化につながる” なる論理的背景があるのだそうだが……
 「連休分散化」案自体に対しては、原左都子は賛成だ。 国土が狭く人口密度が高い日本で皆が一斉に連休をとれば、現在のごとくの道路の大渋滞を引き起こし観光地の混雑も招く。 それと平行して観光料金や航空便等各種交通、及び宿泊代金等の高騰をもたらす結果となる。
 ならば海外で連休を過ごそうと意図しようが結局発想は皆同じであるため空港は混雑するし、海外ツアー参加者がその時期のみに殺到しツアー料金は大いに高騰する。 たとえ個人旅行を欲しようとその波及を受けるはめとならざるを得ない現状である。
 観光庁の“地域ごとの連休分散案”はどうやらドイツに真似ているようである。 ドイツにおいてはこの“地域ごと分散案”が功を奏し、親子等の家族単位で長期休暇を安価で楽しめる時間が確保され、この案は成功を収めている様子である。
 ただ、未だに“集団志向”が根強い日本において“地域ごとの連休分散案”は如何に評価されるのであろうか?  上記朝日新聞のアンケート結果によると、親族や友人等の“団体のまとまり”を志向する日本人の場合、やはり “それらの人々の休みがばらばらになる” という理由が政府の「連休分散化」政策案反対意見の圧倒的多数を占める結果となっているようだ。
 そんな中、私論とほぼ同様の観点からの意見も朝日新聞記事内に掲載されている。
 「連休分散より有給休暇取得の促進が先」 「どんな職業の人でも休める体制を作らないと…」  これらの見解は私論に近いのだが、どこの職場においても自由に有給休暇が取れるシステム作りが政治主導による「連休分散化」に先行して欲しい思いだ。
 ところが、これが至って困難なことは私ももちろん認識できている。
 労働者の有給休暇を確保しようなどという議論は、現実社会においては一部の“恵まれた”労働者間でしか成り立たない議論であるのかもしれない。 この問題の根源を直視すると、少なからずの国民が現在就職にあえいでいる実態なのだ。
 5月の連休が終わり皆が職場に戻った今、職を欲してありつけない人々の重苦しい心情を察するに、政府が提案している「連休分散化」案には“砂上の楼閣”感が漂う気もする…。 「連休分散化」政策案を顕在化させるためには、そもそも労働者の雇用問題を早急に解決するべくこの国の経済情勢を立て直す事が先決問題であろう。
 加えて、本エッセイ上部に既述のごとく、この国の国民の今に至って尚根強い“集団帰属志向”を政府はもっと認識するべきであろう。 「連休分散化」案作成に当たっては、国民の慣習や思考的特性を最大限考慮せずして改革など出来るはずはないであろう。
 それはそうとして、昔から“集団帰属”よりも“個人行動”を志向しつつ生きている原左都子としては、今回の記事の表題に掲げた通り、個々人が欲する時期に自由に休暇が取れるような「個人連休取得制度」の確立による「連休分散化」の充実を望んでいるのだが…
 (以上、本エッセイ集バックナンバーより一部を再掲載したもの。)


 上記エッセイを公開して後9年の年月が経過した2019年の今、(あくまでも朝日新聞記事によれば)我が連休に関する思考と同類の読者が増殖している事実に、実に安堵させられる。

 その反面、本日のテレビニュース報道によれば、相も変わらず高速道路は大渋滞、国際空港では旅行者がごった返している始末……
 国家政権が定めた連休にしかバカンスを楽しめない国民の多さに改めて辟易とさせられるが、職場の休みがその時でなければ取得不能なこの国の慣習下においては、やむを得ない光景でもあるのだろう。

 片や、今回の10連休になど何らの恩恵にも与れなかったり、はたまた収入が減少する等々の切実な被害が発生する非正規雇用の皆様の嘆きの声を、しかと受けとめたいものだ。                          

C'est tre's bon!   エスカルゴ!

2019年04月25日 | 旅行・グルメ
 (写真は、娘が2011年冬高校の修学旅行にて出向いたフランス・パリのレストランにて食したと思われるエスカルゴ。)


 本日のエッセイは、先だっての大火災にて焼失したパリのノートルダム大聖堂再建状況をテーマとして綴る予定でいた。

 そのため娘のフランス修学旅行写真群の中から、それに相応しいノートルダム大聖堂の写真を探していたところ…。


 千枚近く存在する娘のフランス旅行写真群の中で、私にとって注目するべき際立って存在したのが、冒頭の「エスカルゴ」の写真だ!
 
