原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

米国西海岸旅行記 ー U.C.バークレー序章編 ー

2018年08月31日 | 旅行・グルメ
 (写真は、U.C.バークレー西門。)


 米国西海岸旅行記に於いてU.C.バークレー編はずっと後程綴る予定ですが、少しの空き時間に序章のみ先行して公開しておきましょう。


 バート(地下鉄)Downtown Berkey駅から下車して7分程歩いたOxford St.沿いに、冒頭写真のU.C.バークレー西門がある。

 実は私は19歳時の短期留学時に、この西門を見た記憶が無い。
 いや、当時やはりバートに乗ってサンフランシスコを訪れたため、何処の門から外へ出たはずなのだが…


 この門ではなく、正門のセイザーゲート付近は授業の合間によくうろついた。 
 正門辺りに沢山の出店(でみせ)が出店(しゅってん)していて、そこで作りたてのハンバーガーを買って食べたり、絞りたてのグレープフルーツジュースを飲んだりしたものだ。


 米国入国時に入国審査所にて審査官氏が告げた通り、確かに現在のバークレーの街は昔とすっかり変貌して汚くなっている。
 当日は日曜日だったせいもあろうか、とにかく大勢の人で溢れていて騒然としている。
 昔は近隣の店舗はすべて個人経営で、バークレーの街に溶け込みつつ静かに佇み経営していた記憶があるのだが。 今となってはほぼすべての店舗が世界規模のチェーン店と変わり果てている。
 これはバークレーに限らず世界中で同じ光景だろうが。


 ただ西門から一歩大学構内に入れば、それは別世界だ。
 特に西門周辺はバークレーの森の中に存在していて、周囲の喧騒とは一線を画している。

 やっぱり懐かしい。 
 ここで短期間だが一時学んだ記憶が我が脳裏に鮮明に蘇る。
 何だか涙が出そうになり一人で感慨にふけりつつ隣の娘を見ると、“我関せず状態だ。 そりゃそうだよねえ。気持ち分かるよ。

 西門からすぐ近くにライフサイエンス棟が立派に厳かに存在していた。
 いやはや、この棟にも来たことが無かったなあ。
 1ヶ月間もU.C.バークレーの寮に滞在したのに、日々寮内ダンスパーティに興じ、当時医学を学ぶ身にして何らの関心もない愚か者だったものだ。 
 ただまあ、“若気の至り”とはそういう事だろう。 


 そうしているうちに、U.C.バークレーシンボルタワーであるセイザータワーが見えて来たぞ。


 米国西海岸旅行 U.C.バークレー編この続きは、ずっと後程公開する予定でおります。
 

米国西海岸旅行記 ー 移民・難民激増で大変貌した米国編 ー

2018年08月30日 | 旅行・グルメ
 (写真は、サンフランシスコから現地バスツアーを利用して訪れたモントレー・カーメル小旅の途中風景。 モントレ―近くのPigeon Point State Histric Parkにて撮影したもの。 後ろ向きの人々はバス旅行同行の旅行者達。 我々親子のようにホテルピックアップ海外からの旅行客はごく少数で、ほとんどが米国在住の人達のようだ。)


 いやはや、米国トランプ大統領が「移民・難民排除政策」を掲げる思いが少し理解出来た気もする。

 今回の我が米国旅行は19歳時のUCバークレー短期留学、そして30代にての数回の米国訪問以来25年ぶりの事だった。
 19歳時の短期留学は既に43年前の話であり時代背景的に別格として、25年前の米国旅行時と比較しても現在の移民・難民の激増に驚かされるばかりだ。
 白人が見当たらないと言って過言で無い程に、移民・難民らしき多民族国民で街が溢れ返っている。


