原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

再掲載 「医療の限界を超越して生き延びるには…」

2021年02月28日 | 医学・医療・介護
 元医学関係者の原左都子だが。

 その身にして「医学・医療」に対する我がポリシーの程を実に揺らぎ無く端的に綴ったバックナンバーが、昨日の“Popular entries top10”にランクインしていた。



 早速、2012.03.29公開「医療の限界を超越して生き延びるには…」と題するバックナンバーを、以下に再掲載させていただこう。
 

 前回の我がエッセイに於いて、 医療・医学の分野とは科学全般に共通しての例外ではなく“おごりや限界”が存在すること、 それを承知の上で医療従事者とは日頃医療現場において最大限の努力を続けていること、 医療を超越して患者を救える分野や方策が存在し得ること、 医療とは一般市民にとって生命維持のために無くては成らないにもかかわらず一番分かりにくい分野でもあるという致命的な宿命を背負っていること、 等々に関して綴り公開した。

 ここで私事に入るが、先だって(2012年)3月中旬に2度目の大学(及び大学院)ゼミOB生達と会合を持つ機会があった。 その場で「私の外見が昔と少しも変わっていない」事が話題となった。 (いえいえ、決してそんなことはあり得ないのだが、皆さんお酒が入っていたことや、当日の天候が雨天で視界が悪かったことにより一見そのように映ったのであろう。😖  確かに、体型に関しては長年まったく変化が無いが。)

 その2次会の場において、男性H氏が冗談半分で私に尋ねる。
 「普通20年会わないと誰しも外見が変貌しているものだが、〇さん(私のこと)はまったく昔と変わっていないのに驚く。 何か特殊な薬でも飲んでいるのか??」
 応えて私曰く、「おそらく20年前と精神構造が変化していないのが多少若く見える一番の理由かと思う。 薬に関してはまったく逆で、私は元医学関係者という理由もあってある程度の医学判断力があるため、医療機関にほとんど頼らない日々を送っている。 その結果人体にとってダメージも大きい投薬や医療的諸検査を回避出来ていることが、もしかしたら現在の外見的若さに貢献しているのかもしれない。 加えて、HDL(善玉)コレステロールが特異的に多いことも何らかの影響があるかも??……」
 それに反応してH氏曰く、「という事は、〇さんはたとえ病院で薬を処方されてもそれを飲まないで捨てるタイプだね!」
 「まったくその通り!」と応えつつ、私の場合そもそも病院へはよほどの事でもない限り行かないため、実は薬を処方されることも無いに等しい人生なのだが…
 (いつもの事ながら、読者の皆様には決して私の真似をせず良識的な判断で医療機関に頼っていただきたい、ということを元医学関係者の責任範疇として添えておこう。)

 病院へ行くことの弊害とは他にもある。
 それは素人の身にして、病院側から呈示される病名や異常な検査結果を突きつけられる“厳しい現実”であろう。 それらが医学の心得の浅い患者さん達にとって、特に精神面に於いて大衝撃となることを想像して余りあるのだ。

 医学が発展を遂げた今の時代に於いて先進国に生きる患者さんとは、自分の病的症状を軽減することに優先して、その症状の「疾患名」を明確にすることを医師に嘆願する傾向があるのではなかろうか。
 それに応えることも当然ながら医療機関の一つの使命ではある。 ところが実はこれが容易なことではないのだ。 ただ医療機関として救われるのは、病院に訪ねてくるほとんどの患者さんの容態が命に別状のない疾患である現実と私は心得る。(大抵の場合は「風邪でしょう」程度で済んでいるでしょ??)
 その中に於いても、命にかかわる重病や難病の患者さんの存在を見落としてはならぬ目的で、念のためスクリーニング諸検査を患者対象に実施するのが現在の医療の実態であろう。 これに引っかかる(すなわち異常結果が出る)と二次検査に入るが、確率的に言うと二次検査までもつれこむ患者さんは少数であろうし、たとえ二次検査に至ったとて一部を除き、幸いな事にその患者さんの命にはさして別状がないのが医療現場に於ける現状ではなかろうか。