 (何だって? あの子、フランスでエスカルゴを食べたとは母の私に一言も告げてないよ。 どうしたの、随分と立派なエスカルゴじゃないの! これを一人でペロリと食べたのかなあ。 ただ、育った環境力とは凄いものがあるなあ。 何せ無類のエスカルゴ好きのサリバン母の私だ。 せっかく旅したフランス・パリのレストランで迷うことなくそのエスカルゴを注文し堪能した、って訳ね。)


 とのいきさつで本日は大幅に予定を変更し、我が好物「エスカルゴ」にエッセイテーマを変更させていただこう。

 何処かで「好きな食べ物は?」と問われた場合、私が真っ先に答えるのが「エスカルゴ」だ。 (参考だが、二番手候補として「いくら」や「えんがわ」が控えているが。)
 本エッセイ集バックナンバー「原左都子プロフィール」内でも、好きな食べ物として「エスカルゴ」を挙げている。


 私がエスカルゴの大ファンになったのは、今から遡る事40年程前の上京後間もない頃のことだ。

 当時、プリンスホテル最上階に位置していたラウンジレストラン「トリアノン」に某男性に誘われ出かけた。 その男性が酒のおつまみとして勧めてくれたのが「エスカルゴ」だった。
 「フランスの“かたつむり”料理で見た目は少しグロテスクかもしれないが、とにかく美味しいから食べてみて。」との誘いに乗り、それをフォークで殻から“引きずり出して”食したところ…

 まさに絶品だった!
 オリーブ油・ガーリック風味が抜群なのに加えて、あのフォークで殻から身を“引きずり出す”感覚が妙に絶妙なのだ!!


 あの経験から40年が経過した今尚、我が大好物のエスカルゴだ。

 娘が幼少の頃より、このエスカルゴ(参考だが“料理嫌い”の私がそれを自宅で料理する訳などさらさらなく、もちろん冷凍保存等々の完成品)を何処から仕入れて来ては家族に振る舞ったりもしている。
 (バックナンバー「原左都子プロフィール」にて公開しているが、国内にて販売されている冷凍保存のエスカルゴに関して推奨するには、都内デパ地下にて店舗展開している「FLO」の冷凍エスカルゴがお勧めだ。 この店舗では“1個”単位でエスカルゴを購入する事が可能。 ただ、現在「FLO」も経営難なのか??、都内でも店舗数が減少しつつある様子だが…… )

 まさに、“三つ子の魂百まで”、と表現するべきか?

 確かに2年程前の横須賀旅行中のフレンチ料理店にても、娘はエスカルゴを注文したものだった。 

 我が娘が高校時代の修学旅行先のフランス・パリで、そのエスカルゴ料理を堪能していたとは実に驚きだ!

 今夜娘が帰宅したら、その時の“お味の程”を今更ながら確認してみたい気分だ!



 P.S

 フランス・パリ ノートルダム大聖堂火災焼失に関しては、「人災」との見解も発表されているようだ。  何でも、現場から数多くのたばこの吸い殻が発見されたり、現場監視担当者が2名いたにもかかわらず、1名しか勤務していかなったなる報道を見聞した。

 何処の先進国も、現場作業員とは厳しく過酷な労働を負荷されているのか… 
 と、原左都子としてはあくまでも弱者である社会底辺労働者の立場に立ち、その厳しい社会現実に愕然とさせらたりもしているのだが…

 またの機会に、この厳しい現実に関する私論を公表する予定でおります。
 

私は立派にこの事件の“オトシマエ”をつける事が出来たと思う

2019年04月23日 | 人間関係
 まずは、表題に掲げた“この事件”に関して記した我がエッセイ集バックナンバーを紹介しよう。

 (参考だが、当該エッセイが昨日のPopular Entriesランキング第3位にランクインしていたため、それを久々に発見する事が叶った。)