 サンフランシスコ到着直後に、娘と二人で昼飯をホテル近くのバーガーキングにて摂ろうとしたところ。
 どうやらこの店舗は、浮浪者化した移民・難民たちが“物乞い”をする場の役割を果たしているようだ。 入店して分かったのだが、店内には食事をしていない浮浪者で溢れている。 
 その一人が我々に近づいて来て言うには、「Do you have 1 dolller?」
 最初は本気で訳が分からず「What??」などと問い直したのだが、これが結果として功を奏した。 あちらはおそらく、(ああ、外国人旅行者で言葉が通じないな)と理解してくれた様子だ。
 他客の対応を見て理解出来たが、要するに「1ドルでいいから恵んで下さい。」との意味合いのようだ。

 この「1ドル運動」とでも称するべきか? 浮浪者からの物乞いは、バーガーキングに限らず他の場所でも幾度か経験した。 ただ、しつこくないのが救いだ。 “お恵み下さる人”からのみ貰い、決して強要をしないのが特徴でもあった。


 米国は建国の時代から、白人・黒人間の差別社会との大きな人種問題を抱えている国家だ。
 その後も遠い昔より南米はたまた中国等々からの米国への大量移民が続き、まさに“人種のるつぼ”の実態であるのは、我が19歳時点の米国訪問時より理解出来てはいた。
 ただ30代の25年前の旅行時にも、未だその“人種のるつぼ”状態が続行している感覚範疇だった。

 やはり、その後の大量の移民・難民の移動により現在の米国社会が作られたのであろう。

 今回特に私にとって特徴的だったのは、ホテルやレストラン、スーパーマーケット等々 “ブルーカラー労働者”が働く現場に、白人労働者が極めて少ない事実である。
 あるいは巷の公共交通機関を利用しても、白人層が少ない。
 この現象も、おそらくトランプ大統領による経済政策の結果とも考察出来そうだ。 高収入を得ている所得層は概して公共交通機関など利用せず、マイカーに移動を頼っているのだろうと推測可能だ。
 (この辺の事情に関しては、後に米国物価高騰をテーマとしたエッセイにても綴る予定でいるが。)


 今回のエッセイに於いて、人種差別的表現があった場合お詫び申し上げる。

 確かに、前回のエッセイ内で記した米国入国審査官氏の発言「バークレーが汚くなっている」との表現は、サンフランシスコに於いても然りである事は私も真に実感だ。(参考だが、サンフランシスコ山の手坂道に存在する高級住宅街の街並みは美しい。) そして後に行ったバークレーの街並みは確かに残念ながら“汚く”変貌していた。

 このマイナーな移り変わりのすべてが移民・難民の浮浪者化と決めつけるのも差別感覚であり、慎むべきだろう。

 ただ未だ難民受け入れを実施していない日本に住む身として、実際日本に帰国してみると意外や意外、日本とは一見“美しい国”であることを再確認させられる気もする。

 この世界規模での厳しく重い課題である「難民対策」との現実に如何に立ち向かうべきかとの難題を、地球人の一人として突き付けられた思いでもある今回の米国旅行だった…… 
 

米国西海岸旅行記 ー 一期一会の出会い編 ー

2018年08月30日 | 旅行・グルメ
 (写真は、UCバークレー構内にて。後方のタワーはUCバークレーシンボルのセイザータワー。 何故マフラー着用かといえば、現地は“涼しい”を通り越して“寒く”、持参したマフラーが大活躍だったためだ。 UCバークレーの話題は後程公開します。)


 初っ端から、“きいて、きいて!” の自慢話公開で恐縮なのだが… 
 現地での“一期一会の出会い”こそ旅の醍醐味とする我が旅行ポリシーだが、今回も束の間の嬉しい出会いに事欠かなかったのはラッキーだった。