 ところが医療・医学を心得ない患者さんの場合、医師より一旦その検査異常値やそれに基づく疾患名を突きつけられるや否や、「もはや自分は病人…」とのレッテルを自分自身の心身に貼り付けてしまい、特に精神面に於いて参ってしまう事と推測する。
 そんな疾患名を聞きさえしなければ、症状が軽減するにつれ自分が病気だったことも忘れ去れたであろうに、一旦自分自身でレッテルを貼ってしまうと「私は〇〇病を患っています」と会う人毎に自己紹介し、既に回復しているにもかかわらず再発を恐れつつ日々を送る運命となろう。

 この医療の現実に一番打撃を受けているのが、判断能力が低下しているお年寄りであると認識する私だ。
 我が国の医療・医学がさほどの進化を遂げていなかった時代に生きてきたお年寄り達が、年老いた現在医療こそ自分が生き延びる道筋と信じ、全面的に依存しても決して不思議ではないのかもしれない。

 特に経済的にある程度余裕のある日本のお年寄り達にとって、「病院通い」とは老後の一つの趣味であると言っても過言でない現実だ。 我が高齢の実母や義母の事例を挙げると、彼女達もその例外ではなく日々病院通いをしている。 そして大量の薬を処方され、それを飲むのを日課としている。
 加えて、どうもお年寄りとは「注射」がお好きなようだ。 具合が悪くなると病院で「注射」をしてもらうと治ると信じている。 実母には「何の注射なのか医師に必ず事前に確認するように!」と私から口酸っぱく指導しているにもかかわらず、「聞いても分からないし、素人の年寄りがそんな事を聞くと医師や看護師に嫌われて今後病院へ行けなくなるから聞きたくない」との返答だ…。 (せいぜい栄養剤か生理食塩水でも体内へ入れているのならば害も少ないだろうが…)と思いつつも、悲しいかなこれが年寄り医療の実態である。

 そんな限界ある医療の現状に於いて、人がそれを超越して生き延びるには如何なる対策を取ればよいのか?
 その答えは「予防医学」であり、国民に対する「医療・医学教育」であろう。 
 これらに関しては医学界においてずっと以前より提唱され、例えば「栄養学」のごとく国民に対する栄養教育が既に実行されて長年が経過し発展を遂げている分野もあろう。
 ところが、例えば暴飲暴食等の生活の乱れにより「生活習慣病」を患い医療に頼る国民が、相変わらず後を絶たないのが現実でもある。
 
 一方で、人間とは誰しも「老い」を迎えるものである。 それを個々人が受け入れていく教育も不可欠と私は心得る。
 老化現象により体のあちこちが弱り痛むのは実に辛い現状ではあろうが。 だからと言って老人を医療現場に放り投げて検査漬け、薬漬けの老後を歩ませる事が“人の尊厳”であろうはずがない。

 今回のテーマは人それぞれの「死生観」にも直結する課題であろう。
 病的な症状を持ち苦しむ人を掴まえて、「病院へ行く前に、少し自分なりの哲学を持って“死生観”について考えてみましょうよ」などと未熟な私の立場から提唱できるはずもないが、原左都子自身はそのような人生を歩みたいと欲している。

 何て偉そうに言ってみても先だって急逝した我が友のように、明日“くも膜下出血”で倒れるかもしれないしね……

 (以上、本エッセイ集2012.03公開バックナンバーのほぼ全文を再掲載したもの。)




 2021.02  現時点の私観だが。

 このエッセイを記す直前期に、私はそれまでの人生に於ける一番の“腹心の友”だった女性を突如発症した“くも膜下出血”にて失っている。
 「ヨーコちゃん」と呼ばせて頂いていた彼女は、高校教師時代の先輩教員だった。 当時2人揃って独身を貫いていたのが第一の理由だったと推測するが、すっかり意気投合し、学校の業務終了後(私のデートがない日には😜 )必ずやヨーコちゃんの家へ立ち寄り私は晩酌を楽しんだものだ。(参考だがヨーコちゃんは酒を嗜まないにもかかわらず、いつもそれに楽しそうに付き合ってくれた。)
 その関係は私が出産退職後も続き…  産んだ我が娘をヨーコちゃんも可愛がってくれて…
 娘が大きく育ったら、またヨーコちゃんと2人の交友を楽しもうと思っていた矢先。  ヨーコちゃんは一人自室にて倒れ、返らぬ人となってしまった…