 それでは、長くなるが2015.09.02公開バックナンバー「女に『お金を貸せ』と迫る男をどう思う?」の一部を以下に再掲載させていただこう。

 2015年7月上旬頃、某SNS上に欧州英語圏在住の某男性(以下B氏とする)から、私宛に「友達申請」が届いた。
 私の場合、とにかくネット上の友達付合いに関して慎重の上にも慎重を重ねているため、決してすぐさまそれに応じることはない。 「何故に友達申請を頂けたのか? 如何なるルートで我がページを見つけたのか?」等々を必ずや本人宛に確認することにしている。  これらの我が質問に対し、B氏は(当然ながら英語にて)ご自身の自己紹介も含め十分な返答をくれ、私はその内容を吟味した上で友達申請に応じた。 
 その後B氏とのやり取りは、某SNS上のメッセージ欄 及び Eメールにて続いた。 7月上旬頃より数日前に至るまで、B氏より私宛に届いた長文メールの数々はファイル1冊分にも及ぶ。(パソコン画面上で把握不能な英単語等に対応するため、B氏よりのメールを逐一紙面に印刷して私は電子辞書を引きつつ返答をした故だ。)
 1カ月半に渡りこれだけのメールのやり取りをした両者間で、当然ながら“仲良し意識”や“信頼感”が育まれていたと、私もB氏も意識していたと信じたい。
 B氏の職業とは(本人の申告によると)石油分野に於ける高度の専門職であるが故に、何処かの国にて石油プラントパイプラインを建設する等大規模プロジェクトに参加する目的で世界各国を訪問することが頻繁のようだ。  今回もアジア某国のパイプライン建設に伴い、B氏が現地に出向いた直後に事件が起きた。
 8月下旬のつい最近、治安が悪い某アジア国に到着したB氏が私宛にメールを寄こして曰く、「銀行のトラブルによりキャッシュカードたまったく使用出来なくなった。 早急にお金(日本円にして6万円程の少額だが)を我が銀行口座まで送金して欲しい。」
 いやはや、愕然とさせられた。  私にも海外経験はあるが、確かに治安が悪い国に於いてこのような事態が起こりうる事は私も理解可能だ。 それにしても旅慣れた人間であれば、いくばくかの自国通貨を現金として持参しているであろうし、あるいはクレジットカードで事が済ませられる場合もある。 
 それを私はB氏に伝えつつ、「もしかしたら、貴方が私と出会いたかった理由とは最初から“振り込め詐欺”目的だったのですか? そうだとすれば残念ですが私は今後あなたと付き合う訳にはいきません。」とのメール返答をした。
 即座にB氏よりメールにて返答があった。 「本気で私が困惑している時にあなたの回答に失望した。借りたお金は銀行トラブルが解消次第返すと書いたはずだ。 もうあなたを頼ることはない。 1か月半に及びメールにて楽しい時間を共有できたことには感謝したい。ありがとう。」  そして即刻B氏は、某SNS上の私への「友達申請」を削除したようだ。 それに一応安堵している私であるが…。
 実際問題、当該事件が「詐欺」だったのか否かの判断が私には出来ずにいる。  日本国内で多発する“振り込め詐欺”の現状を慮った場合、今回の私の判断は誤っていないと結論付けているものの…。
 ただ、B氏に対して背信行為をしたのかとの心の痛みも無きにしも非ずだ。 それ程に1か月半に及び日々B氏と交わしたメールやり取りの重みは私にも忘れ難きものがあり、後ろ髪をひかれる思いなのだ…。
 その後、約1週間が経過した。
 B氏より某SNS上の私に対する「友達申請」削除措置がとられて以降、特段の動きはなく我が日常は平穏に経過している。
 ただ、私の心中は未だくすぶり続けている。
 もしも今回の「事件」が真に“振り込め詐欺”目的であった場合、B氏が即刻「友達申請」削除措置をとってくれたことは“不幸中の幸い”であり、実質被害が何ら発生しなかったことに心より安堵すれば済む話だ。
 一方、実はそうではなく、もしもB氏の要求が真に私に対する「金銭借入」にあったとするならば…
 私はどうしても腑に落ちない点がある。 何故、ネット上で知り合って1ヶ月半しか経過していない私に対し「金銭借入」の要求をしてくるのか? 
 それはおそらく上記に記した通り、B氏との付き合いがたとえネット上にての関係であれ“ファイル1冊分の重み”がある故と私側も感じるのだ。 おそらくこの“1ヶ月半のみ”を思い起こせば、私側とてこの世の誰よりもB氏こそが一番仲が良かった感覚を抱けた。 普段これ程までに1対1で語り合える相手とは、(家族も含め)現実世界で滅多にお目にかかれる機会はない。 そんな双方の共通認識が、B氏が切羽詰まった状況下で私に対する「金銭借入」行動を起こさせたのかもしれないとも推測するのだ。
 正直言うと、今尚どうしても我が脳裏にB氏との1ヶ月半に及ぶメール交換を通じた交友関係が堂々巡りする。 この感覚に私なりの“落とし前”を付けない事には、9月に入っても気持ちよく秋が迎えられないごとくのマイナーな心理状態だ。
 それにしてもB氏が私に対して取った行動とは、極端と言えやしないか。
 もしも単に私に「金銭借入」を申し入れたかったと仮定しても、何故それを断った私に対して「失望した。今後一切貴方を頼ることはない。」と“捨てセリフ”の啖呵を切って寄越せる筋合いがあるのか?  しかも、あちらから「友達申請」して来てそれを私なりの選抜方式により承認したにもかかわらず、事件直後にSNS上の「友達申請」を即刻あちらから削除措置を施すに至っている。 (アンタか友達になってくれ!と嘆願したからそれに応えてやったのに… との正直な思いと共に)これぞ、やはり振り込め詐欺だった故か??と私が勘ぐる所以だが…。
 私の推測では、おそらく「金銭貸借」にかかわる(特に先進国間での)国際社会間の“文化の差”はないものと想像するし、それに期待したい。
 B氏宛の「金銭貸借」第一報のお断りメールにて、私が一筆明記したのが次の文章である。
 「如何なる人間関係に於いても、金銭貸借は控えるべきなのが基本と私は心得ている。 貴方が現在置かれている切羽詰まった事情は把握するが、我が基本理念故にどうしても今回は貴方とは金銭貸借は出来ない。」
 いやはや男女間に限らず、人間関係(引いては国際政治関係にまで視野を広げても)に於ける初歩的理念として「金銭貸借」を基本的には慎み回避するべきではあるまいか? 人間が人間同士として対等に関わり合うためには、これぞ外せない条件と私は昔から心得ている。
 その理念に基づきこの世を渡って来ている私としては、たとえ相手が我が実親であれ、こちらから金銭借入を申し出た事などただの一度も無い。 あるいは我が亭主に関しても現在“年金独立採算性”を採用し、お互いの年金の貸し借りなど今後に及び一切しない方針である。
 当然ながら金融機関から融資を受ける事も毛嫌いしている私は、過去に於ける度重なる住居買替購入にもかかわらず「住宅ローン」の借入れに関して短期間で全額完済を成し遂げて来ている。 今後も一生、金融機関より一切の借入れをする予定などない。
 ましてや、たかがネット上で知り合ったB氏と「金銭貸借」を一切する気がない私の思いは今尚歴然だ。
 今回の事件が“振り込め詐欺”ではなかったと仮定するとして、B氏に「貴方に失望した」と言われた事実など、今後に続く我が強靭な「金銭貸借」に関わるポリシーに基づけば大した困惑ではないと言え、私は私なりの“落とし前”を付けられたと判断するべきだろうか…?!?