 まずは、米国入国審査所にての白人男性審査官との会話から。

 審査官氏が我々母娘のパスポートをチェックしつつおっしゃるには、「(まずは日本語にて)母と娘ね。 You are good looking,nice style.」
 ここでその言葉が出るかと驚きつつも、米国の慣習としてはお褒め頂いてまかり間違っても謙遜してはならない。 そこで私が応えて「Thank you very much!」 
 審査官氏 「観光ね。」 私「yes,shightseeing.」
 審査官氏 「Where do you go?」 私「Montrey and Carmel,and Silicon Valey and Berkey.」
 後は日本語に翻訳するが、審査員氏曰く、「モントレーとカーメルは美しい観光名所だよ。 シリコンバレー?何でそんなところへ行くの? バークレーも汚くてボクな好まないなあ。」
 私が「シリコンバレーはIT産業集積地域であり一目見ておきたい。 バークレーは今は汚いんですか?」 等々と応えていると、審査員氏が「Your English is good!」とまたもやお褒め下さりつつ、「I speak Japanese a little.」とおっしゃるので、私も「Your Japanese is grate,too!」と褒め返すと喜んでおられた。
 そして入国審査所を去ろうとすると、「Have a good shightseeing!  You are nice style!」と再びエールを送って下さった。(ここで私が言うのもなんだが…。 参考のため、英語に於けるstyleの意味合いとは決して体型を指すものではなく、行動様式等マナー面に重きを置いている事実をさします。

  旅の初っ端から、何とも私に好意的な審査官に出会えたものだ。 
 素晴らしい旅路の幕開けだった。

 
 旅道中も、現地の人々との様々な出会いに恵まれた。

 バート(地下鉄)乗換道中で迷った私に、親切に声を掛けて下さったチャイニーズ女性係員氏。 
 中国なまりの英語は、何故か聞き取り易い。 懇切丁寧に道案内をして下さったお陰でその後は迷う事はなかった。

 あるいは至る所で幾度も道を尋ねたのだが、誰一人として迷惑がる人はおらず、分かり易く説明して下さった。

 UCバークレー・セイザータワーの窓口で「大学構内の地図が無いか?」を確認したのだが。
 若き女性の窓口担当者が、我々を中国人と勘違いしたようだ。 中国語のスマホ画面でその回答をくれたため、我々が日本人であることを英語で伝えると丁寧に謝罪してくれつつ、「(もちろん英語で)この大学は現在全面ペーパーレスを採用している。 そのため申し訳ない事には紙の地図を用意できない。」と応えて下さったのが大いなるインパクトがあった。(この“大学全面ペーパーレス”の件に関しては、後程「UCバークレー編」にて再度取り上げる予定です。) 


 そして、帰国時にサンフランシスコ空港にて。
 パソコン画面から我々が搭乗手続きを入力していると、今度は流暢な日本語で話しかけて来る日本と(おそらく南米)ハーフの女性係員が近づいて来る。
 係員女性が開口一番、「何と可愛いお二人だこと! ご家族ですか?」 私応えて、「母と娘です。」 女性「まあ。お二人でペアルック素敵ですね! ご趣味が合うんですね。」 私「娘が私の影響を大いに受けているんですよ。 それで二人して似たような恰好をしています。」
 女性が娘のバッグに付けているビーズのチャームに気付いて、「何と可愛い! 手作りですか?」 娘応えて「祖母の手作りです。」 女性が引き続き「お母様のネックレスも素敵! ご自身で作られたのですか?」 私応えて「いいえ。これは市販品です、安物なんですよ。」 女性「いえいえ、素敵です。」 
 いくらでも会話が続きそうだが、搭乗手続きが終了したのでその場を去ろうとすると、「良きフライトを!」と言って女性係員氏が見送って下さった。


 他にも一期一会の出会いは沢山あったが、全部を書いているとキリがないためこの辺で終了しよう。


 人との出会いを呼び起こすキーポイントの一つに、「外見的要因」がある事は否定できないだろう。
 それはそうだろうが、はやり一番のポイントは「他者を無視しない態度、相手と面と向き合う」ことに尽きるのではなかろうか?

 そしてたとえ言語が異なろうが、出来るならば「笑顔」が伴えば必ずや相手と何らかのコミュニケーションがとれるはず、と私は信じて実行している。

米国西海岸より無事帰国しました!