 早いもので、あれから既に9年の年月が流れている。
 ヨーコちゃんは理科教諭だったが、普段より自身の生き甲斐(登山が趣味でエベレスト等々世界の山々を制覇している)を最優先し、ご自分の体調管理に関しては“手抜き”だったのかもしれない。

 そんなヨーコちゃんへの追悼の思いも込めて、当該我が“医学ポリシーエッセイ”を書いたように記憶している。
 

自分は“いじめられている”との 被害妄想 から解放されるには

2021年02月27日 | 人間関係
 本日の朝日新聞別刷「be」“悩みのるつぼ” のテーマは「人間関係がうまくいかない」だった。


 早速、60代主婦による相談内容を以下に要約引用しよう。

 60代主婦だが、私は小中学生時代に主に男子からいじめられた。 
 高校・短大は女子校で友達も出来て、いじめから解放された。 卒業後に就職と結婚もして、子育てが一段落したところで事務系のパートを始めた。 何年か社会から離れていたので覚えが悪く、指導係の年下の正社員から「教えることで時間を取られ残業している」と人事に告げ口され3ヶ月で解雇された。 別の職場でも女性の主任に皆の前で怒鳴られ、長続きしなかった。
 こうしたことが重なって小中時代のいじめを思い出し、人と会うのも怖くなった。 知人に相談したら「貴方は標的にされやすいのよ、云々…」と言われた。 主人に軽く相談しても興味がなさそうだ。 その後入った合唱サークルでも、年下の女性から上から目線で私にあれこれ言ってきて、嫌になり出したところでコロナ禍で活動休止になった。
 今では買い物以外では人と接していないが、コロナが収束したら何かしら人との繋がりを再開せねばならないと思う。 
 いじめに遭うのはもうこりごり…。

 (以上、朝日新聞“悩みのるつぼ”より、相談内容を要約引用したもの。)


 今回の回答者は、歌手・俳優の美輪明宏氏だった。

 その回答の要の部分のみを紹介しよう。

 私(美輪明宏氏)には、相談者の自縄自縛に映る。
 ご自身の中から「いじめ」という言葉を放逐し、年齢や性別で判断しないという意識を持って頂きたいものです。」

 三輪氏がおっしゃるとおりだ!
 この相談者の相談内容を読む限り還暦を過ぎて尚、遠い過去の自己判断による“いじめ”との言葉にがんじがらめになっている感を抱かされる。



 原左都子の私見に入ろう。

 過去のいじめに関して、これ程までに自縄自縛意識に陥る人種も珍しいのではかなろうか?

 例えば、若くして“引きこもり”に陥ってしまう人種とは、まさにその心理状態が現実に於いて成せるマイナスの業なのかもしれないが…。

 当該相談女性は現在60代、しかも短大卒業と同時に結婚して子育ても経験されていると言う…。
 にもかかわらず、一体如何なる人生観の元に“子育て”をこなして来られたのかと、その側面から私は大いなる懸念感を抱かされるのだが。

 相談女性は、“ご主人に相談しても興味がなさそうだ” とおっしゃっている。 原左都子が思うに、実に真っ当なご主人だなあ。
 夫婦両人が60代に達して尚、奥方から「趣味の合唱クラブでいじめに遭っている」なる類いの相談を受けること自体がくだらなさ過ぎる。
 高齢域に達している夫婦双方共々、こんな戯言相談を勘弁願いたいのが実情ではなかろうか??


 原左都子が悲観的に思うに。

 この相談女性は、今後一生に渡り“自分はいじめられキャラだ”との被害者意識の元に寂しい老後を送らざるを得ないのかとも推測する。

 既に60代前半期にして未だ自己を確立出来ずにこの世を彷徨っている人種の、嘆きの声と私は見た。


 そう結論付けると。

 我が過去に私側から縁を切った知り合い女性達の中にも、同様の訴えを私にぶつける女性が複数いた気もする…
 

「絵むすび」 ー 朝日新聞2021.02.27編 ー

2021年02月27日 | 自己実現
 (冒頭写真は、2021.02.27付 “パズル「絵むすび」”に原左都子が解答したもの。


 朝日新聞パズル「絵むすび」ファンの皆様、お待たせいたしました。
 

 とりあえず、解答のみ公開します。


 後程、解説を加えさせていただきます。


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 それでは、解説に入りましょう。

 (「解説」と言うよりも、私め原左都子がどういう手順で解答したかとの内容になりますが。)