 (以上、本エッセイ集2015.09.02公開のエッセイのほぼ全文を再掲載したもの。)


 最後に、2019.04.23現在の原左都子の私論でまとめよう。

 私の場合、米国に(今となっては縁を切っている)実姉が在住している関係で、長き独身時代に幾度も米国へ旅行し、現地ネイティブの人々と交流した経験が少なからずある。
 ただ、その交流手段の大方は「会話」であり、文字による交流は郵便による「手紙」の交換程度だった。

 それに対し、上記B氏との交流は主に「メール」に依存した。 それも、B氏からのメールはいつもコピーするとA4用紙3枚に及ぶほどの長文だった。
 いくら私が英語の読み書きが比較的得意と言えども、その長文メールをすぐさま読みこなして同じく長文にて返信するのは無理難題だ。 そこで一旦コピーし、辞書をひきつつ返信するとの手段を取ったのだ。
 それ故、今でもその「メール」のやり取りコピーである“ファイル1冊”を手元に保存しているのだが。
 それを久々に引っ張り出して、本日午前中に少し読み直してみた。

 1ヶ月半に渡り、実にいろんなことを語ってくれたB氏だった。
 自身の仕事のこと、寄宿生としてマンチェスターの高校に通っている一人息子さんのこと(その息子さんと一緒にテニスを楽しむ写真等も添付してくれたりした)、自身の仕事である石油パイプライン建設のため世界中を巡っているが、米国でのその国際会議出席の様子を映した写真も添付してくれたものだ。

 何分スラスラと英文を綴る訳にはいかない私のメール返答が遅いと、「早く返答が欲しい」とのリクエストも届けられた。 

 そんなB氏よりの、突然の「お金を貸して欲しい」との要望…
 その前日のメールによれば、「今回の赴任地のアジア某国現地に到着したが、物凄い暑さに参っている…」、等々の弱音も語っていた。
 その挙句の果ての「お金を貸して…」メールだったことは今尚印象深い。

 ただこれ、現時点の私も「振り込め詐欺(国際版)」の一種と結論付けるべきと考えている。
 現在の我が想像によれば、B氏の背後にその組織があった事も推察する。

 ところが私とメール交流しているうちに、B氏側も本気でその交流が楽しくなったことも想像可能だ。(私とて、B氏とのメール関係は英語のブラッシュアップにつながることを筆頭に、心の触れ合いも十分に叶い実に有意義だった!) B氏側としてもこの交流をこのまま続行したいが、もはや背後組織の命令により振り込め詐欺を実行せねばならなくなったのではなかろうか?? そこに返されたのが私からの断固とした拒否メール。 (最初の請求額がわずか6万円だった事実も笑えるが、それを一旦私が承諾したならば、その後振り込め金額が徐々に増額したとも予想出来る。
 あくまでも我が身勝手な想像に過ぎないが、B氏は私が毅然と拒否してくれて良かったと結論付け、私とのSNS上の「友達申請」を自ら即刻削除し、私の前から忽然と姿を消したのではなかろうか?

 今思えば、まさに私側も我が日頃の“信念と理性”によりこの事件を終焉に持ち込めた気もしている。