2018年08月29日 | 旅行・グルメ
 (写真は、西海岸にて自分用に購入したお土産。)



 帰国早々、くだらない話題で恐縮ですが。


 自分用に買い求めたお土産を披露させて頂きます。


 写真右下はゴールデンゲートブリッジにて買った“ケーブルカー”のレプリカ。

 右上は、今回の主たる訪問目的地だった UCバークレー STUDENT SHOP にて購入したロゴ入りマグカップ。 
 
 中央は、カーメルにて買い求めたキャップ。 

 そして左下は番外編として、旅行中余った米ドルでサンフランシスコ空港免税店にて買った安物ブランド時計。



 明日以降、真面目な(?)旅行記を綴り公開させていただく予定でおります。




米国西海岸へ行ってきます!

2018年08月23日 | 人間関係
 (写真は、明日出発する米国西海岸旅行の拠点地となるホテルのバウチャー。)


 一体どうしたんだ?! と言いたい程に、今回の旅行直前期に際し次々と横槍が入ってくる。

 今度は、郷里の実母だ。
 実母には一切、米西海岸旅行の事は話していない。 何故ならば、今回の旅行に於いて西海岸に住む実姉と会う気がまったくない故だ。

 それを虫が知らせたのか???  何だか恐ろしい程にタイミング悪い本日午前中の実母からの電話だった。
 実母曰く、「私が死んだ後には、どうか米国の姉と仲良くして欲しい。 それを望む米国の姉から自分のところへ再三再四電話が入り、妹である貴方と仲良くしたいと訴えて来る。 とにかく、あの子(姉のことだが)は昔から女友達が作れない子だ。 米国へ行ったとて男関係には事欠かない(大嘘でそれも結果としては捨てられてばかり)ものの、どうしても女友達が出来ず、妹である貴女だけが頼りの様子だ。 ここは何とか貴方が折れて、自分の死後は米国の姉の相手をしてやってくれないだろうか?」

 私応えて、「何度も言っているが、その気は一生涯に於いて毛頭無い。 貴方が産んだ子である姉が母として可愛い思いは理解するが、妹のこの私にだって人生がある。 何度も繰り返すが、兄弟姉妹間での支援の法的義務は一切ない。 ましてや、姉と私は十代半ばより別に暮らしている。 姉の人格異常の程は当の昔から把握しているが、あれから40年の年月が経過している今尚、何故いつまでも日本に暮らす実妹に今後の姉の人生を依存したいのかが理解し兼ねる。 今時の60代前半など、自分の人生を立て直すタイミングとして決して遅くはない。 実母である貴女から米国の姉にそれをアドバイスしてはどうなのか?」
 実母曰く、「そんなことを私が姉に言える訳も無いし、とにかく私の希望としては私の死後は米国の姉の世話を次女の貴女に委ねたい…」
 「貴女(実母のこと)の世話は今後もするが、それ(実姉の世話)はきっぱりとお断りする!」
 と応えた後電話は切れたが…
 自分が産んだ子の責任が一生涯に於いて取れない親がこの世に現存している事実を、今更ながら実母から突き付けられる思いだ。

 もう何で、私はこうも親近者に依存される運命にあるのか!??


 などとは言っていられない状況下にて、更に我が明日の米国出発に追い打ちをかけたのは。

 実母からの電話の後、直ぐに成田行きリムジンバス乗場である都内某ホテルまでのタクシー予約を入れたところ…
 何と! 台風20号接近中のため、タクシー予約満杯との回答だ! 
 いや~~~~。 今回の米国旅行程、出発直前にして実に多難な課題を突き付けられた経験は未だかつて無い。
 結果として、タクシー予約を早い時間帯に変更したところ、某タクシー会社にての予約が成立した!

 私はその後、気を取り戻して出発準備に勤しんだ。
 何分、最愛の娘を引き連れての個人旅行だ。 準備作業に於ける手抜かりは許されない。
 きっと良き旅になることだろう。


 我が流儀と致しましては旅行中はネットから離れ、現地の人々との“一期一会”の出会いを楽しみたく思っております。 

 帰国後、今まで通り日本のネット関係皆様との再会を楽しみにさせて頂きます!