 まず最初に、“このアイテムはここしか通れない”との対象アイテムを見つけます。
 今回の設問の場合、右上の「ケーキ」がそれに該当するでしょう。
 「電球」と「金魚」に挟まっていますので、自ずと左隣のマスを左下へ進む運命になりますね。 そこで一旦止めておいて。

 次なる注目アイテムは、「電車」「電卓」、そして左下の「金魚」でしょうか。

 「電車」を思い切って下に降ろし「金魚」の上で右折させ結んでしまってもよさそうです。

 そうすると、自ずと左下の「金魚」は一番下のマスを右へ直進することになります。 これもそこで止めておいて。

 この辺りでどうやら、「電卓」と「金魚」の進むべき道が決定しそうです。

 一旦上部のアイテムに戻りましょう。

 四角下の2アイテムの“ある程度の方向性”が定まっているため、上部のアイテムは上部で片付ければ済みそうです。
 
 ここで「ケーキ」と「電球」を思い切って結んでしまうと、これまた自ずと「椅子」の進むべき道程が決定します。

 これで、今回の「絵むすび」は完成です。😊 


 (参考ですが、我が解答所要時間は“5分程”でした。)


morytrade オート三輪 リクシャ 三輪タクシー ミニカー 1/32 ダイキャスト インド (黒)

2021年02月26日 | 自己実現
 (冒頭写真は、 2008.10インド旅行の際に乗車した オート三輪 タクシー 。)


 本日、このオート三輪の模型(morytrade オート三輪 リクシャ 三輪タクシー ミニカー 1/32 ダイキャスト インド (黒))が、アマゾンより到着しました!


          
          これが、本日届いたミニチュアオート三輪。


          以下は、アマゾン販売ページより転載。

         


         


         


         


         



 近年、娘のバレンタインデーのお返しに職場の同僚男性より何度も頂いた“ビートル・ミニカー”の影響を受け。

 親の私が、ミニカー趣味に目覚めてしまったようだ。😖 


 今回購入したのは、オート三輪の模型(morytrade オート三輪 リクシャ 三輪タクシー ミニカー 1/32 ダイキャスト インド (黒) なのだが。



 私はインド現地で、このオート三輪に実際に乗車した。
 (それ故に、当該ミニカーがアマゾンで販売されているのを発見して大感激し、早速購入したとのいきさつだが。)
 

 我が知り合いの美術家・はるこ先生には、娘の造形・油絵指導及び美大受験予備校の紹介等々にて10年間程お世話になった。
 
 2008.10に、このはるこ先生のインドにての国際賞受賞式典にお供して二人で“インド珍道中”を実行した。

 インド・デリー近辺にて3日間名所観光をした後、インド国内便に乗りボパールに到着。

 ボパールのホテルより美術国際授賞式典会場であるインド国立美術・博物館へ行く際に、この“三輪タクシー”のお世話になった。

 ボパールとの街は、工業地帯として近代的に発展しているのだが。
 主要道を一つ中に入ると、そこは人気(ひとけ)が無い砂利道が続いている。

 式典会場までは歩ける距離では無く、交通手段を探っていたところ、ちょうどこの“三輪タクシー”を見かけた。
  
 「はるこ先生、あれに乗って行きましょう!」と私が誘うと。

 はるこ先生応えて、「あんな怖いものに乗れない…」とビビり始める。
 (はるこ先生は美術家としては世界的に活躍している大物なのだが、小さいところで怖がる癖がある人物だ…)

 「そんなこと言ったって他に交通手段が無いのだからあれに乗ります! 運転手とは私が対応しますから、はるこ先生は大人しく乗って座っていて下さい。」と私が説得し。

 そうこうして砂利道を走ること10分程だったか?
 無事に国立博物館へ到着し、会計をしたところ“超安価!”なのにビックリ!!  運転手氏も優しく対応下さって何らの問題も無かったため、チップを弾んだ。



 実は私は旧パソコンを壊滅的に故障させてしまい、パソコン内に過去の旅行写真が一枚も無いありさま… 

 今回は、はるこ先生が作成しプレゼントして下さった“フォトブック”よりほんの少しだけ写真を転載して、インド旅行を懐かしもう。


           
 これは、デリーにての観光の一名所。(場所名は忘却…) 当時未だ50代前半期だった私のTシャツは、娘に借りたものだ。 

 (本日夕刻の追記ですが。
 本日当該エッセイ公開後に“goo人気ブロガー”であられるプロカメラマンのJFK氏より、この観光名所に関する情報を頂戴しました。
 そのご記載によりますと、 
 「写真の名所はクトゥブミナールですね。 懐かしい。 2016年5月7日の私のブログで紹介しています。」
 JFKさん、ご多忙中貴重な情報を頂きまして誠にありがとうございました。 我が記憶に寄りましても、この名所は確かにクトゥブミナールに他なりません。
 今後とも何卒いろいろとご伝授頂けますように。)




           
  これは、はるこ先生の趣味で宿泊した“宮殿ホテル”。 さすがに設備のすべてが“超豪華”かつ“スタッフ対応の丁寧さ”がバツグンだった。
 

           
 インドと言えば、やはり“カレー”。 上記宮殿ホテルと航空便機内以外の食事のほとんどがカレー中心だった。


 このインド旅行記は、当該「原左都子エッセイ集」にて2008年秋頃に(オピニオンブログの我がエッセイ集らしい語り口にて)綴り公開しておりますため、よろしければご覧下さい。  
     

本日 義母所有賃貸物件に20代単身男性より入居申し込みが入りました!

2021年02月25日 | 仕事・就職
 10本前の本エッセイ集にて、表題の義母物件昨年秋の修繕工事後未だに入居希望が入らない件に関し、嘆きの記述をしたが…


 本日昼過ぎに、20代単身男性より“入居申し込みが入ったとの吉報”が管理会社から舞い込んで来た!

 2月中に何とか入居者が決定し、今現在胸をなで下ろす我々夫婦である。



            
              当該物件の外観写真、他。

            


            
              当該部屋の内覧写真。


 実は本日、昼食時に偶然亭主と二人で当該部屋の“入居者勧誘対策”を話し合ったばかりだった。


 私の意見だが、「(上記写真でご覧頂けるとおり)“ブロック塀”の印象が悪いのではないか?」

 亭主曰く、「自分もそう思う。 あの塀は当物件新築時よりずっとあのままの状態だ。 基礎工事はきちんと出来ていて内部に鉄筋も入っているため、倒壊の恐れはなく東日本大震災時にも耐えたのだが。 やはり見た目が悪いね。」

 私が加えて、「今時あんな旧式のブロック塀を街で見かけることは無いよ。😖  ただ、現時点で塀を新設するとして基礎工事からやり直すとなると、かなり高額になりそうだね…。 しかも、この物件の地は東京都道路計画に引っかかってもいるし、高額費用をそれに使うのは控えたいね。」

 亭主返して、「東京都道路計画はおそらくコロナ禍で凍結状態が続くと思う。 少なくとも後10年程は凍結続行と推測するが。」

 私、「本日東京大学の二次試験が実施されているようだが、今後国公立の二次試験が始まるよ。 それらの合格者の中から上京してこの物件に住んでくれる学生がいるかもしれない。 その発表まで“塀問題”は凍結しようよ。」

 亭主の意見、「今時東大入学者はリッチ層ばかりのようだから、こんな物件には住んでくれないだろう。 その他の国公立合格者の中にはこの部屋でいいと言ってくれる人もいるかもしれない。」

 私、「やはり学生の親にとって月7万負担はきついかもしれない。 ただ、とにかくもうしばらく待とうよ。 3月上旬頃までは社会人の異動も多いし、それに望みを繋げよう。」


 そんな昼飯時の我が夫婦の談話直後の事だった。


 冒頭表題の通り昼過ぎに亭主宛のメールボックスに、20代後半社会人男性から「入居申し込み」があり、との管理会社からのメールが届けられた!

 今後、管理会社お抱え保険会社による“入居者適正検査”を通過すると、正式の「入居決定通知」が届けられる段取りとなる。


 不動産賃貸業(我が家の場合、現在は“義母の代行業務”の位置付けだが)も、ラクな稼業では無いのは確かだ。

 そんな中、新たな入居者を迎える時ほど嬉しいこともない。 😃